「お久し振りです、ソーニャ司令。捕まったと聞いていましたが、お身体の方は……」

 フランからの報告を受けたエリーは、カレイジャスのブリッジでタングラム門からの通信を受けていた。
 モニターの向こうに映るのは、襟首を綺麗に正した軍服姿の知的な印象を受ける眼鏡の女性。
 ――ソーニャ・ベルツ。クロスベル国防軍の元将校だ。
 元と付くのはヘンリー・マクダエルの亡命を幇助した罪で、ノックス拘置所に勾留されていたからだった。
 そんな彼女が軍服に身を包み、こうしてタングラム門から通信を送ってきたことにエリィは少し奇妙に思いながら尋ねる。

『心配を掛けたみたいね。でも、このとおり問題ないわ。あなたたちのお陰でもあるのだけど、ダグラス副司令の計らいでね。緊急時の対応と言うことで、まだ仮ではあるけど軍籍にも復帰したわ』

 ソーニャの説明に納得の表情を浮かべるエリィ。ダグラスと言うのは、ソーニャと同じくクロスベル国防軍に所属する将校だ。
 タングラム門を預かる司令官で、国防軍随一の実力者として知られる人物。ソーニャが勾留されてからは彼女に代わって、国境警備の指揮を任されていた。
 元よりベルガード門、タングラム門に所属する兵士たちは、政府のやり方に不満を持っていた者たちが多い。しかしクーデターを起こし、軍が政府に代わって実権を握ってしまえば、それはディーター・クロイスのやったことと何も変わらない。だから事態の推移を見守り、動きだす機会を窺っていたのだ。ソーニャが拘置所から解放されたと言うことは、その時が来たと言うことだろう。
 実のところレジスタンスがこれまで捕まることなく活動することが出来ていたのは、彼等の協力によるところが大きい。
 そして、そのことはエリィも察していた。

『それよりも――』
「はい、話は伺っています。魔獣の件ですね」

 ディーター・クロイスがリベールで拘束され、〈暁の旅団〉によって囚われの議員たちが保護されたことで、現在クロスベルの指揮系統は混乱している。所謂、無政府状態と言う奴だ。
 そんななかで軍が勝手な行動を取れば、街を守るためとはいえ、後ほど厄介な問題となりかねない。
 故に魔獣の情報を提供することで、こちらに協力を持ち掛けてきたのだとエリィは察した。
 順序はこの際関係ない。どのみち先にエリィが宣言したように、独立宣言の無効と新政府の樹立が発表される見通しだ。
 そしてエリィは亡命先である帝国の承認を得て、ヘンリー・マクダエルの名代として、この作戦に参加している。
 臨時とはいえ、この場における最高責任者。政府の代表と言う訳だ。

「こちらからも軍へ協力を要請します。書面はおって通達することになりますが……」
『感謝します。マクダエル代表』

 とはいえ、ここまでは既定路線。予想される問題に対処するため、規則に沿って行動したに過ぎない。
 最も厄介なのは、ソーニャが相談を持ち掛けてきた魔獣の方だった。
 通常の警戒任務で対処可能な範囲なら、ソーニャがこうして相談を持ち掛けてくる理由はない。
 だとするなら、大規模な軍事行動が想定される事態に陥っていると言うことだ。
 そして詳しい報告をソーニャから受けるにつれ、その予想を裏付けるようにエリィの表情が強張っていく。

「では、街に向かっている魔獣の群れは……」
『ミシュラムの空で繰り広げられている戦闘。ここからでも姿を確認できる、あの巨人が原因でしょうね』

 動物は危険や、自然の驚異に対して敏感だ。それは魔獣も例外ではない。
 戦闘の余波と思しき大気を震わせるような振動は、関所の砦にまで伝わってきている。
 安全な場所を求め、逃げ惑う魔獣の群れの一部が、街へと向かっているのだろうとソーニャは話す。

「靱き力の担い手が目覚めた以上、その程度のことは想定範囲ですわ。むしろ、この程度で済んでいるのは不幸中の幸いと言ったところですわね」

 そんなソーニャの説明に重い空気が漂う中、真っ先に反応したのはマリアベルだった。
 複数の団員に銃を突きつけられ、未だに警戒が解けていない中でも、マリアベルはまったく動じた様子を見せないでいた。

