「どうして、こんなことに……」

 大樹の上に立つ屋敷の食堂で、青い顔をして頭を抱える甘粕の姿があった。
 想像もしなかったような歓待を受け、豪華な料理や酒を振る舞われたのが昨晩のことだ。酒に酔っていたこともあるのだろうが、アリスと意気投合して上司の愚痴を溢しまくったところまでは覚えている。だが、その後の記憶が定かではない。酔い潰れ、目が覚めたらベッドの上だったのだ。
 しかも翌朝、二日酔いも一瞬で覚めるような話をパオロから聞かされ、こうして頭を抱えていると言う訳だった。
 恵那がエリカと決闘をしたと聞かされて、一瞬目の前が真っ暗になったのは言うまでもない。その場で気を失わずに済んだのは自分でも不思議なくらいだと、いまでも甘粕は思う。しかも、決闘の原因がエリカの目を盗んで密かに太老を宴会場から連れ出し、勧誘したことにあるのだと言うのだから甘粕が頭を抱えるのは当然であった。
 その上、原因を作った当人はと言うと天叢雲剣に取り込まれ、太老に救出されたとのことではあるが呪力の使いすぎで今も眠っていると言う。決闘騒ぎを起こした挙げ句、暴走して件の魔王に助けられた。事が明るみになれば、どう考えても甘粕の首一つで済むような話ではなかった。

「なるようにしかならないのですから、腹を括って大人しく王の裁定を待つしかありませんわね」
「そんな他人事な……」
「他人事ですし」

 なんとも薄情なアリスの言葉に、甘粕は厄介な仕事を押しつけてくれた上司の顔を思い浮かべながら溜め息を吐く。
 だが、アリスの言うことが、もっともだと言うことは甘粕も理解していた。
 そもそもここから逃げる手段もないし、地の利の無い異国でその地に根を張る魔術師たちの追跡から逃げ切れるとも思えない。事情を知れば魔王の怒りを自分たちも買っては堪らないと、死に物狂いで追いかけてくるはずだ。第一、何処へ逃げれば良いと言うのか? 本当に魔王の怒りを買ったとなれば、日本も終わりだ。
 まつろわぬ神に対抗できるのは魔王だけ。そして、魔王と対等に戦えるのも神々や同じ魔王だけなのだ。
 そして日本には今、カンピオーネと呼ばれる者はいない。
 人間では決して抗えないとされる災厄。そんなものをどうにかする力など、いまの日本にあるはずもなかった。

「賢人議会に間を取り持って頂く訳にはいきませんか?」
「無理ですわね。いまや正木太老様は『魔王の中の魔王』と畏れられる存在。火中の栗を拾うような真似をする欧州の魔術師はいませんわ」

 それは賢人議会も例外ではない、とアリスは甘粕に釘を刺すように答える。
 そもそも直接的な被害を受けたと言う意味では、太老のことを最も恐れ、警戒しているのは賢人議会だ。
 ここでの生活にすっかり馴染んでいるアリスだが、表向きは祖国を守るために魔王に身を捧げた聖女≠フような扱いを受けているからだ。
 イギリスを守るため、傍若無人な魔王の要求に涙を呑んで屈したと言うのが賢人議会の発表なのだから間違いとは言えない。
 そんな訳だから日本が太老との仲を取り持って欲しいと要請したところで、彼等が応じてくれるはずもなかった。

「ですが、このままでは日本が……」
「火の海……いえ、太老様のお力を考えると地図を書き換える必要性が出て来るかもしれませんわね」

 即ち、日本が沈むと言うことだ。それも物理的に――
 世界を丸ごと一つ造ってしまえるような魔王の力を考えると冗談には聞こえず、甘粕からは乾いた笑みが溢れる。

「それよりも気分転換に一杯どうですか? 昨日頂いたお酒が余りに美味しかったので、太老様に言って少し分けて頂いたのです」

 呑気に食後の一杯を楽しむアリスを見て、甘粕は肩で息をするような深い深い溜め息を溢す。
 この後、甘粕は刑の執行を待つ死刑囚のような気持ちで、丸一日を過すことになるのであった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第35話『喧嘩両成敗』
作者 193






