現在、守蛇怪・零式は東京湾の横須賀港に停泊していた。
 甘粕からの連絡を受け、出来ればこちらで用意した港に船を停泊させて欲しいと懇願されたためだ。
 下手に隠れてこそこそと監視をするような真似をすれば、イタリア海軍の二の舞となりかねない。だからと言って、一国の海軍を壊滅に追い込むほどの戦闘力を持った船が領海内に潜んでいるというのに監視もつけないと言う訳にはいかない。日本政府からどうにかならないかと相談を受けた馨が、駄目元で甘粕を通じて太老に要請をしたのだ。
 結果から言えば、その要請はあっさりと受け入れられた。
 もっとも交渉に当たったエリカが日本の弱味につけ込み、王の威光を盾にいろいろと条件を付けたのだが――

「陸鷹化? ああ、あなたがお兄ちゃんの言ってた」

 そこに太老を訪ねてやってきた陸鷹化の応対を桜花がしていた。
 本来ここには政府や軍の関係者と言えど許可なく近付くことは出来ないのだが、太老の客となれば話は別だ。
 太老自身が世話になったと言っていたこともあり、桜花は賓客待遇で鷹化を船内へと招き入れたのだ。
 だが、思い掛けぬ歓待を受けた鷹化は船の中とは思えない光景に息を呑み、落ち着かない様子を見せていた。

(これが噂の神の船……。船の中に森があるなんて、なんて無茶苦茶な)

 大樹の上に立つ太老の屋敷で歓待を受けながら、そこから見える光景に鷹化は改めて太老の非常識な力を痛感していた。
 この光景を見せられて、冷静でいられる魔術師など恐らくいないだろうとさえ思える。
 いや、魔術師に限らず、船の中が別世界に繋がっているなど誰でも目を疑うような光景だろう。

(それに目の前の彼女が……平田桜花≠ゥ)

 師匠の影響もあるのだろうが、はっきりと言って鷹化は重度の女嫌いだ。とはいえ、嫌いと言うだけで苦手と言う訳ではなく、女に対しての態度が一際厳しいと言うだけの話だ。しかし、そんな彼でも目の前の少女――桜花には強くでることが出来なかった。
 太老の関係者と言うこともあるが、鷹化の自己防衛本能とも呼べるものが命の危険を訴えていたからだ。
 一つだけ訂正しておくと、陸鷹化は決して弱くない。軽功卓越・掌力絶大と称えられる武術と軽功の腕はエリカやリリアナも一目を置くほどで、近接戦闘に限って言えば神獣と互角以上の戦いが出来る現在のエリカや、神がかりを使用した恵那とも渡り合えるほどの実力を有していた。実際、素手で虎を狩った経験もあると豪語する強者だ。
 しかし、そんな彼でも桜花と拳を交えれば、自分が勝利するところがまったくイメージできない。
 それどころか一蹴されるイメージしか湧かないのだから、女嫌いの鷹化がここまで緊張するのも無理はなかった。
 自分でもありえない考えだと思ってはいるが、例えるなら師匠と向かい合っているようだと鷹化は桜花の底知れない強さを感じ取っていた。

「折角、お兄ちゃんを訪ねてきてくれたのに悪いけど、いまイタリアに戻ってるんだよね」
「……え?」

 思ってもいなかった答えが返ってきて、戸惑いの声を漏らす鷹化。
 船はここにあるのにどうやってと考え、すぐに太老が師匠と同じ神足通を使えるのだと思い至る。
 実際にはブランデッリ家の屋敷にパオロの許可を貰って転送装置を設置しているだけなのだが、そのことを鷹化が知るはずもなかった。
 とはいえ、子供の使いではないのだ。太老に会えませんでしたと言って帰ったのでは師匠に殺されると考え、鷹化は必死に食い下がる。

「己が分を弁えぬ不遜な願いだと言うのは重々承知しています。それでも王に連絡を取っては頂けないでしょうか?」

 この通りです、と床に膝をつき深々と頭を下げる鷹化に、ちょっと引いた様子を見せる桜花。
 余りに切羽詰った必死な態度に、何が目の前の少年をそこまでさせるのかと気になり、そのことを尋ねる。

「取り敢えず、事情を話してくれる? お兄ちゃんに連絡を取るにしても、理由くらい話してくれないと」

 話はそれからだと言われ、鷹化も納得した様子で頷く。
 本当なら太老に直接話を持っていきたかったが、桜花のことを知れば師匠も納得してくれるだろうと考えて鷹化は用件を切り出す。
 少なくとも師匠が認めるだけの実力を桜花が持っていると見抜いてのことだった。

「我が師父から正木太老様へと宛てた招待状をお持ちしました」

 そう言って恭しく頭を下げ、師匠から預かった文を桜花に差し出す鷹化。
 いつもの羅翠蓮ならこんな面倒なことをせずに、自分の足で直接太老に会いにきていることだろう。
 しかし、あのような贈り物≠されては自分も礼を失する訳にはいかないと、鷹化を使いに立てたのだ。
 やっぱり厄介事だったと心の中で呟きながら、桜花は鷹化から羅翠蓮の手紙を預かるのであった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第39話『招待状』
作者 193






