番外『暁の東亰編』



「――と、言うことがあってだな」
「意味が分からないんだけど!? それと私がここに連れて来られたことに、どういう関係があるのよ!」

 レムのことを伏せながら、リィンは鷹羽組の若頭と知り合った経緯をリオンに説明する。しかし、リィンの説明に意味が分からないと抗議するリオン。
 今日は仕事もオフということで蓬莱町にあるカラオケボックスで気持ちよく歌っていたら、リィンに歓楽街にある高級クラブに連れて来られたのだ。彼女が怒るのも当然だった。

「……なりゆき? というか、道連れ?」
「殴らせなさい。一回、本気で殴らないと気が済まないわ……ッ!」

 表通りを歩いていたら綺麗な歌声が聞こえたので、カラオケボックスを覗いて見たら案の定リオンの姿を発見したのだ。
 それで、ついでとばかりにリオンを引っ張ってきただけだったので、それ以上の理由を聞かれてもリィンとしても答えようがなかった。
 敢えて理由を挙げるとするならば、道連れを探していたというのが適当だろう。

「まったくアイドルに酌をさせるなんて……」
「いや、お前……食ってるだけだろ?」

 未成年だから仕方ないでしょ、と反論するリオン。そんな彼女の前にはケーキとジュースの入ったグラスが置かれていた。
 その隣でリィンはと言うと、リオンと実年齢は変わらないはずなのだが、ちゃっかりと酒を嗜んでいた。
 それもゼロが五つは並ぶ高級酒だ。迷惑を掛けたお詫びということで、ここの代金はすべて鷹羽組が持つとエイジが言ったためだ。

「そう言えば、アンタ。あれからレイカたちに連絡取った?」
「いや、なんでだ?」
「……本気で死ねばいいのに」

 この女泣かせめ、と本気で悪態を吐くリオン。それも泣かされているのが自分の親友だから尚更だった。
 仕事の度にレイカたちにリィンのことをそれとなく聞かれるリオンからすれば、本当に堪った話ではない。
 そのこともあって「後で連絡先を教えなさいよ」とリオンに言われ、リィンは渋々と言った様子で了承した。

「ククッ、面白い連中だ。出来れば、うちにスカウトしたいくらいだ」
「悪いが、遠慮しとく。杜宮(ここ)に腰を落ち着けるつもりはないんでね」

 リィンが断ることがわかっていたようで、「そうか」とエイジは酒の入ったグラスを傾けながら納得した様子を見せる。
 そして何かを思い出した様子で、リィンに別の話を振った。

「そう言えば、北都のお嬢さんのところに厄介になってるんだろ? そっちはよかったのか?」
「あー。とはいえ、ガス抜きは必要だからな」

 シャーリィを見ながら、そう話すリィンを見て「なるほど」とエイジは納得する。
 子分たちの件は自業自得と思ってはいるが、本当に運のない連中だとエイジは苦笑した。
 そうしてシャーリィに話を振るエイジ。

「楽しんでるか? その歳で随分と慣れているみたいだが……」
「うーん、そこそこ? 〈赤い星座(うち)〉も表向きに、こういう店をやってたからね」

 リィンとシャーリィがどこかの組織に所属しているという話は聞いていないが、そういうこともあるかとエイジは一先ず納得した。
 そんなエイジとリィンたちのやり取りを見て、呆気に取られるリオン。
 胡散臭そうな表情で、リィンを半眼で睨みながら気になっていたことを尋ねる。

「……前から聞こうと思ってたんだけど、アンタたちって何者よ?」
「戦争を生業とした、ただの傭兵」

 そもそも傭兵という時点で一般人には馴染みがない。それだけにリィンの説明は胡散臭いこと、この上なかった。
 まともに話す気がないのだと察し、リオンは不機嫌そうに頬を膨らませジュースを啜る。そんな時だった。バンッと勢いよく扉を開ける音がしたかと思えば、バタバタと慌てた足取りで一人の男が店内に姿を見せた。紫色の派手なスーツに特徴的なワカメ頭を見て、「あっ」とリオンは声を上げる。あの顔、あの頭、見忘れるはずがない。御厨トモアキだ。

「連絡が付かないと思ったら、こんなところにいたのかいッ!?」
「どうした? 随分と慌てた様子で?」
「どうしたもこうしたもない! 例の彼女が目を覚ましたとラボから連絡が入って、キミたちを捜していたんだ……あっ!」

