クロスベルの東通りには市中心部の近代的な街並みとは対照的に歴史を感じさせる古い建築物が多く、嘗ては東方の移民によって造り上げられた歴史を持つことからエキゾチックな街並みが広がっている。
 遊撃士協会が支部を構えるメインストリートには数多くの屋台が軒を連ね、観光客にも人気のスポットとなっていた。
 そんな通りのなかでも特に有名な店。東方料理を楽しめる宿酒場で、リィンは人を待ちながら少し遅い昼食を取っていた。

「ここ、いいかしら?」

 声を掛けられたリィンが顔を上げると、視線の先には動きやすそうな山吹色のジャケットを纏った活発な印象を受ける銀髪の女性がいた。
 女性は返事を待つことなく肩に掛けていたバッグとカメラを横の席に置くと、リィンの前の席に座る。
 少し強引とも取れる行動力。噂の猟兵を前にしても物怖じしない性格。そんな彼女のことをリィンはよく知っていた。

「同席を許可した覚えはないぞ。グレイス・リン」

 以前エマとリーシャを通じ、彼女に取り引きを持ち掛けたことがあったからだ。
 主な目的はヘンリー・マクダエルの所在や、ロイドたちの動向を知ることにあったが、もう一つ彼女にはやってもらう役割があった。記者としての仕事だ。
 どれだけ上手く情報を隠したところで、完全に隠蔽することは難しい。特に〈暁の旅団〉は表沙汰に出来ない秘密も多く、変に探りを入れられて事実と異なることを好き勝手書かれるのも面白くない。だからと言って上から圧力を掛けるようなやり方もハーメルの一件を省みれば、悪手であるとリィンは考えていた。そこで完全に秘密にするのではなく、ある程度の情報を与えることでイニシアティブを取ろうとしたのだ。
 グレイスを取り引き相手に選んだのは、彼女であれば一線を越えることはないだろうと判断してのことでもあった。確かに強引な取材が目に付くが、特定の個人や組織を貶めたり、一方に偏った報道を彼女は嫌う傾向にある。猟兵と言えば世間の認識から悪評の方が目立ち、そうしたゴシップの的にされることが多いが、グレイスなら一般常識に囚われることなく公正な記事を書いてくれるだろうという程度には、リィンは彼女のことを信用していた。
 実際、クロスベルの情報を得る際に、彼女の書いた記事には世話になったことがある。
 原作知識でしか知らなかったグレイスを信用してもいいと思ったのは、彼女の書いた記事に一通り目を通してからだった。

「人を待ってるんだ。用があるなら手短かに話せ」
「デート? そう言えば、エリィさんにも手を出したって聞いたけど……噂の団長さんは意外に手が早いと」

 そう言ってメモを取るグレイスを見て、リィンは目尻を押さえる。
 どこからエリィとのことを聞きつけてきたのか……取り引き相手として不足はないが、油断のならない奴だとリィンは改めて認識する。
 とはいえ、本気で記事にするつもりでないことは、グレイスの反応を見ればわかる。
 ようは黙っててやるから少し取材させて欲しいと、遠回しに彼女は言っているのだとリィンは察した。

「でも、いいの?」
「何がだ?」
「式典に顔をださなくてよ。招待されてたんでしょ?」

 いま、オルキスタワー前の広場では、クロスベル特区の誕生を祝う式典が開かれているはずだ。
 これからクロスベルはジュライと同じく経済特区としての道を歩むことになる。国防軍の解体は決まったものの警備隊としての存続は認められていることもあって、独立権限はジュライよりも大きなものとなるだろうが帝国に併合されることに変わりはない。ようやく訪れた平穏を喜ぶ者もいれば、過去に帝国から受けた不条理な扱いを忘れられず、複雑な想いでこの日を迎えた者も少なくないだろう。
 一部ではヘンリー・マクダエルのことを、クロスベルを帝国に売った売国奴と非難する者もいる。当然、孫娘のエリィもそうした誹りを受けていた。
 様々な想いと葛藤の果てに開かれた式典。リィンもクロスベル解放の立役者として、その場に招かれてはいたのだ。
 だが、