「エリカ。少しは自重できなかったのか?」

 決闘にまで至った経緯を聞き、溜め息を交えながらエリカにそう尋ねるパオロ。
 しかし、

「イタリアを代表する魔術結社の一つ〈赤銅黒十字〉の総帥のお言葉とは思えません。叔父様は我等が王と崇める御方を、あとからやってきた他国の人間に掠め取られても構わないと仰るのですか?」

 まったく動じる様子はなく、自分は何も恥じることはしていないと、きっぱり答えるエリカ。
 話し合いで片付けることは出来なかったのかとパオロは言いたいのだろうが、そもそも恵那にその気はなかった。
 最初から恵那は太老の周りにいる人間。特にエリカに的を絞って、挑発めいた行動を繰り返していた。
 話し合いで済ませるつもりはなく、戦いに持ち込むつもりでいたことは明白だ。
 騎士として逃げるような真似は出来ない。ただ売られた喧嘩を買っただけ。それがエリカの主張だった。

「お前の考えは分かった。だが、王の考えは聞いたのか?」
「それは……」

 エリカの言い分は理解できなくない。イタリアの魔術師たちの気持ちを代弁するのであれば、間違いであったと非難することは出来ない。決闘にまで至った経緯を聞けば、エリカの肩を持つ魔術師も少なくないだろう。だが、それはあくまで魔術師としての立場に置ける話だ。
 王の騎士を名乗る以上は魔術師である前に、王のことを第一に考えて自らの行動に責任を持たなければならないとパオロは諭す。

「それに王が日本へ行くことを決められたのは、恐らく最後の王≠フ調査のためだろう」

 パオロに言われるまでもなく、それはエリカも察していた。
 太老は義理堅い男だ。自分に忠誠を誓う魔術師たちを捨てて、日本に拠点を移すような真似をするとは思えない。となれば、日本行きの話を受けたのは最後の王≠フ調査を進めるためだと考える方が自然であった。
 恵那の背後には神≠ェいることを甘粕も認めている。恐らく恵那が『お爺ちゃま』と呼ぶ存在。それが、彼女に神刀を与えた神なのだろう。
 太老のことだ。誘いを受けたように見せかけて、その神からも情報を搾り取るつもりでいるのだと察することが出来る。
 だから、その神との戦いを少しでも有利に進めるために、恵那から情報を引き出そうとエリカは決闘に持ち込んだのだ。
 しかしそれが、本当に太老の望んでいたことかと問われると、はっきりと『そうだ』とエリカは答えることが出来なかった。

「お前なりに王のためを思っての行動だったと言うのは理解している。しかし、王の考えを軽んじていい理由にはならんぞ?」

 勿論エリカにそんなつもりがないことはパオロにも分かっていた。
 彼女は誰よりも太老のことを一番に考えている。だからこそ、少しばかり行き過ぎてしまうことがあるのだろう。
 あの王は寛容だ。このくらいのことでエリカを咎めたりはしないだろうとパオロは思うが、それに甘えすぎるのも良くない。
 だから嫌な役を買ってでてでも、保護者の責任として自分が一言釘を刺すべきだと思ったのだ。

「しかしまあ、赤銅黒十字の総帥としてイタリアの魔術師たちのために怒ってくれたことは嬉しく思う」

 自分の行いを反省していると不意に感謝され、ハッと顔を上げるエリカ。
 照れ臭そうに頬を掻きながら背中を向ける叔父を見て、自分の浅慮さを恥じるのであった。


  ◆


 見知らぬ天井を眺めながら、恵那はぼーっとした頭でゆっくりと上半身を起こす。
 部屋を見渡し、自分の身に起きたことを少しずつ思い出そうとしていると――

「あ、目が覚められましたか? 少し、お待ちください。すぐに太老様をお呼びしますから」
「え……」

 メイド服を着た黒髪の女性――アリアンナが扉の陰から顔を覗かせる。
 直ぐ様、部屋の壁に備え付けられた電話のようなもので連絡を取るアリアンナ。
 すると、ほとんど間を置かず、扉をノックする音が部屋に響いた。

