「まさか、回線に割って入ったの!?」

 ジョルジュがカレイジャスの端末を利用して、パンタグリュエルのシステムに外部からハッキングを仕掛けたのだとアリサは気付いた。
 この短時間で同じことが可能かと言えば、アリサは不可能だとは言わないまでも難しいと答えるだろう。アリサの腕では、ブリッジの端末を使わなければトラップの存在に気付くことも難しかったのだから――

(なんて非常識……)

 技術棟の管理を任されているだけでなく、ルーレ工科大学の研究所からも誘いがあるというジョルジュの力の一端を垣間見たアリサは戦慄する。グエンとジャッカスの影に隠れて、ここ最近は余り目立った活躍をしていないジョルジュだが、その実力は十分に非常識と呼べるレベルだった。
 とはいえ、驚いてばかりもいられない。

『状況はこちらでも把握している。出来るだけのフォローはさせてもらうつもりだ』
「そんなことより早く逃げてください! もし失敗したら――」
『それは出来ない相談だ。僕はキミたちの先輩だからね。それに――』

 ここで逃げ出したら、トワやサラ教官に叱られると肩をすくめるジョルジュ。
 ジョルジュの背後から姿を見せるサラ。そして画面越しにアリサを睨み付ける。
 彼に船のハッキングをさせ、いざという時のために控えさせていたのはサラだった。

『自分たちだけで問題を抱え込もうとしないで、少しは大人を頼りなさい。仲間想いなのは結構だけど、それはアンタたちの欠点でもあるわ。第一、私たち教師が生徒を置いて逃げられるわけないでしょう?』

 ぐっと唸りながらも、アリサは自分の非を認める。
 ラウラとエリオットも、サラの話に反論できず言葉を詰まらせる。
 自分たちがユーシスに言ったことを、そのまま返されるとは思ってもいなかったからだ。

『あたしに出来るって啖呵を切ったんだから、やれるんでしょ? まずはそれを証明してみせなさい』

 意地の悪い笑みを浮かべて、サラはアリサたちを煽る。
 それからしばらくして――ゼンダー門より帝都の本隊へ一報が入った。


  ◆


「やってくれたみたいだね」

 帝都郊外で第三機甲師団と合流したオリヴァルトはセドリックと面談していた。
 そこで入ったゼンダー門からの一報。無事、人質の救出とパンタグリュエルの拿捕に成功したとの報告を受け、オリヴァルトは表情を緩ませる。とはいえ、良い報告ばかりとは言えなかった。
 アリサたちが機転を利かせてくれたからよかったものの、パンタグリュエルが爆薬を満載したまま共和国軍の陣地に突入していれば大変なことになっていた。
 最悪それが引き金となって、共和国との戦争へ発展していた可能性すらある。

「あの……兄上。彼等は、どうしてこのような真似を……」

 セドリックは、そのような真似をどうしてルーファスがしたのか理解できずにいた。
 共和国との戦端が開けば、内戦どころの話ではなくなる。しかし、そんな真似をすれば困るのは彼等も同じだ。
 いまの帝国に共和国と戦争をするような余裕はない。簡単に負けるとは思わないが、内戦で疲弊している現状では苦戦を免れないのは必至だ。しかも、戦争が長引けば長引くほど戦費は嵩み、物流は滞り、民の暮らしは厳しさを増す。
 そうした守るべき民を省みない行為もそうだが、貴族(かれら)も帝国の人間だ。
 自らの首を絞めるような真似をする意味が、セドリックには理解できなかった。

「まあ、理由はいろいろとあるだろうが、今回のは恐らくは警告だろうね」
「警告……ですか?」

 仕掛けが大掛かりな割りには、詰めが甘いようにオリヴァルトは感じていた。
 最初から失敗することを見越して、そのような真似をした気がしてならない。
 敵の真意までは分からないが、今回のことは自分たちの油断が招いた結果だとオリヴァルトは考えていた。

