グランセルには七耀教会の大聖堂や各国の大使館を始め、毎年のように武闘大会が開かれている王立競技場や、建国から千年を超える歴史を持つリベールならではの貴重な遺物や資料が数多く収められている歴史博物館など、文化的・政治的に重要な施設が集中している。なかでも街の北にそびえ立つ白亜の城〈グランセル城〉はリベールを象徴する建造物で、王都を立ち寄った旅人が必ずと言っていいほど訪れる観光の目玉ともされていた。そんな歴史の重みを感じさせる荘厳な城に招待されたリィンたちは、女王と謁見をするためユリアの案内で城の奧にある女王宮を目指していた。
 本来であれば一般には開放されていないエリアだが、今回のように他国から賓客を招く際には使用されることがある。それにリィンとの非公式の会談も予定しているため、情報の秘匿性を考え、女王宮に案内されたと言う訳だ。エリゼたち付き添いの者はクローディアの主催するお茶会に誘われ、謁見の間にはアルフィンとリィンの二人が呼ばれることになった。
 謁見の間へと続く重厚な扉の前まで辿り着くと、腰の武器をユリアに預け、アルフィンに付き従うカタチでリィンは足を進める。紅い絨毯が敷き詰められた道をまっすぐに進むと、その先にこの城の主にしてリィンたちをリベールへ呼び寄せた件の人物がいた。
 どこかクローディアに似た面影を感じる白髪の女性。玉座に腰掛ける彼女こそ、リベールの女王アリシア・フォン・アウスレーゼだ。
 アルフィンがスカートの裾を持ち、スッと頭を下げるのを見て、リィンも一緒に頭を下げる。

「本日はお招き頂きまして、ありがとうございます。エレボニア帝国皇女、アルフィン・ライゼ・アルノールです」
「丁寧な挨拶、痛み入ります。リベール王国二十六代女王、アリシア・フォン・アウスレーゼです。遠いところをようこそお越しくださいました。どうか楽になさってください。お願いをして来て頂いたのは、こちらの方なのですから……」

 帝国から足を運んだアルフィンとリィンに、アリシア二世は労いの言葉を掛ける。その柔らかな物腰からは権力者特有の傲慢な感じを受けない。女王と言う割には、どこか気さくな感じで嫌味のない人物だとリィンはアリシア二世を評価した。
 ただ油断のならない相手であることは間違いない。そしてアリシア二世の隣に控える人物にもリィンは眼を光らせる。深緑の軍服に身を包み、口元に髭を生やした中年の男性。隙のない佇まいで、試すような視線を先程からリィンに男は向けていた。〈光の剣匠〉と対峙しているかのような緊張感に襲われ、リィンは目の前の人物が誰かを確信する。
 彼こそ、リベールの英雄。元S級遊撃士のカシウス・ブライトだった。

「カシウス准将」

 嗜めるような声で、アリシア二世はカシウスに声を掛ける。リィンとカシウス、二人の間に漂う不穏な気配を察してのことだろう。
 さすがに大国を相手に一歩も退くことなく、国難を乗り越えてきた老練の女王だけある。武の世界には縁遠いはずなのに僅かな空気の違いを感じ取るとは、やはり侮れない人物だとリィンは思った。

「失礼をしました。リィン・クラウゼル殿」
「リィンで構いません、女王陛下。それにお互い本気ではありませんでしたので」

 そう、本気ではなかった。ただ互いの実力がどの程度のものか軽く確かめただけだ。

(食えない、おっさんだな。一番、敵に回したくないタイプだ)

 リィンはカシウスを底知れない人物だと評価した。恐らく戦闘力だけで言えばヴィクターの方が上だろうが、何をするか分からない得体の知れなさは、これまでに対峙してきたどんな強敵よりも厄介だとリィンは考える。戦えば勝てない相手ではないと思いながらも、剣を交えたいとは思わない相手だった。
 しかし驚いているのは、カシウスも同じだった。本気ではなかったとはいえ、リィンにだけ殺気を飛ばして見れば、それを眼力だけで軽々とはね除けられたのだ。更には一国の女王を前にしても物怖じした様子を見せていないことからカシウスは密かに感嘆していた。
 先の記者会見の様子からも、リィンが只者でないことは理解していた。しかし、それでも見積もりが甘かったとカシウスはリィンの評価を上方修正する。
 並の人物では相手が務まらないだろうと考え、迎えにだしたユリアには悪いことをしたと思いつつカシウスは頭を下げた。

「先程は失礼をした。王国軍所属、カシウス・ブライトだ。一応、それなりの役職に就かせてもらってはいるが、貴殿は王国の人間でもないしな。気軽にカシウスと呼んで欲しい」
「〈暁の旅団〉団長、リィン・クラウゼルだ。俺のこともリィンでいい」