「目が覚めたって? どれどれ」

 アリアンナが扉を開けると、白衣を着た太老が姿を見せる。
 そして、そのままベッドの脇に移動すると妙な形の被り物を取りだし、それを恵那の頭の上に置く太老。

「え、あの……王様?」

 突然のことにまったくついて行けず、あたふたと困惑の表情を見せる恵那。
 基本的には人を振り回すことはあっても、自分が振り回されるような体験をしたことがない彼女だ。
 それだけに、どういう反応をしていいのか分からず、戸惑っている様子が見て取れる。

「大丈夫そうだな。酷く消耗していたから少し心配だったが、これなら後遺症の心配も要らないだろ」

 そんな太老の話を聞いて、少しずつではあるが自分の身に何が起きたかを思い出し始める恵那。

「そっか。恵那、天叢雲剣に取り込まれちゃって……王様が助けてくれたの?」

 そう尋ねてくる恵那に、どう答えたものかと少し逡巡する太老。
 助けたと言えば確かにその通りなのだが、そもそも戦いにすらなっておらず、天叢雲剣は勝手に自滅したと言っていい。
 太老のしたことと言えば、衰弱した恵那を医務室に運んで手当てをしたくらいだ。
 眠っている間の世話はアリアンナに任せっきりだったので、胸を張って『助けた』と言えるようなことはしていないと太老は考えていた。
 しかし、

「そうですよ。太老様が適切な処置をしてくださらなければ、危険な状態だったんですから」

 無茶をした子供を叱り付けるように、アリアンナは話に割って入る。
 剣と魔術の才能はからっきしなため、ほとんどエリカの専属メイドのような扱いを受けているが、魔術師としての常識や知識はそれなりに身に付けている。だからこそ、恵那がどれほど危険な状態だったかをアリアンナは正確に理解していた。
 助けだされた直後の恵那は天叢雲剣に呪力を吸い尽くされ、本当に危険な状態だったのだ。太老が秘薬(アリアンナ視点)を与え、適切な治療を施さなければ命を落としていた可能性が高い。仮に命が助かったとしても、二度と呪術を使えない身体になっていただろう。そのことが分かるだけに黙ってはいられなかったのだ。

「うん、そうだよね。王様、助けてくれてありがとね」
「まあ、気になるな。たいしたことはしてないしな」

 なんでもないかのように答える太老に、本当に敵わないなと言った顔で小さく苦笑する恵那。
 本当なら助けて貰えるような立場ではない。見捨てられても仕方のないことをしたと言う程度の自覚は恵那にもあった。
 なのに天叢雲剣から救いだし、太老は命を助けてくれた。
 その上、恩を着せてくる訳でもなく当たり前のように接せられたら、返す言葉も見つからない。

(これって……)

 ドキドキと脈打つ胸に手を当てながら、太老に惹かれている自分に気付かされる恵那。
 親友の祐理から話を聞いていて、太老に興味を持っていたことは事実だ。
 しかし、お爺ちゃまや家の決めたことに従っただけで、イタリアまでやってきたのは恵那の意思ではなかった。
 清秋院家の娘として、日本の媛巫女として、ただ言われた通りに仕事をこなすだけ。そう思っていたのに――

(こんな気持ちにさせられちゃうなんてね)

 魔術師たちの間で噂される太老の話は恐ろしいものが多く、アリスの一件から考えても決して善人ではないと言い切れる。
 間違いなく魔王と畏怖されるだけのことをしているのはずなのに、不思議と恐怖は湧いてこない。
 逆に太老と一緒にいると、胸の辺りがポカポカと温かくなるのを恵那は感じていた。
 親友の――祐理の言っていた通りだった。掴み所のない不思議な王様。
 だからこそ、こんなにも自分は目の前の王様に惹かれているのだろうと恵那は思う。

