891と346の合同ステージの開催まで、残り三日を切っていた。
 街を一つ丸ごと使った音楽の祭典だ。既にスタッフや出演者は実験都市に入り、当日に向けて入念な調整が進められている。
 さすがの美城グループも、これほどの規模のイベントに携わるのは初めてらしく、本社から追加の人員を招集して対応に当たっていた。
 当然、正木商会からも多くの人材を派遣しているが、今回のライブは346のスタッフにARを用いた大きなイベント≠フ経験を積ませることが主な目的と言っていい。機材の使い方を覚えたからと言って、突発的なトラブルへの対応を含めたノウハウを習得するには時間を要する。実際、九月に開催された秋の定期ライブでは専門知識の不足と経験不足が招いた対応力の甘さなど、幾つかの問題点が浮き彫りとなっていた。
 小規模なイベントならともかく、まだ346単独で大きなイベントを開催するには不安が残る状況だ。
 そう言う意味でも、今回のイベントは経験値を稼ぐのに打って付けの仕事と言っていい。
 これだけ大きなイベントを無事に成功させることが出来れば、大抵のトラブルには対応できるようになるだろうし自信にも繋がる。
 業界のリードを握る346がノウハウを身に付けてくれれば、更なるARの普及と業界全体の活性化に繋がるというのが太老の考えだった。
 それに――

「海賊の件で想定外のことはあったけど、概ね計画通りに進んでいるみたいね」
「はい」

 水穂の言葉に、林檎は一言頷く。
 ARの市場に関して、これまでは正木商会のほぼ独占市場だったわけだが、その所為で余計な詮索や妬みを買うことも少なくなかった。
 他の技術にしてもそうだ。最近は少し収まってきてはいるが、以前は毎日のように何処かの国の企業スパイや工作員が捕まっていた。
 そんな状況の中で、実験都市を一般開放する意味は大きい。そもそもが、そうなるように仕向けた≠フだから――

「実験都市の存在は、世界に知れ渡ることになります。そうなれば……」
「例え、こちらの思惑に気付いたとしても、流れに乗らざるを得なくなるってわけね」

 林檎の話に合わせながら、水穂は少し呆れた様子で深い溜め息を漏らす。
 正木商会が秘匿するすべての技術を公開したところで、それを理解し扱いきれなくては意味がない。
 そのために学び、知識を得る場所として開放されたのが実験都市――銀河アカデミーを模して造られた街だ。
 だが知識を学ぶ場を提供したところで、過程ではなく結果を欲している者に何を言ったところで無駄でしかない。
 実際、太老に技術の公開を迫る国や組織はあっても、太老から知識を学ぼうとする者はいなかった。
 一人の少女、一ノ瀬志希を除いて――
 宇宙のテクノロジーを得ることさえ出来れば、それですべて上手く行くと軽んじている者が多いと言うことだ。

 だからこそ、気付かせる必要があった。そうせざるを得ない状況に追い込む必要があった。
 そのための十年だ。正木商会の活動自体、地球にアカデミーを開く布石でしかなかった。
 計画を練り、密かに調整を進めてきたのは林檎だ。ただ――

「これで太老様の理想にまた一歩、近づきますね」

 林檎の言うように、発案は太老だった。
 実際には何気ない思いつきから始まった計画だったのだが、この二人の手に掛かれば難しくとも不可能なことではない。

 ――より住みよい世界に。

 そんな太老の理想を叶えるために、林檎が気合いを入れて頑張った結果が実験都市(これ)≠セった。
 とはいえ、水穂もそのことを責めるつもりはなかった。ダメならダメで止めていただろう。
 なのに協力を惜しまなかったのは、それが結果的に太老のためになると判断してのことだ。

「いいわ。計画の方は、このまま進めて頂戴。ただ……」

 空間モニターに映し出された数字を見て、水穂は目眩を覚える。
 太老が損≠するようなことを林檎が許すはずもない。それは実験都市の開放を含めての話だ。

「ご安心を。太老様に累が及ぶようなことはありません。すべて合法≠ノ得た正当な対価ですから」
「なら、いいのだけど……」

 本当は良くない。良くないのだが、水穂はそれこそ何を言っても無駄と諦める。
 ここ地球でも僅か十年で世界有数の資産家に名乗りを挙げた太老の資産は、すべて林檎が管理・運用している。
 現在もその額は増え続けており、その気になれば世界経済に影響を与えかねないほどに太老の個人資産は膨らんでいた。
 その上、これから実験都市を介して広がりを見せるであろう知識と技術は、莫大な富を地球経済にもたらすと予想される。
 それは即ち、計画の発案者にして実験都市の実質的な支配者である太老の資産も、都市の発展と共に際限なく増えていくことを意味していた。
 各国が林檎の思惑に黙って乗らざるを得なかった理由も、そこにあると言っていい。