「俺は猟兵だ。名が欲しくて戦ったわけじゃない。報酬は既に貰っている」

 あくまで自分は猟兵だというスタンスをリィンは曲げるつもりはなかった。
 それは英雄として祭り上げられるつもりはないという意思の表れでもあり、エリィが出席を無理強いしなかったのも、そんなリィンの気持ちを察してのことだ。
 しかし〈暁の旅団〉がしたこと、彼等がこの街でどういう立場にあるかをグレイスはよく知っている。共和国が侵攻してこないのは、クロスベルの背後に〈暁の旅団〉がいるためだ。帝国も彼等の存在を気にして、クロスベルに対して強気にでることは出来ない。アルフィンを総督として送り込んできたのも武力での脅しが通用しないとわかって、リィンとの関係を優先したのだろう。
 普通であれば、猟兵に皇族をあてがうようなことはありえないが、既成事実として帝国政府は黙認するつもりでいるのだと察することが出来る。
 それはクロスベルの命運を〈暁の旅団〉が――彼が握っていると言うことだ。

「不満そうだな」
「だって、こんなに面白いネタを記事に出来ないなんて、文句の一つも言いたくなるわよ」

 世間の〈暁の旅団〉の認識は、物凄く強い猟兵団と言った程度のものだ。
 あくまでクロスベルの解放を主導したのは、ヘンリー・マクダエルと、その孫娘のエリィと言うことになっていた。
 しかし記事で真実を追及するような真似をすれば、リィンがクロスベルを去る可能性をグレイスは考えていた。

「逆に聞くけど、不満はないの?」

 リィンは報酬を受け取っていると言ったが、手柄はすべて他人に譲ったようなものだ。
 グレイスが本当にそれでいいのかと尋ねるのもわからなくはない。
 だが、リィンは迷わず答える。

「結局、俺たちがやったことは相手を力で屈服させ、黙らせただけだ。政治的な駆け引きや思惑を無視してな」
「でも、それは……」
「ああ、クロスベルの現状を打破するには、そのくらいの荒療治が必要だったことは確かだ。だが、それを正当化して俺たちがこの街を支配すれば、帝国や共和国とやっていることは変わらない。そんな歪な状況が何年保つと思う?」

 そう言われれば、グレイスも黙るしかなかった。
 リィンの言い分にも一理あると、その正当性を認めたからだ。

「第一、面倒事を押しつけられるのはごめんだ。俺はギリアスのようになるつもりはない」

 そっちが本音かと、グレイスは苦笑する。
 正直なところリィンがクロスベルを裏から支配するつもりでいるのかどうか、グレイスは確かめておきたかったのだ。
 記者としての使命感と言うよりも、彼女なりのやり方でこの街を守りたいと思っているからに他ならない。
 帝国や共和国のようにクロスベルを食い物にするつもりでいるなら、グレイスはリィンとも戦うつもりでいた。
 でも、そうではないと知って胸をなで下ろす。少なくともリィンの言葉に嘘はないと彼女は信じたからだ。

「じゃあ、最後に一つだけ。ディーター元大統領の身柄がリベールからクロスベルへ移されることが決まったわ。首謀者はあくまでマリアベル・クロイス。クローディア王太女誘拐の件も〈結社〉とマリアベル容疑者が裏で通じてやったことで、ディーター氏は利用されただけと言う見解ね。本人も捜査に協力的なことから、少なくとも極刑は免れるだろうと言う話よ」

 そうか、と素っ気なく答えるリィンを見て、グレイスは自分の考えが正しかったことを確信する。

「筋書きを書いたのはあなた? それともリベールの英雄さん?」

 本気で隠すつもりはないのか? さてな、と惚けた顔を見せるリィンにグレイスは更に質問を投げる。

「答える気がないってことね。じゃあ、質問を変えるわ。マリアベル・クロイスは先の事件で死亡と公表されてるけど、本当のところはどうなの?」
「質問は一個じゃなかったか? それに遺体は見たんだろ?」
「ぐっ……」

