番外『暁の東亰編』



 ――やれる!
 コウは自分たちの力が魔王に対して有効であることを実感し、闘志を燃やす。
 ソウルデヴァイスはただの異能ではない。そもそも魂を物質化した武器であるため、迷宮などの〈異界化(イクリプス)〉の影響を受けた場所でしか顕現できないという欠点を抱えているが、怪異に対しては絶大な威力を発揮する。それは即ち怪異と同じ性質を持つ魔王にとっては天敵とも言える武器であることを証明していた。
 それに実力的にはリィンたちに及ばないコウたちだが、リィンやシャーリィにはない強みもある。それは仲間との連携力(コンビネーション)だ。実力では劣っていても仲間と力を合わせれば、一人の力で敵わない相手とでも戦える。彼等はそうして数多の怪異と戦い、多くの事件を解決に導いてきた。
 一方でリィンとシャーリィの場合、個としての力が強すぎるために他者との連携が上手く取れない。合わせようと思えば合わせられるだろうが、それでは実力を発揮できず結局は足枷になってしまう。それは彼等の強みであり弱点とも言えた。

「いきますッ――天翔脚!」
「凍てつけ、ブリザードピアス!」

 ソラの動きに合わせてアスカもまた細剣を構え、冷気を纏った一撃を放つ。氷結の嵐が魔王の全身を包み込み、動きを鈍らせる。

「喰らえっ! ラウンドエッジ!」 

 その好機を逃すまいとコウは連結刃を解放し、鞭のようにしならせた刃で魔王の身体に傷を刻みつけていく。
 しかし、絶え間なく攻撃を浴びせられつつも魔王は反撃の手を休めない。放たれる無数の光の矢が弾幕となって前衛の三人に襲いかかった。

「イノセントエッジ!」
「ブリリアントレイ!」

 だが、二人に襲いかかる光の矢をミツキとリオンが撃ち落とす。
 魔王の強さはランクに換算すれば、SSS以上は確実。幾ら〈適格者〉とは言っても一人では手も足もでない相手だ。
 そんな神話級グリムグリードに数えられる怪物を相手に、確かに彼等は互角の戦いを演じていた。

(皆……本当に強くなった)

 コウたちに比べればアスカは頭一つ飛び抜けた実力を有しているが、目の前の怪物に一人で拮抗することは出来ないだろう。それが可能なのは、リィンやシャーリィのような極一部の強者だけだ。だからアスカは思う。これは紛れもなく彼等の実力だと――
 ネメシスの執行者に任命されて三年。それ以前からも彼女は裏の世界で技術を学び、自らを鍛え続けてきた。そんなアスカにコウたちは迫るほどの力を見せていた。
 戦闘技術などは努力をすれば身につくものだ。しかしソウルデヴァイスの強さとは技術や経験だけではどうにもならない。魂――想いの強さこそが、ソウルデヴァイスが持つ本来の力を引き出すために必要なものだ。そしてそれこそが〈適格者〉に最も必要な資質と言ってもいい。この短期間でコウたちがアスカに迫るほどの力を身に付けるに至った理由。それは自分たちが住むこの街を、大切な人たちを守りたいという想い。それにソウルデヴァイスが応えた結果だとアスカは思う。
 だからこそ、彼等に負けてはいられないとアスカは意志を固めた。

「第一、第二、第三拘束術式解放――」

 アスカの瞳が青白く染まり、全身に紋様が浮かび上がる。
 肉体そのものに刻まれるというネメシスの魔導術式。長い歳月をかけて溜め込んだ魔力を一気に解放することで、一時的に自身の力を何倍にも増幅する魔術。それがアスカにとって最大の切り札とも言える力だった。

(父さん、母さん……お願い。私に力を貸して――)

 そのアスカの想いに応えるように剣が眩い輝きを放つ。剣を上段に構えるアスカを見て、彼女が何をしようとしているのかを察し、ミツキは声を上げる。

「時坂くん、ソラさん! すぐにそこから離れてください!」

 ミツキの声に反応し、すぐに魔王との距離を取るコウとソラ。
 それを確認したアスカは力を解き放つ――

「終焉の魔剣――」

 濃密な魔力が場を支配し、アスカの背に幾重もの魔法陣が展開される。
 ギシギシと身体が悲鳴を上げるのが分かる。それでもアスカは引くわけにはいかなかった。
 ネメシスの研究者をしていた父と、執行者をしていた母より託された細剣〈エクセリオン=ハーツ〉。この剣に宿っているのはアスカの魂だけじゃない。十年前、彼女や街の人々を守るために戦って死んだ両親の心が込められていた。
 だからこそ引けない。この剣に込められた想いを無駄にしないためにも――

