「キーアが二人? それにツァイトまで……」

 訳が分からないと言った様子でノルンとキーアを見比べ、ティオは困惑の声を上げる。
 彼女が困惑するのも無理はない。双子と言われても信じてしまうほどに、二人の外見はよく似ていた。
 いや、似ていると言うよりは鏡合わせに、同一の人物が二人いるようにしか見えない。 
 当然だ。彼女たちは元を辿れば同じ人物なのだから――

 ノルンはキーアの願いが生んだ存在。
 この世界のキーアが迎えていたかもしれない、もう一つの未来の姿。
 因果を司り、キーアの願いを肯定し、運命を見守る者。
 ――碧き虚なる神。それがノルンの正体と言えるものだ。

「あなただったんだね。あの光景は、あなたが嘗て体験した未来……ううん。これから(キーア)が辿るはずだった運命」

 だからキーアには一目見て、ノルンがどういう存在なのかを理解することが出来た。
 最初に因果を改変した時、流れ込んできた記憶と知識。
 いまになれば思う。あの記憶は彼女のものだったのだと――
 そして、これから自分が歩むはずだった未来の記憶なのだと――
 そんなキーアの問いに、ノルンは自身の名を口にすることで答える。

「私の名前はノルン。数多のキーアの願いが生んだ〈碧き虚なる神〉――」

 完全に理解できたわけじゃない。それでも目の前の彼女が、自分たちの知るキーアとは別の存在であるということはロイドとティオにも理解できた。
 そんな彼女とどうして一緒にいるのかと、ティオの非難めいた視線がツァイトに向けられる。
 ティオはエマやレンと同じく教団の実験の被害者だ。その後遺症で髪の色が青く染まるほどの高い感応力を有していた。
 それこそ、言葉を話すことが出来ない動物と意思を通わせることが可能なほどの力を彼女は秘めている。
 財団の開発した魔導杖の力とエイオンシステムを用いれば、離れていてもテレパシーのような力でツァイトと交信することも可能なほどの力だ。
 しかしオルキスタワーの攻略作戦の後、一切呼び掛けにも応じないツァイトのことをティオは心配していたのだ。

「あなたは……私の知っているツァイトですよね?」
「そうだ。正確には、ここにいる私は女神との盟約によって、この地に縛られた現し身に過ぎないのだがな」
「現し身……ツァイトの本体は別にいると言うことですか?」
「さすがに理解が早いな。普段はノルンと共に、お前たちが〈外の理〉と呼ぶ世界の狭間に私の本体は眠っている」

 確証はなかった。しかし、答えに行き着くためのヒントは幾つもあった。
 至宝、碧の大樹、キーアの存在。そしてマリアベルから聞いた話。
 半信半疑ではあったものの、ティオはツァイトの説明で自分なりの答えを得る。
 同じような体験なら、これまでの戦いで何度も目にしていたからだ。

「幻獣のようなものか?」
「一括りにされるのは、些か気分は良くないがな」
「なら、彼女も……」
「そうだ。ノルンも本来なら私と同じで、この世界に深く干渉することは出来ない。だが、何事にも例外はある」

 ロイドの質問に鼻を鳴らしながら、ツァイトは答える。
 出会った頃からツァイトは、必要以上にロイドたちへ力を貸そうとはしなかった。
 彼自身も言っていた『聖獣』という立場が、そのことと関係しているのだろうと言うことはロイドも見当は付いていた。
 目の前のキーアとよく似た少女。ノルンも同じような存在だと言うのなら、彼女が今まで姿を見せることがなかった理由は恐らく――

「盟約か」

 ツァイトはロイドの問いに対し、首を縦に振ることで肯定する。

「彼女に名を与え、新たな盟約を結んだ者がいる。人でありながら神の如き力を振う、稀有な運命を持つ男だ」
「そうか、彼が……」

 ノルンと盟約を交わした人物が誰かを、ロイドはすぐに察しを付ける。
 ツァイトの話が確かなら、マリアベルの説明とも符号するからだ。
 なんらかのルールでツァイトが縛られていることは想像が出来ていた。
 そのルールの抜け道というのが、恐らくはツァイトのいうノルンに名を与えた人物との新たな盟約なのだろう。
 この状況を意図していたかは分からないが、ただの偶然とは考え難い。
 少なくともノルンとツァイトがこの場に姿を見せたのは、何らかの意味があるとロイドは考えた。

「聞かせてくれ。キーアを救う方法があるのなら、なんだって協力する。だから――」

 故にロイドは先程の言葉に嘘はないと考え、目の前の少女と一匹に頭を下げる。
 慌ててロイドの後に続き、「お願いします」と頭を下げるティオ。
 そんな二人の姿を見て、ノルンは呆気に取られた様子で苦笑する。
 変わらないと思った。どの世界でもロイドはキーアにとって英雄(ヒーロー)なのだと実感させられる。
 何度も見てきた光景。成功することもあれば、失敗することもあった。
 でも、どんな結果になろうとも、ロイドがキーアを見捨てることだけはなかった。

