「――兄様ッ!」

 目を覚ましたら知らないベッドで寝ていた。
 そして目覚めた瞬間、黒髪の少女に抱きしめられ、何がなんだか分からないと言った様子でリィンは呟く。

「……エリゼ? なんで、いるんだ?」

 リィンは首を傾げながら尋ねた。
 エリゼ・シュバルツァー。ユミルの領主シュバルツァー男爵の一人娘で、帝都にある名門女子校に通うアルフィンの親友でもあった。
 そしてフィーとも仲が良く、リィンにとっても妹のように可愛がっている少女だ。
 とはいえ、ここはどこなのか? とか、エリゼがどうしているのか? など疑問は尽きない。

「寝ぼけないでください。それともやはり、まだ体調が優れないのですか?」

 エリゼが何を言っているのか分からずリィンは首を傾げる。
 だがエリゼが身体を気遣い、心配してくれていることだけは分かった。
 そのためか、フィーにするように何気なくエリゼの頭をリィンは撫でる。

「大丈夫だ。もう起きるから心配するな」
「に、兄様……ッ!?」

 リィンに頭を撫でられ、顔を真っ赤にしてエリゼは動揺する。
 何やら初々しいエリゼの反応にリィンは違和感を覚えた。

(なんだ? 何かおかしいような……)

 違和感の正体は分からない。しかし、リィンの勘は何かがおかしいと訴えていた。

「あの……お食事はどうされますか? まだ体調が優れないようなら、軽い食事をお持ちしますが……」
「いや、腹も減ってるしな。出来れば、ガッツリ食べたい」
「では、準備をしてまいります。しばらくしたら、食堂へお越しください」

 顔を赤くしたまま、そう言ってエリゼはバタバタと慌てた足取りで部屋を後にする。
 そんなエリゼの後ろ姿を見送り、リィンは腕を組みながら首を傾げる。

「……さて、これはどういうことだ?」

 ここはどこなのかと考えるリィン。どこか見覚えのある部屋。エリゼがいることからも、恐らくここはシュバルツァー男爵の屋敷、ユミルだろうとリィンは推測する。しかし帝都にいたはずなのに、どうしてユミルにいるのか分からなかった。
 ベッドの脇に目をやると綺麗に折り畳まれた衣服と財布を見つける。それが自分の服と財布であることを確認したリィンは悩んでいても埒が明かないと考え、着替えてエリゼの待つ食堂へ向かうことにした。男爵にでも話を聞けば、何か分かるだろうと考えてのことだ。部屋を出て食堂へ向かうとエリゼが出迎えてくれた。
 エリゼの案内で席に着くと、食欲をそそる匂いがリィンの鼻を刺激する。銀色のカートに載せて運ばれてくる食事。エリゼが肉の入ったスープを皿に注ぎ、ローストチキンやサラダ、それにパンをテーブルの上に並べてくれる。
 昼食の準備を終えたところで二人で食事を取りながら、リィンはエリゼに尋ねた。

「エリゼ。少し聞きたいんだが、シュバルツァー男爵はいないのか?」
「父様なら母様を連れて帝都で開かれる貴族の会合に出掛けていらっしゃるので、帰りは早くとも一ヶ月後になりますが……」
「貴族の会合? あの男爵が?」

 エリゼにどういうことかリィンは尋ねる。というのも貴族社会に嫌気をさして領地へ引き籠もったという話の男爵が貴族の会合に出席するため、夫人を連れて帝都に向かったというのも腑に落ちない話だった。

「はい、陛下からの要請で断り切れなかったと。父様と母様にも兄様の無事を報せたかったのですが行き違いで……」

 何やら話が噛み合っていない気がする。
 エリゼが何を言っているのか、リィンには半分も意味が分からなかった。
 そんなリィンを見て、聞き難そうな様子でエリゼは先程から気になっていたことを尋ねる。

