「海賊が脱走した? しかもそいつらが地球に潜伏している可能性がある?」

 まったく予期しなかった話を水穂から聞かされ、太老は唖然とした顔で聞き返す。
 盤上島の一件で捕縛された海賊たちだと言うことは話の流れから察することが出来たが、彼等の逃亡を許したという話が今一つ信じられなかったからだ。
 水穂が一旦は捕らえた海賊をギャラクシーポリスに引き渡す前に逃がすという杜撰な対応をするはずもなく、木星に設けられた収容所は仮≠ニは言っても太老が自ら手掛けた特別製の監獄だ。出口の存在しない鏡面世界に対象を閉じ込めるという、嘗ては白眉鷲羽も自力では抜け出すことが叶わなかった強力な結界が施されていた。
 簡単に抜け出せるような代物ではない。しかし、だからこその油断もあったのだろう。

「……手引きした犯人がいるのよ。既に犯人は拘束済みなんだけど、その人物はギャラクシーポリスから派遣されてきた連絡員でね」

 内側からの脱出は不可能でも、外からの助けがあれば――
 そういうことならと太老は納得する。この手の結界は強力な反面、外側からの干渉に弱い欠点がある。
 ましてやギャラクシーポリスの人間なら、結界の解除キーを手に入れるのも難しい話ではない。
 元々、海賊たちは調査が終わり次第、ギャラクシーポリスに引き渡されることが決まっていたからだ。

「裏がありそうな話だな……」
「同感よ。今回の件、瀬戸様も絡んでいるみたいだから、太老くんにも十分注意して欲しいの」
「げっ……」

 樹雷の鬼姫こと神木瀬戸樹雷が関わっていると聞いて、太老は心底嫌な顔をする。
 しかしギャラクシーポリスのなかに協力者がいるとなると、鬼姫が首を突っ込んでくるのもわからない話ではなかった。
 地球連合国の代表の座を賭けて、盤上島で開かれたゲーム。その勝利者となった駆駒将が海賊ギルドの関係者ではなく地球人であったことを不服として海賊ギルドの不満分子たちが結託し、反乱を企てる事件が起きたのが三年前のことだ。反乱に参加した海賊の数は全体の凡そ三割に達し、事件解決から三年が経過した今でも調査は終了していなかった。
 動機は連盟から承認を受けたばかりの国を乗っ取り、地球を人質に取ることで樹雷を脅し、海賊ギルドの存続を認めさせることで勢力の拡大を狙ったものと思われていたが、その頃からギャラクシーポリスの関係者と接触があったのだとすれば話が少し変わってくる。もし話の筋書きを描いた犯人が他にいるとすれば、ギャラクシーポリスは勿論のこと連盟にも強い影響力を持つ人物が裏で意図を引いている可能性が高くなるからだ。
 明らかに陰謀のにおいしかしない話に鬼姫が関わっていると聞いて、嫌な予感しかしないのは気の所為ではないだろう。
 鬼姫のやり口を骨身に染みて理解している太老と水穂が、二人揃って警戒するのも当然だった。

「でも、そうなると美嘉たちの護衛を見直す必要があるな」

 鬼姫のことは頭の片隅に追いやり、太老は聞かなかったことにしようとする。
 既に手遅れだと言うことは理解しているが、それでも鬼姫の思い通りに動くつもりは微塵もなかった。
 この話を下手に追及すれば、なし崩し的に協力させられることは目に見えているからだ。
 しかし、それはそれ、これはこれ。脱獄した海賊が地球に潜伏している可能性が僅かでもあるのなら、手は打っておく必要がある。
 少なくとも美嘉たちの安全は絶対に確保する必要があると太老は考えた。