「――了解。うん、夕方にはそっちへ戻るから」

 赤銅黒十字が経営するフロント企業のオフィスで、携帯電話を片手に誰かと通話する太老の姿があった。
 親しげな態度の太老を見て、恐らく電話の相手は桜花だろうと察してエリカは声を掛ける。

「桜花さんから?」
「ああ、俺にお客さん≠ェきてるって連絡をくれてな」

 太老に客と聞いて、一体だれが――と思案するエリカ。
 船を横須賀に停泊させる代わりに、日本政府及び正史編纂委員会の関係者の太老への接触を制限すると条件を付けたばかりなのだ。
 正確には甘粕を通して許可を得てからでなければ、太老との面会を許可することは出来ない。
 組織の事情など知ったことではない。王の手を煩わせる真似をするなという警告でもあった。

 というのも、日本の呪術界に対してエリカは余り良いイメージを持っていなかった。
 恵那の話を聞く限りでは、王に対する敬意も理解も足りないと感じたからだ。
 そんな連中を太老に引き合わせるような真似をすれば、絶対に大きな騒動へと発展する。
 既に手遅れかもしれないが、少なくとも警告はしたのだから何かあっても大義名分は立つと考えてのことでもあった。
 今頃そうならないように甘粕や馨は奔走しているのだろうが、そんなことはエリカの知ったことではない。

「ああ、先日知り合った奴でな。陸鷹化って言うんだが――」
「なっ……!」

 想像もしていなかった名前が太老の口からでてきて、エリカは絶句する。鷹化のことは以前からよく知っているからだ。
 というのも彼とは二年前、香港でちょっとした諍いを起こし、辛酸を舐めさせられたことがあった。
 エリカとしては、余り思い出したくない厄介な相手という認識が強い。
 いまなら戦闘でも後れを取るつもりはないが、それでも確実に勝てると言い切れない相手だ。
 そんな人物といつの間に知り合っていたのかと、エリカが疑問に思うのは当然であった。
 しかし、先日こっそりと太老が一人で出掛けた時のことをエリカは思い出す。

(まさか、あの時に?)

 何処に行っていたかと思えば、鷹化と会っていたのかと勘違いするエリカ。
 日本で偶然、香港陸家の御曹司と出会うと言うのは、余りに考え難かったからだ。
 相変わらず驚かさせるような行動を取ってくる太老に、感心するやら呆れるやら複雑な感情を抱かされる。

「それで、なんて言ってきたの?」
「お師匠さんから預かったパーティーの招待状を持ってきてくれたらしい」
「師匠……って、まさか羅濠教主が日本へ来ているの!?」

 何を驚いているんだと言った顔で首を傾げながら「そうらしい」と答える太老。
 だが、いつもと変わらない態度の太老と違って、エリカはそれどころではなかった。
 それもそのはずだ。最古参のカンピオーネの一人が、日本へ来ていると聞かされれば驚かないはずがない。
 しかも話を聞く限りでは、羅濠教主の目的はどう考えても太老にあると考えていいのだ。
 自分の知らないところで、何がどうなってそこまで話が進んでいるのかとエリカが頭を抱えるのは無理もなかった。

「お返しなんていいのに律儀な人だな。さすがに鷹化の師匠ってことか」

 ストーカー疑惑をかけていたことをすっかりと忘れ、鷹化の師匠なら納得だと頷く太老。
 年長者への配慮や気遣いに長けていることに、若いのにたいしたものだと太老は鷹化に一目をおいていた。
 そのため、恐らくは師匠の教えなのだろうと勝手に解釈したのだ。
 その一方で――

(……お返しって、そう言う意味よね?)

 太老の方から羅濠教主に何かを仕掛けたのだと、勘違いするエリカ。
 お返しという言葉を、そのままの解釈で受け取ったのだろう。
 どうして太老がそんな真似をしたのかと困惑するも、先日リリアナに言った自分の言葉を思い出す。
 ヴォパン侯爵を降し、ドニから盟主の座を奪い、実質的に東欧を支配下に置いた今、次はアジアへ支配圏を拡大しようとしていると話したのだ。
 あの時はリリアナを乗せるために大袈裟に言ったのだが、もしかして本当にと言った考えたエリカの頭を過る。

(そう、そういうことなのね)

 今日、二人でイタリアへ来ているのはパテント≠ナ得た報酬を受け取る手続きを進めるためだった。
 イタリア海軍を壊滅させた詫びにと預かったデータを、パオロは太老の名義で特許を出願していたのだ。その一環で政府と関係の深い研究機関にデータの検証を依頼していたのだが、技術的にはこの世界の人間でも開発可能なもので誰も考えつかなかったような新たな可能性を提示された科学者たちが触発され、こぞって新たな製品を開発し始めたのだ。そこで政府や企業による技術者の囲い込みが始まり、特許の価値も大きく高騰して太老の手元に大金が転がり込んできたと言う訳だった。
 いま思えば出会った時から、太老の計画は既に始まっていたのかもしれないとエリカは考える。
 人脈作りから始まり資金の調達と、新たな組織を興すための下地作りが、いつの間にか出来上がっているからだ。
 こんなことが偶然で起きるはずもない。となれば、随分と前から密かに計画を進めていたと考える方が自然であった。