「ねえ、王様。恵那、悪いことをしたよね?」
「うん? エリカとのことを言ってるなら喧嘩両成敗だろ」

 もっと喧嘩っ早い姉たちを知っているだけに、こう言ったことに太老は冷静だ。
 それぞれ言い分があるだろうし、どちらか一方が悪いと決めつけることは出来ない。
 基本的に喧嘩は両成敗というのが、太老の考えだった。

「えっと……それでいいの?」
「他にどうしろと? まあ、自分が悪いと思っているのなら、ちゃんとエリカに謝れ」

 そう言って診察に使った道具を回収すると、やんちゃな子供を諭すように恵那の頭を軽く撫で、あとのことはアリアンナに任せて太老は部屋を退室する。
 太老に撫でられた頭に手を置きながら顔を紅くする恵那を見て、

「お腹が空いていますよね? いま何か持ってきますから、少々お待ちください」

 アリアンナはクスリと微笑むのであった。


  ◆


「ごめんなさい!」

 パオロに言われたことがまだ頭に残っていて、どんな顔で太老に会えばいいかと迷っていた矢先――
 部屋まで訪ねてきた恵那に深々と頭を下げられ、エリカは困惑を顕にする。
 昨日のリベンジを覚悟していただけに、こんな風に恵那の方から謝罪をされるとは思っていなかったからだ。

「まあ、私にも悪いところがなかった訳じゃないし、水に流すのは吝かじゃないけど……どういうつもり?」

 どう言う心変わりかと訝しみながら、恵那にそう尋ねるエリカ。
 まだそれほど付き合いが長い訳ではないが、それでも恵那と剣を交えて分かったことがある。何も考えていないように見えて、実のところ恵那は頭が良く計算高い。相手を油断させて自分に都合の良い方向へ話を持って行こうとする強かさを備えた――油断のならない相手だとエリカは恵那を高く評価していた。
 そう言う意味では、冷静を装ってはいるが直情的なリリアナと違い、自分に近いタイプだとエリカは感じたのだ。
 同属嫌悪と言ってはなんだが、恵那のことを必要以上にエリカが警戒していたのは、そのためだった。

「エリカさんって良い人だよね」
「なっ……」

 不意を突かれ、顔を赤くするエリカ。まさか、そんな返しをされるとは思っていなかった。
 どういうつもりかと訝しむエリカに、人懐っこい笑みを浮かべながら正直な気持ちを打ち明ける恵那。

「王様に言われたんだ。自分が悪いと本当に思っているのなら、ちゃんと謝れって」

 恵那の説明に言葉を失い、「うっ……」と唸るエリカ。
 まるで自分のことを言われているように感じたからだ。
 どんな顔で太老に会えばと迷っていたのは、結局のところ素直に謝ることが出来ずにいたからだ。
 同じことは、恵那に対しても言える。エリカも本当は、喧嘩腰だったのは自分も同じだと認めていた。

「……そんな風に太老の名前をだされたら許すしかないじゃない。私も悪かったわ。今回の件、これで手打ちにしましょ?」
「うん。恵那の方こそ、本当にごめんね」

 そう言って仲直りの握手を交わしながら、エリカと恵那は揃って小さく苦笑する。
 しかし、

「……あなたとは仲良く出来そうにないけど」
「だよね。でも、それもお互い様≠ゥな?」

 友達にはなれそうにないと、同意する二人。
 本当は仲が良いだろうと、この場に太老がいればツッコミが入っているところだ。
 しかしそれは、互いのことを認め合っているという証明でもあった。
 なんにせよ、これで一件落着――かと思われたのだが、

「あ、でもそれと王様のことは別ね」
「ちょっと、話を蒸し返すつもり!?」
「王様を日本の王様≠ノするのは諦めたけど、なら恵那が王様のものになればいいかなって」
「……はあ!?」
「恵那、本気で王様のことが好きになっちゃったみたい。だから、これからはライバル≠セね!」

 最後に爆弾発言を残して走り去って行く恵那の背中を、エリカは呆然と見送るのであった。





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