「ええ、そのことなのだけど、社内オーディションの選考は来週には終わるのでしょ?」

 そこは水穂も考えていたのだろう。
 元よりカルティアを密かに美嘉たちへ接触させる計画は立てていたが、状況次第では他のメンバーにも危険が及びかねない。
 そこで346との合同企画『プロジェクト・ディーバ』を利用することを、水穂は太老に提案した。
 護衛対象者を一箇所に集め、891からプロジェクトのスタッフとして腕の立つメンバーを送り込むと言う案に、太老は納得する。

「なら、その方向で話を進めましょうか。段取りはこちらで進めておくから、あとのことは任せても大丈夫?」
「まあ、俺が言いだしたことだし……了解。そこはなんとかするよ」

 危険に晒される可能性がゼロではない以上、何も話さないと言う訳にはいかないだろう。
 美嘉たちにも注意を促しておくべきだと考え、太老は水穂の話に頷くのだった。


  ◆


 鷺沢文香と橘ありす。それに新田美波の三人は秋の定期ライブに向けて、全体曲の練習をしていた。
 音楽が鳴り止むと同時に最後のポーズを決めると、その場に腰を落として肩で息をする美波とありす。
 一方で軽く息を切らせてはいるのものの、まだ余裕を滲ませる文香を見て、美波は驚きを隠せない様子を見せる。

「……凄いね。文香ちゃん、いつの間にそんな体力をつけたの?」

 以前は練習についてくるのが精一杯と言った様子で、文香が一番体力の面で後れを取っていたのだ。
 それが現在では立場が逆転して、文香についていけるアイドルは346のなかでも僅かしかいなくなっていた。

「いえ……特別なことは何もしていないのですが……」

 しかし、そんな風に尋ねられても文香にも理由はわからない。実のところ一番戸惑っているのは彼女自身だった。
 以前は身体が弱く、よく体調を崩していたりもしたのだが、ここ最近は自分でも驚くほど調子が良い。
 それどころか余り得意ではないダンスの練習の後だと言うのに、文香はそれほど疲れを感じていなかった。

(もしかして……)

 互いに顔を見合わせて首を傾げる二人を見て、ありすは何かに気付いた様子でレッスンルームの端に置かれた文香の私物に目を向ける。
 ここ最近、何か変わったことがあるとすれば、毎日のように文香が口にしているドリンクがありすの頭を過ぎったからだ。
 でも、普通は栄養ドリンクを飲み始めたくらいで、そんなに劇的に変わるとは思えない。だから最初の内は、ただの気の所為だと思っていたのだ。
 しかし太老の正体を考えると、あれが普通≠フ栄養ドリンクでない可能性は高い。

(特に副作用とかはなさそうですけど……)

 体調を崩す度に心配をしていたから、ありすとしても文香が元気になったのは嬉しい。
 しかし、そのことが原因で周りに不審に思われていることは間違いなかった。
 とはいえ、そもそも本当のことを話したところで信じてはもらえないだろう。
 どうしたものかと難しい顔を浮かべていると、美波に声を掛けられ、

「ありすちゃん、どうかしたの?」
「い、いえ! なんでもありません!」
「そ、そう?」

 ありすは必死に誤魔化すのだった。


  ◆


「この栄養ドリンクがですか?」
「はい。たぶん、それが原因ではないかと思うのですが……」

 ありすの話に文香は「まさか」と言った顔で、太老から貰った栄養ドリンクを手に取る。
 しかし言われてみれば、これを飲み始めてから体調が良くなり、体力がつき始めた気がする。
 あれから一ヶ月が経つが、あの時に見た光景は、いまでも夢や幻だったのではないかと思う時がある。しかし、あれは確かに現実だった。
 地球上では見ることの出来ない巨大な植物に、ファンタジーの世界に登場するような不思議な動物たち。
 まるで物語の中に迷い込んだかのような体験をした身としては、ありすの話を否定することは出来なかった。

