「准将。今朝から難しい顔をされているみたいですが、何かあったのですか?」
「……失敗した」
「は?」

 朝から眉間にしわを寄せながら仕事をしているカシウスを見て、シード中佐は尋ねる。しかし返ってきた思わぬ答えに、一瞬なんのことか分からず溜め息に似た声が漏れた。
 事は昨日の夜に遡る。リィンに言われたからと言うこともあるが、エステルと一度ちゃんと向き合って話をすべきと考えたカシウスは遊撃士協会のツァイス支部に連絡を取り、通信にエステルを呼び出してもらったのだが、

『父さんまで、あいつの肩を持つんだ』
『そうじゃない。視野を広く持てと言っている』
『だからって助けられるかもしれない命を、何もする前から見捨てろって言うの!?』
『違う。遊撃士の本分を忘れるなと言っているだけだ。民間人を守ることがギルドの使命であって戦争に関わることがお前たちの仕事ではない。それは軍や猟兵の仕事だ。すべてを救えるなどと自惚れるな』
『そんなことを聞きたいんじゃない! 殺すとか、殺されるとか――どうして最初から決めつけて諦めちゃうのよ! クロスベルのことだって元は帝国と共和国が悪いんじゃない! なら話し合えば、きっと――』

 そこで口論となった。
 リィンの味方をしたつもりはない。しかし客観的に見て、エステルの方に非があるとは言わないまでも、少し考えを改めさせる必要があるとカシウスは思っていた。このままでは彼女の身が危ういと感じたからだ。
 エステルが人を傷つけること、敵を殺すことに忌避感を抱いていることはカシウスも気付いていた。いや、戦争そのものを憎んでいると言った方が正しいかもしれない。目の前で母親を亡くし、生活を一変させることになった事件――百日戦役。あれはリベールの人々の心に深い傷と闇を背負わせることになった。それはエステルも例外ではない。
 カシウスは軍人だ。国のために敵を殺し、戦うことに迷いがないと言わないまでも覚悟は出来ている。しかし当時のエステルはまだ六歳。母親の死を理解させ、戦争だから納得しろと言うには無理のある年齢だった。
 カシウスでさえ妻レナの死を受け入れ、乗り越えるのには、それなりの時間を要したのだ。
 明るく振る舞うエステルを見て、もう大丈夫だと思っていたが、それは大きな間違いだったとカシウスは気付かされた。

『エステル、わかってくれ。これから起きることは今までとは違う。本物の戦争なんだ』
『戦争だから仕方ないなんて言葉、父さんの口から聞きたくなかった!』

 ようやくカシウスは、エステルの歪さに気付く。彼女が心に抱える闇。それは根深く、矯正の難しいものだと気付かされた。
 エステルは自分の身を顧みない。例え、敵であったとしても彼女は救おうとするだろう。
 それは誰にでも出来ることではないが、同時にエステルの歪さを証明するものでもあった。

「百日戦役の英雄も娘には勝てませんか」
「言ってくれるな。これでも結構堪えてるんだ」

 そして娘をそうしてしまったのは自分だと思い込み、カシウスは落胆していた。
 亡くなった妻にどう弁明をすればいいものかと、本気で頭を抱えたのは久し振りのことだった。
 だが悔やんだところで、どうにかなる話でもない。リィンが珍しく忠告をしてきたのは、そうしたエステルの歪さに気付いていたからだろうとカシウスは察する。
 そのことにリィンが気付くことが出来たのは、彼がエステルの友人でも家族でもない第三者だからだ。
 しかしシード中佐の考えは少し違っていた。

「本当のところは彼女もわかっていると思いますよ。ただ、理解することと納得することは別ですから。准将も若い頃は、かなり無茶をされたのでは?」

 遊撃士となり、多くの事件に関わることでエステルも成長している。エステルを知るシード中佐は、彼女がそのことに気付いていないとは思えなかった。
 ただ理解することと納得することは違う。彼女は若い。そういう意味では時間の解決する問題だとシード中佐は考えていた。

「若気の至りで片付けられれば、こんなに悩んだりはしないんだがな。釘を刺されたよ。敵として立ち塞がるのなら容赦をしないとな」
「……それは手厳しい」

 エステルなら、いつか自分なりの答えをだす。
 そうカシウスも信じて見守るつもりでいたが、急を要する事態になっていた。
 リィンが釘を刺したように、エステルの成長を待っていられる余裕はない。

