銀河最大の軍事国家、樹雷。
 その首都『天樹』の上層には、四皇家やその血に連なる分家のみが居住を許された区画があった。
 樹の上とは思えないほど広々とした場所に立てられた木造建築の大きな屋敷。
 幾つもある神木家の邸宅の一つだ。

「随分とお疲れみたいだね」

 そこに屋敷の主――神木瀬戸樹雷と、テーブルを挟んで向かい合わせに座る白眉鷲羽の姿があった。
 顔色の優れない瀬戸を見て、気遣うような素振りを見せながら鷲羽は声を掛ける。

「そりゃね……林檎ちゃんが選考会に掛かった費用の請求書を笑顔で置いて行った時には、背筋が凍り付くかと思ったわ」
「ちゃんと払ったんだよね?」
「当然でしょ? ハイエナ部隊の取り立てに自分が晒されるなんて想像もしたくないわ」

 幾ら瀬戸でも、いや瀬戸だからこそ、林檎率いるハイエナ部隊の恐ろしさは誰よりも理解している。
 請求書を突きつけてきたと言うことは、それを回収するまで絶対に彼女たちは諦めない。
 ありとあらゆる手を使って追い詰めてくることは目に見ていた。なら、素直に払った方が実害は少ない。
 頭の痛い金額ではあったが、払えないほどの額でもない。恐らくはそこまで計算してギリギリの金額を請求してきたのだろう。
 今回の件に対する彼女たちなりの意趣返しなのだと言うことも瀬戸は分かっていた。だから素直に支払ったのだ。

「かなり厳しい条件をつけたそうだけど、最終的な参加者は一万人を超えたそうよ」
「それはまた……」

 太老のもとへ送る助っ人の選考会が、ここ天樹で開催されたのだ。
 その参加者数は一万人以上。しかも、軽くその数千倍の応募があったと言うのだから驚くほかない。
 てっきり瀬戸は、水穂と林檎の二人が候補者を選定するものと考えていたのだ。
 それがまさか公募を行ない、希望者を競わせるなんて方法を選択するとは思ってもいなかったのだろう。
 しかも応募者の中には女官に紛れて、アイリや天女の姿もあったと言うのだから笑うしかない。
 まあ、当然の如く書類選考で弾かれたのだが――

「大々的に報じられて経済効果も狙ったのだろうけど、選考に一ヶ月も掛かったのよ」
「その運営費をすべて負担させられたと……そりゃ、災難だったね」

 一万人もの人間が参加する大会だ。大きな予算が動いたことは想像が付く。
 そのすべてを個人≠ナ負担させられたのであれば、瀬戸の顔色が優れないのも理解できなくはなかった。
 大方、進展のない状況を見かねて水穂と林檎焚き付けるつもりでやったのだろうが、自業自得としか言いようがない。

「それで? 結局、誰を送ればいいんだい?」

 一通り事情を聞いたところで、ようやく本題に入る鷲羽。
 地球にいる鷲羽が態々樹雷にやってきたのは、太老のもとへ人を送る依頼を瀬戸から受けたからだった。
 一つ大きな溜め息を吐きながら、瀬戸は手元の資料を鷲羽の端末に転送する。
 そうして送られてきたデータをコンソールを呼び出すことで確認する鷲羽。
 そして――

「なるほどね。なかなか面白い人選じゃないか」

 これは愉しくなりそうだと、ニヤリと口元を歪めるのだった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第45話『交換条件』
作者 193





「いやはや、車は必要ないと仰るから予想はしていましたが……」

 周囲の景色を眺めながら、しみじみと驚きと感心に満ちた声を漏らす甘粕。
 彼は今、左右を杉並木に囲まれた日光東照宮へと通じる門前へきていた。
 ほんの数分ほど前までは、東京郊外の旅館にいたと言うのにだ。
 東京から日光までの距離は車で凡そ二百キロ。一瞬で移動できるような距離ではない。
 しかし、それを可能とする手段を桜花たちは持っていた。

「移動の時間を楽しむのも旅の醍醐味だってお兄ちゃんは言うから、普段は余り使わないんだけどね」

 頭と肩に乗せた二匹のマシュマロのような生き物を撫でながら、そう話す桜花。
 特別に調整された超空間を使用するものであれば、一瞬で数千、数万光年の距離を移動することさえ可能な転送装置を彼女たちは所持しているのだ。
 東京と日光の距離など、あってないようなものだった。
 甘粕も一度体験しているとはいえ、やはり何度体験しても慣れないのだろう。
 この世界にも瞬間移動に当て嵌まる術は存在するが、そもそも普通の人間に使えるような魔術ではないからだ。
 それこそ、何人もの上級魔術師が何ヶ月と準備に時間を掛けて、ようやく行使できるかと言った大魔術だ。
 個人でサラリと使用できるような魔術ではない。その点を考えると、改めて太老たちの異常さが窺い知れる。

