大陸西部の覇権をエレボニア帝国と二分する大国、カルバート共和国。
 その東方人街の裏社会において百年以上もの間、存在が語り継がれる伝説の凶手。数多の要人を暗殺し、歴史が動く影に銀≠フ姿ありとまで恐れられる存在。
 その正体は不老不死の吸血鬼であるとか、人外の魔人であるとか――
 様々な憶測と共に東方に住む人々にとって、その名は畏怖の対象にすらなっていた。

 ――剣戟の音が響く。
 歴代の〈銀〉のなかでも最強とまで言われた父親の姿が、リーシャの瞳に映る。
 外套と仮面に覆われているため、はっきりと素顔を確認できた訳では無い。しかし、次代の〈銀〉となるべく父親に鍛えられ、その背中を追い続けてきたリーシャは、それが父であると確信を得ていた。

 もう、かれこれ十分近くは剣を交え、打ち合っているだろうか?

 一合、また一合と剣を重ねる度に、薄れつつあるリーシャのなかの記憶が鮮明に蘇ってくる。
 隙のない研ぎ澄まされた太刀筋。剣術だけでなく体術や気功術。そして暗器の扱いに至るまで、そのすべての動きが父親の姿に重なる。
 リーシャが目標とした銀≠フ姿。理想とした技術の集大成がそこにはあった。
 過去、リーシャは一度として父に勝利したことがない。二年前まで、二人の間には明確な力の差が存在していた。
 本来であれば、こうして一対一で打ち合うことすら容易な相手ではない。結社とも仕事で対立したことがあり、かの鋼の聖女に一撃を加え、渡り合うほどの実力を有していたとも言われている。
 紛う事なき最強クラスの使い手。リィンの養父、猟兵王に比肩するほどの達人だ。
 まともにやって勝てないことは、リーシャ自信が一番よく理解していた。
 僅かな可能性があるとすれば、それはリーシャが父の動き――〈銀〉のすべてを知り尽くしていることだ。
 幾ら最強クラスの実力者を模倣した影とは言っても、それはあくまで表面的な能力でしかない。事実、本来なら実力から経験あらゆる面で父より劣っているはずのリーシャは、どうにか父の動きについていけていた。
 いや、少しずつではあるが、リーシャの方が優勢になりつつあった。

 それは幾度となく――いや、十年以上もの間、ひたすら繰り返してきた動き。
 〈銀〉の名を継承するため、彼女は人生のすべてを父との修行に費やしてきた。
 子供らしい思い出など何一つない。極普通の家庭の温もりすら知らず彼女は育った。
 しかし、だからと言って何の愛情も受けずに育ったかと言えば、そうではない。厳しい修行の日々からも、確かにリーシャは父から向けられる愛情を感じ取ってきた。
 ただ修行が辛いだけなら、ここまで強くはなれなかっただろう。
 リーシャが弱音を吐かずに頑張れたのは、〈銀〉になりたかったからではない。父に認められたかったからだ。
 父が残した最後の言葉が、リーシャの脳裏を過ぎる。

 ――お前の〈銀〉は、お前が決めるがいい。

 父はそう言い残して死んでいった。
 その言葉の意味と答えを、リーシャはずっと追い求めてきた。
 これまでのリーシャは与えられたレールの上を、ただ漠然と進んできただけだ。
 その結果は語るまでもない。彼女の迷いが、たくさんの不幸を招き、彼女自身も追い詰めてしまった。
 はっきり言って、迷いが振り切れたわけではない。まだ迷いはある。
 劇団のアーティストとしての顔と、伝説の凶手としての顔。そのどちらかの道を選ぶことなんて、リーシャには出来ない。今更、一般人に戻れないという想い以前に、〈銀〉としての顔もまた自身の一部だと認めているからだ。
 だが――

「はああああっ!」

 リーシャの一撃が、初めて眼前の敵の動きを捉えた。
 カウンター気味に放たれた横凪の一撃。咄嗟に刀身で受け止めるも、先代〈銀〉の影は後方に弾き飛ばされながら体勢を崩す。ほんの僅かな隙。しかし、そのチャンスをリーシャが逃すはずがなかった。
 氷のように冷たい殺気が、リーシャから放たれる。
 ゆらりと揺らめく眼光。次の瞬間――リーシャの姿は音もなく掻き消える。

「眠れ、白銀の光に抱かれ――縛ッ!」

 空を舞う人影。
 漆黒の暗器が放たれる。だが、簡単にやられてくれる相手ではない。
 攻撃をかわし、リーシャの放った鉤爪の鎖を足場に、リーシャへと迫る先代〈銀〉。

(チャンスは一度きり。この一撃に――私のすべてを込める)

 回避されることはリーシャも予想していた。
 だからこそ、次の動きを予測して、そう動くように彼女は仕掛けた。
 父なら――いや、自分(銀)ならどう動くか――それを踏まえた上での攻撃。
 灰の騎神が空けた天井の大穴から、赤く染まった月明かりが差し込む。
 光が、リーシャと先代〈銀〉との間に一本の道を作り出した。

