空に響く轟音。大地を揺るがす衝撃。近代兵器でさえ為し得ない強大な力。世界の終わりを告げるかのような熾烈な戦い。
 人智を越えた力を前に、帝国の内乱を発端としたノルド高原の領有権を巡る問題で睨み合いの状態にあった帝国・共和国、両軍の兵士たちは半ば混乱状態に陥っていた。
 死にたくないと叫び、我先にと逃げ惑う者たち。空を仰ぎ、女神に助けを求める者たち。
 人では決して抗えない存在。嘗て『神』と崇められ、畏れられた存在が彼等の目の前にいるのだ。
 無理もない。もはや、それは人の介在できる戦いではなかった。

「さすが皇家の懐刀、ヴァンダールの智将ね。動きが迅速だわ」

 そんななかで兵士たちを諫め、冷静に部隊の撤収を指揮するゼクス・ヴァンダールの姿を見つけ、魔女は感心した様子で微笑む。
 離れた高台の上から両軍の様子を見下ろす、群青のドレスを纏った一人の魔女の姿があった。
 手には複雑な紋様が描かれた長杖が握られている。
 彼女の名は、ヴィータ・クロチルダ。〈蒼の深淵〉の二つ名を持つ〈結社〉の最高幹部の一人だ。

「やっぱり、あの視線の正体は姉さんだったんですね」
「フフッ、あなたなら気付くと思っていたわ……エマ。私の可愛い妹」

 そんな彼女の背後に立ち、エマは真剣な表情で声を掛ける。だが、それもヴィータにとっては最初から予想していたことだった。
 魔女の秘術を用い、ずっと彼等の戦いを隠れて観察していたのだ。同じ魔女であるエマに気付かれない道理はない。
 或いはリィンにも気付かれていたのかもしれないと考えるが、ヴィータにとってそれは大きな問題ではなかった。
 知りたかったのは一つ。聞きたかった答えは一つ。

「あなたも魔女なら分かるでしょう? この戦いの意味と、私がここにいる意味を――」
「魔女の使命……姉さんにはわかっていたんですね。巨神の復活が近いと言うことが……」

 エマの答えを聞き、満足げな笑みを浮かべるヴィータ。
 エマもさすがにヴィータが、ギリアスの狙いまでを察していたとは思っていない。
 だが、巨神の復活が近いことは察していたのではないかとエマは感じていた。そしてヴィータの言葉から確信を得る。

「ええ。私は正真正銘の魔女ですもの。半人前のあなたとは違って、ね」

 悔しさと寂しさの入り混じった複雑な表情を滲ませるエマ。だが、そのヴィータの言葉を否定することは出来なかった。
 事実、魔女としての経験・知識の深さにおいては、ヴィータはエマの遥か上を行く。
 禁忌を犯し、里を出たとはいえ、その才能を(おさ)に認められたのは彼女一人だった。
 しかし、エマは負けじとヴィータを睨み返し、言葉を紡ぐ。

「確かに、私は魔女としては半人前。使命に生きることも、姉さんや長のようにはなれない。でも……」

 エマは大切な友人や家族に別れも告げないまま、ヴィータの後を追うように里を出た。
 だが、それは魔女の使命を放り出し、現実から逃げるためではない。
 使命よりも大事なものを見つけたから、どうしても叶えたい願いが出来たからだ。

「自らの選択を後悔なんてしていない。私は魔女である前に、姉さんの妹だから」
「……そう。あなたが里をでたのは、やはりそういうことなのね」

 エマが里をでて、どうして禁忌を犯すような真似までしたのか、ヴィータはその理由をずっと考えていた。

「……ままならないものね」

 薄々はわかってはいたのだ。エマがそんな真似をしたのは、他の誰でもない。
 自分(ヴィータ)のためであると――
 そこまで察したヴィータはエマに尋ねる。

「では、どうして私が里をでたのか、わかっているのでしょう?」
「〈魔女の眷属(わたしたち)〉を縛る宿命を断ち切ること。それが姉さんの目的」

 魔女に与えられた使命。それは、この世界の仕組みの一端を担い、管理すること。
 すべては巨神の復活に、いつか訪れるであろう災厄に備えるためだ。
 先の帝国で起きた内戦も、そうした流れの一端に過ぎない。だが、ヴィータの目指す先は別にあるとエマは気付いていた。
 そして、その理由についても――