「ソーニャ司令。ベルのことは……」
『わかっています。情報の少ない現状では、彼女の協力を仰ぐしかない。いま彼女のことを問題にするつもりはありません』

 ソーニャの言うように、エリィがこの場にマリアベルを連れてきたのは彼女の助けが必要になると考えたからだ。
 情報が圧倒的に不足している現状では、マリアベルの持つ知識が頼りとなる。
 その価値がわかっているからこそ、マリアベルもエリィたちに自分を害することは出来ないと確信しているのだろう。

『それで、靱き力の担い手とは?』
「あそこで、リィンさんと戦っている巨神のことですわ。神話の時代、この世界に災厄を撒き散らした双神の片割れ」

 俄には信じがたい説明に、質問をしたソーニャも困惑の表情を見せる。
 しかし嘘を言っているようにも見えない。こうして巨神が現れた以上、荒唐無稽な話と断じることも出来なかった。

(それって……)

 完全に信じたわけではないが更なる情報を得るために、マリアベルが嘘を言っていないという前提でエリィは確認を取る。
 ふと、彼女の頭に過ぎったのは通商会議の席で、リィンが言っていたことだった。

「災厄……大崩壊が起きると?」
「その程度で済めば良いですわね」

 大崩壊。先史文明を崩壊させた原因とも言われている大事件。
 その詳細は明らかとされていないが、一説には七の至宝を巡って諍いが起きたとも、文明が崩壊するほどの災厄が起きたとも現代には伝えられていた。
 現在、目の前で繰り広げられている戦い。あの巨神の力を用いれば、それも不可能ではないとさえ思えてくる。
 しかし、マリアベルの答えは少し違っていた。彼女はそれ以上の何かが起きると考えていると言うことだ。

「期待されているところ申し訳ありませんが、わたくしの力ではどうすることも出来ませんわ。正直なところ何かを企んでいることには気付いていましたが、あの男がここまでするとは思ってもいませんでしたから……。ミシュラムの地底湖にあんなものが眠っていることは、わたくしも知らなかったのですから……」

 とはいえ、マリアベルにとっても現在の状況は想定外の出来事と言ってよかった。
 まさかクロイス家の管理する地に、双神の片割れが眠っているとは想像もしていなかったのだ。
 今回の件に関しては、完全にギリアスに出し抜かれたと言ってもいい。
 ギリアスがこのことをどこで知ったのか? 結社の関与さえ、マリアベルは疑っていた。

『あなたの力では無理――ということは、まだ手はあると言うことね』
「さすがに冷静ですわね。ええ、ありますわよ。神頼みのような方法ですけど」

 冷静に言葉の裏に隠された意味を察し、質問を返してくるソーニャにマリアベルは感心する。
 実のところマリアベルがソーニャを軍から遠ざけたのも、彼女のそうした勘の鋭さを厄介に感じてのことだった。
 マリアベルの狙いにまで気付いていたかは分からないが、他に何か思惑があることくらいは勘付いていたはずだ。
 ディーターはソーニャを扱いきれる自信があったようだが、やはり彼女を排除したのは正解だったとマリアベルは確信する。

「騎神ですね」

 マリアベルがソーニャと睨み合っていると、その後ろからエマが割って入った。
 そう言えば彼女がいましたわね、とマリアベルは値踏みするようにエマへ視線を返す。

「さすがですわね。そのことに気付くなんて……」
「私も魔女ですから」

 魔女の末裔。謂わば、マリアベルとは祖先を同じくする存在と言うことだ。
 騎神の行く末を見守り、起動者の導き手となる使命を帯びた彼女なら、確かに気付いても不思議ではないとマリアベルは考える。

「千日にも及ぶ戦いの後、二体の巨神は相打ちとなり、力を失った虚なる器は暗黒の地の外れへと投げ出された。大地に痛ましい傷痕と、取り残された眷属たちと巨イナルチカラ≠残して――」

 そうしてエマの疑問に答えるように、マリアベルは伝承を語って聞かせる。
 それは双神にまつわる神話の一説だった。

「もしかして、その伝承にある巨イナルチカラ≠チて……」

 エリィも気付いたのだろう。そんな彼女の問いに、マリアベルは首を縦に振って答える。
 そして――

「騎神とは、異界の敵から世界を守護するシステムであると同時に、巨神を封じる鍵になっているのですわ」

 核心に触れるマリアベル。それは騎神の成り立ちと、役割に触れる説明だった。
 必要に感じなかったから、あの時はロイドたちにこのことを話さなかったが、巨神が復活してしまった以上は隠していても意味はない。
 エマも予想はしていたが、確信はなかったのだろう。その表情を見れば分かる。

