「もう一度、あらためて御礼を言わせてください。助けて頂き、ありがとうございました」
「私からも……ありすちゃんを守ってくれて、ありがとうございました」

 楽屋へ戻ると、そう言って頭を下げるありす。
 そんなありすに次いで、文香も志希とフレデリカの二人に御礼を言う。
 ルレッタは会場内に持ち込まれたと思しき爆弾の処理と、アラン以外に侵入した者がいないかを再度確認するため、警備の指揮へ戻っていた。

「にゃはは……気にしなくてもいいよ。どっちかというとこっち≠フ不手際が原因だしねー」
「フレちゃんは、マシュマロちゃんの後を付いていっただけだしね。御礼ならマシュマロちゃんに言ってあげて」

 そう話す志希とフレデリカの言葉に納得すると、ありすと文香はフレデリカの頭の上にいるマロにあらためて御礼を口にする。
 気にするなとでも言っているのだろうか? 身体を震わせるマロは、どこか愛らしく見える。
 そして志希から今、実験都市で何が起きているかの説明を受けるありすと文香。
 フレデリカも実際には巻き込まれただけなので、志希の話に感心した様子で聞き入っていた。

「菜々さんがロボットに……ですか? それに宇宙での戦いを中継って……それ、大丈夫なんですか?」

 困惑と不安を隠しきれない様子で、そう尋ねるありす。
 菜々のことも心配だが、それよりも不安なのは宇宙で起きていることを地球の人たちに報せても良いのか? と言うことだ。
 太老たちの正体や事情を知っている者なら、当然の疑問だった。
 しかし、そんなありすの疑問に志希は「問題ない」と答える。

「この街の非日常的≠ネ光景に慣れた後だと、映画の宣伝くらいにしか思われてないだろうしね」

 最先端のAR技術、街を徘徊するロボットの群れ。
 志希の言うように本来この街にあるものですら、外界と比べれば非常識なものが多い。
 コスト的にも、技術的にも、地球の科学力ではまだまだ実現の難しいものばかりだ。
 しかし、それがこの街にはある。そして、その非常識な光景を人々に受けいられる下地を彼女たち≠ヘこれまで準備してきた。
 それが891プロの活動であり、正木商会の存在だ。そんな志希の話に、ありすと文香もようやく理解の色を示す。

「最初から、ここまで計算して動いていたんですね。敢えて非常識な行動を取ることで、少々目立つことをしても受け入れられるように……」

 実際のところ、ありすが言うように太老もそこまで深く物事を考え、計算して動いていたわけじゃない。
 だが結果として人々の目には見慣れた光景として映り、今回の騒動も正木商会の用意したイベント≠ニして受け入れられている。

「あとは示威行為(デモンストレーション)ってところかな? 今回もいろいろちょっかいを掛けてきていたおじさん≠スちがいるみたいだし」

 そう言って、ニヤリと悪い笑みを浮かべる志希。
 ちょっかいを掛けてきていた連中というのが、誰なのか? それはありすにも簡単に察することが出来た。
 以前、志希から太老や正木商会の置かれている立ち位置や状況を聞かされていたからだ。
 映画のプロモーションイベントだと思っているのは、太老たちの正体を知らない者だけだ。正木商会の秘密や太老の正体を知る者なら、いま宇宙で何が起きているかを正確に理解しているだろう。そうした者からすれば、現在中継≠ウれている映像は悪夢≠ニ言っていい。もし、その力が自分たちに向けられれば、為す術なく滅ぼされることが目に見えているからだ。

 だからと言って、そのことで表立って太老を非難することは難しい。それは同時に宇宙の秘密を公にすると言うことだ。
 そんな真似をすれば、約束されていた太陽系を中心とした十光年に及ぶ宙域の開拓権を失うばかりか、銀河連盟に用意された議席のポストを失うかもしれない。その程度ならまだいい。樹雷の面子を潰すだけでなく――銀河法に抵触する行動を取ることで、銀河連盟すら敵に回す恐れがある。そうなったら地球は終わりだ。
 得られるものに対して、失うものが大きすぎる。
 秘密を公にすることで太老たちが地球から手を引いてしまえば、何も得られないまま永遠に宇宙への進出を諦めざるを得なくなるだろう。
 正木商会の台頭によって下地は整いつつあるとはいえ、まだそれを受け入れられる時期に地球が達していないということは彼等も理解していた。

