ゼムリア大陸西部に位置するエレボニア帝国。
 その首都にして西ゼムリア大陸最大の都市――『緋の帝都』の名で知られるヘイムダル。人口は八十万人ほど。帝都の象徴たるバルフレイム宮殿を始め、街全体が緋色で統一された歴史的な建造物が数多く眠る街。そんな都市の北西に位置する歓楽街に、知る人ぞ知る一軒の喫茶店があった。
 十代半ばの若い黒髪のマスターが経営するその店は、少し風変わりなことで知られている。
 年齢は十七歳。髪は黒くハンサムとは言わないが、なかなか整った顔立ちをしている。少しぶっきらぼうではあるが、その実は面倒見が良く妹¢zいの優しい好青年――というのが、概ねこの店を訪れる客の評価だ。しかし、この店のマスター彼≠ノは秘密があった。
 クラウゼル――その名を聞けば、戦場に身を置く者なら、まずピンと来る名前があるだろう。
 猟兵王ルトガー・クラウゼル。〈西風(にしかぜ)の旅団〉と呼ばれる西ゼムリア最強の一角と名高い猟兵団の団長を務めていた伝説的な人物。喫茶『ヴィヴィアン』のマスター『リィン・クラウゼル』は、そのクラウゼルの姓を継いでいた。
 この店も元々は〈西風〉が表の拠点として使っていたものの一つを改装したものだ。

「リィン。三番テーブル、Aセット二つ」
「はいよ」

 注文を受けながら、手慣れた様子で料理を盛りつけるリィン。
 その視線の先には、短くまとめられた銀色の髪が輝く、小柄な少女の姿があった。
 フィー・クラウゼル。リィンの義理の妹にして、彼と同じクラウゼルの名を継ぐ者だ。
 いまから一年ほど前のことだ。〈西風の旅団〉と並び『西ゼムリア最強』と噂される猟兵団〈赤い星座〉の団長〈闘神〉ことバルデル・オルランドと、〈西風〉の団長ルトガー・クラウゼルの決闘が行われた。
 切っ掛けは仕事上の対立。猟兵であれば、よくある話だ。
 しかし、どちらも西ゼムリアを活動拠点としていることもあって対立することが多く、戦場で顔を合わせる度に小競り合いのようなものは続いていた。それだけに、そろそろ白黒を付ける時期がきていたのだろう。
 日時と場所を指定して行われた団長同士の決闘。
 三日三晩続いたその戦いは、両者死亡。相打ちという幕引きに終わり――
 それを機に一線から退き、リィンが帝都に店を開いたのが、いまから半年ほど前のことだ。
 リィンが猟兵を辞めた理由。それはルトガーの遺言によるものだった。