「姉さんの言葉で、聞かせてください。それは……私のためですか?」

 ヴィータが里を出た理由。それは禁忌を犯したからではなく、自分のためではないかとエマは考えていた。

「違うわ」

 しかしヴィータは、そんなエマの問いを否定する。

「私はあなたの才能に嫉妬していたのよ。敵わないと思った。あと十年もすれば、きっと私を追い抜いていく。そう確信したから私は……」

 エマ自身は恐らく気付いてはいなかっただろう。しかしヴィータは確かに、エマのなかに眠る才能に気付いていた。
 始祖すら超えるほどの……最高の魔女となる資質をエマは持っていた。だから力を求め、禁忌を犯した。
 ついでに魔女の宿命から解放されるため、〈結社〉に入ったのだとヴィータは語る。
 だが、

「誤魔化さないでください」

 エマはヴィータのその話を信じてはいなかった。
 エマに才能があると言うのなら、おばあちゃん――里の長がそのことに気付いていないはずがない。
 しかし、長は必要最低限のこと以外、何も教えてくれなかった。使命の裏に隠された真実についても――
 もし才能があると言うのなら、どうして――という思いがエマの頭に過ぎる。

「相変わらず、捻くれた性格をしているみたいね。でも、その女の言っていることは半分正しいわ」

 そんなエマの疑問に答えたのは、目の前にいる姉ではなかった。
 ヴィータにとっても予期せぬ来客だったのか、少し驚いた様子で目を瞠る。
 そして、顔を上げるエマ。視線の先には大きな岩の上で二人を見下ろす、一匹の黒猫の姿があった。

「セリーヌ!? どうしてここに……」
「それは、こちらの台詞よ」

 岩の上から飛び降り、軽やかに地面へ着地すると、セリーヌと呼ばれた猫は二人の前に立ち、驚くエマに非難めいた視線を向ける。
 そして何も告げず、勝手に里を飛び出したことを気にしているのか、そっとエマは視線を逸らした。
 言葉を喋ることからも察せられるとは思うが、彼女は普通の猫ではない。里の長から託され、幼い頃から一緒に生活をしてきたエマの使い魔だ。
 責められる理由が自分にあることも、エマは理解していた。そんなエマの様子に気付き、セリーヌは溜め息を漏らす。

「さっきの話だけど、あなたに魔女の才能があるのは事実よ」
「でも、おばあちゃんは……」
「逆よ。才能があるとわかっているから、敢えて教えなかったのでしょう」

 才能があることが、必ずしも幸せに繋がるとは限らない。
 真実を知ると言うことは、同時に知らなければ気にする必要のない重責を負うと言うことだ。
 エマには才能があった。誰もが羨み、長がエマの将来を危惧するほどの才能が――
 それに長が必要最低限のことしかエマに教えなかったのは、ヴィータの一件が尾を引いているのだろうとセリーヌは話す。

「もう、分かったでしょ? その原因を作ったのも、そうなるように仕向けたのも、そこの女と言う訳よ」

 だが、そうとわかっていながら、長はヴィータの思惑に乗った。
 エマの幸せを願ってのことではあるが、ヴィータの想いを察してのことでもあった。
 それに先程、セリーヌは「半分正しい」と口にした。だとするなら残りの半分は嘘と言うことだ。

(姉さんは、やっぱり……)

 ヴィータが里を飛び出した真意を悟り、エマはギュッと胸を押さえる。
 何か理由があるのだと思っていた。そして、もしかしたら――という予感はあった。
 大切な人を守りたい。家族の幸せを願う。それは人として当たり前の感情なのだから――
 でも、それは長やヴィータだけではない。エマにも言えることだ。

「ごめんなさい」

 それは誰に対しての謝罪か?
 頭を下げるエマの言葉にヴィータとセリーヌは静かに耳を傾ける。

「私のために姉さんや、おばあちゃんがしてくれたことは感謝しています。でも、私は選んでしまったから」

 魔女になんてならなくても、普通の幸せを得る機会はあったのかもしれない。でも、その才能があったから彼≠ニ出会うことが出来た。
 ヴィータや長が考えているように、魔女の血は呪われたものでも忌まわしいものでもない。
 エマにとっては、大切な人たちと自分を巡り逢わせてくれた絆だった。