「あの……兄様、父様と喧嘩をされたのですか?」
「え? なんでだ?」
「父様を、そのように他人行儀な呼び方をするのは……」
「……男爵は男爵だろ?」

 二人が喧嘩したのではないかと心配になり、エリゼは食事の手を止めてリィンに尋ねる。
 しかし男爵を男爵と呼んで何が悪いのか、エリゼが何を言っているのか分からずリィンは質問を返す。

「前は『父さん』と呼んでいたのに、どうされたのですか?」
「父さん? は? 男爵が俺の親父?」
「当然です。何を仰っているんですか? やはり何かあったのですか?」

 返ってきた答えに、リィンは更に困惑する。
 何が当然なのか? リィンと男爵には血の繋がりはない。そもそもの話、あのエリゼを溺愛する男爵のことだ。男爵のことを「お義父さん」などと呼んだ際には、血の雨が降りかねなかった。

「いや、ちょっと待て。幾らなんでもそんなこと、あの子離れ出来ない男爵が許すはずないだろ?」
「え……?」
「だからエリゼと俺はそんな関係じゃ……ないよな?」

 エリゼもリィンが何を言っているのか分からず困惑する。

「先程から兄様は何を仰っているのですか?」
「だから、俺とエリゼが付き合ってるって話じゃないのか?」
「わ、私と兄様が!?」
「ああ、うん。俺にも身に覚えがまったくないんだが……」

 まったく身に覚えがなかった。エリゼとそういう関係にはなっていないはずだとリィンは記憶を辿る。温泉に一緒に入ったことはあるが、あの時はアルフィンやフィーも一緒だったので大丈夫なはずだとリィンは自分に言い聞かせた。
 そんな風にリィンが悩んでいると、顔を赤くしたエリゼが用事を思い出したとか言って、瞬く間に食べかけの料理を片付けて食堂から姿を消した。
 突然のことでエリゼが立ち去るのを呆然と見送ることしか出来なかったリィンは困惑を隠せない様子で呟く。

「……取り敢えず、(さと)の様子を見てみるか」

 そうして屋敷の外へ出ると、リィンは驚きの表情を浮かべた。懐かしいユミルの姿。しかし、あるべきものがそこにはなかった。
 季節は冬の真っ只中だったはずだ。そしてユミルは帝国の最北端、街から遠く離れた山奥にある。十一月も半ばを過ぎると毎年のように山には雪が降り積もり、ユミルも銀世界一色になる。なのにリィンの目の前には雪一つ見当たらない、のどかな田舎の風景が広がっていた。

「夢じゃないよな? 一体なにがどうなってるんだ?」

 リィンは坂道を降り、郷へと向かう。そして人を見つけると軽く挨拶を交わし、情報収集のために酒場へと向かった。
 扉を開け、酒場の中へ入ると昼間だというのに結構な人数の客がいた。リィンの姿に気付き、親しげな声でリィンの名前を呼ぶ男たち。『リィン坊ちゃん』と呼ばれて違和感を覚えながらも店のカウンターに腰掛け、気になったことを客や店主にリィンは尋ねていく。
 そして、

「は? 雪? そりゃ気が早すぎるだろ。まだ十月の始めだぞ?」
「男爵様の子供? そりゃ、エリゼお嬢様とリィン坊ちゃんのことだろ? 変なことを聞く坊ちゃんだな」
「ノルドの民? なんだそりゃ?」

 頭でも打ったのかと本気で心配され、リィンは誤魔化すように酒場を後にする。
 明らかにおかしかった。正直、狐に化かされている気分だが、郷の人たちが嘘を吐いているとは思えない。
 それにエリゼのあの様子、いつもの彼女らしくないというか普通ではなかった。
 いや、おかしいのはエリゼでなく自分の方なのではとリィンは考える。

「ノルドの民のことを誰も覚えていないのも不思議だが、俺のことを『坊ちゃん』って……」

 百人を超す人間が突然姿を消し、郷の人々が誰一人として彼等のことを覚えていないなど普通に考えてありえないことだ。
 それに『坊ちゃん』と呼ばれるような立場にリィンはない。そもそもエリゼとそんな仲になった覚えはないし、エリゼにも言ったことだが、あの子離れ出来ない男爵が許すとは思えなかった。