「でも、その封印に綻びが生じた。現在、所在がわかっている騎神は〈灰〉〈蒼〉〈緋〉の三体だけ。〈紫紺〉は獅子戦役で〈紅き終焉の魔王〉によって破壊され、残りの三体は行方が知れず。その結果、帝国を中心に空間の歪みが発生し、最近になって魔獣の活性化や幻獣が各地で目撃されるようになったのですわ」

 二百五十年前から異変は人知れず起きていた。
 封印は七体の騎神が揃わなければ、最大の効力を発揮しない。一体破壊されたからと言って、すぐに封印が解けるものではないが綻びは生じる。
 それが魔獣の活性化や幻獣の出現に繋がっているというのが、マリアベルの説明だった。
 言われてみれば、思い当たる節はあった。精霊窟が人の目に触れるようになったのも、封印の綻びによる影響なのだとすれば理解が行く。

「二百五十年前から予兆はあったのですわ。それでも、まだ数百年は封印も保ったのでしょうけど。誰かが故意に起こそうとしなければ――」

 巨神を復活させた人物。それが誰かなど、マリアベルに聞くまでもなくエリィたちにもわかっていた。
 ギリアス・オズボーン。リィンがマリアベルと休戦を結んだ経緯も、それならば納得が行く。しかし問題はそこではなかった。
 騎神が巨神の封印に関係していると言うことは、これまで不可解だったギリアスの行動にも一つの繋がりが見えてくる。

「それじゃあ、もしかして鉄血宰相の狙いは……」
「はい。最初から騎神が狙いだったのだと思います。既に封印に綻びが生じている以上、あと何体かを破壊すれば……」

 エマも同様の答えに行き着いたようで、暗い表情でエリィの疑問に答える。
 すべては巨神の封印を解く条件を整えるため、結社だけでなく帝国やクロスベルも利用されたのだと気付いたからだ。
 先の帝国で起きた内戦は勿論、いまクロスベルで起きていることもギリアスの思惑の内だったのだとすれば――

「なら、このことをリィンさんに伝えないと……ッ!」
「無駄ですわ。どちらにせよ彼にしか、巨神は止められない。それに、こんな話を聞けば……」

 緋の騎神が飛び立っていく姿がブリッジの窓から確認される。
 遅かったみたいですわね、と言葉を漏らすマリアベルを、エリィは八つ当たりだと知りながらも睨み付ける。
 シャーリィが聞き耳を立て、いなくなっていることに気付きながらも、彼女は黙っていたと言うことだ。
 この事態を予想していたなら、一言教えて欲しかったというのがエリィの本音だった。

「と言うことで、世界の命運は彼等に委ねるしかないと言うのが、わたくしのだした結論ですわ」
『なるほど、それで神頼みと言う訳ね』

 マリアベルが『神頼み』と言った意味を理解し、ソーニャは納得した様子で頷く。
 騎神が破壊されれば、巨神が完全に復活する。しかし巨神に対抗できるのは騎神しかいない。
 どのみちリィンたちに戦いを委ねる以外に、取れる選択肢がないと言うことだ。
 実際あの戦いに介入したところで、無駄に軍の被害を広げるだけだと言うことはソーニャも理解していた。
 ならば、自分たちにやれることを優先すべきだと考えを切り替える。

『なら、彼等が勝利してくれることを願って、私たちは自分に出来ることをするとしましょう。当然、あなたも協力してくれるのでしょう?』
「フフッ、あなたも良い性格をしていますわね」

 自分を拘置所に送った相手に頼るというのは、心情的にも余り出来ることではない。
 それでなくともディーター・クロイスと同様に、マリアベルには教団の件を含めた様々な容疑が掛かっている。
 情報が不足しているとはいえ、そんな彼女を協力者として使おうと言うのだ。マリアベルが意外に思うのも当然だった。
 しかし、軍人として規律と秩序を重んじるのは当然だが、綺麗事だけでは守れないものもある。そうソーニャは考えていた。
 いや、そう考えられるようになったのは、ノックス拘置所に勾留されたからと言ってもいい。
 あそこでの生活が、出会いが、ソーニャの考え方を少し変えた。ただ、それだけのことだった。
 少なくとも、そのことに関してはマリアベルに感謝しても良いくらいだと、ソーニャは心の中で思う。