  ◆


 リィンがアリシア二世と謁見をしている頃、エリィはカレイジャスに残り、リィンに勉強しておけと渡された大量のファイルに目を通していた。それは内戦時からリィンが密かに集めていた情報をまとめたファイルだ。先の内戦のレポートだけでなく、軍が秘匿する騎神や起動者に関する情報。帝国の情勢だけでなくクロスベルを含めた周辺諸国の経済や内政、昨今起きた事件に至るまで事細かにまとめられていた。
 クレアやトヴァルの協力を得て収集した情報も含まれているため、その精度はかなり高い。正直、自分は何をしていたのかと思うほどの情報量にエリィは驚かされ、協力を持ち掛けた相手の強大さを実感していた。
 これでは、まともに交渉に応じてもらえなかったのも無理はないとエリィは思う。

「そろそろ手を休めて夕食にしませんか? シャロンさんが温かいシチューを届けてくれました」

 声に反応してエリィが顔を上げると、料理を載せたトレーを手にしたリーシャが扉の前に立っていた。
 あれから軟禁生活を強いられているエリィではあるが、自由に外出が出来ないという以外では特に不自由はなかった。ちょっとしたものであれば頼めば取り寄せてくれる上、食事はきっちりと三食がでる。さすがに風呂はないものの部屋にはシャワーやトイレも完備されており、船の中とは思えないほど快適な生活が送れていた。そんななかでもリーシャの存在はエリィにとって特別だった。
 最初は凡そ半年振りの再会とあって何を話していいか分からず、ぎこちなくしていた二人ではあったが、いまではすっかり打ち解けていた。お互いにこの半年なにがあったのか、包み隠さず打ち明けたことが良い結果に繋がったのだろう。

「この資料を目にしていると、猟兵に対する認識が改められそうよ……」
「命懸けですから、それだけ真剣なのだと思います」

 エリィの言葉に苦笑しながらリーシャは答える。猟兵など荒くれ者の集まりという偏見でものを言う人が多いが、実際には考えなしで行動するような愚か者は早死にすることが多い。だからこそ一流の猟兵は情報収集に余念がない。それは暗殺者も同じだ。基本的に命懸けの仕事である以上、下調べの重要性はリーシャもよく理解していた。
 特にリィンの場合、団員たちの命を預かる立場にいる。それだけに準備に余念がないのだろうと推察できる。それに丁寧にまとめられた資料を見ても、随分と昔から続けてきたことが窺えた。最初から、この事態を予想して動いていたと言うことだ。そのことからリィンの古巣である〈西風の旅団〉が高い任務達成率を誇り、西ゼムリア大陸最強の猟兵団と呼ばれていた理由の一端をエリィは垣間見た気がした。
 それはシャーリィの古巣〈赤い星座〉も同じだ。各地に構える拠点で高級クラブの経営などを行っているのは一般社会に溶け込むためというのも理由にあるが、やはり情報収集を目的としている部分が大きかった。

「命を奪う仕事をしているから、誰よりも命の価値を知っている。それが猟兵(かれ)らの強さの秘密なのね」

 リィンの強さの一端に触れ、エリィはまた一つ猟兵に対する理解を深める。
 法と秩序。市民の命を守る立場にいる警察官と、猟兵は相容れない存在だと以前は思っていた。しかし無法者に見える彼等にも信念があった。
 そのことを考えれば、大切にするもの守るべきものが違うだけで、自分たちも猟兵も大きな違いはないのだとエリィは気付かされた。
 すべての結果には表と裏がある。猟兵が人々の命を脅かし平和を乱すのではない。
 争いの絶えない社会そのものに、諍いを招く人の心の弱さに原因があるのだ。

 ――世の中には、真っ当な人間には想像も付かない事情だってある。他人が口を出せることじゃねえ。

 以前、とある少女の境遇に同情して余計なお節介をしようとしたエリィを諭すため、ランディが口にした言葉がそれだ。
 いま思えば、確かにその言葉の通りだとエリィは思う。どれだけ自分の考えが甘く、優しい世界で生きてきたのかと実感させられる言葉だった。
 そして恐らくリーシャも、そうした厳しい世界で生きてきたのだろうとエリィは考え、少しだけ寂しくなった。
 しかし同情されることを、きっとリーシャは望んでいない。それはリィンを見ていればよく分かる。ここリベールでは猟兵の運用が禁止されているが、帝国や共和国では猟兵の活躍なしに治安を保つことが出来ない紛争地域も少なくない。命を奪うことで守られる命もある。それを実践しているのが、彼等なのだろうとエリィは思った。

「だから、あなたは〈暁の旅団(ここ)〉にいるのね」

 リーシャがクロスベルを去ったのは、正体が知られたからだと思っていた。しかし、それだけが理由ではないことにエリィは気付く。
 誰一人、リーシャのことを本当の意味で理解しようとはしなかった。リーシャが〈銀〉だと知った時、どうして彼女がという感情ばかりが先行して理由を考えず、無意識に〈銀〉である彼女を否定していたのだ。
 暗殺なんてよくない。そう考えるのは裏の世界を知らない常識的な一般人であれば、誰もが持つ考えだ。しかし、それではいけなかった。
 恐らくリィンはリーシャの過去を理解した上で、彼女のすべてを受け入れたのだろうとエリィは思う。だからリーシャはここにいる。
 正直に言えば、少し悔しい。リーシャの悩みを理解してあげられなかった自分が情けなかった。