 そこまで口にして、トモアキはようやくリオンの存在に気付く。そんなトモアキの失言に溜め息を漏らすリィン。
 リオンをここに連れてきたのはリィンだが、まさかこのタイミングでトモアキが姿を見せるとは思ってもいなかった。本当に間の悪い奴だとリィンは思う。
 そして、そーっと顔を逸らし何もなかったかのように立ち去ろうとするトモアキの肩に、リオンの手が乗せられた。

「例の彼女って、なんのこと?」

 リオンに笑顔で詰め寄られ、トモアキは声にならない悲鳴を上げた。


  ◆


「まさか、こんな大切なことを黙っていたなんて……」
「報せる義理はないからな」
「アンタねッ!」

 街の郊外へ向かう車の中、シオリが生きていることを聞かされたリオンは、そのことを黙っていたリィンに詰め寄った。
 彼女自身がシオリの死を悼んでいたというのもあるが、それ以上にコウの気持ちを考えるとリィンを責めずにはいられなかったからだ。

「で? アイツ等に知らせるのか?」
「それは……」

 ある程度、心に区切りを付けたとは言っても、傷が癒えるのには時間が掛かる。
 あれから一週間、平気そうに振る舞ってはいるが、コウがシオリのことをまだ引き摺っているのは誰の目にも明らかだった。
 そんなコウにシオリが生きていると伝えれば、どうなるだろうか?

「……とにかくシオリと話してから判断するわ」

 リオンは判断を保留する。コウに伝えれば、今度こそシオリを助けようとする。リオンも同じ立場なら、きっとそうするだろうと断言できる。しかしそれが正しいことなのか、リオンは迷っていた。
 リィンがただの嫌がらせで、シオリのことを黙っていたとは思えない。だとすれば、そこには何か理由があるはずだ。だから、それを確かめてからでも遅くはないとリオンは自分に言い聞かせる。そんなリオンから視線を逸らすようにリィンが窓の外に目を向けると、森の中に佇む白い建物が見えてきた。

「着いたみたいだな」

 車から降り、建物を見上げるリィン。
 御厨グループが管理する研究所の一つ。ここでは異界に関する研究が行われていた。

「はぐれないように付いてきてくれよ? ここには機密も多いからね。セキュリティが厳しいんだ」

 リィン、シャーリィ、リオンの三人にゲスト用のIDカードを渡し、注意するトモアキ。
 本来であれば部外者は立ち入り禁止の場所だ。シオリの件は仕方がないにしても勝手にうろつかれて、万が一にでも壊されたり紛失されたりしたら困る貴重な代物が、たくさんここには保管されていた。
 トモアキの案内でセキュリティレベルが最も高い、奥の区画へと向かうリィンたち。
 窓一つない無機質な廊下を歩いていると、その先で白い狐が待っていた。

「ふむ、ようやく来たようだな」
「なんだ。お前もいたのか」
「あの者は我の眷属だからな。いてもおかしくはあるまい」

 九尾だ。恐らく、ずっとここでシオリを見守っていたのだろうとリィンは察した。
 何気に律儀な奴だと思いながら、リィンは肩をすくめる。

「……狐が喋ってる」
怪異(グリード)に比べたら喋る狐くらい珍しくもなんともないだろ」
「え? うん……そういうものかしら?」

 何か騙されているような気がするが、あの時の九尾とは気付いていない様子で首を傾げるリオン。そして四人は、九尾の後ろにある扉へと足を進めた。
 この扉の先にシオリがいる。そう思うと、なんとも言えない緊張がリオンを襲う。
 どんな顔をして会えばいいだろうか? 最初になんて声をかけようか?
 そんなことをリオンが必死に考えていると、プシュと言う音と共に扉が横に開いた。

「リオンちゃん?」
「シオリ……」

 そして目が合う。水色の検査衣を纏ったシオリの姿がそこにあった。
 目の前にいるのがシオリであることは間違いない。そう確信しながらも、リオンは息を呑む。
 以前見た時は肩口までしかなかった黒髪が、膝下に届くほどの長さの白髪へと変貌していたからだ。
 その髪の色は九尾の眷属となった証。シオリが別の存在へと生まれ変わった証明でもあった。

「……変、だよね?」

 リオンの様子を見て、自分の髪を弄りながらシオリはそんなことを呟く。しかし、リオンは首を横に振る。
 シオリはシオリだ。どんな姿になっても彼女がコウの幼馴染みで、自分にとっても友達であることに変わりはないとリオンは思う。