「……もしかして危険な物なんでしょうか?」
「それはないと思いますが、しっかりと正木会長に確認を取っておいた方がいいと思います」

 副作用があるのなら、とっくに身体に変調をきたしているはずだ。
 そして、そんな危険な物を渡すような人には見えなかったと、ありすは考える。
 太老のことはまだよく知らないが、少なくとも志希や美嘉が慕っていると言う時点で、ある程度の信頼は置いていた。
 ただ、それ以上に文香のことが心配なだけだ。
 大丈夫だとは思うが、太老がどうしてこんな真似をしたのか、ありすは話を聞いて確認を取っておきたかった。
 受付で太老が来ていることを確認すると、二人揃ってエレベーターに乗り込み『プロジェクト・ディーバ』の専用フロアに向かう。

「また騙しやがったな、テメエ! 何がライダースーツみたいなもんだ。こんなフリフリの衣装に変化するなんて話、聞いてないぞ!?」
「いや、でも可愛いだろ? ほら、耳や尻尾だって感情に反応して動くそうで――って、なんか毛が逆立ってない?」
「感情を表現するねぇ……じゃあ、アタシが今、何を考えてるか当ててみな?」
「えっと……可愛い衣装でステージに立てて嬉しいとか?」
「全然わかってねーじゃねえか! 今度という今度は許さねえ! あ、こらっ、逃げるな!」

 エレベーターの扉が開き、目的のフロアに到着したところで、ありすと文香は呆気に取られた様子で目を丸くした。
 アイドルと思しき女性と、プロデューサーと思しき男性が言い争い、廊下とレッスンルームを隔てるガラスの向こうで追いかけっこをしていたからだ。
 そんな二人の顔に、ありすと文香は見覚えがあった。向井拓海と、その担当プロデューサーだ。
 レッスンルームの内部はARが展開されているようで、南国のジャングルと言った景色が広がっていた。
 そのなかで繰り広げられる一匹の猛獣(向井拓海)と調教師(プロデューサー)の追いかけっこを、少し離れた場所から観察する作業着の男にありすと文香は目を向ける。
 太老だ。目的の人物の姿を見つけて、ありすは文香と共に近づくと声を掛けた。

「……何があったんですか?」
「見解の相違って奴だな。我ながら良い仕事をしたとは思うんだが……」

 その良い仕事の結果が、目の前の騒動の原因となっていることに太老は気付いていない様子だった。
 しかし、それだけで何があったのか、ありすと文香は大凡の事情を察する。
 拓海と彼女の担当プロデューサーがこんな風に喧嘩をする光景を見るのは、初めてのことではない。
 二人と面識のある346の人間なら、誰もが知っている日常的な出来事の一つに過ぎなかったからだ。
 そして――

「でも、丁度良かった。二人に話があったんだ」

 太老に用があって訪ねてみれば、逆に話があると言われて、ありすと文香はきょとんした顔を見せるのだった。


  ◆


「え……プロジェクト・ディーバに参加ですか? 私たちが?」
「ですが、ありすちゃんと私は……」

 既にユニットを組んで活動をしている。そう困惑の声を上げる、ありすと文香。
 恐らくは昨年346で起きた騒動のことを警戒しているのだろう。
 美城専務の手掛けたプロジェクト・クローネによって既存のユニットからも引き抜きが起き、新規のユニットが組まれる事態が起きたからだ。
 そんな二人の勘違いを察すると、太老は慌てて両手を胸の前で左右に振って話を補足した。

「そういうことじゃなくて、二人には美嘉たちと一緒にコラボユニットに参加する子達のサポートをお願いしたいんだ。勿論、二人の担当プロデューサーや346の許可は取ってある」

 勿論、冬のコンサートには二人にも出演してもらうことは決まっていた。しかしそれは既存のユニットしてだ。
 過去の失敗は繰り返さないという意味でも、今回のコラボ企画では既存のユニットに対する配置替えは行われないことが決定していた。
 それに美嘉たちほどではないにしても、ありすと文香は現在人気上昇中のアイドルの一角だ。
 そもそも仕事に恵まれない少女たちに等しくチャンスを与えることが目的の企画なのに、既にデビューを果たし成果を上げているアイドルをリスクを冒してまで引き抜く意味は薄かった。