「……はい。すべてが片付いたら、イリアさんやお世話になった皆さんに会いに行くつもりです。そして心配を掛けたことを謝りたい。ようやく自分らしく生きられる場所を見つけられたことを報告したいと思っています」

 そんなリーシャの決意を聞き、エリィは微笑みを返す。
 事情を知れば、きっとクロスベルにいる皆もわかってくれるはずだ。ただ――

(彼は大変でしょうけど……)

 そんな報告をリーシャがすれば、きっとあらぬ誤解を生むに違いない。
 リィンのことをイリアが知れば一悶着ありそうだとエリィは思いながら、少しだけ胸が空くのを感じた。


  ◆


 王都の東の外れにあるグランセル大聖堂。リベールにおける七耀教会の最重要施設と言ってもいい。というのも、この教会の地下には以前リィンも口にしていたアルテリア法国にある〈始まりの地〉のレプリカが存在するからだ。リベール王国との盟約によって遥か大昔に造られたものだ。主にアーティファクトの封印や管理に使用される場所だが、そんな重要な場所を教会から任され管理する人物こそカラント大司教だった。
 教会内だけでなく周辺諸国にも名の知れた徳の高い人物で、女王からの信頼も厚く、王都の民を始めとした大勢の人々に慕われている人格者だ。
 そんな彼のもとを訪ねる一人のシスターがいた。星杯騎士団に所属する従騎士ロジーヌだ。

「ご無沙汰しています。カラント大司教」
「うむ。壮健そうで何よりだ。キミがシスターの見習いをしていた頃からだから三年振りくらいか。しかし、今日は突然どうしたのかね? いまは確か、ライサンダー卿の下で任務に就いているのでは?」
「はい。そのことですが、現在〈紅き翼〉が王都に来ているのはご存じですか?」
「〈紅き翼〉というと例の猟兵団の……まさか……」
「はい。私は今、その船に乗っています。ライサンダー卿の指示で」

 ロジーヌの話に、カラント大司教は驚いた様子を見せる。無理もない話だった。
 帝国の皇女お抱えの猟兵団とはいえ、猟兵の船に教会のシスターが同乗するなど例のないことだ。
 ましてや彼女は騎士団に所属する従騎士。それも副長のトマスと行動を共にする優秀な騎士だ。だとすれば、これも任務の内なのだろうとカラント大司教は察する。かなり複雑な事情があると考えた。

「ふむ……上も何を考えているのか」
「それだけ彼≠フ存在を脅威と捉えているのでしょう。十三番目に迎えるべきという案や、早い内に処分すべきとする案もあるほどなので」
「なるほど……それほどの実力者ということか。では、ライサンダー卿の考えは?」
「騎士団としては彼と敵対すべきではないと考えています。ですが……」
「保険は必要か。そのためにキミが船に乗っていると?」
「はい」

 その話からロジーヌがカレイジャスに同乗している理由をカラント大司教は察する。
 謂わばロジーヌは教会が派遣したリィンの協力者であり監視役でもあると言うことだ。そしてロジーヌを船に派遣することで、二体の騎神を教会の監視下におきたいと考えているのだろう。
 最悪の場合、起動者を抹殺して騎神を回収する程度のことは考えている可能性が高い。女神の秘蹟の管理を担い、騎士団を運用する封聖省とは、そういう非情な一面を持った組織であることをカラント大司教はよく知っていた。

「それで今日ここには、どのような用があって来たのかね? 出来ることであれば協力はするが……」
「では一つだけ。グラハム卿が最近こちらに立ち寄られたと思いますが、どちらにいらっしゃるかご存じではありませんか?」
「確かに彼なら十日ほど前に訪ねてきたが、何やら訳ありのようだね。事情を話してくれないか?」

 カラント大司教は確かに教会の人間ではあるが、封聖省の人間というわけではない。どのような組織にも後ろ暗い一面があることを理解しているが、封聖省の行き過ぎたやり方には納得していない部分があった。
 とはいえ、組織の人間であることに違いはない。上の命令とあれば従う他ないが、出来れば理由を話して欲しい。
 それはこの国に住む一人の民として、リベールを愛するが故のカラント大司教の望みでもあった。
 そんなカラント大司教の気持ちを察して、ロジーヌは観念した様子で口を開く。

「……人形として生を受けた一人の少女を救うため、グラハム卿の力をお借りしたいのです」

 そう言って深々と頭を下げるロジーヌ。アルティナは現在、エマの魔術によって一時的に感応力を抑える暗示が施されているが、その所為で〈クラウ=ソラス〉とのリンクを断たれ、精神的に少し不安定な状態にある。アルフィンが彼女を今回の旅に同行させたのも、そのことを危惧し、気を紛らわせる一助になればと考えたからだ。
 魔女の魔術では難しいことでも、教会の秘術を用いればアルティナをクロイス家の呪縛から解き放つことが可能かもしれない。そう考えたリィンは、そのことをロジーヌに相談していた。
 だが、これはリィンに協力を求められたからではなく、ただ一人の少女を救いたいというロジーヌの願いでもあった。



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