「コールド=アポクリファ!」

 解き放たれる銀色の光。その直後、大気が震え――世界が凍り付いた。


  ◆


 アスカの剣より放たれた光は魔王を呑み込み、辺り一面を銀色の世界へ染め上げる。
 それを目の当たりにしたリィンは驚いた様子で息を呑む。リィンの切り札〈終焉の炎(ラグナロク)〉が万物を焼き尽くす破壊の力だとするなら、アスカの放った〈終焉の魔剣(コールド=アポクリファ)〉は対象の運動エネルギーを奪い、凍り付かせる絶対零度の力だ。
 方向性は違えど、どちらも究極に位置する異能の力。ネメシスの魔導術式の補助があったとは言っても、一人の人間が扱えるような力ではない。リィンも自身がそういう意味で特殊な存在であることを自覚していた。

(さっき感じた力。あれは……)

 リィンはアスカの細剣から、マクバーンの剣と同質の力を感じ取っていた。
 リィンは知らないことだが、アスカのソウルデヴァイスは厳密には彼女の武器ではない。ネメシスの研究者をしていたアスカの父が調整を施し、執行者をしていた母が使っていた武器。それが〈エクセリオン=ハーツ〉だ。
 いまではアスカの心と結び付き、彼女の武器と呼んでいいものになっているが、本来であればソウルデヴァイスの形状や特性は持ち主の魂に影響され、一つとして同じ物は存在しない。使い手が死ねばソウルデヴァイスも消滅するのが常識だ。故に親子とはいえ、母親のソウルデヴァイスを受け継いだアスカは特殊な例と言えた。

「〈外の理〉で作られた武器か」
「……彼女の武器がそうだと?」
「いや、ソウルデヴァイスそのものが、そうした特性を含んでいるってことだ。まあ、彼女の場合は少々特殊な力も持っているみたいだがな」

 エマの疑問に答え、リィンは視線をアスカに向ける。彼女には何かあると感じていたリィンだったが、まさかこんな隠し球を持っているとは思ってもいなかっただけに驚きを隠せなかった。
 単純な破壊力を比較すれば、ラグナロクに遠く及ばないだろう。それでも使えば敵味方関係なく焼き尽くしかねない力よりは、自分の意思で攻撃する対象を選べるだけ使い勝手の良い技だと言える。

(これは認識を改めた方が良さそうだな)

 アスカたちの力を上方修正するリィン。そのなかには〈適格者〉が重視される理由も含まれていた。
 リィンの知る限り〈外の理〉で造られた武器は二本しか存在しない。それを個人の適性や能力に左右されるとはいえ、自在に使えるというのは凄いメリットだ。現実にはそこまでの力を発揮できる〈適格者〉は極一部に過ぎないのだろうが、マクバーンに剣を折られた経験を持つリィンからすれば脅威と捉えるには十分過ぎる内容だった。

「最初から、これを狙っていたわけか。しかし……ここまでだな」

 パキパキと音を立てて、黄昏ノ魔王の鎧がひび割れていく。
 そして、その中から現れる真紅の扉をリィンは視界に収め、溜め息を漏らした。


  ◆


「……やったのか?」
「いえ、まだよ」

 アスカがまだ力を隠していることにはコウも薄々気付いていた。しかし想像を超えた力を目の当たりにして呆然と呟くコウに、アスカは額に汗を滲ませながら答える。
 長い時間をかけて貯金してきた力だけでなく限界まで霊力を上乗せして放った一撃は、アスカの体力だけでなく寿命をも削り取っていた。

「……上手くいったみたいね」

 黄昏ノ魔王の身体が崩壊し、その中から真紅の扉が姿を現す。アスカの狙い、それは魔王を倒すことではなかった。彼女が〈コールド=アポクリファ〉で狙ったのは魔王ではなくシオリだ。そして、その目論見は成功した。
 リィンの〈ラグナロク〉が魂すら焼き尽くすように、アスカの〈コールド=アポクリファ〉が凍結させるのは物質だけではない。現在シオリの時間は一時的に凍結されていた。時から切り離された彼女は、言ってみれば世界との繋がりを断っている状態だ。何者であろうと、いまのシオリに干渉することは出来ない。それは〈紅き終焉の魔王〉であろうともだ。
 あのまま魔王の力を弱らせてシオリの意識を目覚めさせたとしても、潜在的な危険がなくなるわけではない。完全に〈紅き終焉の魔王〉だけを消滅させるには、一度シオリとの同化を解除させる必要があるとアスカは考えた。