『世界の危機に敵も味方もないでしょう? それに犯罪者に頼ると言うのなら、既に前例を作った後ですから……』

 そう言って、クスリと笑うソーニャ。頭に過ぎるのは、監獄の中で不敵に笑う――ある男の顔だった。


  ◆


「チッ! 次から次へと……こいつら、どこから湧いてきやがる!」
「ガレス副隊長、これ以上は無理です! 撤退の指示を――」

 その頃、ミシュラムの湿地帯ではガレス率いる〈赤い星座〉の部隊が、迫り来る魔獣の群れと応戦していた。
 ランディがロイドたちのもとへ向かうための時間を稼ぐために、この場へ残ったのだ。

(若が無事に仲間と合流するまで、もう少し時間を稼ぎたかったが、やむを得ないか)

 このままでは全滅するということはガレスにもわかっていた。
 出来ることなら、もう少し時間を稼ぎたかったところだが、部下を無駄死にさせるわけにもいかない。
 そろそろ潮時かと撤退を考え始めた、その時。魔獣の後方で、大きな爆発が起きた。

「なんだ!?」

 驚きと困惑に満ちた団員の声が響く。
 爆発の後に無数の銃声が響いたかと思うと、魔獣の群れの中に一筋の道が現れる。
 そして姿を見せる武装集団。格好に統一感はないが、その手には共和国製の導力銃が握られていた。

「おうおう、随分と騒がしいから割って入って見れば、懐かしい顔ぶれが揃っているじゃねーか」
「お前は……」

 彼等はノックス拘置所に収監されていた囚人たちだった。
 そのなかでも一際、魔獣を相手に大暴れをしている集団が〈赤い星座〉の目に留まる。
 嘗ては〈ルバーチェ商会〉と呼ばれる組織に所属していた構成員たち。その中心に、ガレスは懐かしい顔を見つけた。

「助けはいるか? 閃撃」
「キリングベア……ッ!」

 ルバーチェ商会の若頭。そして、この集団のリーダーにして、嘗ては〈西風の旅団〉で部隊長まで務めた男。
 当然ガレスとも面識があり、幾度となく命のやり取りをしたことがある人物。
 ――ガルシア・ロッシ。それが彼の名前だった。


  ◆


「あの……少し良いですか?」
「あなたは確か……フランさんでしたわね。わたくしに何か御用かしら?」

 ソーニャとの通信を終え、作戦会議が一段落ついたのを見計らってフランはマリアベルに声を掛ける。
 正直なところマリアベルに対しては、フランも複雑な心境を抱えていた。
 姉――ノエルの件で怒りを覚えてもいるが、同時にマリアベルとはエリィを通じて知り合った仲だ。
 今回のことでもエリィには感謝しているし、マリアベルにも仕事や家族のことで相談に乗ってもらったことがある。
 そんな彼女がどうして、という思いがあった。

「お姉ちゃん――ノエル・シーカーが、どこにいるか知りませんか?」

 本当は他にもいろいろと聞きたいことがある。でも、いまはそれどころではないことはわかっていた。
 だから簡潔に、フランはマリアベルに姉のことを尋ねる。
 彼女なら姉の居場所を知っているのでは?
 そう、考えたからだ。

「見つからないのですか?」
「はい……正気に戻った兵士のなかにも、お姉ちゃんの姿が見当たらなくて……」

 しかし予想外の反応を見せるマリアベル。彼女にとってもフランのその質問は意外なものだった。

「一つ、聞かせてください。先の戦闘で、黒い制服を纏った兵士の姿は確認されました?」
「いえ……そういうのは……」

 特殊部隊の姿が確認されていない。そのことをマリアベルは不審に思う。
 ノエルを洗脳して、特殊部隊へ配属させたのはマリアベルだ。
 だが元より人質として使うつもりはなく、ノエルの部隊にはオルキスタワーに幽閉された要人の警護を任せていたはずだった。
 なのにいないと言うことは、命令が上書きされていると言うことだ。そしてマリアベルはそんな指示をだしてはいない。

「やられましたわね。まさか、このわたくしがここまで後手に回るなんて……」

 ノエルたちを動かしている人物に当たりを付け、マリアベルは悔しげに唇を噛む。
 利用するつもりでいたのは自分も同じだ。騙される方が間抜けだと言うことはマリアベルも理解している。
 それでも――

「あの……」
「わたくしのことを信用できるかはわかりませんが、お姉さんのことは任せてください。出来る限りのことはすると約束しますわ」

 フランとそう約束を交わすマリアベル。
 彼女を安心させるためだけじゃない。それはマリアベルの意地だった。



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