 SFのような話だが、それが地球の置かれている現実だ。
 ありすは子供ならではの柔軟な思考がある。文香も読書を趣味としているだけあって理解は早かった。
 しかし、そうなると以前から感じていた違和感――いや、疑問がありすの頭を過ぎる。
 志希のことだ。太老の弟子というのはわかっている。
 このなかで一番よく事情を知る正木商会の関係者だと言うことも――
 しかし、それでも志希は地球人だ。
 太老と知り合ったのは日本へ来てからのこと。
 そう考えると、幾らなんでも事情に詳しすぎる気がしてならなかった。
 ましてや、アランから助けてもらった時の志希の動き。一朝一夕で身につくようなものに思えない。

「志希さんって何者なんですか?」

 それ故の質問。ありすがどう言う意図で尋ねているのかを察し、志希は少し感心した様子を見せる。
 性格もあるのだろうが、志希は敢えてそうと気付かれないように演じて′ゥせている。
 天才という言葉は都合が良い。変な人だと思ってくれれば、大抵の人は壁を作り、凡人とは違うのだと勝手に線を引き、納得してくれるのだから。
 しかし、ありすは気付いた。それは周りの感想に流されず、志希を一人の人間として対等に見ていると言うことだ。
 だからこそ、志希は誤魔化すつもりも、嘘を述べるつもりもなかった。

「事情に詳しいのは、あたしが先生の教え子の一人≠セから。そして先生とは、体感時間で百年°゚い付き合いになるからね」
「……え?」

 想像を遙かに超えた答えが返ってきて、ありすは話を呑み込みきれず困惑の声を漏らす。それは文香も同じだった。
 珍しく驚いた様子で目を瞠り、固まっている。
 無理もない。同じ地球人だと思っていた志希の口から、ありえない言葉を耳にしたのだから――

「志希さんも宇宙人なのですか?」

 文香の疑問は当然だった。
 百年も生きられる地球人はいない。仙人なんてものもいるが、そんなのは空想の世界の話だ。
 宇宙人がいるのだから、そうした者が実際にいても不思議ではないが、どちらにせよ志希は普通≠フ人間ではないと言うことになる。

「ううん。あたしは正真正銘、地球人だよ?」

 しかし、そんな疑惑を志希は否定する。
 地球生まれの地球育ち。両親も紛れもなく地球人だと語る志希。
 だとすると話が噛み合わない。どういうことかと、ありすと文香が尋ねると――

「加速空間って技術があってね。先生の工房で一日を過しても、ほとんど外界では時間が経過しないんだよね。で、工房内の加速時間は調整が可能なんだけど、あたしは先生から基礎を学ぶのに述べ九十万時間近く工房で生活してるから――」

 絶句。唖然とした顔を浮かべるありすと文香。
 特に文香の驚きは大きい。年下だと思っていた志希が、実はとんでもなく年上だったと聞かされたのだから――
 菜々が十七歳と偽っているよりも、多くの歳を誤魔化していたと言うことだ。
 しかし、そんな言葉がでないと言った反応を見せる二人を他所に、フレデリカは違った反応を見せる。

「シキちゃんずるい! そんな面白そうなこと、なんでフレちゃんには教えてくれなかったの?」
「え? フレデリカさん、ちゃんと理解してます?」
「時間を気にすることなく、好きな時に休んで好きな時に遊べるってことでしょ?」

 そうしたら毎日がハッピーだよね?
 と話すフレデリカの言葉に、ありすは自分がおかしいのかと頭を抱える。
 そんなありすを見て、何かツボにはまった様子でプッと笑みを溢す文香。

