「メリッサ・バルタ、三さいです!」

 はきはきとした声で、ニパッと笑いながら挨拶をする幼い少女。
 そんな愛らしい少女の姿に耐えきれず、美嘉と周子は「可愛い!」と黄色い声を上げながらメリッサを抱きしめる。
 いつもは冷静な奏も、輪に交ざりたそうな顔でソワソワとした様子を見せていた。

「悪いな。メリッサちゃんの面倒を看てもらって」

 そんな彼女たちを見て苦笑を漏らすと、太老は作業の手を進めながら感謝を口にする。太老が先程から真剣に弄っているのは、346に提供したARの装置だ。
 ここ二週間ほどで346のスタッフもある程度は使いこなせるようになったとはいえ、専門の知識を持つ技術者と言う訳ではないので、アイドルたちの細かい要望に応えることや、予期せぬトラブルへの対応は知識と経験が不足していることもあって完璧に対応すると言うのは難しい。ましてや秋の定期ライブが開催されるのは来月だ。
 準備の時間も余り残されておらず、346と891の合同企画は世間からの注目を浴びている分、冬のコンサートへの影響も考えると失敗が許されないこともあって、万全を期すために太老が手を貸すことになったと言う訳だ。
 複数の画面を見ながら人間離れした速さでキーボードを操作する太老の姿に、後学のためにと集まったスタッフも驚きを隠せない様子で目を瞠る。
 そんななか美嘉は少し返事に逡巡した様子を見せると、先程から気になっていたことを太老に尋ねた。

「い、いえ、それは構わないんですけど……この子って……」

 太老にメリッサの相手を任されたはいいが、詳しい説明を美嘉たちは受けていなかった。
 そのため、ずっと太老とメリッサの関係が気になっていたのだ。

「うちの社員の子供でな。今度346との合同企画を任せることになったんだが、一人で留守番させるのも可哀想なんで連れてきたんだ」

 太老の説明に「なるほど」と納得の表情を見せる美嘉。
 ないとは思うが「まさか太老さんの隠し子じゃ……」と不安を滲ませいただけに、安堵の息が漏れる。

「よかったわね。心配したような話じゃなくて」
「でも、それはそれで恋が燃え上がる可能性も? 略奪愛って燃える展開だよね」
「な……な、なに言って!?」

 そんな考えを見透かされたようで、奏と周子のツッコミに美嘉は動揺した様子を見せる。
 しかし、事実だけに何も言い返せなかった。実際にそんな風に考えたのは嘘ではなかったからだ。
 さすがに略奪愛……なんて飛躍した考えは持っていなかったが、太老がモテることはなんとなくわかる。ライバルが多いことは察しが付いていた。
 聞かれてないよね? と美嘉は不安になりながらチラリと見るが、太老は作業に集中しているのか気付いていない様子だった。
 ほっと安堵の息を吐いたところで、背後から扉を開く音が聞こえ、美嘉たちは振り返る。
 すると、そこには白いスーツ姿の美しい女性が立っていた。
 アイドルをしている少女たちから見ても、息を呑むほどの美人。
 見た目は二十代半ばの落ち着いた大人の女性と言った風貌で、三十には達していないだろう。
 こんな美人、346にいたっけ? と美嘉と奏に尋ねる周子。だが二人も心当たりがないのか、首を左右に振る。

「太老様、申し訳ありません。メリッサの面倒を看て頂いて……」

 だが、すぐにその答えは明らかとなった。
 ママ! と声を上げ、メリッサが女性に駆け寄っていく姿を見て、美嘉たちは彼女がメリッサの母親なのだと察したからだ。
 でも、こんなに若くて綺麗な人が一児の母親だなんて、現実を目の当たりにした後でも信じられないと言った様子が美嘉たちの表情からは見て取れた。
 そんな困惑を顕にする美嘉たちを横に、太老は作業の手を一旦止めて返事をする。

「メリッサちゃんの相手は彼女たちがしてくれてたんだけどな。もう、いいのか?」
「はい。関係者の方々への挨拶は済ませました」
「そっか。俺はもう少し掛かりそうだから、一階のカフェで待っててくれ。ついでに彼女たちにも何か奢ってやってくれると助かる」