「ん……まさか、そういうことなのか……」

 オリヴァルトは何かに気付いた様子で地図を広げ、通信機を使って何処かに連絡を取り始める。
 段々と表情を険しくするオリヴァルト。これまで見たことがない厳しい表情を見せる兄を見て何事かと心配するセドリックを前に、オリヴァルトは憤りを隠せない様子で机に激しく拳を打ち付けた。

「あ、兄上!?」
「ラインフォルト社の工房で整備中だったアイゼングラーフ号が姿を消した。行き先はクロスベルだ」
「……クロスベル? どうして、クロスベルに……」

 先日の一件よりクロスベルと帝国は現在、交流が完全に途絶えている。
 そのクロスベルに帝国政府の専用列車が何故? とセドリックは疑問に思う。
 いや、そもそも誰がどうやってアイゼングラーフ号を持ち出したのか?
 状況を呑み込めないセドリックの脳裏に一人だけ、思い当たる人物が頭を過ぎった。

「兄上、まさか……」
「そのまさかだ。鉄血宰相ギリアス・オズボーン。ようやく姿を見せたかと思えば……」

 何かしら仕掛けてくるとは思っていたが、まさか帝都ではなくクロスベルに向かうとはオリヴァルトも思ってはいなかった。
 いつからなのか? 通商会議でも、そのような素振りは一切見せなかった。だが状況から考えて、ギリアスが秘密裏にクロスベルと繋がっていたことは確実だ。
 ルーファスの一連の行動が、帝国の目をクロスベルから遠ざけるためだと考えれば、ある程度の説明は付く。
 クロスベルで彼等が何をしようとしているのかまでは分からない。
 だが、帝国――いや、オリヴァルトたちにとってよくないことであることだけは確実だった。

(完全に後手に回ってしまった……どうする?)

 正直なところ打つ手がないというのが、オリヴァルトの考えだった。
 トヴァルを通じてクロスベルの遊撃士協会に探りを入れることくらいは可能だろう。
 だが、これまで動き一つ悟らせなかった相手だ。独立宣言以降、クロスベルとの交流が絶たれ、情報が封鎖されている状況を上手く利用されたとも言える。そんな状況下で、たいした情報が集まるとも思えなかった。
 何より今から行動したのでは遅すぎる。ギリアスがこのタイミングで姿を見せた以上、計画の準備は整ったと考えて間違いないだろう。

「……なんだ? 随分と外が騒がしいようだが」

 そんな時だ。
 天幕の外が騒がしいことに気付き、オリヴァルトは状況を確かめるために外へと足を向けた。
 そして最初に目に入ってきたのは、紅く燃える空だった。

「空が燃えている……」

 皇城を中心に広がる光輪。それは翼のように広がって帝都の空を覆い隠していく。
 だが、それで終わりではなかった。身体の不調を訴え、兵士たちがバタバタと倒れ始める。

「兄上……」
「セドリック!?」

 崩れ落ちるセドリックを抱き留めるオリヴァルト。
 そんな状況の中、よく見知った声がオリヴァルトの耳に届く。

「無事か!? 一体なにがどうなっている?」
「分からない。だが現在、帝都で起こっている異変が原因であることは確かだ。ミュラー頼みがある。セドリックを連れて、出来るだけ帝都(ここ)から離れてくれ」
「……お前はどうするつもりだ?」
「まだ、やることがあってね。何、すぐに追いつくさ」
「俺はお前の護衛なんだがな。とはいえ、セドリック殿下をこのままにはしておけないか」

 仕方がないとセドリックを抱え、ミュラーは近くに止めてあった軍用車に乗り込む。
 周りを見渡せば、混乱に気付いたゼクス中将が兵の指揮を執っていた。
 ゼクスはオリヴァルトと目を合わせると状況を察して頷き返す。

「頼んだぞ。ミュラー」
「任された。……無茶はするなよ」

 セドリックを乗せた車が走り去ったのを確認して、オリヴァルトは少し困り顔で頬を掻く。

「全部お見通しか。恐れ入る」

 親友に隠し事は出来ないかとオリヴァルトは肩をすくめる。
 だが、自分までも帝都(ここ)を離れるわけにはいかなかった。

(少しは二人の兄として、良いところを見せないとね)

