曲線を描いて西の空に消えていく流れ星を、ビルの屋上から眺める着物姿の女性に背後から近付き、一人の少女が声を掛ける。

「高みの見物かい?」

 少女の名は、白眉鷲羽。
 数万年の時を生きる『伝説の哲学士』にして、太老の育ての親。
 太老に哲学士の教えを叩き込んだ『師匠』とも呼ぶべき少女が、彼女だった。

「そういう鷲羽ちゃん≠アそ。心配で様子を見に来たの?」
「私も、ただの見物だよ。これはあの子≠ェ売られて買った喧嘩だからね」

 それに、子供の喧嘩に親がでるのは格好が付かないだろ?
 と話す鷲羽に、女性はクスリと笑いながら「それもそうね」と頷く。

「……で? いつまで、その姿でいるつもりだい?」

 鷲羽に正体を見破られ、ピクリと眉を動かす女性。
 彼女の名は、クイス・パンタ。瀬戸直属の女官にして、お局部隊の隊長と目されている人物だ。
 しかし、彼女には同じ部隊に所属する女官ですら知らない秘密があった。

「前に鏡≠ノも言ったけど、私の目は誤魔化せないよ」

 瀬戸には影武者――いや、細胞の一つ一つ、記憶に至るまでを共有した鏡合わせの存在がいる。
 現在から二千年ほど前、瀬戸が樹雷における諜報活動の中心的存在となり、皇族としての地位を確立し始めた頃のことだ。
 表と裏の仕事を両立させるため、そして自分の身にもしものことがあった時のバックアップにと、生み出された存在。
 それが、鏡・瀬戸。神木瀬戸樹雷の鏡武者だった。

 クイス・パンタとは、そんな瀬戸が裏の仕事をするために用意した仮初めの姿。
 鏡が瀬戸(オモテ)≠フ顔を演じている時、瀬戸はクイス(ウラ)≠フ顔を演じる。逆の場合も、また然りだ。
 そうして彼女たち≠ヘ二つの顔を使い分け、樹雷を裏から支えてきた。しかし、そのことを知る者は少ない。
 本来であれば樹雷皇か、第一世代の〈皇家の樹〉と契約した者にしか知らされないことだ。
 鷲羽は自力でその秘密に辿り着いた、ただ一人の人間だった。
 とはいえ――

「どうしてわかったの? とは、尋ねるまでもないわね」

 鏡武者の存在を知ってはいても、どちらがクイスを演じているかまで判別するのは難しい。
 なのに、鷲羽はピタリと言い当てた。
 そのことを疑問に思うも、考えてみれば当然かと瀬戸は思い返す。

「そういうこと。アンタとは長い付き合いだからね。凪耶=v

 ククッと笑う鷲羽を見て、瀬戸は擬態を解くと観念した様子で溜め息を吐く。
 その反応が先程の質問の答えを、すべて物語っていたからだ。
 瀬戸は嘗て、現在(いま)とは違う名で呼ばれていたことがある。

 ――朱螺凪耶、と。

 銀河アカデミー創設の立役者にして、鷲羽の親友だった哲学士の名だ。
 例え、姿だけでなく記憶を似せようとも、唯一無二の親友を見間違える鷲羽ではない。
 ましてや鏡武者は、あくまで瀬戸を模して生み出された存在だ。
 朱螺凪耶の記憶を取り戻す前の瀬戸ならいざ知らず、合わせ鏡の関係が崩れた二人を識別することは、鷲羽にとってそう難しいことではなかった。
 それに――

「鏡ではなく、アンタがこっちへきたってことは覚悟を決めたんだね?」

 いまのところ鷲羽以外に気付く者は現れていないが、記憶の差違による違和感は徐々に大きくなっていっている。
 このままの状態を維持すれば、そう遠くない未来、この違和感の正体に気付くものが現れるだろう。
 そのことは瀬戸も理解していた。だから――

「ええ」

 秘密が露見する前に、鏡との関係を終わらせることを考えたのだ。
 鏡に任せるのではなく、クイスの姿で瀬戸が自ら地球へやってきたのも、そのため――
 最後の見極めを、自身の目で行うためだった。

「この件が上手く片付いたら、遥照殿の生存発表が行われる手はずとなっているわ」

 遥照の生存を含め、天地たちのことを公にするのは、銀河の勢力バランスや政治的な事情に配慮して、これまで見送られてきた。
 しかし、この十数年で状況を一変させる出来事が起きた。その中心にいる人物こそ――

