トヴァルに呼び出されたリィンは男爵邸を訪れていた。
 テオ男爵とルシア夫人に挨拶をした後、通された応接室で待っていたトヴァルが軽い調子で「よっ」と手を振った。

「なんだか、随分と疲れた顔をしてるな。ノルドの件は聞いているが、そんなに大変だったのか?」
「ああ、まあな……出来れば、余り聞かないでくれると助かる」

 トヴァルはラクリマ湖での戦いのことを言っているのだが、まさか温泉で変質者に間違われて誤解を解くのに大変だったとは言えずリィンは言葉を濁す。
 リィンがこんな顔をするくらいだ。余程大変な戦いだったのだろうと、何度も頷きながら一人納得するトヴァル。
 そんなトヴァルを見て誤解を解く気にもなれず、都合が良いのでリィンは敢えて誤解させておくことにした。
 下手に誤解を解いて、温泉のことがオリヴァルトの耳にでも入ったら、面倒だと思ったからだ。

「で? 話があるって何か新しい情報でも入ったのか?」
「ああ、そのことで一つ。クロスベルの結界が消失した」

 トヴァルの口からもたらされた情報に、リィンは眉を顰める。
 結界というのは、クロスベル市を覆っていた青い膜のことだ。この結界があることで、クロスベルは事実上の鎖国状態にあった。
 クロスベルに害意や敵意のある第三者は結界を通ること叶わず、クロスベル政府の許可無く市内に立ち入ることが出来ない状況にあったからだ。
 その結界が消失したということは、クロスベルは外敵から都市を守るための術を一つ失ったことになる。
 帝国は内戦中。共和国もIBCの資金凍結に端を発した経済恐慌によって混乱の最中にあるが、クロスベルの支配を諦めたわけではない。
 クロスベルが守りを失えば、両国が動く可能性もある。これは大きな動きと言えた。

「クロスベルの様子は?」
「まだ詳細は入ってきてないが、大規模な反攻作戦が計画されているって話がある」
「その情報どこから……まさか、ギルドもその作戦に?」

 ギルドは各国の内政には不干渉の原則がある。帝国の内乱もそうだが、クロスベルの問題にしたって国同士の問題だ。
 まだ自治政府からの要請があるならともかく、反攻作戦なんてクーデター紛いの作戦にギルドが参加するのは難しいはず。
 帝国を始め、ギルドの存在を快く思っていない国もある。そんな真似をすれば、問題が露見した時に困るのはギルド自身だ。
 そんなリィンの疑問を予想していたのか、トヴァルは頭を掻きながら険しい表情で答えた。

「原因は不明だが、市街地に魔導兵が出現したらしい」

 なるほど、とトヴァルの話にリィンは理解の色を示す。
 魔導兵というのは、マナで動く機械仕掛けのゴーレムのようなものだ。機甲兵ほどではないが、常人の手に負える相手ではない。
 国の内政に不干渉は原則だが、それも民間人に害が及ばない限りは――という条件が付く。勿論、警察や軍と違ってギルドは逮捕権を持たないため、直接的な行動にでるのは難しいが、市民の避難誘導や危険の排除くらいは手伝えるはずだ。恐らく街の安全確保と民間人の保護を理由に、作戦に介入するつもりでいるのだろうとギルドの狙いを察することが出来た。
 この流れは、リィンの知る前世の知識――原作にもあったことだ。
 同じように作戦が上手く行くという確証はないが、これで大きく事態は動くと考えていいだろう。

(益々、急ぐ必要が出て来たな……)

 このままクロスベルの問題だけが先に片付くようなことになれば、共和国に先手を譲ることになりかねない。
 結果、共和国にクロスベルを制圧されるようなことになれば、クロスベルにとっても帝国にとっても最悪の事態だ。
 こちらも計画を急ぐ必要があるか、とリィンは今後のことを考えながらトヴァルに尋ねる。

「話はそれだけか? 確かにクロスベルのことは気に掛かるが、こっちもそれどころじゃないしな。他にないなら……」
「いや、もう一つ。サラから連絡があった」
「サラから?」

 サラからの連絡と聞き、なんとなく嫌な予感を覚えるリィン。その予感は当たっていた。

「いまルーレにいるそうなんだが、応援が欲しいそうだ」
「……応援? サラが?」

 大抵のことなら、サラ一人でもどうにかなるはずだ。〈紫電〉の異名は伊達ではない。
 サラの実力をよく知るリィンは、サラが助けを必要とするほどの事態というのが気になった。
 その疑問にトヴァルは頷きながら答える。