「夢なのか? いや、そもそもこの状況って……」

 一瞬、夢ではないかと考えるリィンだったが、あることに気付く。
 それは前世の記憶。この世界へ転生する前に遊んでいたゲームの知識。

「まさか、そういうことなのか?」

 フィーの兄はなく、エリゼの兄となった本来の歴史。
 猟兵(ルトガー)にではなく貴族(テオ)に拾われた、もう一つの未来なのだとリィンは理解した。


  ◆


 状況を一通り把握したリィンは、屋敷に戻ってこれからのことを考えていた。
 住民への聞き込みから、現在は七耀歴一二〇五年の十月だということが分かった。リィンの記憶では、今日は七耀歴一二〇四年の十二月三十一日だったはずだ。だとすると、十ヶ月以上の時間の開きがあるということになる。
 単純にこれが未来に飛ばされたというのなら、まだ話も分かりやすいのだが、この世界ではリィンはルトガーにではなくシュバルツァー男爵に拾われてエリゼの兄になっていた。
 それだけではない。先の内戦では革新派が一応の勝利を収めはしたそうなのだが、その直後に侵攻してきた共和国軍によって正規軍も大きな痛手を被る結果となり、男爵が帝都で行われている貴族の会合に出席することになったのも、そのことが直接の原因らしい。そうしたこともあって、まだ帝都の混乱は収まっていないらしく、エリゼも避難するカタチで実家に身を寄せているとの話だった。
 最後にリィンに関してだが、教会で意識を失って倒れているところをユミルの住民に保護されたとかで、エリゼが体調を心配をしていた理由についてもリィンはようやく理解することが出来た。
 状況は分かった。しかし、どうして自分がこのような状況に置かれているのか分からない。それだけに腕を組んでリィンは唸る。不思議な体験には免疫があるつもりだったが、これは理解を超えていた。

「……どうしたもんかな」

 さすがに夢だとは思っていないが、これからどうしたものかとリィンは考える。
 正直なところ打つ手がない。なんらかの行動にでるにしても手掛かりが少なすぎた。
 まずは情報収集が先かと考え、リィンはエリゼの姿を捜して屋敷の中を散策する。そして、

「……なんだ?」

 窓から空を見上げるリィン。目に入ったのは雪だった。
 確か酒場の店主は、まだ十月だと言っていたはずだ。幾らユミルでも十一月を過ぎないと雪が降ることはない。

「ついに季節までおかしくなったか……」

 今更、雪が降ったくらいで驚きはしないが、本気でどうしたものかとリィンは頭を悩ませる。
 エマかヴィータがいれば何か分かったかもしれないが、二人がいない以上は自分一人でどうにか切り抜けるしかない。
 そう考えたリィンは顎に手を当て僅かに逡巡すると、何かに気付いた様子で窓の外へと視線を向けた。

「まさか……原作にもあった例の石碑か?」

 真剣な表情で窓から見えるアイゼンガルド連峰を眺め、リィンはそう呟く。
 異変の原因という確証はないが、季節外れの雪に山奥にある石碑に封じられた魔獣が関わっていた記憶が残っていた。
 あの異変には結社の執行者――ブルブランも関わっていたはずだが、他に異変の原因で思いつく場所はない。
 他に手掛かりもないし、自分の置かれている状況についても何か分かるかもしれないと考えたリィンは決心した。

「行ってみるか。となると……」

 問題は武器だ。腰に下げていたはずのブレードライフルはどう言う訳か手元にない。ゼムリアストーン製の武器がなければ、戦技〈オーバーロード〉を使うことは出来ない。それは最大にして唯一の武器を封じられているも同じだった。
 並の魔獣が相手なら無手でもどうにかなるだろうが、高位の魔獣や幻獣クラスが相手になると厳しい。石碑に封じられているような魔獣だ。油断して勝てるような相手ではないだろう。ゼムリアストーン製とは言わないまでも、まともな武器が必要だとリィンは考えた。
 そういうこともあって夕食の席で、リィンは武器になりそうなものがないかとエリゼに尋ねた。
 あれから郷の方へ足を運んでみたりもしたのだが、戦時中ということもあって品揃えも悪く、手持ちの金で買える範囲で使えそうな武器は見つからなかったためだ。