 太老だ。

 哲学士タロ。ZZZ財団。正木商会。そして――鬼の寵児。これらの名を一つとして知らぬ者は、この銀河にいないだろう。
 太老のもう一つの顔、哲学士タロのパテントを管理するZZZ財団は、いまやMMDに次ぐ資金力を持った財団へと成長を遂げている。
 そして正木商会も時代のニーズに応じた独自の商品開発能力と、林檎直伝の経営術や交渉能力を生かし、連盟だけに留まらず現在では簾座にまで販路を拡大していた。
 その結果、世二我や樹雷と言った大国には及ばないまでも、個人が持つ資産としてはトップクラス。小さな国が星ごと幾つか買えるほどの資産を現在の太老は保有している。それはMMD財団で管理されている白眉鷲羽の資産に迫る規模に膨れ上がっていた。
 このままいけば、あと数年で天南財閥を追い抜き、百年もあれば銀河の二割近い市場が正木商会の影響下に置かれるとの試算がでていることから、地球も遠からず同じ運命を辿るだろうと予想される。ここまで事が大きくなってしまうと、地球に太老を押し留めるという策も既に機能しているとは言い難い。だからこそ、瀬戸は決断したのだ。
 鷲羽がそうしたように、これまで自身が築き上げたものを後継者≠ノ譲ることを――
 そうなれば、鏡武者も役目を終えることになる。その後の人生をどう生きるかは彼女次第≠セ。

 そして瀬戸もまた、これからのことについて考えていた。

 遥照の生存発表がされれば、太老と地球との結び付きは否が応でも世間に認知される。それこそが、瀬戸の狙いでもあった。 
 太老が名実共に鬼姫の後継者として認知されれば、商会の庇護下にある地球や新国家への各国の見方や対応も変わらざるを得ない。
 ZZZ財団、正木商会。そしてここに瀬戸が築き上げてきた力が加われば――
 それはもはや、出来たばかりの新興国の枠に収まる存在ではない。
 世二我や樹雷に次ぐ影響力を持った第三≠フ勢力の誕生を意味するからだ。

「アンタはどうするつもりだい?」

 今回のことは、太老が鬼姫の後継者に足る資格を持っているか?
 それを確かめる上で、丁度良い試金石でもあったのだろう。
 連盟の方でおかしな動きがあることを察知していながら、クレーを泳がせていたのもそれが理由だ。
 しかし立場を譲ると言っても簡単な話ではない。徐々に裏の仕事を減らしていくにせよ、完全に引き継ぐには長い年月が必要だ。
 瀬戸もそのことはわかっているはず。だとするなら今回のことは、鏡を自由にすることまでが瀬戸の思惑なのだと鷲羽は察する。
 だが、鷲羽が知りたいのは、そういう建て前≠ナはなかった。瀬戸自身のことだ。

 太老にすべてを譲り、それが叶った後、彼女はどうするのか?
 そのまま隠棲し、神木瀬戸樹雷として生きていくのか?
 それとも――

「鷲羽ちゃんには敵わないわね」

 そう言って誤魔化すように笑う瀬戸を見て、鷲羽の眼にはアカデミーで共に知識を磨いた親友の姿が重なる。
 そして――

(そっか、そういう奴だったね。アンタは……)

 瀬戸の望みを察し、鷲羽はそれ以上の追求を止めるのだった。


  ◆


「予測進路を逸れ、西方十四キロの山中に落下した模様です」

 メイド服に身を包んだ部下の報告を聞き、モニターに目を向けた林檎は深い溜め息を吐く。
 土に埋もれ大破した天騎が一機と、その傍らには白いシャトルが直立の状態で地面に突き刺さっている姿がモニターには映っていた。
 原因は明らかだった。美星のシャトルが、アランの乗る天騎に衝突したのだ。

「取り敢えず、回収を……」
「既に手配済みです」
「そう、なら後は……」

 慣れたもので林檎が指示をだすまでもなく、回収部隊が既に動いていた。
 美星のシャトルが地上に落下することは、今回に限った話ではない。
 GPの任務を終え、地球に帰ってくる度に事故を引き起こしているのだ。
 そのため、太老配下の侍従部隊には、半ば美星専用と化した処理班が存在するほどだった。

「衛星軌道上に新たな熱源を確認。天騎だと思われます」

 やはりこうなったかと、林檎は表情を引き締める。
 アランの暴走を予期していたわけではないが、一機でてきた以上、残りの四機もすぐに出て来るだろうという予測はできていたからだ。
 地球に機動兵器を降下させた時点で、交戦状態に入ったも同じだ。銀河法に配慮して直接的な武力衝突は避けているとは言っても、防衛のためであれば大義も立つ。そして、それは相手側も理解しているはず。だから敵側もこれまで、戦艦や機動兵器を用いた直接的な攻撃を避けてきたのだから――
 しかし、アランが暗黙のルールを破ったことで、その均衡が崩れてしまった。
 だとすれば、彼等に残された道はそう多くない。大人しく降伏して捕まるか、もしくは――
 樹雷やGPの介入がある前に、僅かな可能性に賭けて全戦力で攻撃に打って出るという考えは、最初から予想できる範疇だった。