「なんでも、イリーナ会長の監禁場所が判明したそうだ。一緒に士官学院の生徒も捕まっているらしい」
「そっちもあったか……」

 グエンとの約束を思い出し、ここでその話が来るのかとリィンは溜め息を漏らす。
 そんなリィンの反応に、トヴァルは腕を組み、首を傾げながら尋ねた。

「なんだ? 知っていたのか?」
「いや、グエン老に協力を持ち掛ける時に約束をしていてな。ラインフォルト社の奪還とイリーナ会長を助けるのに協力するって」
「また、随分と思い切った約束をしたもんだな。何か、考えがあるのか?」
「まあな」

 詳細は語らず曖昧に答えるリィンを見て、アルフィンと密かに進めている計画のことかとトヴァルは察する。
 詳細は知らないが〈紅き翼〉を譲り受けたことといい、他にもリィンがアルフィンと何かを計画し、密かに行動を起こしていることにはトヴァルも気付いていた。
 とはいえ、オリヴァルトが何も尋ねたかったように、トヴァルもそのことを問い質すつもりはなかった。
 訊いても詳細を教えてはくれないだろうという確信はあったし、アルフィンが計画を主導している以上は悪い結果にはなるまいと考えてのことだ。
 それにリィンがアルフィンを裏切るとは思えない。短い付き合いではあるが、その程度にはリィンのことを信用していた。

「悪いな。いまは詳しいことを話せないが、近いうちに協力を頼むことになると思う」
「ふむ……それは俺個人に対してか? それとも……」
「どちらかというとギルドにだな」

 その言葉からリィンの考えを読み、計画の内容にも大凡の見当を付けるトヴァル。
 計画の内容を話せない理由。リィンが何を警戒しているのかを察し、その上でトヴァルは尋ねた。

「サラの方はどうする?」
「グエン老との約束もあるし、出来れば協力したいんだが……」

 人質がいるということは武装した兵士がいるだろうし、メンバーの選出が問題だった。
 ゼクス中将との約束もある以上、装置の解析が終り次第、〈紅き翼〉はノルドへ向かわせる必要がある。
 となると、ノルドとルーレ。二つに戦力を分けることも考えなくてはならないだろう。

「問題は誰を向かわせるかなんだよな……」
「VII組のメンバーじゃダメなのか?」
「サラが一人じゃ手に負えないと判断してるところに、学生だけを応援に行かせる気か?」
「そうは言うが、あいつらも結構やると思うんだが……」
「だからって、それは学生レベルの話で、サラやフィーについていけるレベルじゃないだろ?」
「それを言われると、俺も厳しいんだが……」

 リィンがトヴァルとメンバーの選出について話をしていた、その時だった。
 コール音が鳴り、ポケットから〈ARCUS〉を取りだし通信にでるリィン。
 マイクから聞こえてきたのは、カレイジャスで留守番をしているトワの声だった。

『リィンくん大変!』
「トワか? どうしたんだ?」

 こんなこと前にもあったなと思い出しながら、トワに何があったのか尋ねるリィン。

『ノルド方面に動きがあって、共和国軍が部隊を集結させているらしいの!』

 それは、タイミング的に最悪とも言える報せだった。


  ◆


「お兄さんがリィン?」

 予想をしなかったわけではないが、まさかの人物の登場にリィンも動揺を隠せない。
 リィンとトヴァルをカレイジャスで待っていたのは、十二、三歳と思しき幼い少女だった。
 肩口で切り揃えられた青く澄んだ髪に金色の瞳。出会った時、アルティナが身に付けていたようなウェットスーツを着用している。
 ミリアム・オライオン。〈白兎(ホワイト・ラビット)〉のコードネームを持つ情報局に所属する少女だ。そしてクレアと同じ〈鉄血の子供たち(アイアンブリード)〉の一人でもある。

「ああ、俺がリィン・クラウゼルだ」
「そっか。僕はミリアム・オライオン。で、こっちがガーちゃん!」

 ミリアムが手を空に掲げると〈クラウ=ソラス〉によく似た白い傀儡(くぐつ)が現れる。
 ――アガートラム。地球で語り継がれる神話の一つ、ヌアザの伝承に登場する名前だ。直訳すると『銀の腕』。アルティナの〈クラウ=ソラス〉もまた同じ神話に登場する宝剣の名だった。
 そこに加えて『オライオン』というファミリーネーム。どう考えても二人には繋がりがあるとしか思えない。
 とはいえ、いまそのことを問い質すつもりはなかった。確認すべきことが他にあったからだ。

