「リリィ!」
「待って、エリカお姉ちゃん!」

 リリアナを追って黒い穴に飛び込もうとするエリカを、桜花は腕を掴むことで引き留める。
 ピクリとも身体を動かせない状況に驚くエリカ。
 生体強化を受けていると言っても、それは桜花も同じだ。しかも彼女は武神の娘。
 エリカの力で振りほどけないのも当然だった。

「罠に自分から嵌まりに行くなんて、らしくないよ?」
「……ごめんなさい。少し、頭に血が上っていたみたいだわ」

 少し頭が冷えた様子で、謝罪を口にするエリカ。
 頭がカッとして考えるよりも身体が先に動いたのは事実だが、魔術師としては二流も良いところだ。
 桜花に諭され、感情的になっていたことをエリカは恥じる。

「穴が……」

 そうこうしている間に、黒い渦のような穴が消失する。
 黒い靄のようなものも消え、元の和室へと戻った空間でエリカは深呼吸をするかのように息を吐く。
 心を落ち着かせるためだ。リリアナのことは心配だが、慌てたところで問題が解決する訳ではない。
 それに心配なのは確かだが、リリアナも『大騎士』の位階を授かる魔術師だ。
 魔術師としての彼女の実力は、幼い頃から競い合ってきたライバルのエリカがよく知っている。
 いまは太老のお陰で一歩先んじているが、あの負けず嫌いな性格をしているリリアナが差を付けられたまま終わるはずもない。
 いつかは自分に追い付いてくるはずだと、エリカは信じていた。そんな彼女が、この程度で死ぬはずがない。

「二人とも先走りすぎだ。おい、アリス……大丈夫か?」

 少し遅れて、アリスと恵那を伴った太老が姿を見せる。
 脇に目を回したアリスを抱えていることからも、遅れた原因は察しが付く。
 治療を受けて肉体的には健康になったと言っても、基本的にアリスは運動が得意ではない。
 大方、一緒にエリカを追い掛けたものの太老たちの動きについていけず、足を滑らせて頭でも打ったのだろう。

(あれ? この気配って、もしかして……)

 そんななか何かに気付いた様子を見せる恵那。
 部屋に充満する呪力が、彼女のよく知る気配を発していたからだ。

「それより、何があった?」

 太老の問いにどう答えたものかと顔を見合わせ、頭の中で情報を整理するエリカと桜花。
 彼女たちもリリアナの身に何が起きたのか?
 尋ねられて詳細を説明できるほど、理解しきれてはいないからだ。
 取り敢えず、見たままのことを伝えようとしたところで――

「これは一体!?」

 騒ぎに気付いて後からやってきた鷹化の声が廊下に響くのだった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第42話『誘拐犯の正体』
作者 193






「申し訳ありませんでした!」

 見事な土下座だった。
 客間の床に額を擦りつけ、平身低頭の構えで許しを請う鷹化の姿があった。
 無理もない。客として招いた相手が、何者かに拉致されたと言うのだ。
 本当に悪いのはリリアナを拉致した犯人なのだが、鷹化の不手際と言っても間違いではない。
 もてなすように言われていただけに、師父に知られたら殺される。そう考えて鷹化が必死になるのも当然だった。
 しかも、師父に殺される前に太老の機嫌を損ねれば、そこで命が終わるかもしれないのだ。
 太老が聞けば「俺をなんだと思ってる」と呆れそうな話だが、神や悪魔をも従える最強の魔王と恐れられている現実を考えると当然の反応だった。

「頭を上げてくれ。この件で、お前を責めるつもりはないから」

 本心からそう諭す太老。
 鷹化のことは腰が低く真面目な性格をしていると思っているだけに、さすがにこの件で責めるのは哀れに思えたのだ。
 招いた側の人間としては客に何かあれば不手際を問われるのは当然だが、こんなものを予想しろというのは不可能だ。
 それに旅館には、外敵の侵入を阻む結界が張られているという話だった。
 しかも仲居に扮した部下を敷地内には巡回させていたと言うのだ。
 これだけの厳戒態勢の中で、リリアナを拉致した相手は相当の手練れと見るべきだろう。