「本気だと思いますか?」
「正直分からん。だが必要なら、あの男はやる。俺はそう感じた」
「生粋の猟兵と言う訳ですか。先日も出し抜かれたばかりですしね。我々としても頭が痛い」

 カシウスから見てリィンという男は、相手の事情を考慮してくれるような甘い男には思えなかった。
 道理や話の通じる男だとは思うが、猟兵としての本分を忘れるような人物ではない。戦場で敵として出会えば、それが嘗ての仲間であったとしても決して手を抜いたりはしないだろう。ならば、あの忠告は言葉のままに受け取るべきだとカシウスは感じていた。
 いまのままで戦場にでれば、エステルは高い確率で死ぬ。
 そのことにはシード中佐も気付いた様子で、顎に手を当て逡巡すると決断した様子でカシウスに言った。

「わかりました。そういうことなら准将は、お好きになさってください」
「……その意味がわかって言っているのか?」
「ええ。どのみち王国軍は動けませんし、それなら准将には思うように動いてもらった方が我々も助かります」

 テロリストへの警戒で王国軍は動かすことが出来ない。ただでさえ、帝国からもたらされた情報でグノーシスにまで気を配らなくてはいけないのだ。通商会議当日の警備は厳しいものになるだろうと予想が出来た。
 しかし〈暁の旅団〉の動きに対応をするには、それでは不十分だとシード中佐は感じていた。彼等のフットワークの軽さについて行くには軍では足が重すぎる。しかしカシウス一人なら、それも可能なはずだ。
 むしろ軍はカシウス・ブライトが全力≠だすのに足枷となりかねない。
 それに――

「すまない。恩に着る」
「いえ、少し安心しました」
「……何をだ?」
「准将も自分と同じく、子を持つ一人の親なのだと実感できて」

 リベールにとってカシウス・ブライトは欠かすことの出来ない人物だ。
 百日戦役の英雄。数々の国際的難事件を解決へと導いた元S級遊撃士。八葉一刀流を修め、〈理〉へと至った武術の達人。
 そして類い稀な観察眼と鋭い洞察力は大国さえも恐れ、名だたる人物が一目を置くほどだ。
 しかし、そんな英雄でも娘の前では一人の親に過ぎないのだと、シード中佐は親しみを覚え微笑みを漏らす。
 だからこそ考えさせられる。一人の英雄に依存したリベールの現状を――

(英雄と言えど、一人の人間だ。我々がしっかりとしなくてどうする)

 カシウス・ブライトという支えを失えば、リベールは立ち行かなくなる。だが、それではいけない。
 嘗て王都で起きたクーデター騒ぎ。その原因はカシウスに依存し過ぎたリベールの弱さにある。
 同じ過ちを繰り返さないためにも、王国軍は変わらなくてはいけない。
 時代に試されているのはクロスベルだけではない。自分たちもそうなのだと、シード中佐は感じていた。


  ◆


「あのバカ親父……」

 何度もベッドの上で寝返りを打つエステル。
 枕に顔を埋めては昨晩のことを思いだし、カシウスに対する不満や怒りを口にしていた。

「随分と気が立ってるね。また父さんと喧嘩したの?」
「――ッ!?」

 突然、声を掛けられて、バッと身体を起こすエステル。
 その視線の先には、よく見知った黒髪の青年の姿があった。

「ヨシュア? いつ帰ってきたの?」
「遂さっき。ごめん、少し遅くなった」

 エステルに謝りながら荷物を床に下ろすヨシュア。
 調べ物があるからしばらく別行動を取る、と言ってヨシュアがエステルの前から姿を消して一ヶ月が経過していた。
 心配はしていなかった。以前にもこんなことがあったが、ヨシュアは必ず帰ると約束してくれたから――
 でも、いろいろとあって不安を抱えていたエステルは、ヨシュアの姿を見て表情を緩ませる。
 そんなエステルを見て、ヨシュアは頬を掻きながら苦笑すると、まずは彼女が知りたいであろう話を口にした。

「アリオスさんに会ってきたよ。シズクちゃんも無事だって。いまはキリカさんのところに身を寄せているらしい」
「そっか……よかった」

 アリオスのこともそうだが、シズクが無事かどうかをエステルは気にしていた。
 しかしキリカの名前がでたことで、ほっと安堵の息を漏らす。もっともヨシュアは裏の事情まで、ある程度把握していた。
 シズクがアリオスを共和国に縛り付けるための人質だと説明すれば、きっとエステルは心配するだろう。だからこそ言えない。
 これはヨシュアの考えでもあるし、アリオスに釘を刺されたことでもあった。

