「はい。そうですか……いえ、こちらこそ申し訳ありません。もっと早くに連絡をしておくべきでした」

 部屋に備え付けられた導力通信機で、クローディアは王都にあるギルドの支部へ連絡を取っていた。通信にでたのは受付のエルナンという男性だ。
 レンのことを報せておこうと思いギルドに連絡をしたのだが、タイミングが悪かったようでエステルやヨシュアとは入れ違いになってしまった。
 恐縮するエルナンに謝罪をするクローディア。リィンたちの応対を優先して連絡が後回しになってしまったことで、ギルドには余計な手間を掛けてしまったと反省していた。
 それにエステルやヨシュアもレンのことを心配しているに違いないと思うと、もっと早くに連絡すべきだったと後悔する。
 とはいえ、それを言ったところで後の祭りだ。エルナンに伝言を頼むとクローディアは受話器を置き、深い溜め息を漏らした。

「申し訳ありません。もっと私が気を利かせていれば……」
「ユリアさんは悪くありません。皇女殿下の案内をお任せしたのは私なのですから」

 相手が相手だけにユリアには、いつも以上に心労を掛けていることをクローディアは察していた。
 だから自分から率先して、エリゼたちの接待を申し出たのだ。もっともリィンのことをもっとよく知るため、彼女たちと話をしておきたかったというのも理由にあった。
 そのことから彼女たちが心の底からリィンのことを信頼し、慕っているということがよく分かった。これはクローディアがこれまで抱いていた猟兵のイメージを大きく変えるのに十分な収穫だった。
 リィンのことは『R&Aリサーチ』と呼ばれる元情報局の人間が立ち上げた民間調査会社を通し、可能な限りの情報を集め、クローディアも当然すべての資料に目を通していた。そこから伝わってくる過酷なまでの生い立ちと華々しい戦果は、さすがに最強の名を継ぐ猟兵と恐れられるだけの人物だと思っていたのだ。
 そうした先入観があったため、余計にレンとリィンが向かい合っているのを見て、止めなければと言った気持ちが先行したのだろう。
 正直に言えば、最初はリィンが怖かった。自分でも緊張が理解できるほどに気負っていた。
 しかし、リィンのことを知れば知るほどに分からなくなる。どちらが本当の彼なのかと――

「ユリアさん。率直に言って、あの方にどのような印象を受けましたか?」

 思いもしなかったクローディアの質問に、少し困った表情を見せるユリア。正直なところリィンに関してはユリアも判断に迷っていた。
 自分よりも実力的に遥か格上であることは間違いない。いや、恐らく彼に太刀打ち出来る人物となると、この国にはカシウス以外にいないだろうとさえユリアは感じていた。
 軍人として仕えるべき主にそのことを伝えるのは情けないことだが、クローディアが聞きたいのは建て前ではなく本音の部分だろうと思い、ユリアは正直に自分の考えを伝える。

「見た目や年齢で判断するのは危険だと感じました。恐らくは准将と同格か、それ以上の怪物と考えて行動された方がいいかと」
「それほど……ですか」

 英雄カシウスの存在は重い。彼は王国が保有する最大の抑止力でもあると言われている。実際、カシウス・ブライトがいなければ百日戦役で王国は帝国に占領されていた可能性が高い、と誰もが口を揃えて言うほどの戦果を彼は上げていた。
 特にユリアはカシウスから剣を学び、彼のことをよく知る人物の一人だ。そんなユリアがカシウスと同格か、それ以上かもしれないと口にするリィンとは、まさに怪物と呼んで相違なかった。

「……話をしてみるしかなさそうですね」

 ユリアの判断を疑っているわけではない。しかしリィンのことを本当の意味で知るには、もっと彼と話をしてみるしかないとクローディアは考えた。
 本音で言えば、まだ少しリィンのことを警戒している。怖いと言うよりは不安の方が大きかった。それでもクローディアは王太女だ。いつかはアリシア二世の後を継ぎ、この国の女王となる立場にいる。だからこそ周りの印象や声に流されるのではなく、自分の目で見て耳で聞き、判断をしておきたかった。
 王国を取り巻く状況は日々変化している。いや、王国だけの問題ではない。ゼムリア大陸の行く末を左右する大きな出来事が起きようとしているのだ。時代が何処へ向かおうとしているのかを知るために、リィンのことをもっとよく知っておきたい。クローディアはそう考えていた。


  ◆


 頭にティアラを付け、純白のドレスに身を包んだクローディアが会場となっている庭園に到着すると、既に宴は始まっていた。
 リィンとの会談は非公式なものだが、表向きはアルフィンを国賓として招待したことになっている以上、それなりの晩餐会を催す必要がある。そのため会場には、アリシア二世の呼び掛けに応じ集まった各国の大使や、街の有力者たちの姿があった。
 大勢の人々に囲まれるアルフィンや祖母を見て、先に各国の大使と挨拶を交わすとクローディアは目的の人物を捜して会場を見渡す。すると料理のテーブルが並ぶ角の席にリィンとレンの姿を見つけ、クローディアは意を決して歩みを進めた。