「それじゃあ、ミリアムでいいか?」
「うん、僕はリィンって呼ぶね」
「いろいろと聞きたいことはあるが、まずは共和国の話……本当なのか?」
「正確な数はわからないけど、かなりの部隊が集結しているみたい。ここ十数年では見ない規模だって第三機甲師団も慌ててたね」
「で? それを報せにやってきたと……なんでだ? いや、誰の指示だ?」

 確かに正規軍に協力はしているものの、〈紅き翼〉は革新派から距離を置いている。言ってみれば中立派の船だ。
 第四機甲師団に応援を頼むのなら話はわかるが、その情報をミリアムが態々〈紅き翼〉に報せにきたことにリィンは違和感を抱いていた。

「ゼクス中将に頼まれたからって言うのもあるけど、元々レクターからの指示でこっそり協力するように言われてたからね」

 特に隠す様子もなく、あっさりとリィンの質問に答えるミリアム。
 この場に姿を見せたということは、既に知られても問題のない情報ということなのだろう。
 いや、このタイミングで姿を晒すことこそ、情報局――レクターの狙いなのではないか、とリィンは疑った。
 余り驚いた様子のないリィンを見て、感心した様子で「へえ」と声を漏らすミリアム。

「その顔からすると気付いてたんだ?」
「いろいろと怪しい点はあったからな。セドリックをゼクス中将に預けたのも、俺たちをノルドへ誘い寄せるためだな」
「兄様それって……」
「最初から今回の一件に〈紅き翼〉を関わらせるつもりだったってことだ。もっとも、アルバレア公の動きまで予想していたとは限らないが……」
「そこまで気付いているなんて、レクターが気にするだけのことはあるね」

 心の底から感心した様子で、リィンを褒めるミリアム。それはリィンの話を大筋で認めたも同じだった。
 何一つ知らされていなかったクレアは寂しげな表情を浮かべ、ミリアムの名前を口にする。

「ミリアムちゃん……」
「ごめんね、クレア。騙すつもりはなかったんだけど……」
「いえ、思惑はどうあれ正規軍に事が有利に進んでいる以上、それが必要だったことは私も認めています。ただ……」
「ただ?」
「レクターさんは誰の指示で動いているんですか? これほどの規模の計画。レクターさん一人の思惑ではないはずです。まさか……」

 殺されたはずの宰相閣下――ギリアス・オズボーンは生きているのでは?
 そんなクレアの質問に、どう答えたものかと困った表情を浮かべるミリアム。
 ギリアスの遺体は帝都占領の混乱のなかで行方不明となっており、死んだとされてはいるものの実際に目で確認したわけではない。
 クレアは本当にギリアスが生きているのかどうか、その答えを確かめたかった。
 情報局の指示で動いているミリアムなら知っているのではないか、と思ったからこその質問だった。

「うーん。僕もそのあたりの話は聞いてないんだよね。ただ、こうしろって指示通りに動いただけで」

 困り顔で、そう答えるミリアム。情報局を通じて指示が出されてはいたが、ミリアムはあくまで命令に従って動いていたに過ぎない。
 裏に何者かがいる可能性にはミリアム自身も気付いてはいたが、そのことを追及するような真似はしたことがなかった。
 軍や警察には『Need to know』の原則がある。聞かされていないということは知る必要がないということ。疑問をぶつけたところで意味がないと思っていたからだ。
 クレアもそのことから情報局に騙されていたとは思っていない。恐らくは何か理由があるのだろうということは察していた。

「そう、ですか……」

 ギリアスが生きていたとなると、狙いは自ずと見えてくる。
 リィンの言うようにアルバレア公の暴走まで把握していたかどうかはわからないが、内戦の契機を作ったのは紛れもなくギリアス自身だ。いつ暴走するかわからない火種を内に抱えておくよりは、内戦を意図的に引き起こすことで貴族派の動きをコントロールし、共和国の介入がある前に最小限の被害で内戦を終わらせようと計画したのだろう。ギリアスが考えそうな合理的な計画だ。
 裏で動いていたミリアムがこうして姿を見せたということは、予期せぬ事態が起こったか、計画が最終段階に入ったと予想が出来る。
 ギリアスの取った行動が間違いっていたとクレアは思わない。しかし理解はしても、感情の上では素直に納得することが出来ずにいた。
 はっきりとした答えが得られず溜め息を吐くクレアの横で、トワはこれからのことをリィンに尋ねる。