「そんなことない、白い髪も似合ってるわ。アイドルの私が言うんだから間違いないわよ!」

 だから、リオンは笑顔でそう答えた。


  ◆


「いいの? リィン」

 シャーリィの質問にリィンは無言で答える。シオリとリオンを二人きりにしていいのかと尋ねていることはわかっていた。
 しかしセキュリティの厳重な窓一つない研究所から、シオリを連れて逃げ出すなどリオンだけでは不可能だ。ソウルデヴァイスがなければ彼女など、どこにでもいる非力な少女でしかない。それに、あの状態のシオリを外に連れ出すような真似はリオンと言えど――いや、シオリのことを大切に想っているからこそ、リオンには出来ないだろうとリィンは考えていた。
 問題は、もう一人の方だ。

「来たみたいだな」

 待ち人が現れたことを察して、リィンは扉の前へと足を進める。
 シオリのいる部屋には、この廊下を通るしかない。ここで待っていれば、彼女が来ることはわかっていた。

「……捜しましたよ。リィンさん」
「悪いな。少し息抜きがしたくてね」

 悪びれた様子もなく、そうミツキに答えるリィン。彼女こそ、リィンの待ち人だった。
 リオンのことは本当に偶然だが、鷹羽組の裏にミツキがいることにリィンは気付いていた。エイジが高級クラブに誘ったのも、監視とミツキに連絡を取るための時間を稼ぐためだと気付いていて、その思惑に乗ったのだ。
 ミツキがなんの監視も付けずに、リィンたちを放置するはずがない。しかし前に猟犬を使っての監視に失敗していることから今度は気付かれるのを前提に、鷹羽組を使ったのだとリィンは考えていた。監視に気付かせることで相手を警戒させ、動きを制限する。そうすることで相手の出方を待ち、いざという時はすぐに対処が可能なように網を張っていたのだろう。その網にトモアキが掛かったというわけだ。

「それで? ここに来たのは、それだけが理由じゃないんだろ?」
「いろいろと聞きたいことはありますが、私にはリィンさんを責める資格がありませんから……」

 悲しげな表情を浮かべながら、そう話すミツキ。
 仲間の命と天秤に掛け、シオリを切り捨てたことを言っているのだとリィンは察する。

「トモアキさん、今回は見逃します。ですが、次はありませんよ」
「うっ……はい」

 廊下の陰に隠れるトモアキに気付き、ミツキは若干呆れた様子で釘を刺す。脅されたのか、唆されたのかは分からないが、査問中の身で大それたことをしでかしたトモアキに呆れていた。しかし、少しだけ感謝もしていた。自分であれば、シオリを庇いきれなかっただろうと思っていたからだ。
 リィンがここに内緒でシオリを匿ったのは、彼女を衆目に晒さないためでもあるとミツキは察していた。シオリが生きていることが露見すれば、他の組織は勿論のことゾディアックも黙っているわけにはいかなくなる。特に聖霊教会は異界の存在を認めていない。最悪、杜宮の異変の元凶ともなり、怪異と化したシオリを抹殺しようと動くだろう。だから感謝こそすれ、リィンやトモアキを責めるつもりはミツキにはなかった。

「会っていかないのか?」

 ミツキにリィンは尋ねる。彼女がシオリに負い目を感じていることはわかっていた。
 しかし、シオリはきっとミツキを責めたりはしないだろう。彼女もそのことはわかっているはずだ。それでもミツキは首を横に振る。自分にはその資格がないとでも思っているのだろう。それがミツキのだした結論なら、リィンは特に何かを言うつもりはなかった。
 責任を果たせと言ったのはリィン自身だ。そしてミツキは決断した。ただ、それだけのことだ。

「リィンさん、一つだけ聞かせてください」
「……なんだ?」
「辛くはないですか?」

 それは自身に向けた言葉でもあった。
 リィンに言われて気付いたことがある。両親や祖父もきっと、このような苦渋に満ちた決断を何度も繰り返してきたのだろう、と。
 それが上に立つ者の責任であり義務でもあるのだと、ミツキはまだ納得することが出来る。しかしリィンは別だ。
 彼にはシオリのために、そこまでする義理がない。なのに明らかにリィンはシオリのために骨を折っている。一度は殺そうとした相手に、どうしてそこまでするのかミツキには分からなかった。
 そんなミツキの質問に、リィンは苦笑を漏らしながら答える。

「そういう生き方しか知らないからな」

 今更だ。そう言って、リィンは踵を返しミツキの前から立ち去った。
 そんななか俯くミツキを見て、シャーリィは頭の後ろで手を組みながら嘆息すると、

「リィンも迷ってるんだと思うよ」

 そんなことを口にした。

「迷っている? リィンさんが?」

 リィンは常に迷うことなく自分が正しいと思う行動を取ってきた。それはプロとして強い信念と覚悟を持っているからだとミツキは思っていた。
 実際、シオリを手に掛ける時にも迷いがなかったように思える。なのにリィンが迷っているというのはミツキからすれば俄には信じがたいことだった。
 しかし、シャーリィの考えは違っていた。リィンとて人間だ。迷うこともあれば、間違えることもある。

