「今日までで、捕らえた工作員は三百人を超えました」

 林檎の説明に対し、深い溜め息で答える水穂。
 直接的な行動にでて捕らえた者だけで、その数だ。実際には、より多くのスパイが実験都市に集まって来ている。
 例えるなら、蜜に群がる蟻のように――
 蜘蛛の糸に絡め取られているとも知らずに――

「……こんなこと、前にもあったわね」
「太老様が瀬戸様に誘われて宇宙に上がられた時のことですね」

 嬉しそうに反応する林檎に対し、水穂は「そんなことあったわね」と遠い目で天を仰ぐ。
 太老の活躍で予算が浮き、九羅密と連携して瀬戸主導の下で進めていた連盟の改革が百年単位で縮まったことは確かだ。
 盤上島の一件然り、すべてを前倒しするカタチで計画が進んでいるのは、表向き西南の功績となっているが太老も一役買っている。
 西南がこじ開けた突破口を太老が大きく広げたことが、膠着状態にあった問題を解決する起爆剤となっていた。

 だが、良いことばかりとは言えない。改革が早まると言うことは、予定していた計画が大きく狂うことを意味する。
 百年単位で対処すべき問題のすべてが、僅かな期間に圧縮されて降りかかってくると言うことだ。
 その所為で九羅密は勿論のこと樹雷も自分たちの処理能力を大きく上回る事態に直面し、水穂も不眠不休で問題の解決にあたらされたことがあったのだ。

 現在、罰として水子が不眠不休の労働を強いられているが、あの頃に比べれば、まだマシに思えるくらいだ。
 同じようなことが、ここ実験都市でも起きないとは限らない。いや、現状を見る限りでは、既にその兆候はでていると見るべきだろう。
 そのことを考えると林檎のように素直に喜ぶことは、水穂には出来なかった。

「でも、スパイは政府に引き渡したのでしょ? まだ何か問題が?」
「はい。ですが――」

 若干、機嫌の悪そうな様子で眉をひそめながら、林檎は水穂の問いに答える。

「不当に拘束している自国民を解放するようにと、日本政府へ抗議しているようです」

 実験都市はあくまで日本の都市の一つだ。正木商会は確かに都市の開放に同意したが、国連の傘下に入ったわけではない。
 ただ、都市の創設に関わった日本の企業以外にも門戸を広げたと言うだけの話。そこには直接的な技術供与は含まれていなかった。
 どの国に対しても平等に、学ぶ意欲のある者であれば受け入れる。哲学士の巣窟とも呼ばれる銀河アカデミーの姿勢を基本方針とした対応だ。
 そして持て余す知識、扱いきれない技術は身を滅ぼすだけと言った考えから、実験都市では閲覧できる情報にレベルに応じた段階的な制限が設けられていた。

 これはプロジェクトに以前から参加している日本の企業も例外ではなく、一番進んでいる研究チームでも太老が設定した情報開示レベル(恒星間移動技術が可能なレベルを8と設定したもの)の3にようやく到達したばかりだ。
 だがそれは技術の独占を目論んでいた者たちにとっては都合が悪い。都市の開放を迫れば、無条件で高度な技術が得られると思っていた者たちからしても同じだ。
 そうした者たちは、正木商会と結託して日本が技術を独占していると非難を強めている。
 実験都市へスパイを送り込み、非合法な工作を仕掛けてきたのも、そうした国や企業の手先だと裏が取れていた。
 だが、それだけであれば、林檎がここまで不機嫌になる必要はない。いつものように対処すれば良いだけの話だ。

「それと並行して、太老様への謝罪と賠償を求めるという声も……潰しても構いませんか? 構いませんよね?」
「林檎ちゃん、冷静にね。一応、地球は初期文明の惑星なんだから……」

 過激な発言をする林檎を、冷や汗を流しながら水穂は宥める。
 林檎が本気になれば、経済的に追い込むことも物理的に国を潰すことも不可能とは言えない。いや、可能だろう。
 いつもは穏やかな性格をしているのだが、太老のことになると鬼姫すら頬を引き攣るほど過激な行動にでることがある。
 それを知っているだけに、水穂としては林檎の言葉を冗談と切り捨てることは出来なかった。

(林檎ちゃんの怒る気持ちもわかるけど、さすがにね……)

 勿論、水穂もまったく思うところがないわけではないが、一々反応していてはキリがない。
 銀河アカデミーも黎明期の時代には、他国の干渉を多く受けてきたのだ。スパイ活動が盛んという意味では現在も変わりはなかった。
 鬼姫の部下、そしてアイリの娘として、そうした裏のやり取りを数多く見てきた水穂にとっては慣れた出来事でしかない。
 林檎も普段なら、もう少し冷静に対処できるのだが、太老のことが絡むと周りが見えなくなる悪い癖があった。
 とはいえ、いま問題なのは――