「――滅ッ!」

 同時に放たれる剣閃。轟音と共に眩い光が、二人の凶手を呑み込んだ。


  ◆


 瓦礫を掻き分け、大剣を支えにフラフラとした足取りで立ち上がる人影。
 もう、リーシャには戦えるほどの力は残されていなかった。
 文字通り、全身全霊をかけた一撃。これでダメなら打つ手はない。しかし手応えはあった。
 手に残る感触を確かめながらリーシャは気配を探り、そして目にする。

「父さん……」

 半分ほど砕けた仮面からは、五十半ばと言った感じの男の顔が覗き見える。
 どれだけ月日が経とうと、忘れるはずがない。それは紛れもなくリーシャの父親だった。
 漆黒の外套を纏っているため、はっきりとわからないが、深手を負っていることは間違いなかった。その証拠に身体を構成するマナが傷口より溢れでて、彼の身体は蜃気楼のように揺らめいて見える。
 魔女の秘術によって生み出された影の肉体は、幻獣や使い魔のそれと変わりない。マナの力が尽きれば、あとは消滅を待つだけだ。

「父さんが最後に残した言葉の意味――ずっと考えてた。お前の銀はお前が決めるがいい。父さんは、そう言ってくれたよね。でも、私はその言葉の意味がわからないまま、ずっと答えをだせないでいた」

 それは独白。目の前の父親が、エマの作りだした幻影であることはわかっている。
 答えが返ってくるとは思っていない。それでもリーシャは語らずにはいられなかった。
 いまなら、はっきりとわかる。イリアに誘われたから、仕事の隠れ蓑に丁度よかったから、などタダの言い訳だ。彼女自身、それを望んでいた。楽しんでいた。
 劇団アルカンシェルで活躍するリーシャ・マオは、自身の憧れをカタチにしたものだったのだと――。

「どれだけ光の世界に憧れようと、私は闇の住人。〈銀〉である事実は変えられないし、過去をなかったことにも出来ない。そして、私自身――父さんとの絆――過去の自分を捨てて生きていくことは無理だと知っている。だから、クロスベルから離れた」

 そこまで口にして、リーシャは「それは違う」と首を横に振る。

「大切な人に、大好きな人たちに、こんな自分の醜いところを見られるのが嫌で逃げた。それが私の弱さ……そして、私の罪……」

 シャーリィに勝てなかった理由。それはリーシャの心にあった。
 届かないはずだ――と、リーシャは思う。良くも悪くもシャーリィは自分に正直だ。
 自分を偽ることを知らないシャーリィと、常に仮面を被って生きてきたリーシャ。
 相反する二人ではあるが、何より迷いは太刀筋を鈍らせる。彼女に勝てなかったのは実力や経験の差が原因ではない。心の弱さにあったのだとリーシャは考える。
 だから、シャーリィはあんな行動にでようとしたのだろう。
 リーシャの迷いの元凶を断ち切るために――

「でも、そんな私に教えてくれた人がいる。あの人は、それがなんだとばかりに私に手を差し伸べてくれた。暗殺者としての自分を求められることはあっても、『向いてないから辞めろ』なんてはっきり言われたのは、あれが初めてだった」

 その時のことを思いだしながら、リーシャは微笑みを溢す。
 猟兵とは言ってみれば、暗殺者以上に裏の世界に精通した戦争のプロだ。そんな人間が表の世界の住人と上手く付き合いながら、二つの相反する顔を両立している。そして、そんな彼を周囲も受け入れているという状況は、ずっと周囲を欺いて生きてきたリーシャにとってショックなことだった。

「表の私も、裏の私も彼ならきっと肯定してくれる。そんな人に出会えて、私はようやく自分を受け入れることが出来た。表の自分も、裏の自分も、どちらも私にとって欠かすことの出来ないものなのだと――」

 だからこそ、自分を見つめ直すことが出来た。
 そう簡単に割り切れるものではないが、それでも前に進むための勇気を得られたのは確かだ。

「私は父さんのようになれない。非情になりきれないのは、暗殺者としては失格なのかもしれない。でも、それもまた私だから――」

 ずっと父の期待に応えられないでいるのが怖かった。
 こんなことを考える自分は、失敗作なのではないかと――
 死にゆく父を失望させたのではないかと――

「私は、私の道を行きます」

 それでも――リーシャは自分の道を見つけ、選択した。
 人としての感情、表の世界の温かさを知った今では、以前のように暗殺稼業を続けられるかというとリーシャにはその自信がない。だが、必要な時に〈銀〉としての力を振うことに迷いはなかった。
 暗殺者としては失格だろう。リィンが「向いていないから辞めろ」というのも無理はない。
 だが、人としての感情を殺し、ただ与えられた仕事をこなすだけでは人形と一緒だ。