「太老、誘いを受けるつもりなの?」
「ああ、エリカも行くだろ?」
「……そうね。お邪魔じゃなければ、ご一緒させてもらいたいわ」

 多少は強くなったとは言っても、まだ王と王の戦いに割って入れるほどではないとエリカは自覚していた。
 それでも太老の騎士として共にありたいと、いつでもエリカは願っている。
 足手纏いになるからと逃げていては、太老の横に並び立つことなど一生できないだろう。
 これは太老のくれたチャンスなのだと、エリカは自分を奮い立たせるのだった。


  ◆


「は? 悪いんだけど、もう一度言ってくれるかな?」

 耳を疑うような報告を聞いて、嘘であって欲しいという願いを込めて尋ね返す馨。
 しかし、そんな上司の切実な願いを切り捨てるかのように、甘粕は厳しい現実を口にする。

「ですから、横須賀で監視の任についていた者から情報がありまして、香港陸家の御曹司が〈神の船〉へ招かされたようだと」
「それって羅濠教主が聖教の配下から唯ひとり直弟子に選んだっていう……天才少年のことだよね?」
「ええ、軽功卓越・掌力絶大と称され、モーツァルトやダ・ビンチと並び、歴史に名を遺すことは間違いなしと噂されている、あの人です」

 ふらふらと力無く椅子に腰を下ろし、背もたれに体重を預ける馨。
 その筋では有名も有名。知らない者などいないと言われるほどの有名人。
 羅濠教主の直弟子の陸鷹化が太老に接触をしたと聞いて冷静でいられるほどの胆力は、さすがの馨も持ち合わせてはいなかった。
 それでなくとも、ここ数日はエリカとの約束を守るために、まともに寝ていないのだ。

「バカの相手をするだけでも大変だって言うのに……」

 守蛇怪・零式を横須賀に留めるのは日本政府の要請を受けてのことだったが、そのために呑まされた条件と言うのが太老に取り入ろうと画策していた呪術師たちには都合の悪い内容だった。
 ましてや、その条件を突きつけてきたのがイタリアからきた魔術師――太老の愛人を自称するエリカだと聞かされれば、彼等が納得するはずもない。元より彼等の主張としては、日本人のカンピオーネであるのなら日本の味方をするのが当然という考えがあるからだ。太老がイタリアの盟主に収まっていることに納得していない者は少なくなかった。
 とはいえ、そもそもカンピオーネが国に縛られるような存在であるはずもなく、太老は日本人ぽいと言うだけで実際に日本人だと明言したことはない。日本で生まれ育ったことは確かだが、そもそも異世界からやってきたと言うことを考えれば、この世界の日本とは関わりがないのだ。
 完全に的外れと言っていい主張なのだが、そんなことを自分たちの行いが正しいと信じ切っている者たちにどれだけ説いても徒労でしかない。話の通じない連中が暴発しないように抑え込むのに、馨はかなりの苦労を強いられていた。
 そこに飛び込んできた今回の情報。馨がすべての職務を放棄して、逃げ出したい気持ちに駆られるのも無理はなかった。

「甘粕さん、本気で室長をするつもりはない? なんだったら沙耶宮家の当主の座もつけるよ?」
「いえ、遠慮します。出世欲は特にないので」

 明らかに貧乏くじとしか思えない立場に就きたいと考えるほど、甘粕は権力を欲していなかった。
 むしろ、余り責任の生じない適当な立場で程々の給料を貰いながら定年まで働き、好きなことをして余生を送れればと考えているくらいなのだ。
 どれだけ報酬が良くとも、馨の代わりをする気になどなれなかった。
 それに、絶対に代役などしたくない理由がもう一つ≠った。

「それと羅濠教主も、どうやら日本へいらしているようです」
「え? 冗談だよね?」

 冗談と言ってくれとばかりに見詰めてくる馨に「マジです」と答える甘粕。
 そんな甘粕の答えに、絶望する馨。どう考えても日本にとって暗い未来しかイメージが湧かなかったからだ。
 このままだと日本が滅びると前に言ったことが、現実味を帯びてきたかのようにも感じる。
 いや、既に滅亡のカウントダウンに入っているようにすら思えてならなかった。

「……うん、無理だ。これ以上は僕の手に負えない」
「馨さん? 何処へ行く気ですか!?」
「最近、働き詰めだからね。もうすぐ夏休みだろ? 南の島でのんびりとバカンスもいいかなって」

 現実逃避を始め、職務を放棄して逃げようとする馨を、そうはさせまいと引き留める甘粕。
 馨がいなくなったら、その分の仕事が自分に回ってくることは確実だと考えての行動だった。
 そんな上司と部下の駆け引きは、この後一時間余り――第三者≠フ介入があるまで続くのであった。





 ……TO BE CONTINUDE



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.