 ――リィン・クラウゼル。

 彼との出会いが、エマを変えた。
 最初は、ただの憧れだったのかもしれない。偶然、覗き見た彼の記憶。それは、この先に起きる出来事を示していた。
 でも、彼にも言っていないことが一つだけある。エマが見たのは、未来の記憶だけではない。
 彼が生まれた世界。彼がどういう人間で、どういう人生を歩んできたかをエマは断片的にではあるが知っている。
 そこにあるのは普通の幸せだった。家族がいて、友人がいて、どこにでもある平凡な日常。
 決して特別な存在ではない。ただ偶然に、世界が求める――リィンの肉体に適合する魂を持っていたというだけの一般人。

 そんな彼が誰一人と知り合いのいない世界へ放り出され、戦場で生きていくことを余儀なくされながらも、腐ることも折れることもなく、大切な人たちのために困難に立ち向かう姿がエマには輝いて見えた。同じように未来の知識を持っていたとしても、自分に彼のように振る舞うことが出来たかどうかと尋ねられればエマは首を横に振る。
 未来を知っていれば、その運命から逃げ出していたかもしれない。自分をこんな目に遭わせた世界を憎むのが自然だろう。
 でも、彼は逃げなかった。キーア……いや、ノルンに対しても恨みを向けることすらなかった。
 守られてばかりの臆病な自分とは違う。だから――

「最初は、ただの憧れだった。でも、いまは違う」

 自分にも何か出来ることがあるのなら、未来を変えることが出来るのなら――
 そんな想いから、エマは里を飛び出した。そして、

「運命は――未来は変えられると彼が教えてくれたから」

 魔女として、ただ導くだけの存在ではなく、共に歩みたいと思える人と出会った。

「ヴィータ姉さん、私は行きます。魔女の使命だからじゃない。私の意志で、未来を切り拓くために――」


  ◆


「魔女の使命に……運命に縛られていたのは、私の方だったみたいね」

 エマが去ったのを確認して、ヴィータはそんなことを呟く。
 恐らくは自分の為すべき役目を果たすために、リィンのもとへ向かったのだろう。
 本当の妹のように可愛がってきたエマに魔女の才能があると分かった時、喜びよりも勝ったのは未来に対する不安だった。
 エマは優しい子だ。世界の真実を知ったとして、魔女の重責に耐えられるとはヴィータにはとても思えなかった。
 だから禁忌に手を出し、魔女の宿命を自分一人で背負うつもりで里を飛び出したのだ。
 歴史に語られることのない最後の魔女として、一生を終える覚悟がヴィータにはあった。
 だが――

「……少し、妬けちゃうわね」

 昔と比べて、エマは強くなったとヴィータは思う。そして、そんな風にエマを変えたリィンに嫉妬する。
 誰よりもエマのことを想い、わかっているつもりで何一つ肝心なことは見えていなかった。
 独りよがりに自分の思い描く幸せを、エマに押しつけていただけなのだとヴィータは悟る。
 でも、そんななかでもエマは選び取った。
 自分の意思で、定められた運命に従うのではなく、未来を切り拓く道を選んだのだ。

「長からの伝言よ。いい加減、顔くらいだしなさいって」
「……私は禁忌を犯し、追放された身よ?」
「家出娘が何言ってるのよ。姉妹揃って、本当に手の掛かる子たちね」

 そう言って、溜め息を漏らすセリーヌを見て、ヴィータは里の長のことを思い出す。
 嘗ては、長の使い魔をしていた黒猫。現在はエマの使い魔と言うことになっているが、魔女の歴史についてはエマよりも詳しいだろう。

「確かに伝えたわよ」
「……何処へ行くつもり?」

 踵を返して立ち去ろうとするセリーヌをヴィータは呼び止める。
 先程の伝言といい、タイミングよく姿を見せたことといい、セリーヌが里の長の命で動いていることだけは察することが出来た。
 しかしエマの保護者を気取る目の前の猫が、それだけのために里を離れたとは考えにくい。
 そう考えたが故の質問だったのだが、

「私はあの子の使い魔よ。最後まで見届けるのが筋でしょ?」

 そう言って転位の魔術を発動すると、セリーヌはヴィータの前から姿を消した。



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