 ――そうか。

 空耳? ふと、リーシャは自分の耳を疑う。
 ただ一言。リーシャの耳には聞こえるはずのない父の声が聞こえた気がした。
 マナへと還り、虚空に消える父の姿を追い、リーシャは空を見上げた。


  ◆


「ククッ……最高だ。想像以上だ。リィン・クラウゼル!」

 それは、小さな台風のようだった。
 顔や身体に浮かび上がる異質な紋様。青みがかった髪は白く染まり、まるで鬼の力を解放したリィンのように変貌したマクバーンは燃えるような瞳でリィンを睨みつける。
 口元は愉悦に歪み、心底この戦いを楽しんでいる様子が見て取れた。

「それが本気=c…いや、中身の正体≠ゥ」
「やっぱり気付いてやがったか。そういう、お前こそ出し惜しみしてていいのか?」

 リィンにも本気をだせと挑発するマクバーン。
 王者の法のことを言っているということはリィンも理解していた。
 しかしあれは、一日に何度も使える技ではない。一度使えば、それなりの休息が必要だ。
 それに発動したら最後、短時間でマクバーンとの戦いに決着を付ける必要がある。

(予想より遥かに強いな。時間を稼ぐだけなら、このままでもいけるが……)

 マクバーンの力は、リィンの想定を越えていた。
 このままなら、確かにマクバーンの言うようにリィンに勝ち目はないだろう。
 はっきり言えば、出し惜しみしている余裕はない。しかし、時間を稼ぐ程度なら現状でも可能だとリィンは考える。
 マクバーンの攻撃は異能頼りの力任せなものがほとんどだ。こと経験と技術では、ヴィクター・S・アルゼイドの方が上であることは間違いない。
 だが、それでもマクバーンの方がヴィクターより強いだろう。
 剣術や体術などの戦闘技術は、弱者である人間が強者を降すために編み出した技術だ。
 元より人外の力を有するマクバーンが、力に傾倒した戦い方をするのも必然と言える。
 だが、だからこそ――リィンもマクバーンと互角以上の戦いをすることが出来ていた。

 リィンには決まった型の戦法がない。どちらかと言えば、ルトガーより教わった片手銃剣の扱いに長けているのは確かだが、それはリィンの実力を見る上で全体の一部に過ぎない。
 リィンは剣術家でも武術家でもない。ただの猟兵だ。
 力を競い、勝つための戦いと言うよりは、戦場で生き残ることを重視した戦い方を得意としていた。
 そのために必要となるのは一芸ではなく、幅広い戦術と洞察力だ。

「チッ……これでも乗って来ないか。なら、その気にさせてやるだけだ」

 自分で生み出した空間の裂け目に手を突っ込むマクバーン。そこから黒い剣が現れる。
 禍々しい気配を放つ剣を前に、目を瞠るリィン。

「それが、外の理で作られた剣か」
「ほう……よく知ってるな。魔剣〈アングバール〉。逝っちまった阿呆の使っていた〈ケルンバイター〉と対になる剣だ」

 アングバール――盟主によって与えられ、外の理で作られたとされる魔剣。入手する手段がないので、そもそも候補にいれなかったが、ゼムリアストーン製の武器以外に、過去リィンの頭に過ぎったことのある武器でもあった。
 絶大な力を有する反面、使い手を選ぶ武器だ。だが、異能を使うマクバーンとの相性は抜群と見ていいだろう。
 まともに打ち合えば、ゼムリアストーン製の武器と言えど、砕かれる恐れがある。
 いや、それ以前に魔剣に宿る黒い炎にリィンは注目し、警戒を強める。

(あの炎……ただの炎じゃないな)

 あの炎の前では、いままでマクバーンが使っていた力など児戯に等しいことがわかる。
 それほどの圧倒的な力の気配が、あの剣と黒い炎からは感じ取れた。

「最後の忠告だ。出し惜しみしてやがると……死ぬぞ」

 冗談では無く本気で言っているのだろう。そして、それだけの力がマクバーンにはある。
 ビリビリと肌をさす力の気配。手に汗を滲ませながら、リィンはマクバーンの攻撃に備える。
 しかし、それでも〈王者の法〉を使おうとしないリィンに、マクバーンは苛立ちの表情を浮かべる。

「そうかよ。なら――」

 言葉を終える前に、マクバーンの姿がリィンの視界より消えた。
 首筋にチリチリと焦がす熱の余波を感じ取り、リィンは咄嗟の判断で剣を振う。
 背後に回り込んだマクバーンの一撃を、左手のブレードライフルで受け止めるリィン。
 だが、アングバールの一撃を受け止めた瞬間、まるでバターのようにリィンの剣が溶かされ、切断される。

「――なっ!」
「死ね!」

 力任せに剣を振り下ろすマクバーン。その直後、リィンの全身が黒い炎に包まれた。



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