「程々にね」
「心得ています」

 そう言って水穂に一礼すると、林檎は船の転送機能を使って姿を消す。

「フォローは必要よね。これも太老くんの影響かしら……」

 林檎にとって程々≠ナあっても、周囲の認識も同じとは限らないからだ。
 特に太老のこととなると、無意識のうちにやり過ぎるところが林檎にはある。
 それは太老を慕う他の女性たちにも言えることなのだが、そのバランスを取るのが水穂の役割でもあった。

「フォローが必要な案件が、もう一つ……あったわね」

 転送の光が点ったかと思えば、林檎と入れ違いに姿を現す舞貴妃を見て、水穂はまた一つ大きな溜め息を漏らすのだった。


  ◆


「お疲れのようですね」

 その原因の一端は舞貴妃にもあるのだが、水穂は敢えて口にするつもりはなかった。
 どう皮肉を言ったところで、堪えるような相手ではないとわかっているからだ。
 むしろ、疲れの原因を増やすだけだ。

「今日はどうされたのですか? 太老くんなら、ここにはいませんよ?」
「存じています。舞九から聞いていますから」

 昨日から太老はルレッタと共に実験都市に入り、準備の指揮を執っていた。

「ですから、何かお手伝い出来ることがないかと」
「……手伝えることですか?」
「はい。何もせずに厄介になっているだけというのも気が引けますから」

 どう言う思惑があってのことかわからず、水穂は訝しげな表情を見せる。
 海賊の一件もあって猫の手も借りたい状況と言うのは確かだが、部外者に頼めるような仕事は残念ながらない。
 敢えて言うなら警備の人員が少し心許ないと思ってはいるが、そんな危険な仕事をレセプシーの舞貴妃に頼めるはずもなかった。
 だからと言って、何も手伝ってもらうようなことはないと断ったところで、素直に納得する舞貴妃ではないだろう。
 なんらかの思惑があるのは確かだ。どうしたものかと水穂が悩んでいると、

「そう怖い顔をなさらないでください。水穂様を困らせるつもりはありませんから」
「……と言うと?」
「太老様の役に立ちたいという想いは、皆様と同じと言うことです。なので、私どもに出来る手伝いがないか、と」

 レセプシーの舞貴妃にしか出来ない手伝い。その言葉の意図に気付き、水穂はハッと顔を上げる。
 連盟を始めとした様々な組織から治外法権が認められ、数多の勢力がひしめき合う宙域を自由に行き来することが出来るレセプシーは、その中立的な立場から交流≠フ場として重用されている。そのため、各国のスパイが暗躍する諜報戦の舞台ともなっているのだが、そんな場所だからこそ集まる情報もある。多種多様な――表には決して出回らないような噂≠焉Aレセプシーなら手に入れられるということ意味していた。
 もっとも、舞貴妃が自ら協力を申し出る相手など、そういるものではない。
 ましてや商売は信用が命だ。客から得た情報を誰彼かまわず漏らすようでは、レセプシーの信用はとっくに失墜していることだろう。
 その上で、太老の役に立つ情報を提供したいと舞貴妃は言っているのだ。

(だとすれば、彼女が地球へきた本当の目的は……)

 恐らく打算はあるのだろう。
 舞貴妃の他にも、太老に恩を売りたいと考えている者は大勢いる。
 そうした組織がレセプシーを通して、情報を提供してきた可能性も十分考えられる。
 そうと分かってはいても――

「もしかして、Dr.クレーについて何か情報が?」

 水穂は聞くべきだと判断した。
 少なくとも舞貴妃が太老を売るような真似をするとは思えなかったからだ。
 太老に嫌われるような真似をしたところで、彼女にメリットはない。
 だとするなら、情報提供者もレセプシーが問題ないと判断した人物。
 太老の顔見知りである可能性が高いと考えたからだった。

「そちらは残念ながらまだ……ですが、逃げた海賊たちに関して面白い情報が手に入りました」

 データを転送し、水穂の前のモニターに情報を表示する舞貴妃。
 そこには、その後のGPの調査で発覚した海賊たちの行き先を記した航路データが表示されていた。
 恐らくはGPの追跡を逃れるために、バラバラに逃げたのだろう。反応が複数の宙域に散っているのが確認できる。
 そのうちの一つが――

「まさか、簾座に逃げていたなんて……」
「後に詳細な報告があるとは思いますが、既にその海賊たちは西南様が捕らえられたとのことです」

 脱走した海賊の多くが簾座連合の宙域に逃れ、その後、山田西南に拿捕されていた。
 この情報がすぐに回ってこなかったのは、GP本部の関与と隠蔽を疑ったからだと舞貴妃から話を聞き、水穂は納得の表情を見せる。
 現在も海賊たちの身柄は簾座に拘束されていて、レセプシー内で身柄引き渡しについての交渉が行われているとの話だった。
 だが、話はそこで終わらなかった。