「捕まえたスパイが全員、地球人というのは厄介よね」

 後ろで何者かが意図を引いているのは確かだが、捕まえたスパイのなかに海賊の姿はなかった。
 Dr.クレーや海賊たちが姿を見せないのは、実験都市の守りを偵察する他に、嫌がらせも含んでいるのだろうと水穂は考える。
 そのために、正木商会に不満を持つ国や組織を焚き付けていると言うことだ。

「これなら、まだ暴走してくれた方が対処しやすいわ」

 このような嫌がらせしかしてこないと言うことは、彼等も理解しているのだろう。
 間接的な接触に留まらず、彼等の求める兵器や技術の供与を直接行えば、それを口実にGPが動く可能性が高いと言うことが――
 逆に言えば、初期文明への過度な接触を禁止した銀河法がGPの動きを狭め、海賊たちを守っているという見方も出来る。
 地球に潜伏していると思われる海賊たちに対して、本格的な捜索が行われていないのは、そのためだ。
 それに――

「GPはやはり、この件に積極的な介入をするつもりはないようです。こちらとしては都合が良いですが……」
「既にGPから派遣された連絡員が、海賊を逃がすという失態を演じているもの。これ以上の失点を重ねたくはないのでしょ。それなら最初から地球の問題としておくことで、あくまで自分たちは関係無いというスタンスを決めておきたいのでしょうね」
「そのお陰で新国家の承認が予定より随分と早まりましたけど、複雑な心境ですね」
「内政干渉って、こういう時は都合の良い言葉よね……」

 地球を含む連合国家の誕生を内心では快く思っていない者たちも、少なからず連盟のなかにはいる。既定路線とはいえ、そうした勢力の抵抗もあって新国家の正式な承認には早くとも十年近くの猶予があると思われていた。それが盤上島のゲームから僅か三年で前進したのは、捕らえた海賊をGPの関係者が逃がした失態が大きかった。
 現在の地球はあくまで樹雷の保護惑星であり、GPの捜査活動範囲となるが、正式に国家として承認されれば話は別だ。

 国家の領宙内においては、その国の法や秩序が優先される。

 捕らえた海賊の扱いに関しても同様のことが言えるため、領宙内で逃げられたのであれば管理責任はGPにではなく、その国にあるという方便を連盟は主張してきたのだ。
 実際には海賊の脱走をGPの職員が手引きしているのだから無関係とは言えないのだが、出来たばかりの新興国と銀河を樹雷と二分する勢力では、どちらの方が有利かは語るまでもない。地球が樹雷の保護惑星のままであれば問題視することも出来ただろうが、新国家として正式に承認され、独立した後ではそれも難しい。だからこそ連盟は国家の承認を急いだのだろう。
 だが、悪いことばかりではない。

「でも、これで随分と動きやすくなるわね」

 連盟が『地球を含めた連合国』を正式な国として認めた以上、GPが銀河法を盾に過度な干渉をすることは、これから難しくなる。
 多少の問題が起きたところで、連盟がやったように内政干渉を理由にGPの捜査を拒否することも可能ということだ。
 それは商会の件を含め、水穂たちにとって動き易い環境が整ったことを意味していた。

「正式に国家として承認されたことで、連盟に支払う分担金の義務も来年度から発生しますが……」
「現在の商会の収益を考えれば、たいした額とは言えないけど……半分はギルドに負担させましょう」
「はい。その方向で現在、話を進めています」

 国の規模に応じた分担金が、連盟に所属する国には義務付けられている。
 新国家とはいえ、その枠組みの中心となるのは海賊たちを束ねる中小のギルド連合だ。
 ギルドとは言ってみれば、小さな国のようなもの。落ちぶれたとは言っても、彼等にもそれなりの蓄えはある。
 なのに一企業に頼り切りの状態は、余り良い傾向とは言えない。
 独立国を名乗る以上、あくまで主役は彼等でなくてはならないというのが、水穂や林檎の考えだった。


  ◆


 都内にある高級レストランのVIPルームで、ミロンは一人の男と食事を共にしていた。
 現在、日本には実験都市の情報を集めるために各国の諜報員の他、政府でも重要なポストを担う高官が集まっている。
 彼もまた大統領より今回の件を一任され、日本へとやってきたアメリカの高官の一人だった。

「頭の痛い話だな……」

 ミロンから聞かされた話に疲れきった表情で、そう呟く政府の男。
 無理もない。大統領を除けば彼は誰よりもよく、アメリカが現在置かれている状況を理解していた。

 一度目は盤上島にスパイを送り込み、原子力潜水艦による強襲作戦を実行に移そうと計画したが、鬼姫に阻まれ――
 二度目はその失敗から功を焦った政府関係者が正木商会に手を出し、日本へと派遣した部隊を一人残らず捕らえられた。