 クロスベル警察の霊安室に保管されているマリアベルの遺体を、グレイスも独自のツテを使って確認していた。
 だからこそ、マリアベルが死んだと言う話に疑問を持つのはおかしいと自分でもわかっているのだ。
 しかし何かが腑に落ちない。自分でもバカげたことだと思っているが、ひょっとしたらマリアベルはまだどこかで生きているのではないか?
 そんな予感が彼女にはあった。故に、そのことをリィンに確かめようとしたのだ。

「時間切れみたいだな」

 そう言って席を立つリィンの視線に気付きグレイスが後ろを振り返ると、不機嫌そうな表情を浮かべるアリサが立っていた。


  ◆

 あの後、デパートで注文していた正装に着替えたリィンは、アリサと共に劇団アルカンシェルを訪れていた。
 式典に合わせ、今日ここで特別講演が催されることになっており、そのチケットをリィンが入手したためだ。
 リィンはおろし立てのスーツに袖を通し、アリサもメイド服ではなく真紅のドレスに身を包んでいた。
 そして――

「信じられない。普通、待ち合わせをしてるのに、他の女と一緒に食事をする?」

 グレイスから絡んできたわけだが、そのことを言ったところでアリサの怒りは収まらないだろう。
 言い訳をすれば余計に自分の立場が悪くなるだけだと察したリィンは、黙ってアリサの愚痴を聞いていた。
 とはいえ、アリサも本気で怒っているわけではなかった。
 どう言う状況か? ある程度は察していたからだ。

「あの人って通信社の記者なんでしょ? 大丈夫なの?」

 直接の面識はないが、グレイスのことはアリサもエリィから聞いて知っていた。
 かなり強引なところがある突撃タイプの記者だと言う話も――
 リィンは他人に話せないような秘密を多く抱えている。
 マリアベルの件にも疑惑を持っていたようだし、グレイスが記事にでもしないかと心配したのだ。
 だが、リィンはそのことに関しては然程心配していなかった。
 どちらかと言うと真実を知りたいだけ、興味本位だろうとわかっていたからだ。

「それほどバカじゃないさ。それより、本当にこんなので良かったのか?」
「……ミシュラムを吹き飛ばしたのはリィンじゃない」

 話を逸らすように尋ねるとミシュラムのことを逆に問い詰められ、リィンは肩をすくめる。
 アロンダイトの件で、そのボーナスとしてアリサをミシュラムのテーマパークに連れて行く約束をしていたのだが、肝心のテーマパークは巨神との戦いの余波で半壊状態にあり、現在のところ再開の目処は立っていなかった。その代わりにと、劇団アルカンシェルの舞台に連れて行って欲しいとアリサに強請られたのだ。
 本来であれば簡単に取れるようなチケットでもないのだが、タイミングが良いのか悪いのか、式典の日に合わせた特別講演のペアチケットがリィン宛てに送られてきていた。差出人はイリア・プラティエ。リーシャ絡みだと言うことはわかっていたのでリィンとしては気乗りがしなかったのだが、アリサに強請られて仕方なく招待に応じたと言う訳だ。
 それにここで無視を決め込めば、話に聞くイリアの性格から言ってカレイジャスまで押し掛けてくる可能性が高い。
 ただでさえ、エリィとの一件で面倒なことになっているのに、正直それは勘弁して欲しいというのがリィンのだした結論だった。

「それでアルフィン殿下たちのこと、どうするつもりなの?」
「……二年待ってもらうことにした」
「問題の先延ばしような気がするけど……」

 アリサに言われるまでもなく、そのことはリィンもわかっていた。
 アルフィンたちに魅力がないと言っているわけじゃない。しかし、これまで妹同然に接してきた少女たちを、そんな風に見れるかと言えば話は別だ。
 肉体に精神が引き摺られると言っても、前世から数えればリィンは見た目の倍以上の歳を食っている。親子ほど離れた歳の少女に欲情するような真似が出来るはずもなかった。
 最低でも十八。本来であれば二十歳(はたち)を過ぎてからと言いたいが、エリィはまだ十九歳だ。リィンより一つ上で誕生日が来れば今年成人を迎えるが、事を為した後では説得力は薄い。それに年齢どうこうは建て前で、気持ちに整理をつける意味でも時間が欲しいと言うのが、リィンの本音だった。
 とはいえ、リィンの答えを聞き、アリサも内心はほっとしていた。まさか、アルフィンたちがあんな行動にでるとは思ってもいなかったからだ。
 ラインフォルトの令嬢とは言ってもアリサは祖父や両親の影響もあって、どちらかと言えば平民に近い考え方を持っている。
 そういう選択肢を考えなかったわけじゃないが、アルフィンたちのように堂々と開き直れる自信はなかった。
 でも――