(許してもらえたのか? い、いや……)

 あっさりと許して貰えたことに驚きつつ『何か裏があるのでは?』と訝しむ鷹化。
 普段から羅翠蓮の言動と行動に振り回されている彼が、太老の言葉を素直に信じられず疑って掛かるのも無理からぬ話だった。

「それより、お師匠さんはまだ戻ってきてないのか?」

 ――やはり!?
 と、太老の思惑を察して顔を青ざめる鷹化。
 お前のような小物などでは話にならん。一番偉い奴をだせ。
 と、そういう意味だと太老の言葉を受け取ったのだ。
 酷い誤解だが、何度も言うように太老は世間からすると神と悪魔を従える大魔王≠ニいう認識だ。
 別に鷹化が特別と言う訳ではなく、魔王の悪行を知るものであれば誰もが同じような誤解を抱くだろう。

(ど、どうしたら……)

 風前の灯火と言った状況に追い込まれ、鷹化は必死に生き残るための策を練る。
 しかし、誤魔化しが魔王に通用するとは思えない。
 具体的に言うと、嘘だと見抜かれた時が怖い。

「師父はまだ戻っていません。何処へ出掛けたかは、僕も聞かされていなくて……」

 朝、師父の部屋を訪ねたところ書き置きだけ残して、部屋はもぬけの殻だったことを正直に伝える。
 下手に策を弄して怒りを買う方が、致命的な結果を招きかねないと判断したからだ。
 その書き置きに自分が帰るまで、客人をもてなすようにと書かれていたと説明する鷹化。

「そうか。鷹化のお師匠さんなら、何か知ってるかと思ったんだが……」

 太老の言葉にまた目を瞠り、だらだらと額から汗を流す鷹化。
 師父の――羅翠蓮の仕業ではないかと疑われているのだと、察したからだ。
 実際のところは鷹化の師匠なら何か分かるのではないかと思った程度のことなのだが、そんなことを鷹化が知る由もなかった。


  ◆


「王様、ちょっといい?」
「ん? どうかしたのか?」

 鷹化を退出させた後、どうしたものかと悩んでいたところで恵那に声を掛けられ、首を傾げる太老。

「リリアナさんのことなんだけど、恵那もしかしたら犯人に心当たりがあるかも」
「はい?」

 予想もしなかった言葉が恵那の口から飛び出し、太老は困惑の声を漏らす。
 彼女の口振りからすると、犯人は恵那のよく見知った人物なのだろうと察しが付く。
 リリアナを誘拐した犯人の手掛かりが、まさかこんな近くにあるとは思ってもいなかったからだ。

「そういうことなのね。薄々とそんな気はしていたけど……」
「やっぱり、お兄ちゃん絡みかあ……」

 しかしそんな太老とは反対に、恵那の話を聞いたエリカと桜花は納得した表情を見せる。
 リリアナが消える前に感じたまつろわぬ神≠フ気配。そして、部屋に残された膨大な呪力。
 そこから導き出される答えは、一つしか存在しなかったからだ。

「まつろわぬ神の仕業ですね」

 ゆっくりと布団から身体を起こしながら、太老たちの会話に割って入るアリス。
 まつろわぬ神。それがリリアナを誘拐した犯人だと、アリスは断言する。
 神の仕業であるのなら、人間の張った結界程度で防げるはずもない。
 鷹化と言えど、出し抜かれるのは当然だ。相手が悪すぎる。

「うん。おじいちゃまは、こういうことが得意だからね」

 恵那の口からでた『おじいちゃま』という言葉で、ようやく犯人を察する太老。
 しかし、

(恵那の祖父さんって、まつろわぬ神だったのか……)