 そう言って女性に財布を投げ渡すと、太老は再びキーボードを叩き始めた。
 女性は「はい」と頷き、美嘉たちの方を振り返ると「娘がお世話になりました」と一礼し、

「本日より346との合同企画プロジェクト・ディーバ≠担当させて頂くことになりました。ルレッタ・バルタ≠ナす」

 にこやかな笑顔で、そう名乗るのだった。


  ◆


「……ルレッタさんって、あのカルティア・ゾケル≠フプロデューサーをなさっているんですか?」

 奏が珍しく驚いた顔を見せる。
 無理もない。彼女たちもそこそこ名が売れ、有名になったとは言っても、カルティアと比べれば天と地ほどの開きがある。
 デビューから僅か三年でアイドル史に残る記録を次々に塗り替え、あの伝説のアイドル『日高舞』の再来とまで呼ばれたトップアイドルだ。
 891の看板を背負ったアイドルは何れも粒揃いだが、そのなかでもカルティアは群を抜いた存在感と人気を誇っていた。
 まさに雲の上の存在。彼女たちが目指す頂に立つ、トップアイドルの中のトップアイドルだ。
 そんなカルティアの担当プロデューサーを名乗る人物が目の前にいるのだから、奏たちが驚くのも当然と言えた。

「はい。彼女も冬のコンサートには出演予定なので、近いうちに顔合わせの機会はあると思いますよ」

 朗らかな表情で美嘉たちの質問に答えるルレッタ。そんなルレッタの話を聞き「楽しみだねー」と奏に話を振る周子。
 平静を装ってはいるが、奏がデビュー当時からのカルティアのファンだと言うことを知っての発言だった。
 実際、周子の言葉に「ええ」と素っ気なく返事をしながらも、どこか浮かれている様子が見て取れた。
 一方で、こんな話を聞けば真っ先に大きなリアクションを見せそうな美嘉が、どう言う訳か緊張した様子で大人しくしていた。
 勿論、驚いていないと言えば嘘になる。だが、それ以上に気になることが彼女にはあったからだ。

「あ、あの……太老さ……正木会長とのことをお聞きしてもいいですか?」
「太老様のことですか?」

 思い切って、そのことをルレッタに尋ねる美嘉。
 メリッサも太老に懐いている様子だし、ルレッタも太老のことを『様』付けで呼び慕っている様子から、もしかしたらと考えたのだ。
 そんな美嘉の様子から、彼女が太老に好意を寄せていることを察したのだろう。
 ルレッタは頬に手を当て、少し困った顔で逡巡した様子を見せると、ゆっくりと美嘉の質問に答え始めた。

「太老様は恩人なんです。私たち親子の……」
「……恩人ですか?」

 少し想像と違った答えが返ってきたことで、美嘉は戸惑いに満ちた声で聞き返す。

「はい。お恥ずかしい話ですが、私の別れた夫……この子の父親が作った莫大な借金で生活に困窮していたところを、太老様が借金の肩代わりを申し出てくださって……」

 遊び疲れたのだろう。膝の上で寝息を立てるメリッサの頭を撫でながら、ルレッタは当時のことを話し始める。
 それは891プロが事務所を起こす前。盤上島と名付けられた孤島で、ルレッタが太老と初めて出会った頃の話だった。
 失踪した夫が作った莫大な借金を抱えながらも、ルレッタは幼いメリッサを懸命に育てていた。
 しかし本来であれば夫が負うべき借金で、ルレッタには責のないことだ。でも、そんなどうしようもない男でも結ばれ、子供を授かった事実に違いはない。自分には関係ないからと言ってしまえば、メリッサの母親を名乗る資格はないと、そんな風にルレッタは考えたのだろう。せめて、結婚してから出来た借金に関しては、自分が完済すべきだとルレッタは考えていた。
 しかし――

「本当は時間が掛かっても働いて返すつもりだったのですが、『大人の都合や意地に子供を巻き込むべきじゃない』と太老様に諭されました」

 そんなルレッタの考えを改めさせたのは、太老の口にした一言だった。
 元より自分でどうにかすると言いながらも、周囲に甘えてしまっていることにルレッタは気付いていた。
 幼い子供を抱えている女性を雇ってくれる仕事など限られている。メリッサに手が掛からないようになったら、本格的に働き始めるつもりではいたが、それまでは周囲に甘えることになるだろう。実際、妹にも既に金銭的な負担を強いてしまっていた。
 何より『メリッサに人並みの生活をさせてあげられるのか?』と言った質問をされれば、ルレッタは首を縦に振ることが出来なかった。
 借金を返しながらの生活となると苦しい生活を強いられることは目に見えており、子供にも寂しい思いをさせることはわかりきっていたからだ。
 だからルレッタは、悩んだ末に太老の話を受けることにした。そして、その恩を少しでも返すために、太老の下で働かせて欲しいと願いでたのだ。

 まさか、カルティアの担当プロデューサーを任されることになるとは思ってもいなかったが、事情を知る者が一緒の方がルレッタも気を遣わずに済むだろうという太老なりの配慮だったのだろう。
 アイドルの担当プロデューサーと言えば多忙に思えるが、891のプロデューサーは護衛と言う側面が強く、仕事については林檎の育てた経理部が一括管理をしているため、ある程度の融通は利かせやすい。子育てについても女性が多い職場とあって周りの理解や協力も得やすく、ルレッタにとっては働きやすい環境となっていた。