「そうでないなら、とっくに殺してる。それが手っ取り早いっていうのもあるけど、あの子のためでもあるだろうから」
「……シオリさんが死を望んでいると?」
「そこまではシャーリィにも分からないかな。でも、人間じゃなくなったあの子が元の生活に戻るのは難しいってことくらいは分かるよ。それこそ裏の世界に身を置くか、ずっと閉じ籠もっているしかないんじゃない?」
「それは……」

 シャーリィが言うように、シオリの置かれている状況の危うさはミツキも理解していた。
 いまのままではシオリは人間らしい生活を送ることは出来ない。家族の元へ帰ることも、前のように友人と学園に通うことも難しいだろう。十年前と先日を合わせ、倉敷シオリは二度死んだのだ。
 だから、生まれ変わった彼女が取れる選択は二つに一つしかない。九尾の眷属として共に眠りにつくか、多くの人間に疎まれ狙われることを承知の上で裏の世界に身を置くか、そのどちらかしかない。
 どちらも選ばないとなれば、シャーリィの言うように死を選ぶしかないだろう。

「ま、選ぶのは本人だけどね。リィンも明日の夕暮れまでは待つって言ってたし」
「明日……それは、まさか!」

 明日までと聞いて明らかな動揺を見せるミツキ。その言葉が意味することはミツキにもわかっていた。
 リィンならシオリが死を望めば、今度こそ確実に彼女を殺すはずだ。

「どうして……シオリさんを助けるために、こんな真似をして匿ったのではないのですか!?」
「誤解があるみたいだけど、リィンは選択の機会をあげただけで別に助けようとしたわけじゃないよ。自分の運命は自分で決められるように、目を覚ますまで待ってあげただけ。それで十分だと思うけど?」

 もし、シオリが死ぬことを望んだら? 明日までに答えをだすことが出来なかったら?
 リィンなら彼女を殺すことに躊躇しないだろうとミツキは思い、顔を青ざめた。

「仲間にあの子のことを伝えるなら、よーく考えてからの方がいいよ」

 ミツキに釘を刺すと、シャーリィはひらひらと手を振りながら立ち去る。
 そんなシャーリィの背中をミツキは黙って見送ることしか出来なかった。


  ◆


 相変わらずシオリの部屋の前に居座り、床に寝そべって丸くなっている九尾にリィンは声をかけた。

「一つだけ聞かせてくれ。彼女の願いは叶っているのか?」

 それはこの一週間、ずっと気になっていたことだった。
 あの時、九尾はシオリの願いを聞き届け巫女にしたと言っていた。しかし、九尾の眷属になって悠久の時を生きることがシオリの願いだったとは思えなかった。
 確かに命は助かったが人間でなくなってしまえば、以前の生活に戻ることは出来ない。別世界から魔王を呼び寄せてまで願いを叶えようとしたことを考えれば、どうにも腑に落ちなかったのだ。

「無論、我が巫女としたのだ。願いを聞き届けるのは当然であろう」

 それは肯定だった。だからこそ、リィンは確信する。
 九尾はあの時、巫女の願いが自身の思惑に沿っていたと口にしていた。しかしシオリがリィンたちの排除を願ったとは余りに考え難い。
 だとすれば、その願いが間接的にリィンたちの排除へ繋がったと考えれば、自然とシオリの願いにも想像が付く。

「いまのではっきりとしたよ。ずっと不思議に思っていたんだ。トワたちが聞いたという倉敷シオリの声。あれを届けたのは、お前だったんだな」

 あの時、魔王に身体を奪われていたシオリに、そんな余裕があったとは思えない。ならば、誰かが手を貸したと考えるのが自然だ。そう考えると目の前の九尾以外に、そんな真似が出来る者が思い浮かばなかった。
 しかし、それが願いと言うことはないだろう。恐らく声を届けるというのは副次的なものだ。

「そこまでわかっていて、願いの内容を聞きはせぬのだな」
「聞かなくとも大体の察しはつくしな」

 答えを聞かずとも、リィンにはシオリの願いの内容がわかっていた。
 九尾に尋ねたのは、自分の考えを確かめたかったためだ。
 それだけ聞ければ十分だとリィンは九尾の横を通り過ぎ、シオリの部屋へと入っていく。

「面白い人間だ」

 そう口にして、九尾は心の底から愉しげに笑った。



 

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