「リィンくん、どうするの? 一度、ゼンダー門へ向かう?」
「いや、予定通りに解析の結果がでてから行動する。グエン老の話では、あと半日ほどで結果がでるらしいしな。それにルーレの件もある」
「そういえば、サラ教官から応援の要請があったんだっけ……どうするの?」

 ゼクス中将との約束もそうだが、グエン老との約束も破るつもりはない。そのことから、リィンは自らの考えを述べる。

「解析結果次第ではあるが、〈紅き翼〉にはノルドへ向かってもらうつもりだ。ただし戦闘は回避すること。共和国軍との戦闘が始まったら、すぐに戦域を離脱してもらう」
「それって……」
「最悪、第三機甲師団を見捨てろってことだ」

 頭では理解していても感情では、と言った様子で複雑な表情を浮かべるトワ。
 それはエリオットたちも同じようで、なんとも言えない顔をしている。彼女たちが難色を示すであろうことはリィンも予想はしていた。
 しかし、カレイジャス一隻が無理をしたところで、共和国軍に勝てるわけでもない。精々できることは、正規軍のサポートくらいだ。

「ルーレの方は……アルフィン」
「はい」
「少し予定を早めることになるが、例の計画を実行に移そうと思う。アルフィン、出来るか?」
「そのために準備をしてきましたから問題なく、いつでも実行に移せます」

 リィンの問いに淀みなく答えるアルフィン。そういう話になるであろうということは、彼女も予想はしていた。
 そのために準備を進めてきたのだ。タイミング的に考えても、この機会を置いて他にないだろう。
 皇族の義務と責任を果たす。その時が来たのだと、アルフィンは身を引き締める。

「それじゃあ、ミリアム。悪いが捕まってくれ」
「え?」

 スッと腰の武器を引き抜き、剣先をミリアムの喉元に突きつけるリィン。
 予期せぬリィンの行動にミリアムは勿論のこと周囲も呆気に取られ、クレアは驚きを隠せない様子で声を上げる。

「リィンさん、何を!?」
「大尉は黙っていてくれ。邪魔をするなら、アンタも拘束させてもらう」

 背中に寒気を感じ、何も言い返せなくなるクレア。シャーリィとフィーが武器を抜き、鋭い視線を向けてきていた。
 少しでも余計な真似をすれば殺される。そう思えるほどに濃厚な殺気がブリッジを支配する。
 命の危険を敏感に感じ取って、ミリアムは額から冷たい汗を流す。

「えっと……もしかしてピンチ?」
「大人しく、こちらの指示に従うなら殺しはしない。だが、少しでも余計な真似をすれば、後ろの傀儡ごと斬り捨てる」

 冗談とは、リィンの目を見れば言えなかった。
 ミリアムも荒事には慣れているが、それは常識の範囲であって戦闘に長けているというわけではない。
 戦いを生業とする最高ランクの猟兵を三人相手にして、生き残れる可能性は万が一つにもないことは理解していた。
 抵抗は無駄と判断し、大人しく両手を挙げるミリアム。そんな彼女に代わって、エリオットが声を上げる。

「リィン! なんで、こんな真似を――」
「こいつは情報局の人間だ。それも〈鉄血の子供たち(アイアンブリード)〉の一人と言えば理解できるか?」
「それってクレア大尉と同じ……」

 チラリと横目でクレアを見るエリオット。視線を感じ、クレアは無言で頷く。

「言ってみれば〈鉄血〉の狗だ。現状、最も怪しい人物の関係者とも言える」
「で、でも……」
「忘れるな。俺たちは仲良しごっこをしているわけじゃない。戦争をしてるんだ」

 リィンの有無を言わさぬ迫力に気圧され、何も言い返せなくなるエリオット。

「ミリアムちゃん……」
「心配しないでクレア。なんとなく、こういう展開は予想してたし」

 ミリアムの身を心配して、困惑と悲しみの入り混じった複雑な表情で声を掛けるクレア。
 そんなクレアを心配させまいと、ミリアムは笑顔で応える。
 自然とリィンに非難めいた視線が集まる。どことなくアウェーな空気が場に漂っていた。

「……なんか、俺が悪者みたいになってないか?」
「ん……普通に悪役っぽい」

 フィーの的確なツッコミに、リィンはやっぱりかと溜め息を吐く。
 しかし、こうなるとわかっていてやったことだ。悪役を演じるのには慣れている。
 計画を実行に移すギリギリまでは、ミリアムを自由にさせるわけにはいかない。それに――

(フィー、後は頼んだ)
(ん……任せて)

 視界の端に一人の学生を捉えながら、リィンはフィーに目配せをした。



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