「もっと観光客で一杯かと思ってたけど、人の気配がしないね」
「ああ、それは――」

 現在、日光へと通じる道は封鎖していて、住民の避難も既に終わっていることを甘粕は説明する。
 なるほど、と甘粕の説明に納得した様子を見せる桜花。
 そもそも彼等は羅翠蓮から日光東照宮に封じられた神様のことを尋ねられ、半ば強制とも取れる協力を求められたのだ。
 事前に知っていたのであれば、当然の対応だろう。

「賢明な判断ね。なのに太老のことを嗅ぎ回っている連中が、まだいるみたいだけど」

 エリカの皮肉めいたツッコミに、甘粕は苦笑を返す。
 実際それを言われると甘粕も弱い。正史編纂委員会にとっても頭の痛い問題となっているからだ。
 正しくカンピオーネについて理解している呪術師が、いまの日本にどれだけいることか?
 恐らくは、そう多くはないだろうと言うのが甘粕の見立てであった。
 事実、正史編纂委員会のなかにもカンピオーネのことを甘く考えている人間は少なからずいるのだ。
 これでは何を言われたところで反論できない。その証拠に――

「まずは西天宮へ向かう前に、ここを管理している九法塚家にコンタクトを取りますが……気を悪くしないでください」
「どういうこと?」
「実は一度、協力を要請したのですが……断られているのですよ」

 魔王の指示だから協力しろと言われても、代々この地を守ってきた九法塚家が納得できないのも理解は出来る。
 しかし、相手はあの羅濠教主だ。
 余りに無謀。現実が見えていないとしか言えない対応であった。
 だが、それでも彼等は委員会からの要請を拒否した。

「ああ、そういうことなのね。委員会が道路を封鎖して、住民の避難を優先したのは――」

 この地でカンピオーネとまつろわぬ神の戦いが起きることは、もはや避けられない決定事項と言ってもいい。
 だから委員会はカンピオーネの脅威を正しく日本の呪術師たちに認識させるために、九法塚家を見せしめにするつもりなのだと裏の意図をエリカは察したのだ。
 その結果、街が一つ地図の上から消し去ることになったとしても、日本という国が存続するためには必要なことだと判断したのだろう。

「余計に反発が起きなければいいけど」
「その時はその時です。バカに漬ける薬はありませんから」

 その時は名家であったとしても切り捨てるつもりでいるのだと、エリカは甘粕の考えを悟る。
 最悪、国が滅びるかもしれない岐路に日本は立たされているのだ。
 そのことを理解せず、足を引っ張るだけの名家など必要ないという覚悟の現れなのだろう。
 馨も穏便に済ませる方法はないかと知恵を絞ったのだが、もう痛みを伴わない改革は難しいと諦めていた。
 災厄の化身ともされるカンピオーネが、事の経緯はどうあれ神との戦いを始めようとしている。
 目の前にまで、災厄が迫っているのだ。一刻の猶予もならないと言うのが、馨と甘粕の認識だった。

(まあ、確かに……天災≠ノは違いないしね)

 確率の天才ならぬ天災。
 太老は自身のことを魔王ではないと否定しているが、実際のところは大差ないと桜花は考えていた。
 過去には銀河規模の騒動を引き越している太老と比べると、むしろカンピオーネの方が可愛く見えるくらいだ。

「それはそうと、なんでアンタまでついてきてるのよ?」
「エリカ姐さん、今頃それはないんじゃ……」

 訝しげな視線を向けてくるエリカに、ここまできてそれはないと鷹化は溜め息を漏らす。
 とはいえ、陸鷹化は羅翠蓮の弟子だ。いつ敵に回るかもしれない人物と仲良く出来るはずもない。
 エリカが警戒するのは当然と言えるのだが、

「大丈夫だよ、エリカお姉ちゃん。もしもの時は――」

 師弟揃って地獄を見て貰うことになるから、と桜花は冷たい笑みを鷹化へ向けるのであった。


  ◆


「……どう転んでも、最悪な未来しか見えない」

 師父に逆らうのは悪手。かと言って、桜花に喧嘩を売って生きて帰れる気がしない。
 仮に桜花から逃げ延びたとしても、彼女の背後には神と悪魔を従える最強の魔王――正木太老が控えているのだ。
 完全に詰んでいるとしか思えない状況に、鷹化が頭を抱えるのも当然であった。
 しかし、それでも太老と共に幽世へ向かうよりは、桜花に同行した方が生き残れる可能性が高いと鷹化は判断したのだ。
 ただの勘≠ナはあるが、桜花がこの話を聞けば鷹化の評価を一段上げることは間違いない。
 太老について大した情報は持っていないはずなのに危険≠セと直感で悟ったと言うことなのだから、稀に見る危機回避能力と言っていいからだ。