「やっぱり地球にも潜伏していたのね」
「簾座に逃げた一団は囮だったようで、地球への潜伏はDr.クレーが協力をしたようです」

 Dr.クレーが一枚噛んでいたと聞き、水穂は納得しつつも渋い顔を見せる。
 だが、海賊の件にDr.クレーが関わっていたことなど、最初からわかっていたことだ。
 零式のレーダーだけでなく、鷲羽の目をかいくぐって地球に海賊たちを手引き出来るような者となると、同じ哲学士以外には考えられなかったからだ。

「そして、もう一つ。簾座の機動兵器が密かに持ちだされた形跡があると」
「それって、例の人型機動兵器?」
「はい」

 簾座には『機甲騎』と呼ばれる人型機動兵器が存在する。
 このような話をされれば、さすがに察することが出来る。水穂の表情が段々と険しさを増して行き、

「まさか……」
「その、まさかです。機甲騎が数体、Dr.クレーの手に渡ったものと推測されます。なかには上位の天騎も……」

 舞貴妃の話に、水穂は目を瞠る。
 樹雷という国が出来るよりも遥か昔の話。眠りについていた星を偶然訪れた人間たちに、津名魅は二つの〈種〉を分け与えたことがあった。その〈種〉というのが、皇家の樹の種だ。西南の神武(ZINV)は、その時に津名魅が分け与えた種より造られた一体であり、簾座の機甲騎は神武と双璧を為す〈皇家の樹〉の子孫たちが動力源として用いられていた。
 ほとんどは自我を持たない第七世代や第八世代と言った下位の樹が動力に用いられているが、なかには第五世代以上の種を用いた機甲騎も存在する。
 それらは『天騎』と呼ばれ、簾座の決戦兵器であると同時に、象徴的存在として扱われていた。
 上位の天騎ともなれば、最低でも第五世代以上の力を有していると考えていい。
 第五世代ともなれば、小規模恒星クラスの戦艦を常時戦闘状態で維持できるほどのエネルギーを秘めている。

「困ったことになったわね……」

 Dr.クレーが自信満々に挑発めいた手紙を送ってきた時から、何かあるとは思っていた。
 しかし、まさかこんな奥の手を隠し持っているとは思っていなかっただけに、水穂の表情は険しくなる。
 だがそれは、簾座の機甲騎を恐れてのことではなかった。

 地球には第一世代の皇家の樹の〈船穂〉や第二世代の〈龍皇〉がいる。
 他にも樹雷の防衛圏を一艦で突破した伝説の海賊船〈魎皇鬼〉や、太老の守蛇怪・零式なども――
 相手が上位の天騎を何体用意したとしても、圧倒できるだけの戦力が地球には集まっていた。
 だが、出来ることなら〈皇家の樹〉に姉妹で殺し合わせるような真似をさせたくはない。それは魎皇鬼や零式も同じことだ。
 皇家の樹と共に生き、彼等のことを家族や友人のように愛し、接してきた樹雷の皇族であれば当然の悩みだった。

 謂わば、家族を人質を取られているようなものだ。
 そして、この状況は太老がDr.クレーと争った以前の事件≠ニよく似ていた。

「西南様も心配しておられました。ですが……」
「そんな状況なら、西南くんがこっちへ来るのは難しいでしょうね」

 海賊を拿捕したのが西南なら、その当事者として今、簾座を離れるわけにはいかないのも理解できる。
 恐らくは簾座連合と銀河連盟の間で行われているという身柄引き渡しの交渉に、西南も関わっているのだろう。
 ある意味それも西南を足止めし、邪魔をさせないためのDr.クレーの策の一つなのではないか、と水穂は考える。
 となれば、連盟の動きも怪しむべきだ。
 いずれにせよ、イベントの開催まで残り三日を切っている。ここにある戦力でどうにかするしかないと言うことだ。

「情報提供、感謝します。まずは、このことを太老くんと相談をして――」

 その時だった。激しく船体が揺れ、警報音が船内に鳴り響く。

「何事――」

 かと、水穂が声を上げた瞬間、全身にノイズをまとった零式が二人の前に姿を現した。
 いまにも消えてしまいそうな弱々しい姿を晒す零式に、慌てて水穂は駆け寄る。
 が――

「お父様……とのリンクが切断。外部との通信途絶。これは、まさか……」

 困惑と怒り、様々な感情が入り乱れた表情で、零式は水穂の姿が目に入っていない様子で独り言を呟きながら情報を整理する。
 現在、月の裏側に隠れていた守蛇怪・零式の船体は何かの干渉を受け、突如発生したエネルギーポケットに呑み込まれようとしていた。

「身体をスキャンして!? お父様にだって見られたことないのに――」

 怒鳴り声を上げながら、フッと姿を消す零式。
 その緊張感のない最後に、ポカンと呆気に取られ、水穂と舞貴妃は取り残される。
 そして――

「どうなさいますか?」
「……まずは状況の確認が先よね」

 すぐに状況の確認に動きだす水穂と舞貴妃。
 少なくとも、よくないことが起きようとしていることだけは確かだった。



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