 もっとも、それは自殺行為。悪手だと林檎は考える。
 樹雷やGPの応援を待つまでもなく、なんの備えもしていないはずがないからだ。

「ドールさん」
『はいはい。やっと出番ってわけね』

 林檎に名前を呼ばれ、通信越しに答えるドール。
 すると全長十メートルほどのロボットが転送の光と共に、実験都市の上空二万メートルの位置に多数出現する。
 聖機人と呼ばれる異世界のロボットをエナの薄い地球でも動かせるように、ブレインクリスタルを搭載し、太老が改造したものだ。
 それだけではない。ドールを始め、聖機人のパイロットには『冥土の試練』を潜り抜けた尻尾付き≠フ精鋭が集められていた。

『全部、壊しちゃっても構わないんでしょ?』
「はい。既に簾座の主要五家とは話がついています。ただし動力部≠セけは決して傷つけないようにしてください」
『……了解』

 少し返事に迷った様子を見せるも了解の意を示し、ドールは出撃する。
 だが、

「……アオイさん。よろしくお願いします」

 ドールが敢えて、ああいう尋ね方をした意図を察して、林檎はアオイ・シジョウに頭を下げる。

『やっぱり、そういう役割を期待されてるわけね……。戦闘狂(モルガ)の面倒だけで手一杯だっていうのに……皆、行くわよ! 遅れないようについてきて!』

 ブツブツと文句を言いながらも部隊を率い、ドールの後を追うアオイ。
 普段はトリブル王宮機師団で副長を務める彼女だが、今回の作戦ではドールの抑えとして隊を率い、都市の防衛に協力していた。
 というのも、可愛い姪(貴音)の頼みとあっては断ることが出来なかったからだ。

「あとは無事に作戦が成功することを祈るだけですね……」

 幾ら、天騎が〈皇家の樹〉を動力にしているとは言っても、太老の改造した聖機人に乗ったドールたちが後れを取るとは思わない。
 むしろ、やり過ぎてしまわないかの方が心配だ。
 だから前もって海賊に奪われた天騎の譲渡を含めた交渉を、林檎は簾座に持ち掛けていた。
 だが、それは何もドールのためと言うだけではなかった。

 樹雷の民にとって〈皇家の樹〉は特別な存在だ。
 樹雷にも〈皇家の樹〉を動力とした戦艦は存在するため強くは言えないが、実際には幼生固定することで〈皇家の樹〉から善悪の判断を奪い、兵器として下位の世代を量産している簾座のやり方に納得していない樹雷の民は少なくない。そんななかで今回のことが明るみになれば、そうした〈皇家の樹〉の扱いに対する〈樹雷の民〉の不満や怒りは簾座に向かう可能性が高い。
 そのため、自我を持たない下位の世代とはいえ、こんな戦いで〈皇家の樹〉を失う最悪の事態だけは避けたいと林檎は考えていた。

 だから万が一に備え、アオイをドールの補佐につけたのだ。
 ドールもバカではない。その辺りの加減は理解しているとは思うが、自身や仲間に危険が及ぶようなら、その限りではないだろう。
 報酬を提示しなければ自発的に動くことはないドールだが、そんな彼女にも大切にしているものがある。それが太老との絆≠セ。
 太老が家族や仲間が傷つくことを恐れ、大切にしていることを知っている彼女なら、実験都市に危険が及ぶような事態を見過ごすとは思えない。
 アランがやろうとしたように攻撃の矛先が都市へと向いたその時は、〈皇家の樹〉ごと天騎を消滅させるつもりでいることはドールの言葉や態度から察することが出来た。
 願わくば、そうした最悪の事態にならないことを祈るばかりだが――

「未だに守蛇怪との連絡は途絶えたまま。それに……」

 ここまで一切、クレーの動きがないのが気に掛かる。
 林檎は根回しや交渉事に長けてはいるが、それはあくまで政治や経済に携わる分野に限ってのことだ。水穂と違い、戦闘は彼女の領分ではない。
 立木家の人間である以上、嗜む程度は知識と経験があるとは言っても、本職に及ばないことは林檎自身が一番よくわかっていた。
 出来ることと言えば、過去に実行された作戦から似た状況を幾つも想定し、思いつく限りの対策を講じることだけだ。
 だがそれもイレギュラーに弱い。そうした不測の事態に陥る可能性を、林檎は恐れていた。

「せめて〈MEMOL〉が復旧すれば……」

 そうして頭を過ぎるのは、太老のことだ。
 きっと大丈夫だと信じてはいても心配になる。
 ある意味、最大の不確定要素。イレギュラーとも言える存在が、太老なのだから。
 それでも――

「太老様なら、きっと……」

 幾度となく困難を乗り越えてきた太老なら――
 そう林檎は信じ、各部隊に次の指示を飛ばすのだった。



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