「エステル、今回の件は僕らの手に余る。先の取り引きでギルドも静観することを決め、〈暁の旅団〉は帝国だけでなく共和国にも根回しを進めてる。彼等は本気だよ。本気でクロスベルと戦争をするつもりでいる」

 その上でヨシュアは調査の結果判明したことを踏まえ、エステルに尋ねる。

「クロスベルにも言い分はあると思う。でも、だからと言ってクロイス家のしたことは許されることじゃない。ディーターさんやマリアベルさんのことを信じたいってエステルの気持ちは分かるけど、ここで禍根を断っておかないと、またレンやティオのような子たちが生まれるかもしれない」

 ヨシュアの口からレンやティオの名前がでたことで、ほんの少し戸惑いを見せるエステル。
 シード中佐が言っていたように、彼女もどうするのが最善か理解しているのだろう。
 ヨシュアの言う禍根を断つというのが、マリアベルや教団関係者の命を奪うことだというのはエステルにも察することが出来た。
 リィンが以前に言っていたように、実際それが確実な方法なのだということは言われずとも分かる。

「それでもエステルは助けたいと思う? 彼等に死んで欲しくないと言える?」

 ヨシュアの問いに、エステルは戸惑いながら答えを探す。
 ヨシュアの言うことも、リィンの言っていることも間違いではないと理解はしているのだ。
 ただ、それでも――

「あたしはやっぱり誰にも死んで欲しくない。例え、それが凄く悪い奴だとしても……」

 甘い考えだというのは自分でもわかっていた。それでもエステルは諦めたくないと思う。
 本当なら戦争なんてバカなことは止めて欲しい。誰にも傷ついて欲しくはなかった。だからリィンにあんな条件を突きつけたのだ。
 しかしロイドたちの説得にも応じなかった場合、リィンはマリアベルを殺すだろう。
 でも、そんな結末にはしたくなかった。

「そっか。なら僕は協力するよ」
「……いいの?」
「良いも悪いも考えを変える気はないんでしょ? それに、そんなキミだから僕は救われた」

 ギルドが静観を決め、帝国と共和国にも根回しがされている以上、味方はほとんどいないと言っていい。
 そんな絶望的な状況のなかで〈暁の旅団〉と敵対し、リィンと戦うことになるかもしれないと言うのにヨシュアには迷いがなかった。

「例え世界中が認めてくれなくても、僕だけはキミの力になる。そう決めたから」

 確かにエステルは強情で、周りから見れば歪んで見えるかもしれない。でも、そんな彼女だからヨシュアは救われた。
 それは他の誰にも出来なかったことだ。だからヨシュアはエステルの力になると決めた。
 マリアベルを殺すことが最も簡単な解決策だとしても、何が正しいかを決めるのは他人じゃない。自分自身だ。
 そうしてだした答えならヨシュアはエステルの選択を応援したいと考えていた。

「それにキミらしくないよ。いつものキミなら、こんなところで悩んでないで真っ直ぐに前を向いて行動しているはずだ。エステル・ブライトは周りに何かを言われたからって考えを変えるような――物分かりの良い女の子じゃないはずだろ?」
「……それって褒めてるの?」

 褒められているのか貶められているのか分からず、微妙な顔を浮かべるエステル。
 しかし融通の利かない強情な性格をしていることは、エステル自身もわかっていることだ。
 だから納得が行くまで、とことんやればいい。その方がエステルらしいとヨシュアは思う。

「そうよね。こんな風にウジウジと悩んでるのは、あたしらしくない。こうなったらアイツも父さんも――みんな見返してやるんだからッ!」

 ヨシュアの言葉で元気を取り戻し、胸の前でガッツポーズを作りながらエステルは気合いを入れる。
 そんなエステルを見守りながら、ヨシュアは腰の武器に手を当てる。

(もしもの時は……レーヴェ。キミの力を貸して欲しい)

 この一ヶ月、ヨシュアはエステルの傍を離れ、帝国へと渡っていた。
 ハーメルの村。故郷にして大切な人たちが眠る場所で、一本の武器を回収するためだ。
 剣帝レオンハルトが使っていた愛剣ケルンバイター。折れたその剣が、どれほど役に立つかは分からない。
 しかし――

(僕の予想が正しければ……)

 リィンに対する切り札となる。そんな予感がヨシュアにはあった。



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