まず最初にサラが〈紅き翼〉を後にした。ギルド経由で消息不明の学生に関する新たな情報が入ったとかで、その確認と情報が確かであった場合、生徒を保護するためにルーレ方面へ向かったようだ。
 次に、オリヴァルトはミュラーと合流するため、ヴィクターと共にレグラムで艦を降りた。船を使ってエベル湖から対岸のサザーランド州を目指すとの話だ。
 一時的にラマール領邦軍を押し返すことに成功したとはいえ、ハイアームズ侯の統治するサザーランド州は無傷のままだ。それにカイエン公の本拠地オルディスも未だに健在と、領邦軍と正規軍の睨み合いは続いており西部の状況は未だ緊迫している。
 そういう状況だからこそ、西部の中立派貴族とも密に連絡を取り、来たるべき日のために備えておきたいとオリヴァルトは考えていた。
 しかし、そのためには〈紅き翼〉では目立ち過ぎる。中立派が結束を強める前に、貴族派に動きを悟られるわけにはいかない。そうした理由から元々は、カレイジャスをアルフィンに預けようとオリヴァルトは考えていたのだ。
 そんな時だ。リィンから驚くべき提案をされたのは――
 リィンは報酬にカレイジャスを寄越せとオリヴァルトに迫った。とはいえ、カレイジャスはアルノール皇家の船だ。オリヴァルトが現在は運用しているとはいえ、その所有権はアルノール皇家――彼の父、ユーゲント三世にある。オリヴァルトの一存で決められることではないが、リィンの要求は彼の目的にも沿っていた。
 結論としてオリヴァルトは、リィンの要求を条件付きで呑むことにした。
 その条件の一つが、彼女だ。

「トワ・ハーシェルです」

 そう名乗り、ぺこりと頭を下げる小柄な少女。
 緑を基調とした平民クラスの制服に身を包み、ふんわりと癖のある長い髪を大きな藍色のリボンで一つにまとめている。
 士官学院の二年生、十八歳という話だが年下のラウラより幼い印象を受ける。

「キミがリィンくん……」
「ジョルジュも言ってたけど、どんな話をサラたちから聞いてるんだ?」
「あっ、別に悪い噂とかじゃないよ。ただ、凄く強くて頼りになる人だって聞いてたから、もっと大きな人を想像してて。あう……ごめんなさい。別にリィンくんが小さいとか言ってるんじゃなくてね」

 天然だ。一言で言い表すなら、この言葉以外にないとリィンは確信した。
 オリヴァルトから条件の一つとして紹介されたのが、彼女――トワ・ハーシェルだった。
 カレイジャスを譲る条件として、内戦が終わるまでの間、サポート役に彼女を付けるようにオリヴァルトは要求したのだ。
 二つ目の条件は、アルフィンを〈紅き翼〉の後見役に添えることだった。これも当然と言える。リィンが報酬としてカレイジャスを要求しオリヴァルトがそれを了承しようと、内戦が終わり正式な譲渡が行われるまでは艦の所有権はアルノール皇家にある。艦の運用の正当性を説くには、皇帝家の後ろ盾が必要ということだ。
 そして、オリヴァルトが提示した残り二つの条件は、学生に関することと意外にもアルフィンに関することだった。

 ――学生たちの自主性に任せ、艦に残るも降りるも本人たちの意思に委ねること。
 ――何があろうと、最後までアルフィンの味方でいて欲しい。

 それが、オリヴァルトがリィンに提示した条件のすべてだった。

「勝手にこんな契約を結んだことが父上にバレたら、今度こそ勘当されるかもしれないな」

 などと、いつもの調子で巫山戯たことを言ってはいたが、今回ばかりはそれが照れ隠しだとリィンにも分かった。
 兄としてアルフィンに何もしてやれないことに、オリヴァルトなりに思うところがあったのだろう。
 そこまでしてリィンが〈紅き翼〉の権利を欲したのは、艦を任されたとしてもオリヴァルトやヴィクターの代理では意味がなかったからだ。
 目的を達成するためには、この艦を名実共に自分たちのものにする必要があった。
 あの様子だとオリヴァルトは薄々、アルフィンの計画にも気付いていたのかもしれない。だから条件を付けてまで、トワや学生たちを艦に残したかったのだろう。
 恐らくは士官学院の理事という立場を利用し、学生を通してカレイジャスとの繋がりを残すためだ。

(しかし、トワ会長か……)

 原作ではヴィクターがオリヴァルトと一緒に艦を降りた後、彼女がカレイジャスの艦長を代行していたのだが、それは学生ばかりで他に艦長に相応しい実績を持った人間がいなかったからだ。
 その点から言えば〈光の剣匠〉と戦えるほどの実力があり、アルフィンやエリオットの救出など実績や経験の面においても評価の高いリィンが艦長をやるのは、ある意味で自然な流れと言えた。
 とはいえ、〈西風〉に居た頃に部隊長経験があるとはいえ、艦の運用に関してはリィンも素人だ。
 オリヴァルトの狙いはともかく、トワが艦にいてくれて助かったというのがリィンの偽らざる本音だった。
 ただ、思うところがまったく無い訳ではなかった。