「さすが、美嘉ちゃんの会長さん。男だねー」
「ええ、なかなか真似の出来ることではないわ。美嘉が惚気るのも無理はないわね」

 微妙に含みのある感想を漏らす周子と奏に言いたいことはあるが、ぐっと美嘉は言葉を呑み込む。
 反論したところで、またからかわれるだけだとわかっているからだ。それに――

(そっか。この人もアタシと同じなんだ……)

 美嘉は太老との出会いを思い出し、ルレッタに親近感を覚える。
 きっと太老は気にもしていないだろうが、美嘉は太老に諭された言葉を忘れていない。
 あの時、太老が言ってくれた言葉があったから、いまの自分がいる。それはルレッタも同じなのだろうと感じた。

「カルティアも同じなんですよ」
「……え?」
「あの子も太老様に救われて、いまの事務所に入りました。だからきっと仲良くなれると思います」

 カアーッと顔が赤くなるのを美嘉は感じる。
 ルレッタには、最初から気持ちを見透かされていたのだと察したからだ。
 でも、そうなんだと嬉しくなる。自分の知らない太老の話を聞けて、少し幸せな気持ちになる美嘉だった。


  ◆


「ファンシーなセットに可愛い衣装をもっと増やして欲しい?」

 土下座をする男を見下ろしながら、俺は聞き返す。
 346のプロデューサーを名乗る彼は、担当のアイドルが着る衣装のことで以前からスタッフに相談をしていたらしいのだが、秋の定期ライブまで時間が余りないし、いまから修正を加えるのは難しいと断られていたそうだ。しかし今日、武内プロデューサーから俺が来ているという話を聞いて、一縷の望みをかけて直接交渉にきたと言う話だった。

「頼む! これは俺のプロデューサーとしての人生が懸かっているんだ!」

 床に額を擦りつける男。武内プロデューサーとはまた違った方向で、熱い男のようだ。
 少なくとも担当アイドルのために、ここまで出来る人物は他にそういないだろう。
 とはいえ、もう作業も終わりかけてたんだよな。ルレッタとメリッサを待たせているし……。

「これを見てくれ!」

 余り乗り気じゃない俺を見て、一冊のファイルを差し出す男。
 手にとって中身を確認してみると、そこには彼の担当アイドルと思しき女性の写真と、厳選したと思しき衣装の資料が挟まれていた。
 事細かにまとめられた資料からは、彼のアイドルに向ける情熱が伝わってくるかのようだ。
 だが――

「その写真、表情が少し硬いだろ? 人によっては彼女のことを怖いとか言うけど、そんなことない。本当は笑うと凄く可愛いんだ。だから俺は彼女の笑顔を皆に知って欲しい。最高の演出と衣装で大舞台に立たせてやりたいんだ。そのためなら、なんだってする覚悟がある!」

 熱く語る男を見て、そういうことかと俺は納得する。
 向井拓海と言う名前はどこかで聞いたことがあると思ったら、暴走族からアイドルに転身したという異色のアイドルだ。
 美嘉たちと同期で、一部の層から熱狂的な支持を集めていると言う話を何かの雑誌で見たことがある。
 見た目に反して可愛い衣装が多いと思ったら、そういう事情があったのか。ギャップ萌えを狙っていたわけじゃないんだな。

「なんでもするって言ったな。やるからには中途半端で終わらせるつもりはない。納得が行くまで付き合ってもらうことになるけど?」
「望むところだ! 協力してくれるなら、俺はなんだってする。一週間くらい寝ずに仕事をしたっていい!」

 担当アイドルのためなら身体も張る覚悟を見せる男に、俺は少し感動を覚える。
 ここまで言われたら男として、手を貸してやらないわけにはいかないだろう。
 それに可愛い女の子には、可愛い衣装をきて笑って欲しいという彼の言い分も理解できなくない。
 俺も昔、妹のように可愛がっていた少女をプロデュースするのに、情熱を燃やしてた時期があったからな。
 うん……そうだな。あの頃に作った『ぬこ衣装セット』とかどうだろう? あれならデータも残っているし、そう手間も――

「こういうのはどうだ?」
「おお! これは!」
「で、この肉球がポイントでな。尻尾や耳も感情に作用して動くようになってるんだが……」
「素晴らしい! 正木会長! いや、心の友と呼ばせてくれ!」

 そうして俺たちは友情を確かめ合うように、ガシリと握手を交わすのだった。



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