「えっと……武器ですか?」

 雪は勢いを増し、外は吹雪いているようでカタカタと窓枠が揺れる音が聞こえてくる。
 そんななかエリゼは不思議そうに首を傾げ、リィンの問いに答えた。

「兄様には、ご自身の刀≠ェあるのでは?」

 エリゼに言われて、そう言えばと記憶を辿るリィン。原作のリィンは八葉一刀流の創始者、ユン・カーファイ老師に師事をしていたはずだ。
 西ゼムリア大陸では珍しい刀や太刀を用いた剣術で、流派の名前からも察することが出来るように一から八の型があり、何れか一つでも皆伝に至ったものは『剣聖』の名で呼ばれることになる。武の世界に生きる者なら知らない者はいないとさえ言われる最強の剣術。それが八葉一刀流だった。
 刀を使ったことはないが、取り敢えず使ってみてから考えるかと、リィンは刀の場所をエリゼに尋ねる。

「で? その刀はどこにあるんだ?」
「……兄様?」

 困った様子でリィンを見るエリゼ。当然だろう。刀の場所を尋ねられても、それはリィンの持ち物だ。エリゼが知っているはずもない。
 エリゼの困惑に気付き、しまったと言った顔でようやく自分の失態にリィンは気付く。

「いや、どこかに落としてしまったみたいでな。気絶してた場所に落ちてなかったかと思ってな」
「なるほど……ですが、すみません。発見された時には衣服以外は何も身に付けていなかったそうで、刀が傍に落ちていたという話は……」

 そう言って頭を下げるエリゼに罪悪感を抱きながら、リィンは笑って誤魔化す。その話から身に付けていたはずのブレードライフルのことが頭を過ぎるが、財布を取らずに武器だけを盗んでいく輩はいないだろうとリィンは頭を振った。
 それに世界は違っても、自分たちには何の得もないのにノルドの人々を快く受け入れたユミルの人たちが、そんな真似をするとは思えない。だとすれば、ブレードライフルも最初から身に付けていなかったと考えるのが自然だ。
 そんな風に考え込んでいると、「私のレイピアをお貸ししてもいいのですが」というエリゼにリィンは首を横に振る。エリゼにも護身用の武器は必要だと思ったこともあるが、レイピアとは突くことに特化した細身の武器だ。刀以上に扱える気がしなかった。
 まったく使えない武器よりは素手で戦った方がマシだ。そんなリィンの考えを察した様子で顎に手を当て逡巡した様子を見せると、エリゼは何かに気付いた様子で答えた。

「地下の倉庫なら何かあるかもしれません。父様の狩猟用の道具も、そこに仕舞ってあるはずですから」

 地下の倉庫に狩猟用の道具があると聞いて、リィンは表情を明るくする。弓矢はともかくナイフの類でもあれば十分武器になる。フィーのようにはいかないまでもリィンも短剣の扱いには慣れていた。
 そんなリィンの様子に訝しげな表情を浮かべ、エリゼは確認を取るように尋ねる。

「兄様……何か危険なことをなさるつもりじゃありませんよね?」
「いや、そんなことはないぞ」
「本当ですか?」
「あ、ああ……」

 半眼でエリゼに睨まれ、リィンは誤魔化すように表情を取り繕いながら答える。
 俺はリィンだけどリィンじゃないんだ、と本当のことを言ったところで信じてもらえるわけもなく、ましてや山に入って遺跡を調査してくるなどと言えば、エリゼが止めることは目に見えていた。

「兄様がそう仰るのなら信じます。ですが、くれぐれも危ないことはなさらないでくださいね」

 にこりと笑い、リィンに釘を刺すエリゼ。
 まったく信用されてないことがわかり、何とも言えず肩を落とすリィンだった。



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