 結局、セドリックとアルフィンには、一番の重荷を背負わせてしまった。
 二人の兄として、少しは格好を付けないと示しが付かないとオリヴァルトは苦笑する。

「アルフィンのことや、この現象に関してはリィンくんに任せておけば問題ないはずだ。ならば……」

 オリヴァルトは踵を返し、混乱の最中へと歩みを進めた。


  ◆


 その頃、帝都の中心部は未曾有の混乱にあった。
 次々に倒れ行く人々。逃げ遅れ、建物に身を潜めていた人々を始め、グノーシスの影響で理性を失った人々までもが紅い風にマナを奪われ意識を失っていく。いまは意識を失う程度で済んでいるが、このままマナを奪われ続ければ衰弱して死に至る危険すらある。
 そんななかマーテル公園へと続く道程を、場にそぐわない軽快な足取りで歩みを進める一人の男の姿があった。

「やれやれ、クロスベルからようやく帝都に戻ってきたと思ったら、人使いの荒いおっさんだ」

 前髪を弄りながら、どこかやる気が無さそうにぼやく赤髪の男。
 帝国情報局所属、レクター・アランドール大尉。別名〈かかし男〉の異名を持つ、鉄血の子供たちの一人だ。
 面倒臭いと言いながらも、目的の場所へ足を向けるレクター。
 マーテル公園へと到着し、その一角にあるガラス張りの植物園へと向かう。
 きょろきょろと周囲を確認すると扉を開け放ち、建物の中へと歩みを進めた、その時だった。

「……っと、危ない危ない」

 どこからともなく放たれた一発の銃弾が、レクターの足下に着弾する。
 飄々とした態度で、二発、三発と放たれる銃弾を余裕を持って回避してみせるレクター。

「どうしてここに? というのは、野暮だったかな。――クレア」

 導力ライフルを携え、観葉植物の陰から姿を見せた軍服の女性の名を、レクターは親しげに呼ぶ。一方で名を呼ばれた女性の方は警戒を解くことなく、冷たい視線をレクターへと向けていた。

「ここで待っていれば、あなたに会えると思っていました。いえ、出来れば……そんな予想は外れていて欲しかったというのが本音かもしれません」
「……ということは、あれに気付いたってことか。手掛かりになるような物は残ってなかったはずなんだがな」
「ええ、完璧でした。でも、だからこそ気付くことが出来た」

 出来ることなら、予想が外れていて欲しかったとクレアは思う。
 だが、ここにレクターが姿を見せたことで、自分の推察が正しかったことをクレアは理解してしまった。
 マーテル公園には温室の植物園があり、毎年七月の夏至祭には皇族を招いた催しが開かれていた。
 そして植物園(ここ)には大陸中から珍しい植物が集められている。そのなかにレクターの目的の物があった。
 ――プレロマ草。七耀脈の真上に咲くとされる吉兆の花。グノーシスの原材料となる花だ。
 灯台下暗しとはよく言ったものだ。このような場所で件の薬の材料が栽培されているとは誰も思わないだろう。
 だが、七耀脈の活性化が花の成長に影響するのなら、この帝都ほどプレロマ草の栽培に適した土地はない。この半年、帝都で起こっていた異変はすべて帝国解放戦線によるものだと考えられていたが、いま思えばそれは誤りだったとクレアは考える。

「カレル離宮でグノーシスの研究を支援していたのは宰相閣下ですね?」
「……どうして、そう思う?」
「離宮に出入り出来る人物となると政府内でも限られています。最初はカイエン公の仕業かと思いましたが、ルーレの一件を考えると疑問が残る」

 ハイデルの証言からも、カイエン公が彼に命じてグノーシスの研究をさせていたことは確かだ。
 だが、クロスベルから証拠品としてグノーシスの薬が提出されたのは今年の五月。だとすれば、カイエン公の手にグノーシスが渡ったのは、クロスベルで起きた教団事件以降でなければおかしい。