(二年ってことは十八歳以上がリィンの守備範囲ってことよね? そ、それじゃあ……)

 現在のアリサの年齢はリィンと同じ十九歳。
 その理屈で言えば、アリサが迫ればリィンは返事を先延ばしすることが出来ないと言うことだ。
 ふと、アリサの頭を過ぎったのは、以前リィンから言われた言葉だった。

 ――その気があるなら、ラインフォルトの名を捨てろ。そしたら考えてやる。

 ラインフォルトの名を捨て、クラウゼルの姓を名乗る自分を想像してアリサは顔を真っ赤にする。だが、同時に不安にも駆られる。
 二年は長いようで短い。その時になって、エリィの時のように後悔することになるのは嫌だった。
 いまなら二人きりだ。VIP用に準備された劇場の特別席は仕切りがされていて、邪魔が入ることもない。

「リ、リィン。あのね……」

 だから勇気を振り絞ってリィンの気持ちを確かめようとした、その時だった。

「ふーん。あなたが噂の団長さん? リーシャの選んだ相手ね」

 二人きりのはずの客席に、見知らぬ女性がいた。いや、その顔にはアリサも見覚えがあった。
 腰元まで届く艶やかなブロンドの髪。モデルのような長身に端整な顔立ち。女性も羨むようなプロポーション。
 彼女こそ――

「自己紹介がまだだったわね。イリア・プラティエよ」

 劇団アルカンシェルの看板スターだった。


  ◆


「てっきり、リーシャと一緒だと思ってたのに別の女を連れてくるなんて……」
「す、すみません……」
「ああ、いいのよ。あなたを責めているわけじゃないから、そこの彼が女誑しってだけの話でしょ?」

 あなたも苦労するわね、とイリアに肩を叩かれて、アリサは苦笑する。

「……俺とアリサへの態度が違わないか?」
「私からリーシャを取ったんだから当然でしょ? そのくらい聞き逃しなさい」

 濡れ衣だと反論したかったが、また藪蛇になりそうな気がしてリィンは黙る。

「今日は楽しんでいって。あと、リィンくんだっけ? キミとは終わったら話があるから勝手に帰らないでよ? 逃げたら船まで押し掛けるから……」

 そう言い残して立ち去るイリアを見て、冗談ではないだろうとリィンは溜め息を漏らす。

「……なんだか、凄い人ね」
「あの自由奔放さは、シャーリィ以上かもな」

 確かにそうかもと、アリサはリィンの話に納得する。
 イリアに誘われて劇団に入ったという話だが、あの勢いで迫られたらリーシャが折れるのもわからない話ではなかったからだ。

(やっぱり、リーシャ絡みだったか)

 そのことからも、チケットが送られてきた経緯にリィンは察しを付けていた。
 彼女のことだ。街にいるのならリーシャの方から顔を見せにくるだろうと待っていたのに一向に会いにくる気配がなく、ならばと痺れを切らしてリィンを呼びつけたのだろう。
 女難の相でもでてるじゃないかと、ここ最近のことにリィンは頭を抱えそうになる。
 リーシャがこの街を去ったのは、彼女の意志だ。団に誘ったのはリィンだが、そのことを責められても困るというのが本音だった。
 そして、

「ところで、さっき何を言おうとしたんだ?」
「……え?」

 先程アリサが何かを言おうとしていたことを思いだし、そのことを尋ねた。
 不意打ちとも言えるリィンの質問に、アリサは一瞬呆気に取られ、

「ち、ちがっ! なんでもないからッ!」
「そ、そうか?」

 頭の処理が追いつかず、顔を真っ赤にして言い逃れをする。
 しかし船に戻ってから、また後悔することになるのは言うまでもなかった。



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