「……文香さん?」
「いえ、そういう考え方もあるのだと思ったら、おかしくて。でも、確かに時間を気にすることなく本を好きなだけ読んでいられるのは魅力的ですね」

 時間を気にすることなく好きなことに没頭できる。
 文香からすれば、時間を気にすることなく読書に集中できるというのは何にも代え難い魅力だった。
 勿論、アイドルの仕事が嫌になったと言う訳ではないが、最近はその仕事が忙しくて満足に読書をする時間も取れないでいる。
 たまには好きな本に囲まれて、のんびりと過したい。そう思う時も、あるのだ。
 何より彼女たちは若い。仕事以外にも自分の時間を持ちたい。やりたいと思うことは、たくさんあるだろう。

「でも、時間の流れが違うってことは、歳は普通に取るんですよね?」
「気になるなら、生体強化を受ける?」
「えっと……そんな軽くていいんですか? 一応、秘密なんじゃ……」
「もう、ここにいる皆は関係者だしね。そのうち美嘉ちゃんも、こっちに引き込むつもりだし」
「で、でも……」
「大丈夫、大丈夫。痛くはしないから。ちょっと実験に付き合ってもらう必要はあるけどねー」

 なんとも言えない不安がありすを襲う。
 志希を信用していないと言うわけではないが、さすがにすぐに回答できるような話ではなかった。
 しかし――

「でも二人とも、数年くらいの誤差なら気にしなくても問題ないと思うけどね。下地は出来上がってるみたいだし」
「……え?」
「あれ? もしかして気付いてない? 先生の特製ドリンクやジュースを二人とも飲んでるよね?」

 太老特製のドリンクは、普通に一本飲むだけなら疲れた身体を癒し、体調を整える程度の効果しかないものだ。
 しかし適度な運動と服用を続けることで、疑似生体強化とも呼べる効果を使用者にもたらす。
 既に文香の肉体は、第一段階の生体強化に片足を踏み込むレベルで下地の形成が整いつつあった。
 ありすは文香と同じドリンクを服用していたわけではないが、太老の工房で仕込まれたジュースを愛用している。
 それそのものが『長寿の秘薬』や『万病の妙薬』として知られる『皇家の樹の実』を材料に用いたジュースだ。
 文香が毎日口にしている特製ドリンクにも用いられている材料で、成分の調整を施さずともそのものの効用も高い。
 むしろ成分を薄めたドリンクを飲んでいる文香よりも、毎日原液≠口にしているありすの方が肉体に及ぼす影響は大きいと言えた。

「もしかして、私や文香さんも志希さんや会長さんみたいに……」
「ああ、生体強化を受けているわけじゃないし、そこまでではないよ」

 志希の答えに、ほっと安堵の息を吐くありす。
 しかし、

「歳を取ることはあっても老化は抑えられるだろうから……延命調整をしなかったら二百年くらい?」
「それでも十分、非常識です!?」

 普通の地球人が二百年も生きるなんてありえない。
 一度は891への移籍を断ったありすだが、本当にその判断が正しかったのかとありすは頭を抱える。
 いまは、まだいい。しかしこの先、自分たちだけではどうしようもない問題に直面することは確実だ。
 何かがズレていると思っていた違和感の正体に、ようやくありすは気付く。
 話が噛み合わないのは、地球での常識が通用しないからだ。正しく、彼等は宇宙の住民なのだと――
 それは関係者≠ニなった自分たちも例外ではないのだろうと、ありすは理解する。
 そして、

(会長さんには責任を取ってもらわないと……)

 事情を知らない人が聞けば、誤解するような言葉を心の中で漏らす。
 少なくとも、この件で太老のことを怒ったり、恨んだりはしていなかった。
 危険な目に遭った今なら尚更わかる。特製ドリンクの件を含め、必要なことだったと理解しているからだ。
 何より、文香が元気になったのは太老のお陰だ。そのことを、ありすは感謝していた。
 しかし、それとこれは別の話だ。太老にはこんな身体にした$モ任は取ってもらわないとと、ありすは決意する。