「まだ、羅濠教主は姿を見せていないみたいね」

 案内された客室から社の様子を観察しながら、どうやら先回り出来たみたいだと話すエリカ。
 最悪、既にまつろわぬ神との戦いが始まっている可能性も視野に入れていたのだ。
 それを考えると、まだ幾分かマシな状況と言えた。

「あんな策を講じて、お兄ちゃんを足止めした割には、随分とのんびりしてるよね」
「ええ、正直そこだけが腑に落ちないのよね」

 まさか、住民の避難が完了するのを待ったという線はないだろう。
 基本的にカンピオーネというのは自己中心的で、周囲の迷惑を顧みない者が多い。
 そのなかでも特にヴォバン侯爵と並び称され、危険な魔王だと噂されているのが羅濠教主こと羅翠蓮だ。
 噂に聞く彼女の性格なら、人に配慮して神との戦いを遅らせるとは思えなかった。
 なら、すぐに始められない何かしらの理由があるのだと考える方が自然だ。

「……封じられている神について、詳しく話を聞く必要がありそうね」

 いま甘粕が交渉に向かっているが、結果次第では強硬的な手段も辞さないと言った考えを口にするエリカ。
 正史編纂委員会の思惑は理解できなくもないが、それに付き合う理由はエリカたちにはないからだ。
 ただここで九法塚家に手をだした場合、イタリアと日本の魔術師の関係が悪化することが危惧されるが――

(まあ、今更よね)

 太老の件で快く思われていないことは分かっている。
 日本の王をイタリアの魔術師に掠め取られたと感じている日本人も少なくないからだ。
 実際には、太老はこの世界の日本人でなければ純粋な地球人ですらないのだが、仮に真実を打ち明けたところで彼等は信じないだろう。
 エリカですら、太老がカンピオーネでないということに半信半疑なのだ。
 なのに真実を話したところで、余計な混乱を招くだけだろう。
 太老もそれが分かっているから、魔王であると言うことを否定しなくなったのだ。

「話は終わったみたいだね」

 甘粕の気配を察し、そう呟く桜花。
 その言葉どおりに、しばらく待つと襖の向こうから甘粕が姿を見せる。
 皆の視線が一斉に集まるのを見て、不思議そうに首を傾げる甘粕。

「……どうかしましたか?」
「いえ、私も気配には敏感な方だと思っていたけど、上には上がいるものだと思ってね」
「そう? 鷹化は気付いてたよね?」
「まあ、このくらいは……師父に鍛えられてるしね」

 むしろ、甘粕の気配に気付いたのは桜花の方が少し早かったくらいだと鷹化は見ていた。
 単純に武芸を競うのであれば、師匠を除けばカンピオーネにすら後れを取らない自信が鷹化にはある。
 しかし、そんな彼ですら桜花には一撃すら入れられるイメージが湧かない。
 こんなことは師匠以外では、はじめてのことだった。
 普通であればカンピオーネに、神や魔王でもない人間が敵うはずがない。
 なのに彼女であれば、もしかしたら――と、鷹化が考える理由がそこにあった。

「それで、交渉はどうなったの?」

 前置きを省いて、要点だけを甘粕に尋ねるエリカ。
 そんなエリカの質問に、甘粕は困ったような渋い顔を見せる。
 甘粕の反応を見て、やはりダメだったのかと言った考えがエリカの頭に過るが――

「……条件を付けではありますが、西天宮への立ち入りを許可して頂きました」

 条件付きとはいえ、交渉が上手く行ったことを甘粕は告げる。
 予想していたのと違う展開に、少し驚いた様子を見せるエリカ。
 しかし、その条件≠ニ言うのが引っ掛かる。
 これまで協力を拒んできた相手が、急に態度を変えてきた理由が気になったからだ。

「条件って?」

 当然の疑問を甘粕にぶつける桜花。
 話し合いで片付けられるのであれば、元より穏便に済ませるつもりでいたのだ。
 条件と言うのは気になるが、自分たちに叶えられる程度のことであれば、多少の条件は呑んでもいいと桜花は考えていた。
 そもそも羅翠蓮には言いたいことはあるが、特に九法塚家に対して思うようなところはないからだ。
 しかし、

「アテナの解放。それが、あちらのだした条件です」

 まったく予想もしなかった条件に目を丸くすることになるのだった。





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