(こんなところで、あの時の体験が役に立つなんてね……)

 以前に皆と行った温泉旅行のことをアスカは思い出す。その時〈異界の子〉と呼ばれる存在が時に干渉して、時間を停止させたことがあった。それを参考にしたわけだ。
 理論上は可能だと言うことはわかっていたが、どう考えても時間を凍結させるには霊力が足りないことがわかっていた。だからシオのやったように命を燃やし、限界まで霊力を注ぎ込んだのだ。
 本当なら、こうして立っているだけでも辛い。意識を保てているのは、アスカの強靱な精神力があってこそだ。とてもではないが、これ以上の戦闘継続は難しいだろう。だからアスカはコウに委ねる。そのために奥の手を使ったのだから――

「私に出来るのは、ここまで。ここから先は、あなたの仕事よ。時坂くん」

 アスカの霊力では、シオリの時間を凍結させるだけで精一杯だった。
 恐らくあの扉は〈紅き終焉の魔王〉が(シオリ)を守るために生み出した迷宮へと通じている。迷宮の主である魔王を倒せば、シオリは解放されるはずだ。正直に言って、それでもかなり難しい賭けだということはわかっていた。
 自分の力不足が原因で、結局は彼等をあてにするしかない。プロとして失格なのかもしれない。だが、アスカに出来るのはここまでだ。リィンあたりに言わせれば、どんな切り札を用いようと結果を残せなければ意味がないと言うのだろう。
 アスカも彼の言葉を否定は出来ない。力のない正義が無力だということを、彼女は嫌と言うほど理解していた。それでも十年前、彼女は両親に救われた。その両親の死が無駄だったとは思わない。だからこそアスカはコウを――ここまで一緒に戦ってきた仲間たちの力を信じたかった。
 
「シオリさんを助けるんでしょ? 男の甲斐性の見せ所よ」

 こんな時も茶化しながら笑って話すアスカに、コウは何も言えなかった。
 明らかに状態が悪いことは見て取れた。本当なら、こんな状態の彼女を置いていきたくはなかった。そんなコウの苦悩に気付いた様子で、ミツキはコウと視線を合わせると静かに頷いて応える。
 目を瞑り考える素振りを見せるも、ソウルデヴァイスを手にコウは扉へ向かって歩みを進める。思い悩んだ表情をしながらも、コウの後に続くソラとリオン。これでいい、とコウが行ったことを確認して膝をつくアスカ。強がりも、そこが限界だった。
 遂には意識が途絶えそうになり、フラフラと地面に倒れそうになったアスカをミツキが支える。

「……あなたは行かないの? ミツキさん」
「行きますよ。でも、その前に――エマさん、お願い出来ますか?」

 ミツキの頼みを理解して、リィンに確認を取るようにエマは視線を向ける。そんなエマに「好きにしろ」と言った様子で、リィンは顔を背ける。ミツキたちとの関係を気にしたからなのだろうが、その程度のことで怪我人を放っておくほどリィンは狭量ではなかった。
 それに強がってはいるが、アスカの症状が相当に悪いことはリィンにもわかっていた。あれほどの力を使った後だ。そもそも後遺症がない方がおかしい。
 リィンとてラグナロクを使った後は、すべての異能が一時的に使えなくなると言った代償を抱えているのだから――

「無茶をしましたね。こんなに霊力を消耗して命に関わりますよ」
「……命を懸ける理由が、私にもあったというだけの話よ」

 アスカの容態を見ながら、エマは魔術で回復を促す。このまま放置すれば命の危険すらあり得るほどに霊力を消耗していたからだ。
 それを顔に出さずコウに強がって見せたのは、アスカの意地でもあるのだろう。

「ありがとう。少し楽になったわ」

 治療をしてくれたエマに笑みを浮かべ、礼を言うアスカ。周囲のマナを活性化することで霊力の回復を少しだけ早める程度の術だが、それでも先程までと比べれば随分とアスカの顔色はよくなっていた。
 だからと言って油断できないのは確かだが、これで取り敢えず命の危険は去ったはずだ。

(もう、大丈夫そうですね。あとは――)

 アスカの容態を確認してミツキは安堵すると踵を返し、コウたちの後を急いで追い掛けようとする。

「待て」

 しかし、そんな彼女を引き留めたのはリィンの一言だった。

「何か勝算はあるのか? あれは、しつこさだけなら筋金入りの魔王だ。さっきの魔剣以上の秘密兵器があるのなら分かるが、アレ以上の攻撃手段はないんだろ?」
「それは……」