 事件に関与した者たちは処分され、二年前に大統領も代替わりをしたが、アメリカが失った損失は計り知れない。
 本来であれば、もっと早くに実験都市の研究に関わることが出来ていたかもしれないからだ。欲をかいたばかりに失った時間と信用は大きい。
 そのため、二度の手痛い失敗を招いたアメリカは方針を一新し、いまの大統領になってからは樹雷との関係を修復することに専念してきた。
 だと言うのに、ここにきてまた日本を名指しで非難し、他国と同調する者たちが国内に現れたのだ。
 他国と連携し、日本に実験都市の開放を迫ったのも、その者たちだ。

「まあ、そこまで気にすることでもないと思うわよ。宇宙(ソラ)の連中からしたら、蚊に刺されたほども感じてないでしょうしね」
「そうは言うがね……。これを見ても、同じことが言えるかね?」

 そう言って男は、一冊のファイルをミロンの前へ差し出す。
 ミロンの言っていることもわからなくはないが、蚊と言えども群がれば鬱陶しいことに変わりはない。
 自分たちも与えられて当然と権利ばかりを主張する輩を、鬼姫が嫌っていることを骨身に染みて彼等は理解していた。
 過度の干渉をすれば、彼等とて黙ってはいないだろう。
 そして、

「……バカなの?」

 ファイルに目を通したミロンの第一声がそれだった。

「その報告を受けた時は、私も思わず同じ感想が漏れたよ。だが事実だ。不当に自国の人間を拘束していると、日本政府に対して彼等は強気の姿勢を崩していない。挙げ句、正木太老は世界に対する明確な裏切り者で、彼の持つ知識と技術は一企業などではなく国連で共同管理すべきだと主張している」
「……冗談よね?」
「残念ながら、既に国連に議案書が提出された後だ。我が国は同調するつもりはないがね」

 そんなバカげた計画に同調すれば、身の破滅を招くのは必然。死刑執行書にサインをするようなものだ。
 どちらにせよ、世界がそうした方向に動けば、彼等はあっさりと地球から手を引くだろう。
 逃げるのでなく、地球の人々を見限る≠ニ言う意味でだ。
 最悪、地球は永遠に宇宙への切符を失うことになりかねない。約束された星系の開発権は勿論のこと、議席権すら失うことになるだろう。地球は新国家の枠のなかで孤立した存在に陥りかねない。地球が特別視されているのは、あくまで樹雷の後ろ盾があってこそだ。これまでのことから、そうした冷酷な判断の出来る相手だと、アメリカは見ていた。
 目の前の男の苦悩を知って、ミロンは同情めいた表情を見せる。

「前政権がやらかした失態を計算に入れても、日本と上手く連携すれば十分な利益を得られると我が国は考えているが、そうもいかない事情を抱えた国もあると言うことだ。特に日本との関係が余り良いとは言えないお隣の国とかはね」

 実験都市を開放したからと言って、すべての国が同じだけの恩恵を享受できるわけではない。
 アメリカは同じ土俵に上がれば、すぐに日本の研究チームに追いつき追い越す自信を持っているが、すべての国が同じ条件とは言えないからだ。
 実験都市の創設から関わり十年というアドバンテージを持つ日本や、多くの優秀な科学者を抱えるアメリカと違い、人材不足で悩む国は少なくない。
 実験都市へ出向させる科学者の選定に、大半の国は苦慮しているのが現実だ。
 なりふりを構わず優秀な人材を送り込めば良いと思うが、逆に人材の流出を招く恐れもあり、そこまで踏み切れない国もある。
 学ぶ意欲のある者にとって平等に門戸を開いているとは言っても、それは冷酷なまでに実力主義の世界であることを意味していた。

「ミス・ミロン。キミには我が国の技術者を率い、実験都市に行って欲しい」
「……それが次の大統領のオーダーってわけ?」
「そうだ。キミが適任だと判断した」

 大きく買われたものだとミロンは考えるが、実際には他に適任者がいないというのが真実だとも気付いていた。
 何よりも、まずは樹雷との関係修復を――正木商会との繋がりを優先したいという大統領の思惑が透けて見えたからだ。
 そのためにミロンの協力が必要なのだと察することが出来る。国益を考えるなら、当然のことだ。
 しかし、

(このまま都合良く利用されるって言うのもね……)

 アメリカの立場や事情は理解している。ミロンにしても生まれ育った国だ。まったく思うところがないわけではない。
 しかし都合の良いように利用した挙げ句、政権が変わった途端、手の平を返したように接してくる政府に対して、ミロンは余り良い感情を持っていなかった。
 とはいえ、ここで断ったところで、目の前の男は簡単に諦めたりしないだろう。ことは国の趨勢を左右する問題だ。
 ならば――

「その技術者の人選、こっちに任せてもらえるなら受けてもいいわよ」

 相手が断れないと分かっていて、ミロンはそう男に提案するのだった。



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