「キーア。力を解放して」
「ダメ! そんな真似をしたら――」

 ノルンの言葉をキーアは否定する。
 地脈の力が暴走する。そうしたらクロスベルだけじゃない。ゼムリア大陸全土に、その影響は波及するだろう。
 異界の浸食。それに巨神の覚醒を抑えることも勿論、目的の一つではあったが、それは封印が解けるのを遅らせる程度の効果でしかない。
 キーアが危惧しているのは、そうなった後の世界に住む人々のことだった。
 この世界のあらゆる生き物は人間を含め、マナなしに生きてはいけない。
 地脈の暴走によって引き起こされるマナの減衰は動植物を弱らせ、自然環境の破壊と世界的な飢饉を招く。
 人々が『大崩壊』と呼ぶ現象。文明を衰退させる最大の要因となったのは、七耀脈の鉱山からセピスが産出されなくなったことが起因する。
 マナをエネルギーの源とする導力器が使えなくなったことで文明を捨て、その大半が旧時代の生活に戻らざるを得なくなったのだ。
 そして彼等の文明を支える柱であった地精や魔女が表舞台から姿を消したことで、誰にも必要とされなくなった遺跡だけが取り残された。
 千二百年前と同じことが、いま起きようとしている。例え、巨神を倒すことが出来ても〈大崩壊〉が起きてしまえば人類に明るい未来はない。

「大丈夫。キーアの心配してるようなことは起きないよ」
「……どうして?」

 どうして、そんなことが言い切れるのか? キーアは不思議に思って、ノルンに尋ねる。
 ロイドたちを守りたい。そして皆を守れる力が自分にはある。
 望んで得た力ではなくとも、それが大好きな人たちのためになるのなら――
 そう考えて、キーアはここで孤独に耐えてきた。しかし――
 私がやらないと。そんなキーアの想いを、ノルンは否定する。

「外の敵はリィンがやっつけてくれる。それに、ここにはツァイトやロイドたちもいる」

 ひとりで頑張らなくてもいいんだよ。
 それはリィンとの出会いが教えてくれたこと、自分自身に向けた言葉でもあった。
 それでも、まだ迷いを見せるキーアにノルンは近づくと、そっとその胸に手を当てる。

「ごめんね」
「え……?」

 キーアはきっと幸せを掴める選択肢があっても、自分ではそれを選べない。
 人々の想いを受け、願いを叶える存在。そうあるべしと彼女は作られたからだ。
 自分の幸せや願いよりも、他人の幸せや願いを優先してしまう。
 そんな自分のことは、ノルンが一番よくわかっていた。だから――

「キーアの髪が元の色に……」

 ティオは目を瞠る。ノルンが胸に手を当てた、その直後。
 キーアの髪の色が蒼から翠へと変化し、体型も幼い元の姿へと戻っていく。そして――
 淡い光に包まれながら、ゆっくりと地面に降りてくるキーアをロイドは両腕で受け止めた。

「大丈夫だ。気を失っているだけみたいだ」
「よかった。本当に……」

 キーアの無事を確認して、ほっと安堵の息を吐くロイド。目に涙を溜めるティオ。そして――
 ノルンの手には白い光を放つ、光の玉が握られていた。

「それは、もしかして……」
「うん、キーアのなかにあった至宝の力をカタチにしたもの」

 ロイドの問いに、キーアは隠す必要も感じないのか、素直に答える。
 本来であれば外部から干渉して、至宝の力だけをキーアから取り出すなんて真似は出来ない。
 最も簡単な方法は、こことは異なる別の歴史でロイドがやったように至宝に願うことだろう。
 キーア自身には無理でも、それが本当にキーアのことを想う他者からの願いであれば、至宝から解放される可能性は十分にある。
 このまま介入しなければ、そうなったかもしれない。もしくはリィンが見た、もう一つの歴史のように失敗したかもしれない。
 だがそうなれば、どちらにせよ至宝は失われる。ノルンは、それをよしとはしていなかった。

「この力を使えるのは、あなただけじゃないから……」

 キーアとノルンは同一の存在だ。
 いや、気の遠くなるような歳月の中、何度も繰り返される歴史を見続けてきたノルンの方が〈零の至宝〉の扱い方は熟知していた。

「もう、これで終わりにしよう。たくさんの願いを、あなたは叶えてきた」

 ノルンはキーアの願いが生んだ存在。キーアの願いを肯定する者。
 だからキーアが本当は一番欲しているものは、ノルンが誰よりも理解している。

「だから今度はノルン(わたし)キーア(わたし)の願いを叶えるね」

 そう言って、ノルンはキーアの胸から取り出した至宝の力を自身に取り込む。
 最初から、そうすることがノルンの目的だったのだろう。キーアの持つ至宝の力だけを回収する。
 キーアを〈零の至宝〉の呪縛から解放するため――
 そしてキーアの願いを叶えることが、ノルンの目的だった。

