トリスタでの会談から三日が経過した。

「飯を食べてない?」
「はい。さすがにやり過ぎたのでは?」

 リーシャに半眼で睨まれながら非難され、リィンは困り顔で目を逸らす。
 あれからルーレに連れて来られたエリィは武装を解かれ、カレイジャスの船室に軟禁されていた。

「仲直りは出来たのか?」
「はい。ですが、焦燥しきった様子のエリィさんを見てると、それどころではなくて……」

 エリィの護衛と監視役を決めかねていたところ、自分にやらせて欲しいと申し出てきたのはリーシャの方だった。
 いつかは向き合わなくてはならないことだ。リーシャなりにエリィのことは思うところがあったのだろう。
 顔見知りの方が良いだろうと考え、それを了承したのだが、どうにも上手く行ってないらしく原因はやはり三日前のアレかとリィンも思い至る。
 やり過ぎたつもりはなかったのだが、食事も咽を通らないほどとなると重症だった。

「お願いです。もう一度、エリィさんと会って話を聞いてあげては頂けませんか?」

 当然リーシャがそう言うであろうこともリィンにはわかっていた。どのみち、エリィとはもう一度話をする必要があったのだ。
 とはいえ、もう少し時間をおいた方がよくないかと考える。下手をすれば、逆効果になることをリィンは心配していた。

「それが、どう言う意味を持つか、わかってて言ってるのか?」
「……はい」

 エリィの目的はクロイス家の支配からクロスベルを解放することと、キーアを助けだすことにある。そのための情報と協力者を求めて彼女は帝国にやってきた。しかし、その希望がリィンによって打ち砕かれ、意気消沈としているわけだ。だとするなら、エリィの元気を取り戻す方法は一つしかない。当然、リーシャもそのことを理解しているはずだ。その上でエリィの力になってあげられないかと言っているのは明らかだった。
 目的の半分は一致していると言ってもいい。リィンが標的として定めているのは、ギリアス・オズボーンとマリアベル・クロイスの二人だ。他のことに興味はないが、この二人とだけは決着をつける必要があると考えていた。
 そう言う意味では、エリィと協力を結んでも良いかとリィンも最初は考えていた。しかし、いまのエリィを見ていると足手纏いにならないかと言った懸念の方が大きい。ランディもそうだったが、特務支援課の面々には焦りが見える。恐らくはオルキスタワーでの敗北が尾を引いているのだろうが、そんな状態をいつまでも引き摺られては困る。熱意は伝わってくるが、それだけでどうにかなるほど現実は甘くなかった。
 以前、エリィに言ったことでもあるが、交渉するということは互いに提示できるメリットがなければ意味がない。

「現状では無理だな」

 ただ働きはしない。それが猟兵のポリシーであり、リィンが自分に課しているルールでもあった。
 身内の頼みなら考えるくらいはするが、そもそもエリィたちにはそこまでしてやる義理はない。
 ――と、普段なら問答無用で断るところだが、少し落ち込んだ様子のリーシャを見て、リィンは仕方ないかと言った様子で溜め息を吐く。
 リーシャは〈暁の旅団〉のメンバーだ。言ってみれば家族も同然。そんな彼女の頼みを頭ごなしに否定することはリィンには出来なかった。
 それにエリィには、どのみちやってもらいたいことがある。

「現状では、と言ったんだ。会って話をするくらいはしてやるよ」
「本当ですか!?」
「ああ、もっとも――」

 すべてはエリィ次第だ、とリィンはリーシャに答えた。


  ◆


「ああっ、もう! また逃げられた!」

 一方で、エマとアリサの追いかけっこは未だに続いていた。半ばムキになって追い掛けるアリサ。そして、そんなアリサから逃げるエマ。既にリィンは見切りを付け、フィーも呆れた様子で二人のやり取りを眺めている始末だった。
 アリサがカレイジャスへの出向を決めたのは、リィンのこともあるが逃げるエマを捕まえるためというのがあった。同じ船で働くことになれば、嫌でも顔を合わせることになるはずだと考えたからだ。
 しかしカレイジャスは広い。そこに加えて魔術やアーティファクトを駆使して逃げられたのでは、一般人のアリサに捕まえられるはずもない。実際、本気でエマが隠れることに徹した場合、フィーやリーシャでも見つけることは困難なのだ。

「いい加減、捕まってあげたら?」

 アーティファクトで姿を消していたのに背後から声を掛けられ、エマは驚いた様子で振り返る。
 すると、そこには手を頭の後ろで組んだシャーリィがいた。

「……どうして、ここにいると分かったんですか?」
「なんとなく? それにそれ何度も目にしてるしね」

 普通は勘のようなもので分かるはずもないのだが、相手がシャーリィだとエマも納得するしかなかった。
 騎神の起動者に選ばれた時点で、それなりに高い感応力を持っていることは間違いない。リィンほどではないにしても異能に対する感覚が鋭いということだ。特にシャーリィは野生の獣のように勘が働く。
 観念した様子でアーティファクトを解除し、エマは姿を見える。アリサはともかく、シャーリィ相手に隠れるのは無駄と判断してのことだった。