 トワとジョルジュを艦に招いたのはオリヴァルトだ。現在カレイジャスにはラウラやエリオットを始め、二十人近い学生たちが保護されている。
 オリヴァルトは密かに学院長と連絡を取り合っていたらしく、その学生たちの指揮とサポートをお願いするために彼女たちを招いたらしかった。元々、士官学院の学生たちを艦のスタッフに起用するつもりだったのだろう。
 というのも、これまで第七機甲師団からの出向者を頼りに艦の運用をしていたこともあって、この艦には現在、専門知識を有した乗組員が少ない。保護した学生たちの力を借りなければ、艦の運用もままならない状態だ。
 だからと言って中立派の艦に正規軍から人材を借り受けるわけにはもいかず、民間から人を招こうにも、この内戦下ではどこも手が足りていない状況だ。当然これ以上は、ギルドも頼りに出来ない。そこで、まったくの素人に艦を任せるよりは勉強中の身とはいえ、ある程度の知識を有した人間に任せた方が安心できるとオリヴァルトは考えたのだろう。
 リィンもその考えは否定しないが、中立勢力とはいえ内戦に学生たちを関わらせて本当に大丈夫かと思う部分もあった。

(まあ、俺がとやかく言うことじゃないか)

 エリオットの件もそうだが、納得してやっているのなら、それは自己責任の範囲だ。邪魔にならないのであれば、とやかく言うつもりはリィンにはなかった。
 エリオットの件で反対したのは、あくまで作戦の邪魔になると考えたからだ。
 直接戦闘に参加しないのであれば、少なくともジョルジュやトワが邪魔になるとリィンは考えていない。
 クレアのように戦闘以外の能力にも長けたサポート役が欲しいと思っていた頃なので、実のところ助かっている面が大きかった。

「あの……もしかして怒っちゃった?」
「いや、ちょっと考えごとをしていただけだ。トワ……でいいか?」
「あ、うん……私は、リィンく……艦長って呼んだ方がいいのかな?」
「いや、リィンでいい。それじゃあ、トワ。これからよろしく頼む」

 リィンに握手を求められ、トワは落ち着かない様子で手を取り、

「よろしくね。リィンくん」

 笑顔で応えた。


  ◆


「オーロックス砦が陥落したそうです」

 その一報が入ったのは、オリヴァルトたちが艦を降りた翌朝のことだった。
 クレアからの報告を聞き、直ぐ様ブリッジには主要となる関係者が集められた。
 皆を代表してリィンがクレアに尋ねる。

「となると、バリアハートは正規軍に占領されたのか?」
「はい。ですが、アルバレア公は残存部隊を率い、バリアハートを捨てて飛行艦で逃走したそうです」
「逃走? 一体どこに……」

 アルバレア公が逃走したと聞き、その行き先に疑問を持つリィン。
 一番可能性としてありえないのは、西部のラマール州だ。あのアルバレア公が、カイエン公を頼るとは思えない。
 だとすれば南のサザーランド州か、北のノルティア州という可能性が考えられる。
 とはいえ、もうアルバレア公に正規軍と戦えるような力は残っていないはずだ。

「あ、あの……クレア大尉。ユーシスのことを知りませんか?」

 エリオットが不安げな表情でクレアに尋ねる。
 ユーシスというのは、アルバレア公が平民の娘に生ませた子供だ。言ってみれば、ルーファスの腹違いの弟になる。
 そして彼はトールズ士官学院に通い、エリオットやラウラと同じVII組に在籍していた。
 実家に身を寄せていたのならアルバレア公と共に逃亡したか、正規軍に捕らえられている可能性が高い。エリオットは、そう考えたのだろう。

「ユーシスさんのことでしたら、ご安心を。現在バリアハートの邸宅にいらっしゃいます」

 クレイグ中将もユーシスが士官学院の生徒で、エリオットのクラスメイトであることは知っているはずだ。
 あの中将の性格からして敵将の家族とはいえ、無抵抗な学生を拷問に掛けて情報を引き出したりはしないだろう。
 その点から言えば、第四機甲師団に保護されたというのは、ユーシスにとって幸運だったのかもしれない。

「最後まで領民を守るために、バリアハートに残っていたそうです。正規軍に占領されてからも協力的で反抗の意思は見られないことから、ある程度の自由は認められているそうなのでご安心ください」
「……よかった。でも、そうか。ユーシスらしいや」
「うむ……」

 クレアの言葉に安心した様子で、ほっと胸を撫で下ろすエリオット。ラウラもどこか嬉しそうに笑みを浮かべている。
 二人とも友人が無事だったことが、余程嬉しかったのだろう。これで消息不明なVII組の生徒は残り四人となった。
 ラインフォルト社の令嬢、アリサ・ラインフォルト。帝都知事を父に持つマキアス・レーグニッツ。北の遊牧民族〈ノルドの民〉出身のガイウス・ウォーゼル。そして――〈魔女の眷属(ヘクセンブリード)〉の末裔にして、ヴィータの妹弟子でもあるエマ・ミルスティン。リィンとしては彼女、エマの消息が一番気になっていた。
 ヴィータが〈蒼の騎神〉の導き手であったように、エマもまた〈灰の騎神〉の導き手となる使命を負っていた。士官学院に通っていたのも、それが理由だ。
 しかし、〈灰の騎神〉は起動者が見つかっていない。旧校舎の探索は途中で打ち切られていることが、エリオットの話からもわかっている。なら、役目を全うすることが出来なかった彼女は、どこでどうしているのか?
 原作では士官学院を脱出した後、ラウラと行動を共にしているはずだった。しかし、エマはレグラムにいなかった。

(彼女が見つかれば疑問の幾つかは解消されるんだがな。それに……)

 そして、もう一人。この世界ではVII組に所属していないが、ミリアムの動きもリィンは気になっていた。
 セドリックの一件から考えても、ミリアムは情報局の指示で動いている可能性が高い。そして、その情報局には不審な点が目立つ。
 いまのところは敵とは言えないが、注意が必要な相手であることは間違いなかった。
 どちらにせよ、待っていたところで状況は好転しない。相手の思惑がどうあれ、やるべきことは決まっている。

(足が手には入った以上、そろそろ動くべきだろうな)

 計画を次の段階に進めるべく、リィンは思案を練っていた。



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