 根性論で勝てるのなら苦労はない。そのことはミツキもわかっているのだろう。だからこそ何も反論することが出来なかった。
 先程までの戦いを見ていた限り〈紅き終焉の魔王〉と戦ったことのあるリィンから見て、コウたちの勝算は限りなくゼロに近いと考えていた。ソウルデヴァイスという怪異に有効な武器があろうと、それを使うのは先日まで素人だった子供ばかりだ。
 まだアスカやゴロウのように専門の訓練を受け、実戦経験のある実力者が一緒であれば僅かながら勝算もあっただろう。
 彼等にとって不運だったのは、シーカーによってゴロウとシオが戦線を離脱したことだ。

「……もしかして、手伝って頂けるのですか?」
「やっていいならな。だが、俺はそこの彼女のように甘くない。結果がどうなるかはわかっているんだろう?」

 リィンならどうするかを想像して、ミツキは唇を噛む。一番簡単なのはシオリを殺すことだ。そうすれば〈紅き終焉の魔王〉は依り代を失い、この〈災厄の匣(パンドラ)〉も崩壊するだろう。魔王も〈夕闇ノ使徒〉が呼んだものなら、シオリを殺すことで消える可能性は高い。しかしそれは彼等には――特にコウには絶対に受け入れられない選択だった。

「だから、お前が決めろ。このままアイツ等を死なせるか、それとも助けを乞うか」

 ミツキは目を瞠る。リィンの迫った選択は彼女にとって余りに非情なものだった。
 シオリを取るか、コウたちを取るか、どちらかを決めろと言われているに等しい。
 だからアスカも弱った身体で、リィンを睨み付ける。

「あなた、何を……」
「はっきりと言ってやる。さっきの一撃で殺しておくべきだった。それをしなかったのは甘さだ。プロを自称していながら、アイツ等を死地に追いやったのはお前だよ。柊アスカ」
「……ッ!?」

 否定する言葉が見つからず、アスカは顔を青ざめる。
 先程の技をシオリを助けるためにではなく殺すために使っていれば、勝負は決していたかもしれない。それが出来なかったのは彼女の優しさであり、プロに徹しきれない甘さでもあった。
 あの一撃こそ、コウたちが魔王を倒せる唯一のチャンスだったとリィンは考えていた。
 アスカの使った〈コールド=アポクリファ〉に代わる攻撃手段がない限りは、彼等だけで魔王を倒すことは不可能だろう。

「それじゃあ、どうしろって言うのよ! シオリさんを犠牲にしろって言うの!?」
「そうだ」

 声を荒げるアスカに、はっきりとリィンは断言した。
 アスカは怒りと悲しみ、困惑の入り混じった複雑な瞳をリィンに向ける。
 だが、リィンはそんなアスカに無慈悲な言葉を叩き付ける。

「何か勘違いをしていないか? 俺たちのいる世界は、そういう世界だ」

 過去、自分が関わってきた戦争や任務を思い起こしながらリィンは答える。
 任務の最中、怪我を負って動けない仲間を手にかけたことや、戦場で敵として出会ったばかりに酒を酌み交わした友人を殺めたこともあった。
 裏に生きる人間であれば、誰もが心に闇を負っている。忘れたい過去、辛い過去があるのは自分だけではない。
 救えなかった人々、助けられなかった仲間、多くの辛酸を舐めたことがあるはずだ。

「アイツ等が覚悟が出来ていないのは仕方がない。能力に目覚めるまで何も知らない学生だったって言うじゃないか。だが、そこのお嬢さんやお前は自分たちを裏の世界を知る人間だと言った」

 彼等の考えを否定するつもりはリィンもなかった。仲間や家族を大切に想う気持ちはリィンにも分かる。しかし結局、人は選択することでしか前に進めない。すべてを救えるなんていうのは甘い理想だ。だからこそ裏の世界を知る人間は選択を迫られた時、決断をしなくてはならない。選択に迷えば自分だけでなく仲間や、より多くの人々の命を危険に晒すことに繋がるからだ。
 ミツキがシオリを殺すことを容認したと知れば、コウたちとの溝は大きく深まるかもしれない。
 それでも彼等が選択できないのであれば、恨みを買ってでも決断するのが裏の世界に関わる人間の責任だ。

「裏の関係者だ、プロだと言うのなら逃げずに責任を果たせ。それが、お前たちの為すべきことだ」

 だからリィンは、それが彼女たちにとって非情な選択となることを知りながらも決断を迫った。



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