「……サポートですか? それは構いませんけど、何か裏があるんじゃ?」

 想像していたような話ではないと知って安堵するも、ありすはまだ納得の行かない表情を見せる。それは文香も同じだった。
 その程度の話であれば、担当プロデューサーを通して連絡を回すだけでもいいはずだ。
 太老が態々そんな話を持ち掛けてきたのは他に理由があるのでは? と考えてのことだった。
 そんな鋭いありすの質問に、敵わないなと言った顔で頬を掻きながら太老は答える。

「護衛対象を一つにまとめておきたくてね」
「護衛対象ですか? それって……」

 物騒な話に驚いた様子を見せながらも、ありすと文香はすぐに一つの可能性に思い至る。
 当然アイドルである以上、身の回りのことには気を付けているが、この日本で護衛を必要とするような事態はそうあるものではない。
 だが、太老が嘘や冗談を言っているようには見えない。となれば、あの秘密@高ンだろうと考えるのが自然だったからだ。

「俺たちの関係者と認識されると、二人の身にも危険が迫る恐れがある。だから念のため≠ノ用心しておきたい」

 映画の中のような話に、少し困惑の色を滲ませる二人。しかし太老が抱える秘密の大きさを知れば、ありえない話ではない。
 志希によると、国の上の方は太老の正体を知っているような口振りだったことを思い出し、自分たちには想像も付かないような陰謀が裏で動いているのかもしれないと二人は考えた。

(もしかして……)

 太老が文香に栄養ドリンクを与えた理由。
 それは、こうした事態に備えてのことだったのかもしれないと、ありすは考える。
 なら――

「わかりました。こちらからも一つだけいいですか?」
「ん? ああ、お願いしている立場だし、俺に出来ることなら……」
「なら、文香さんに渡した特製ドリンクを、私の分も用意してもらえますか?」

 移籍の有無を本人たちの意志に委ねたように、太老が志希の言うような人物であれば、こんなことに自分たちを関わらせたくはなかったはずだ。
 だから文香にドリンクを与えたのは護衛を必要とする危険が生じた際、彼女が一番の足手纏いになると考えたからだろうと、ありすは察したのだ。
 でも危険があると言うのなら、このまま黙って守られているよりは、少しでも備えておきたい。
 護身術などは今から身に付けたところで付け焼き刃にしかならず、かえって危険だろう。
 しかし逃げることに徹するなら、文香のように体力を付けることは無駄ではないはずだ。
 ズルをしているようで少し気が引けるが、太老の秘密を知ってあちら側≠ノ足を踏み入れた時点で覚悟は出来ている。
 どうせなら文香と一緒がいい。彼女だけに負担を強いるような真似を、ありすはしたくなかった。

「それは構わないけど……」
「何か問題でも?」
「ありすちゃん、まだ子供だろ? そんなに若い頃から、栄養ドリンクに頼るのもな……」
「わ、私は子供じゃありません! それに前も言いましたが『橘』です! 下の名前で呼ばないください!」

 ぷんぷん怒るありすを見て、優しげな笑みを浮かべる太老。
 こんなに小さいのにアイドルって大変だな……と的外れなことを考えながら、何か思いついた様子でポンッと手を叩いた。

「代わりに、俺が毎朝飲んでるジュースをプレゼントするってのは、どうかな?」
「ジュース……それも何か特殊な飲み物なんですか?」
「材料が特殊と言えば特殊かな? 身体にも凄く良いから気に入ると思うよ」
「……じゃあ、それでいいです。よろしくお願いします」

 よくわからないが、太老の勧める物なら大丈夫だろうと、ありすは礼を口にしながら頭を下げるのだった。



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