「エマはなんで逃げてるの?」
「また、それですか……顔を合わせる資格が私にはないからです」
「それってエマの思い込みじゃないの?」
「私は彼女たちを騙していたんですよ!?」

 シャーリィの何気ない言葉に、感情を剥き出しにしてエマは反発する。というのも、彼女は自分が思っている以上に焦っていた。
 正直なところアリサがここまでするとは、エマも予想外だった。顔を合わせないように避けていれば、そのうち諦めるだろうと考えていたのだ。
 それがまさかラインフォルトからの出向というカタチで船に乗り込み、毎日のように追い回されるハメになるとはエマも思ってはいなかった。

「なら、どうしてそんな顔をしてんの?」

 悲しみと困惑、様々な感情が入り乱れ、エマは自分でも気付かないほど酷い顔をしていた。
 顔に手を当て、唇をキュッと噛むエマ。シャーリィの言うように、アリサから逃げたところでどうにもならないことはエマにもわかっていた。
 しかし、簡単に過去のことと割り切れるほどにエマは強くなかった。
 だから迷う。アリサと顔を合わせることで、魔女の使命に生きると決めた覚悟が鈍ることを恐れたのだ。

「ま、いいけどね。仕事に支障をきたさないなら――」

 そう言って甲板から飛び降りると、顔を伏せるエマを残し、街中へとシャーリィは姿を消した。


  ◆


「飯を食ってないんだって?」
「あ……」

 机の上に置かれた手付かずの食事を目にしながら、リィンはエリィに声を掛ける。
 声に誘われるように顔を上げたエリィは、あれから三日しか経っていないというのに別人のようにやつれた顔をしていた。
 これではリーシャが心配をするのも無理はない、とリィンは溜め息を吐く。

「たくっ、メンタル弱すぎだろ。そんなのでよくキーアを助けるとか言えたものだな」
「あなたに何が分かるんですか……」
「分からないさ。負け犬の気持ちなんかな」

 病人に鞭を打つような真似だが、最初からリィンはエリィに優しい言葉を掛けるつもりはなかった。
 これで潰れてしまうようなら、そこまでということだ。どちらにせよ、クロスベルを解放することもキーアを救うことも叶わないだろう。

「前に俺が言ったことを覚えているか?」
「私では交渉するに値しないと……」
「その後だ。仕事の話があると言っただろ?」

 どうやら覚えていたようで、リィンの言葉にエリィは頷く。

「単刀直入に聞く。お前は協力を求める代わりに何を差し出せる?」
「出来ることならどんなことでも……命を差し出せというのなら、私は――」
「本気で言っているのか? お前一人の命で釣り合いが取れるはずもないだろ」

 どちらにせよ、クロスベルとは一戦を交えるつもりでいるが、だからと言って団員の命とエリィ一人の命が釣り合うはずもないとリィンは考える。猟兵が多額のミラを要求するのは、自分たちの命を交渉のテーブルに載せているからだ。
 とはいえ、身一つで帝国に協力者を求めてやってきたエリィに、最高クラスの猟兵団を雇えるだけのミラが支払えるはずもない。
 アルフィンがリィンを雇用するのに支払った金額は軽く十億ミラを超える。小さな都市の税収にも値する金額だ。

「じゃあ、質問を変えよう。お前等、クロスベルを解放した後のことを考えているのか?」
「え……」

 思いもしなかった質問をされ、エリィは戸惑いの表情を見せる。

「クロイス家の支配からクロスベルを解放し、キーアを救いだせたとしても待っているのは帝国もしくは共和国による支配だ。支配者が変わるだけで現実は何も変わらない。いや、それどころか前よりも酷い扱いを受ける可能性の方が高いだろうな」

 クロスベルはやり過ぎた。帝国や共和国が以前のようにクロスベルの自治を容認するとは思えない。すべての問題が片付いたとしても高い確率で大国に占領され、どちらかの国に併呑されるであろうことが予想できる。それでも、エリィたちはクロイス家による支配と秩序を受け入れることは出来なかった。その理由として一番に挙がるのは、やはりキーアの存在だろう。
 幼い少女を犠牲にして、その上で成り立つ平和と独立なんて間違っている。ましてや、クロイス家のしたことは乗っ取りと同じだ。適切なプロセスを踏まず、だまし討ちのような真似をして反発する議員たちを監禁し、彼等が行っていることは独裁政治と変わりがない。エリィたちが納得していないのは、ようはそういう部分であることをリィンは理解していた。
 しかしそのことを考慮しても、エリィたちの行動は些か短絡的すぎるとリィンは考える。

「キーアを助けたいって気持ちは百歩譲って理解できるとして、クロスベルを解放してどうなる? お前等のやろうとしていることは、現状に満足している人々からすれば余計なお世話かもしれない」
「私たちはそんなつもりじゃ――」
「つもりではなくても、周囲から見れば別だ。ようするにクロスベルの現体制が気に食わないから、革命に協力しろと言っているようなものだと理解しているのか?」