 決闘に赴く前の日、ルトガーに呼び出されたリィンは、彼からフィーの行く末を頼まれた。
 フィーとリィンは、ルトガーの本当の子供ではない。幼い頃に団に拾われ、育てられた孤児だ。しかし、そのことを不幸に思ったことはない。リィンにも、フィーにも家族がいた。ルトガーと〈西風〉の皆が、二人にとって本当の家族だった。
 しかし、二人が団の皆のことを家族と思い、団長のことを父親と慕っているように、ルトガーもまた二人の行く末を案じていた。
 なるべくして猟兵となった二人。リィンに至っては拾われた当時から異常な子供で、猟兵となり戦場に身を置くことでその潜在能力が開花した結果、僅か十五で『西風』の部隊長を任されるようになったばかりか、単純な戦闘力だけならルトガーに次ぐほどの実力を有するとまで噂されるようになった。
 フィーもリィンほどではないとはいえ、並の猟兵では相手にならないほどの実力者へと成長していた。
 まさに猟兵となるために、戦うために生まれてきたような才能の塊。
 このまま二人が成長を続ければ、いつかルトガーを超えるほどの戦士へと成長するだろう。リィンやフィーになら将来〈西風〉を任せてもいい。そう誰もが思えるほどに、二人の存在は団のなかで大きくなっていった。
 しかし、ルトガーは団の長である前に、二人の父親であることを選んだ。
 自分が死んだ後、フィーを団から抜けさせること。それがルトガーが残した遺言だ。
 そしてリィンは、フィーのことをルトガーから託された。
 それが、リィンがフィーと共に団を抜けた理由だ。
 この帝都で喫茶店を営んでいるのも、フィーに普通の暮らしをさせるためだ。
 しかし、リィンには心残り――いや、迷いがあった。
 出来ることなら、フィーにはもっと普通の子供らしい、年相応の生活をさせてやりたいと考えていた。
 しかし学校に通わせようにも、元猟兵を受け入れてくれるような学校は少ない。
 いや、まったくなかったわけではない。帝国中興の祖、ドライケルス大帝によって創設されたというトールズ士官学院。その学院に二人一緒に通わないか、という誘いがあったのを断ったのはリィンだ。
 フィーだけでもと思いもしたが、『リィンがいかないのなら自分もいかない』とフィーもその誘いを断ってしまった。
 それが、本当に正しい選択だったのかリィンにはわからない。
 自分の我が儘にフィーを付き合わせてしまっているのではないか、と今も時々考える。
 リィンが士官学院の誘いを断った理由――それは、彼の前世にあった。


  ◆


「西ゼムリア通商会議にて、クロスベルが国家独立を提唱か」

 月明かりの下、新聞を広げて大きな溜め息を漏らすリィン。
 彼には前世の記憶がある。
 リィン・クラウゼルではなくリィン・シュバルツァー≠ニしての記憶が――
 いや、正確にはリィン・シュバルツァーが歩むはずだった物語の記憶が彼にはあった。
 ――閃の軌跡。彼が前世で友人に勧められて何気なく始めたゲームが、それだった。
 それを切っ掛けに『軌跡シリーズ』と呼ばれる『空の軌跡』から始まる物語に引き込まれ、『閃の軌跡』の続編の発売日には深夜から店に並んで特典版を購入するほどのファンになっていた。
 そんな物語の登場人物。『閃の軌跡』の主人公リィンに自分が転生するなど、その当時は思いもしなかった。
 死んだ理由もよく覚えていない。目が覚めた当初は、これは夢ではないかと疑いもした。
 しかしルトガーに拾われ、戦い方を教わり――
 戦場を目にすることで、これが夢ではなく現実だと理解するのに、そう時間はかからなかった。
 それに、この世界は『閃の軌跡』に酷似する世界ではあるが、リィンの知る世界とは微妙に異なる点も多い。本来の物語では、リィンはユミルのシュバルツァー夫妻に拾われ、男爵家の長男として育てられたはずだ。
 しかし、この世界でのリィンは違う。
 シュバルツァー男爵にではなくルトガー・クラウゼルに拾われ、リィンは貴族ではなく猟兵としての道を歩むことになった。
 そして、もう一つ。――鬼の力だ。
 原作でリィンは、自分のなかに眠る〈鬼の力〉を覚醒させるまでに長い時間を要していた。
 それは幼い頃の体験が枷となっていた部分も大きいが、この世界のリィンは違う。目が覚めた当初、ルトガーに拾われた時から自在とまでは言わないまでも、リィンは〈鬼の力〉を自分の意思で制御することが出来ていた。
 原作知識か? 転生の影響か?
 それはリィン本人にもわからない。しかし、幼い頃からその力を自分のものとして鍛えてきたリィンは、原作のリィン・シュバルツァーとは違った強さを手に入れるに至っている。ルトガーを始めとした人の域を超えた強者には届かないかもしれないが、少なくとも人外に片足を突っ込む程度には彼も人間離れしていた。
 シュバルツァー男爵の養子になっていないためにユン老師に師事することもなく〈八葉一刀流〉を修めてはいないが、逆に団で教わった武器の扱いや〈鬼の力〉を駆使して、多くの戦場を駆け抜けてきたリィンの実力は確かだ。
 この世界はリィンが前世で知る世界によく似ている。しかし、似ているだけだと、どこか楽観的にリィンは考えていた。しかし、その結果、知識にあるように〈猟兵王〉と〈闘神〉の決闘は起こり、ルトガーは命を落とした。
 過ぎたこととはいえ、もっと気を付けていれば、と後悔したことは一度や二度ではない。
 そして、この先、原作のような出来事がまだ起きる可能性が残されているということだ。