「あの部屋は、いつからあの場所にあったのでしょうか?」

 なのに――クレアの調査では、あの部屋は少なくとも一年以上前から、あの場所にあったと思われる。
 しかし、そうするとハイデルの証言と時期が噛み合わない。
 それに、これみよがしに残された証拠の山は、貴族派に疑いを向けてくれと言わんばかりに揃いすぎていた。

「さすがだ。やっぱり、クレアの目は誤魔化せないか」

 降参と言った様子で両手を挙げながら、レクターはクレアの疑問に答える。
 ただの確認であって質問に対する答えは求めていないのだろう。
 既に答えに行き着いている以上、誤魔化しは利かないと思っての降参だった。

「なぜ、閣下はそのような真似を……」
「さてな。俺にもおっさんの真意までは分からない。だが必要≠セったからしたんだろうさ」

 そう、ギリアス・オズボーンという人間はいつもそうだ。
 レクターの言うように目的のために必要なら、このくらいのことは平然とするだろうということはクレアにもわかっていた。
 だが、それでも信じたかった。間違いであって欲しかった。
 今更、綺麗事を言うつもりはない。ギリアスやレクターのことを非難できないほどに、クレアも自身の手が汚れていることは知っている。
 だがそれも帝国のためになると信じていたからだ。

「……なんの真似だ? クレア」
「投降してください。出来ることなら、あなたを傷つけたくはありません」

 銃口をレクターに向け、投降を促すクレア。

「おっさんを裏切るつもりか?」

 その質問にクレアは答えなかった。だがレクターは、その沈黙を肯定と受け取る。
 これまでギリアスを疑ったことはない。恩人でもあったし、ギリアスなら旧態依然とした貴族社会を廃し、帝国を変えられるとクレアは本気で信じていた。
 ギリアスがいなければ、現在の帝国はない。彼の強引すぎる政策が革新派と貴族派の対立を加速させたのは確かだが、改革が行われる以前であれば政府の重要な役職に平民が起用されるようなこともなかった。
 悪い面ばかりではない。彼の行いによって救われた人がいるのも、また事実だ。クレアもその一人だ。
 だが、一度芽吹いた不信感は消すことが出来ないほど、クレアのなかで大きく育っていた。
 前のように盲目にギリアスの命令に従えるかと言えば、それは無理だろうとクレアは思う。

「はあ……おっさんの言うとおりになったか。だが、捕まってやるわけにはいかないんでね。悪いが逃げさせてもらう」
「逃がすと思いますか?」

 踵を返すレクターへ照準を定め、引き金へと指を掛けた、その時。

「いいのか? 俺にばっかり構っていて」

 クレアの背後で爆発音が響いた。
 想定しなかった事態に驚き、クレアは咄嗟に振り返る。
 断続的に響く爆発音。そして瞬く間に植物園全体へと炎は広がっていく。

「何も仕掛けてないと本気で思ってたのか? 待ち伏せて罠に嵌めたつもりなんだろうが甘かったな」
「――レクターッ!」

 レクターの名を叫びながら、クレアは引き金を引く。
 だがライフルより放たれた銃弾を、レクターは身体をズラすことで回避して見せる。
 次弾が放たれるより早く隠し持っていた細剣を抜き、レクターは煙に紛れながら植物園の外へ飛び出す。

「おいおい! 見えてないはずだろうが――」

 だが、煙の中から迫る銃弾にレクターは冷や汗を流す。
 どうにか自分に向かってくる銃弾だけを的確にレクターは剣で弾き、クレアとの距離を取る。とはいえ、身体を掠めた銃弾は一発や二発ではない。少しでも気を抜けば、確実に身体を撃ち抜いてくるだろう。
 冗談じゃない、とレクターは本気で慌てる。だが、クレアも焦っていた。
 動揺の隙を突かれたとはいえ、この距離で完璧に回避されるとは思ってもいなかった。逃げに徹したレクターを捕まえるのは難しい。だからこそ、出来れば最初の一発で仕留めておきたかったのだ。

「こ、殺す気か!?」
「死にたくなければ、大人しく投降してください!」

 尚も容赦のない追撃を仕掛けるクレア。帝都の空にレクターの絶叫が響き渡った。



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