 現体制の統治に満足している人々から見れば、エリィたちのやろうとしていることは反逆行為に他ならない。言ってみれば、テロリストと同じ扱いだ。
 まだエリィたちに戦後の展望があるのであれば、リィンも理解を少しは示すことが出来た。だが、エリィの言葉からは目先のことばかりで、その先が見えて来ない。

「勝てば官軍、負ければ賊軍と言ってな。お前等は負けたからテロリスト扱いだ。実際にヘンリー・マクダエルを始め、何人かはオルキスタワーの襲撃容疑で指名手配されてるのが現状だろ?」
「なら……このまま黙って見ていろと?」
「そうだ」

 縋るような目で尋ねてくるエリィに、リィンはきっぱりと答える。
 そして反論できない様子で俯いたまま話を聞くエリィに、リィンは更に言葉を続けた。

「記者会見での俺の言葉を覚えているか? 戦う意志のない者、命が惜しい者は何もするな。ただ、すべてが終わるのを黙って見ていろ――俺はそう言ったはずだ」

 エリィに命を懸ける覚悟がないとは言わない。しかし、いまの彼女に背中を預けたいとは思わなかった。
 というのも、戦場では強敵よりも足手纏いの味方の方が厄介なことをリィンはよく知っているからだ。
 だからこそ尋ねる。エリィに、そこまでの覚悟があるのかどうかを――

「それでも関わりたいと言うのなら覚悟を決めろ。犠牲をださずに目的を遂げようなんて甘い考えは捨てろ。お前等の行動はクロスベルの人々からすれば、平和を乱す行為に他ならないということを理解しろ」

 厳しい現実を突きつけられ、エリィは手が白くなるほど拳を強く握り締める。
 しかし、彼女もバカではない。ここまで言われれば、どうしてリィンが交渉に応じなかったのか、何を危惧しているのかは理解できた。

「覚悟を決めたら、力を貸して頂けるんですか?」
「俺たちは猟兵だ。こちらが望む報酬を用意できるならな」

 猟兵が求めるもの。普通に考えれば金と考えるのが自然だろう。
 だが一流の猟兵団を雇えるだけの金をエリィが持っていないことは、リィンも理解しているはずだ。

「……その報酬と言うのは?」
「この先、クロスベルがどこの国にも属さず独立を維持することは不可能だ。だが独立が認められなくとも、大国の庇護の下で一定の自治を任されることは難しい話じゃない。実際、ジュライ特区のような例もある。それを俺が帝国に呑ませてやる」

 報酬のことを尋ねれば返ってきた言葉にエリィは驚く。
 リィンの言っていることが実現すれば、確かにクロスベルにとって悪い話ではない。そもそもの問題は対立する二つの国が、それぞれクロスベルの宗主国として君臨していることにあった。帝国領に併合されることに変わりはないが、経済特区としてジュライのように自治を委ねてもらえるのであれば、以前よりも状況は大きく改善される可能性は高い。問題は帝国政府がそれを了承するかどうかと、共和国が黙ってはいないだろうということだ。口にするほど容易いことではない。しかしリィンならもしかしたら、とエリィは考える。
 実際、リィンはアルフィンとの関係が深く、帝国政府や軍にも顔が利く。交渉次第では帝国にその条件を呑ませることが可能だろう。共和国に対しても実際にクロスベルへ侵攻してくる軍を退けた実績がある。帝国だけでなく〈暁の旅団〉が味方してくれるのであれば、それは大きな抑止力となる。共和国もおいそれと手を出せなくなる可能性が高いとエリィは踏んだ。しかし、そうなると尚更リィンの求める報酬の内容が気になった。
 自分一人が身を差しだしたところで釣り合わないことは、さすがのエリィにも理解できたからだ。

「代わりにクロスベルには、俺たちのスポンサーになってもらう」

 クロスベルの一件が片付けば、リィンは帝国を離れるつもりでいた。アルフィンとの契約もそこで一先ず終了するからというのもあるが、必要以上に帝国の事情に振り回されるのを避けるためでもあった。
 クロスベルという脅威を認識している間はいいが、平和になって余裕が生まれてくれば、よからぬ考えを起こす輩がでてくる。そのまま帝国に残る選択を取れば、政府や軍との間にも大きな軋轢を生むことになるだろう。そうして間に立たされるのはアルフィンだ。リィンはそうなることを望んではいなかった。
 だが、問題は次の仕事先だった。王侯貴族や企業に雇われる猟兵団が多いのは、団の維持にそれだけの金が掛かるからだ。アルフィンとの関係を考えれば、共和国に雇われるというのは論外。しかし共和国を除けば、帝国と事を構える覚悟を持った勢力などいないと言っていい。そこでリィンが目を付けたのはクロスベルだった。
 どちらにせよ、クロスベルの現体制を潰すことになるのなら、自分たちに都合が良いように条件を呑ませ、新たな秩序を築いてしまおうと考えたのだ。
 しかし、それを実現するには一つ問題があった。エリィの覚悟と意志だ。

「エリィ・マクダエル。お前には革命の御旗になってもらう。それが協力する条件だ」



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