 確かにリィンは強くなった。
 嘗て、西風の旅団において若干十五歳にして部隊長を任されたこともある戦場の申し子。その実力は師であり養父でもある〈猟兵王〉に迫るとも言われ、戦場で常に〈西風の妖精〉の異名を持つフィーの傍らに寄り添っていたことから、〈妖精の騎士(エルフィン・ナイト)〉と猟兵たちの間で――彼、リィン・クラウゼルは呼ばれていた。
 しかし、どれだけ力を付けようと、リィンより強い人物は大勢いる。
 物語に関わるということは、そんな強敵たちと対峙する可能性が高いということ。自分だけでなくフィーも危険な目に遭わせるということだ。
 ルトガーの時のように何も出来ないばかりか、下手をすれば未来の知識よりも悪い結果へと進む可能性もある。二度と……家族を失いたくなかった。

 リィンが士官学院の誘いを断った背景には、そうした思いと葛藤があった。
 しかし、関わらないと決めた今でも、リィンはそれが正しかったのかわからず悩んでいた。
 このまま何もしなくとも、近いうちに内戦は起きるだろう。それほどに貴族派と革新派の溝は深い。カイエン公を始めとした貴族たちが、鉄血宰相を筆頭とした現在の帝国政府と和解することは、まずありえない。
 それを裏付けるように、帝都(ここ)から遠く離れたクロスベルの地では、原作にあった出来事が起き始めている。行動しようがしまいが、起きるべくして起こることは避けられないということだ。
 なら、いっそのこと来たるべき内戦を避け、帝国を離れてフィーと二人で静かに暮らすという選択肢もあった。
 しかし、それも出来ずにいる。迷いを捨てきれなかった結果だ。

「俺、結局はどうしたいんだろうな……」

 屋根の上で仰向けに星空を見上げながら、自分でもわからない答えをリィンは呟く。
 ルトガーが遺言で残したように、リィン自身、フィーの幸せを願っている。
 もう、この世界が夢や幻だとは考えていない。いまでは本当の家族のように、〈西風〉の皆やフィーのことを大切に想っていた。
 それと同時に、未来を知っていて行動しない自分が正しいのかわからない。
 フィーの幸せと身の安全だけを願うなら、帝国を離れるのが正しい選択だ。
 しかし、それは他を切り捨てるということだ。
 本来の歴史でリィンが関わるはずだった大勢の人々。内戦が始まれば、そうした人たちも危険に晒されることになる。
 記憶にあるというだけで、会ったこともない人たちを心配したり助ける義理などリィンにはない。
 ないが――

「やっぱり寝覚めが悪いよな……」

 わかっていたはずなのに止められなかった。現実から目を背けた結果がルトガーの死だ。
 同じようなことが、この先も起きるかもしれない。その度に後悔するのかと思うと、リィンは憂鬱になる。
 ルトガーに拾われたことを後悔しているわけではないが、原作にあるようにシュバルツァー男爵の養子になっていれば、こんな風に考えることもなかったかもしれない。だが、現実は違う。

「リィン」

 仰向けに寝そべるリィンの顔を、上から覗き込むフィー。
 そっと頭が持ち上げられ、柔らかい感触が後頭部に触れるのをリィンは感じ取る。
 すぐにフィーに膝枕されているのだとリィンは理解して――頬を赤く染める。