「キーア……いや、ノルン。キミは……」
「大丈夫だよ、ロイド。私はもう、ひとりじゃない。私のことを必要としてくれる家族がいる。だから――」

 ノルンが何を言おうとしているかを悟り、ロイドは何も言わずに頷く。
 自分の知るキーアでないとは言っても、彼女もキーアであることに変わりはない。心配でないと言えば嘘になる。
 でも腕の中で眠るキーアを見て、それは自分の役目ではないことをロイドは理解していた。

(やっぱり彼とマリアベルさんは、どこか似ている気がする)

 そんなことをリィンに言えば、絶対に本人は否定するだろうがロイドはかなりの確信を得ていた。
 世間で言われているような非道な人物には、ノルンの反応を見ている限りでは到底思えなかったからだ。
 実際それは本人と会って見て、ロイドが感じたことでもあった。
 確かに善人ではないのかもしれない。自分たちの利にならないことはしない。目的のためなら手段を選ばない。
 そういう猟兵らしい側面は持っているのだろう。でも、だからと言って彼等を悪≠ニ決めつけることはロイドには出来なかった。
 この事件が終わったら、もう一度ゆっくりと彼とは話をしてみよう。そうロイドが心に誓った、その時だった。

「ロイドさん……!」
「これは……ッ!?」

 突如、大きな揺れが襲い掛かったかと思うと、ロイドたちの退路を断つように幻獣の群れが姿を見せる。
 地平線の彼方まで続く、視界を埋め尽くさんばかりの黒い影。ここに着くまでに相手をした幻獣の数と比較しても圧倒的に多い。
 ランディやワジ。それにリィンの協力もない今、絶望的とも言っていい戦力差だった。
 ましてや、キーアを抱えたままで振り切れる数ではない。

(どうする……ッ!?)

 絶望的な状況の中で、冷静に生き残るための道を模索するロイド。
 キーアを見捨てて自分たちだけで逃げるなんて選択は最初から存在しない。それはティオも同じ考えだった。
 何かあるはずだ。何か――そうして、ロイドが何かに気付いた様子で顔を上げると、その視線の先には巨大な狼の姿があった。

「制御を失った地脈の力が暴走を始めている。恐らくはその影響で空間に亀裂が生まれ、至宝の力に引き寄せられてやってきたのだろう」
「……ツァイト?」
「ここでお前たちに死なれては、あの子の願いを叶えることは出来なくなるのでな」

 ティオの疑問の声に「少しばかり手を貸してやる」と答えると、
 ツァイトはロイドとティオの前に立ち、咆哮を上げた。

「くッ!」

 大地を震えさせるほどの轟音に、堪らず耳を押さえるロイドとティオ。
 津波のような衝撃に襲われ、無数の幻獣たちが淡い光となってマナへと還っていく。
 その光景に圧倒され、ロイドとティオの二人は目を奪われる。
 それはリィンの集束砲を見た時と同じか、それ以上の衝撃だった。

「乗れ」

 ツァイトは腰を下ろし、そんな呆然とする二人に声を掛ける。
 先程の一撃によって、隙間なく埋め尽くされていた幻獣の群れの中に一筋の道が出来ていた。
 恐らくは、そのなかを突破するつもりなのだろう。いまの圧倒的な力を見せられれば、無茶だとは言えない。
 しかし、

「でも……」
「彼女なら大丈夫だ。このなかで一番強いのは、あの子だからな」

 そんなツァイトの答えに、ティオは信じられないと言った様子で驚きの表情を見せる。
 しかし〈碧の大樹〉の力を目の当たりにした以上、ありえないと断じることは出来なかった。
 実際、ノルンはキーアから取り出した至宝の力を自身に取り込んでいる。

「早くしろ。ここも余り長くは……」

 崩れかかっている外壁を見て、ツァイトが言葉を発した、その時だった。
 幻獣の群れの中で爆発が起きる。何が起きたのかと目を瞠るロイドたち。
 そして、その原因に一早くティオが気付く。

「あれは帝国軍の機甲兵と戦車です!」

 そう、幻獣の群れを一掃しながら迫るのは、黒い機甲兵(ケストレル)と帝国軍の戦車だった。
 そんなものがどうしてここに、と困惑するロイドたちの耳に懐かしい声が届く。

『皆さん、ご無事ですか?』
「その声、もしかして……」

 仲間の声を忘れるはずがなかった。
 驚きと、そして喜びと、困惑の入り混じった声で、ロイドとティオは彼女の名前を口にする。
 ノエル・シーカー。それはオルキスタワー攻略作戦の後、離れ離れになっていた仲間との再会だった。



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