「シキちゃん、シキちゃん」
「ん?」
「それって、もしかしてフレちゃんも?」
「うん。というか、フレちゃんの場合は頭の上のその子≠フ影響も受けてるから」

 ――もっと大変だと思うよ。
 志希の言葉の意味をフレデリカが真に理解するのは、まだ少し後のことだった。


  ◆


「文香ちゃんのことが心配?」
「それは……」
「大丈夫、大丈夫。フレちゃんが一緒だし」

 文香は今、変更になったプログラムのことでプロデューサーに呼び出され、確認のために席を外していた。
 本当はありすも付いていこうとしたのだが、あんなことがあった後なだけに文香に止められてしまったのだ。
 心配を掛けた自覚があるだけに、ありすも強くは言い返せなかった。そんなありすを見て、文香の同行を言いだしたのはフレデリカだった。
 文香の方も、志希がありすについてくれているならと安心したのだろう。
 文香のことは心配だ。しかし、あれこれと言ったところで仕方がない。
 不安を紛らわせるため、二人きりになった楽屋で、ありすは気になっていたことを志希に尋ねる。

「さっきの話で気になったんですけど、フレデリカさんだけでなく他の皆さんも会長さんのドリンクを服用してるんじゃ……」
「そうだねー。まあ、周子ちゃんたちにドリンクを渡したのは美嘉ちゃんだけど」

 それってまずいんじゃと口にしようとして、ありすは言葉を呑み込む。
 周子と奏に本気で黙っているつもりなら、太老が美嘉に特製ドリンクを渡すはずもない。
 志希も当然気付いていたはずだ。なのに止めなかった。
 そのことが意味するのは――

「お二人も仲間に引き込むつもりですか?」
「仲間外れにする方が、あの二人はきっと怒るだろうしね」

 少なくともフレデリカはともかく美嘉が何かを隠していることに、周子と奏の二人は気付いているだろうと志希は考えていた。
 そして美嘉のことを信用していないわけではないが、このままずっと周子と奏に隠しごとを続けられるとは思っていない。
 あの二人のことだ。美嘉の様子から、何かがおかしいと勘付いているはずだ。
 なら、いっそのこと仲間に引き込んでしまった方がいい。それに周子は太老のことを――

(満更じゃないみたいだしね。だとすると、あの契約書≠ノ周子ちゃんもサインする日は遠くないだろうし)

 一人や二人増えるのも一緒だ。どうせなら皆一緒の方がいい。
 宇宙のテクノロジーには確かに興味が尽きない。しかしアイドルの観察≠焉Aまだ結果をだしたわけではないのだ。
 なかでも特に興味をそそられる観察対象となっているのが、ユニットを同じくする〈LiPPS〉のメンバーだった。
 奏は担当プロデューサーとのことがあるので、891に移籍まではしないだろうが、巻き込むことに志希は躊躇がなかった。
 だから敢えて美嘉の行動を見過ごし、そうなるように誘導≠オたのだ。

「前から思ってたんですけど、もしかして346プロのなかにも会長さんの秘密を知っている人が結構います?」
「ありすちゃん、やっぱり良い勘してるね。志希ちゃんと一緒に哲学士*レ指してみる?」
「遠慮しておきます」

 ありすの言うように、346プロのなかにも秘密を共有する協力者≠ヘいる。

「まあ、そのことは追々とね。敢えて気付かない振り≠している人もいるみたいだから」

 それが誰かを志希は教えるつもりはなかった。
 しかし、ありすの能力は高く評価していた。
 恐らく太老と出会い、この短い期間で一番成長したのは彼女だろうという考えがあったからだ。

「不満?」
「少しだけ……でも納得は出来ませんが、理解は出来ます」
「フフッ、ありすちゃんは賢い≠ヒ。それに――」

 ――良い匂いがするから好き!
 と抱きつき、匂いを嗅ぐ志希に、ありすは「放してください」と顔を真っ赤にして抵抗するのだった。



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