「昔はよく団の皆と一緒に、こうして星空を眺めたよね」
「ああ……で、そのあとバカ騒ぎに発展するんだよな……」

 昔からフィーは、こういう恥ずかしげもない行動に突発的にでることがあった。
 〈西風〉の団員たちは団長を含め、親バカというかフィーを大切にしていたこともあって、こういう場面を目撃される度に、リィン対〈西風〉という展開に発展することも少なくなかった。
 当時は命懸けだったとはいえ、いまとなっては懐かしい思い出だ。

「皆、元気にしてるよね」
「大丈夫だろ。簡単に死ぬような連中じゃないし……」

 伊達に『西ゼムリア大陸最強』の一角と呼ばれているわけではない。
 団長だけでなく、部隊長を始めとした団員の強さも桁違いの超一流の戦闘集団。それが〈西風の旅団〉だ。
 それだけに、団長の死を目撃した時はリィンもショックを隠しきれなかった。
 原作知識としてルトガーが死ぬことを知っていたとはいえ、あのルトガーが死ぬところなど、どうしても想像できなかったからだ。
 あの時、未来の知識を頼りに行動していれば、もしかしたらルトガーは死ななかったかもしれない。家族がバラバラになることもなく、フィーを悲しませずに済んだかもしれない。そんなことを考えなかったわけじゃなかった。
 しかし、何をしたところで結果は変わらなかっただろうとも思う。
 ルトガーがリィンの言葉を聞いて、決闘を止めたとは思えない。
 それに、クラウゼルの名を継ぐからこそ、リィンはルトガーの戦いを止めることが出来なかった。

「リィンは……どうして皆と一緒にいかなかったの?」

 星空を見上げながら憂いを帯びた表情で、フィーはリィンにそう尋ねた。
 ルトガーに頼まれたから――それだけが理由ではないが、ルトガーが死ぬことを知っていて何もしなかった。いや、出来なかったことに対する贖罪でもあった。
 しかし、リィンはそのことを口にしない。いや、口にすることが出来なかった。
 ルトガーの死を汚すような気がしたし、フィーに嫌われるのを恐れてのことだ。
 だから、誤魔化すようにリィンは話を逸らす。

「まだ、あのことを気にしてるのか? 皆だって悪気があったわけじゃ……」
「わかってる。でも、相談して欲しかった……」

 フィーの言いたいことはリィンも理解できる。
 リィンが団長に恩義を感じているように、フィーも〈西風〉の皆のことを本当の家族のように思っている。なのに、どういう理由があるにせよ――ある日突然、その家族に置いて行かれたのだ。ショックも大きかったはずだ。
 しかし、前もってフィーにそのことを告げていれば、フィーが団を抜けることはなかっただろう。
 だから〈西風〉の皆は、フィーに何も言わずに去った。
 団長の遺言通り、フィーに猟兵として生きる以外の選択肢を残すために――
 フィーのことを頼むと頭を下げたルトガーの姿を、いまもリィンは鮮明に覚えている。
 それは、数多の猟兵たちに『猟兵王』と恐れられた男が、最後に見せた親心だった。

「皆に会いたいか?」
「うん……」
「望んでいるような答えは返ってこないかもしれない。それでも――」
「離れていても家族は繋がっているって信じているから……それを教えてくれたのは、リィンだよ」

 確かにそんなことを言った記憶がリィンにはあった。
 〈西風〉の皆が姿を消した、あの日。フィーが落ち込んでいる姿を見て、どうしても放って置けなかったからだ。
 もっとも口から出任せを言ったわけではなく、それはリィンの本心からの言葉でもあった。

(フィーが前に進もうとしているのに、俺だけが立ち止まってもいられないか……)

 ――もう一度、家族に会いたい。
 そんなフィーの願いは、リィンが前に歩みを進めるのに十分な理由だった。



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