「ふふん、またレンの勝ちね」
「……イカサマしてるんじゃないだろうな?」
「そんなことするわけないでしょ。カードをすべて記憶しているだけよ」

 声を掛けようとしたところで、カード遊びに興じるリィンとレンを見て、クローディアは驚いた様子を見せる。あれから何があったのか、すっかりと二人は打ち解けていた。
 レンがこんなにも楽しそうにしているところを見るのは、クローディアも初めてだった。エステルでさえ、レンと心を通わせるのに一年以上の時を要したのだ。以前に比べればレンも丸くなったとはいえ、簡単に心を開くような子でないことはクローディアもよく知っている。実際、彼女も苦労させられたのだ。それだけに、一体どんな魔法を使ったのかと疑問に思うのは当然のことだった。

「これは王太女殿下。本日はお招き、ありがとうございます」

 そんな放心するクローディアに気付き、先に挨拶を口にしたのはリィンの方だった。
 想像もしなかった丁寧な挨拶にクローディアは出端を挫かれ、一瞬誰かと目を疑ってしまう。それに登城の時に着ていたラフな格好と違い、黒いスーツでビシッと決めた姿もなかなかに堂に入っていた。
 いまの姿を見れば、知らない者は彼が猟兵などと思いもしないだろう。

「……あの子たちとも話がしたいし、レンは行くわね。約束、忘れたら許さないから」

 リィンにそう言ってレンはクローディアから逃げるように、ミリアムやアルティナたちのもとへ走り去ってしまった。
 そんなレンの背中を見送り、どこか寂しげな表情を浮かべるクローディア。すっかりリィンとは打ち解けているのに、自分にはいつまでたっても心を許してくれないことが少しだけ寂しいと言った様子だった。

「それで、どうされましたか? 皇女殿下に話があるのなら、お呼び致しますが――」
「えっと……普段通りに接してくださって大丈夫ですよ?」
「お、そうか? いや、アルフィンが礼儀作法に五月蠅くてな」

 せめて人目があるところでは言葉に気を遣って欲しい、とアルフィンから口が酸っぱくなるほど言われていただけに、リィンなりに気を付けていたつもりなのだが、どうにもクローディアの反応を見る限りでは不評なようだと態度を改める。
 実際、フィーに「悪いものでも食べた?」と厳しいツッコミを受けたばかりなだけに、リィンからすればクローディアがそう言ってくれるのであれば渡りに船だった。

「親しい友人はクローゼと呼ぶので、もしよろしければそう呼んで頂ければと……」
「そうか。じゃあ、クローゼ。俺のこともリィンでいい」

 幾らクローディアが許したとは言っても、分を弁えないリィンの態度に参加者のなかには眉をひそめる者もいた。
 しかし仮にも、女王が招いた客を非難するような真似が出来るはずもなく、他にもルーレでの会見を知る者は面倒事に巻き込まれるのを恐れ、遠巻きに眺めるだけに留まっていた。
 そんな空気を察してか、クローディアは不安と悲しみが入り混じった複雑な視線をリィンに向ける。

「ふむ……」

 クローディアの視線に気付き、リィンはどうしたものかと迷う。
 正直なところ周りにどう思われているかなど、まったく気にしていないのだが、こんな風に見詰められると居心地が悪かった。

「食うか?」
「え、はい。ありがとうございます」

 悩んだ末、リィンは料理を載せた取り皿をクローディアに差し出す。
 思わず皿を受け取ったものの、リィンの意図がよく分からずクローディアは呆然とする。

「理解できないことは不安か?」
「え……」
「そういう目を向けられることには慣れているからな。大体なにを悩んでるかは分かる」

 いまのクローディアは出会った頃のアルフィンとよく似た目をしていた。それだけにクローディアの考えは手に取るように分かる。
 アルフィンのように余計な心配をして、勝手に不安を抱えているのだろうとリィンは察した。
 それは猟兵という生き物が、どういう存在かを正しく理解していないからとも言える。

猟兵(オレ)たちもよく宴会をするんだがな。たぶん、いまも酒場でどんちゃかやってるところだろう」
「……なんだか、楽しそうですね。少しだけ羨ましく思います」

 学生時代のことを思い出しながら、クローディアはリィンの話に相槌を打つ。
 どれだけ煌びやかで、美味しい料理が並んでいても、形式張ったパーティーでは心の底から楽しむことは出来ない。
 王太女になるということがどういうことか覚悟を決めていたこととはいえ、そうした毎日が息苦しく感じることも少なくなかった。
 それだけに一見すると自由に見えるリィンの生き方が羨ましく思えるのだろう。だが、