 微妙にズレたことを考えていた。
 家族に会わせたいから日本へ来て欲しいと恵那に誘われたのが、太老が日本へきた切っ掛けだった。
 しかし、まさか恵那の家族がまつろわぬ神で、リリアナを誘拐した犯人とは思ってもいなかったのだ。
 降臨術なんてレアな能力を使えるのも、もしかしてそれが理由か? とも太老は考える。
 恵那のなかに神の血が流れているのなら、神の力を身に宿せても不思議ではないと考えたからだ。

「でも、なんで恵那の祖父さんがリリアナを誘拐なんてするんだ?」
「あれから『おじいちゃま』とは連絡を取ってないから詳しいことは分からないけど、狙いは王様だと思う」
「俺に用があるのなら、直接訪ねてくれば良いだろう……」
「理由があって、おじいちゃまはこっちの世界≠ノ出て来られないからね」

 だからリリアナを使って、太老を誘き寄せようとしたのではないかと恵那は話す。
 それに太老を直接狙わなかったのは、狙わなかったのではなく狙えなかったのでは? と恵那は考えていた。
 カンピオーネは勘が鋭く、まつろわぬ神の気配に敏感だ。不意を突いたところで、上手く行く可能性は低い。
 ましてや太老は二人のカンピオーネを退け、二柱の神と悪魔を従える大魔王と恐れられる相手だ。
 念には念を入れて確実に成功させるために、太老の周りの人間を狙った可能性が高いと恵那は見ていた。
 リリアナを狙ったのは、恐らく彼女が一人で部屋に引き籠もっていたことから都合が良かっただけだろう。

「こっちの世界? まさか、リリィが連れて行かれたのって……」

 エリカの言葉を肯定するように頷く恵那。
 そして――

「エリカさんの想像通り――リリアナさんが連れて行かれたのは幽世≠セよ」

 いつもと違って真剣味を帯びた表情で、恵那はそう答えるのだった。


  ◆


「まずい、まずい、まずい! 誰かは知らないけど、とんでもないことをしてくれた!」

 悲鳴にも似た声を上げながら、緊急対策室と化した旅館の事務室で頭を抱える鷹化。
 いままでに見たこともないほど狼狽える鷹化を見て、彼の舎弟たちも困惑した様子を見せる。
 だが、そんな鷹化の情けない姿を見ても呆れたり、責める者はいない。
 カンピオーネ――魔王の恐ろしさは、彼等も鷹化を通してよく知っているからだ。

「とにかく原因を究明して、犯人を見つけ出さないことには……」

 魔王と魔王の殺し合いが始まる。
 最悪の未来を想像して、鷹化の顔から血の気が引く。
 太老と羅翠蓮が本気で衝突すれば、周囲の被害も甚大なものになると予想できるからだ。
 当然、自分たちも無事では済まないと鷹化は思っていた。
 なら、いまするべきことはリリアナの捜索だ。それも出来ることなら師父が戻る前に解決しているのが望ましい。
 不可能だと思っていても、やるしかない。それしか、自分たちが生き残る道はないと鷹化は考えていた。

「坊ちゃんを訪ねて、お客様がいらしていますが……」
「は? 客? いま、こっちは忙しいんだ。誰かは知らないけど、そんな奴は追い返して――」

 仲居に扮した部下に客が来ていると教えられ、苛立ちから適当に追い返すようにと指示する鷹化。
 しかし――

「待った。その客は僕≠訪ねてきたんだな? 名前は?」

 すぐに思い直す。
 冷静になって考えてみれば、このタイミングで訪ねてきた客が、いま頭を悩ませている問題と無関係とは思えなかったからだ。
 しかも、太老や羅翠蓮を訪ねてきたと言うのなら分かるが、相手は鷹化を指名しているのだ。
 となれば、大凡の事情を把握しているとも考えることが出来る。

「正史編纂委員会の甘粕冬馬と――」

 やはりと確信を得た表情で、鷹化はニヤリと口元を歪めるのだった。





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