「食える時に食って、飲める時に飲んで、バカみたいに騒ぐ。何故だか分かるか?」
「……いつ死ぬかもしれない仕事をしているからですか?」

 隣の芝生は青いという言葉もあるように、どれだけ楽しそうに見える世界にも表と裏がある。
 猟兵は確かに自由かもしれないが、同時に危険の付き纏う仕事だ。それに定職について働いている人たちと比べれば、安定した収入があるわけでもない。
 さっきクローディアは、猟兵の宴が楽しそうで羨ましいと言ったが、その言葉の裏に隠された意味には気付かなかった。
 だから、そんなクローディアの勘違いを諭すために、敢えてリィンはこの話を振ったのだ。

「後悔を残さないため、というのは確かにある。だが、それ以上に俺たちは湿っぽいのが苦手だからな」
「あ……」

 ようやくリィンが何を言わんとしているのか、その意味を悟り、クローディアは悲しげな表情を浮かべる。

「敵も味方も関係ない。この命は戦場で死んでいった誰かの命によって繋がれている。だから食って騒いで、死んでいった奴等の分まで生きている証を残す。それが俺たちに出来る唯一のことだからだ」

 命懸けの仕事であることは確かだが、猟兵をしている時点でその覚悟は出来ている。
 猟兵とは命を繋ぐために命を奪うことでしか結果を残せない。そんな碌でなしの集まりなのだと彼等は理解していた。
 だが裏の世界に身を置く者の大半は、先のことを考え、生きている人間なんて少ない。何せ今日を生きることで精一杯なのだから――
 だからこそ、ああすればよかった。こうすればよかった。そんな後悔を残さないために瞬間(いま)を必死に生きる。

「そんな生き方をして辛くはないのですか?」
「考えたこともないな。あれこれと悩んだところで環境が変わるわけでもない。世界は変わらず回ってるんだからな」
「……それは悩むだけ無駄ということですか?」
「そうは言ってない。ただ、自分の境遇を不幸だと悩むより、人生楽しんだ方が得だろ?」

 ニヤリと笑いながらそう話すリィンを見て、クローディアは目を丸くする。

「関わるつもりなら覚悟を決めろ。中途半端な同情や正義感は、自分だけでなく相手も不幸にする。心当たりくらいはあるんじゃないか?」

 ハッと目を瞠るクローディア。リィンの言うように、クローディアは彼に同情していた。
 悪い人には見えない。なのに、どうして人に嫌われてまで猟兵なんて仕事をしているのか?
 もしかしたら、他の生き方があるのではないかと考えたのだ。しかし、それは余計なお世話でしかない。最後まで責任を持てないのであれば、他人の人生に関わるべきではないし、ましてや同情を向けるべきではない。
 そのことはヨシュアの一件で、クローディアもわかっていたはずだった。なのに――

「クロスベルの問題も同じだ。最後まで責任を持てないのなら余計なことを考えるな」
「ですが、それは――」

 リィンの言うことは分かる。しかし戦争が起きるとわかっていて見過ごすことなど出来るはずもなかった。
 百日戦役では多くの犠牲者がでた。クローディアの親友の少女も、戦争で母親を亡くしていた。人間の身勝手で始めた争いが、そうした多くの悲しみを生むことをクローディアは知っている。だからこそ、クロスベルの問題を放置など出来ない。これはリベールの立場や都合だけが理由ではなく、決して譲ることの出来ない彼女の意志でもあった。
 リィンとクローディアの間に微妙な緊張感が漂う。そんな二人の間に割って入ったのは、アルフィンだった。

「リィンさん。周りの目もありますし、そのくらいで。公の場で女性に恥を掻かせるものではありませんよ?」
「あ……いや、待て。別に虐めてたわけじゃなくてだな……」

 確かに場を弁えない発言だったことは自覚がある様子で、リィンは少し後ろめたい表情を浮かべながらアルフィンに言い訳をする。しかし、今更あれこれと取り繕ったところで時は既に遅かった。
 リィンの肩に乗せられる手。嫌な予感がしてリィンが振り返ると、そこにはエリゼがいた。

「……兄様。お話があります」
「ちょっと待て! エリゼ!? 話せば分かる!」

 ドレス姿のエリゼに引っ張られていくリィンを見て、クローディアは呆気に取られる。
 その情けない姿だけを見れば、とてもユリアがカシウス以上の怪物と恐れる青年と同一人物には見えなかった。

「申し訳ありません。何やら失礼なことを言ったみたいで……」
「いえ……悪いのは私の方ですから……」

 アルフィンの丁寧な謝罪に、クローディアは恐縮した様子で首を左右に振る。
 納得の行かない部分はあるが、リィンは何も間違ったことを言っていない。そもそもの原因は自分の至らなさにあるとクローディアは考えていた。だからアルフィンに謝られてしまうと困ってしまう。
 そんなクローディアを見て、アルフィンは苦笑すると彼女の手を握り、

「少し散歩をしませんか?」

 笑顔で、そう誘った。



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