「はあ……」

 通算八度目の溜め息が溢れる。
 観客の反応は上々。新人アイドルとして見れば、地球での初舞台は大成功と言っていいだろう。
 しかし――

「安倍菜々……」

 今回のライブで最も多く観客の注目を集めたのは、カルティア・ゾケルや高垣楓ではなく安倍菜々だった。
 聞けば、太老が直接スカウトし、346プロから引き抜いたアイドルだと言う。
 その話を聞き、ある意味で納得しつつも舞九は負けを認められずにいた。
 勝負をしていたわけではないとは言っても、一番を取る気持ちで実験都市でのイベントに臨んだのだ。
 なのに――その結果は満足の行くものではなかった。
 これでは、レセプシーの皆に合わせる顔がない。

「こんなところで、ふて腐れていたのね」
「――!?」

 ホテルの屋上で星空を見上げながら黄昏れていると、背後から声を掛けられて慌てて振り返る舞九。
 屋上に差し込んだ月明かりが、扇情的なナイトドレスに包まれた褐色の肌をさらけだす。
 それは――

「母様!?」

 レセプシーに所属する踊り子たちの頂点――舞貴妃だった。
 予期せぬタイミングでの母親の登場に慌てる舞九。
 そして、すべてを見透かされていることに気付き、バツが悪そうな複雑な表情を見せる。
 出来ることなら、今一番会いたくのない相手でもあったからだ。

「目立てなかったことが悔しい?」
「見てたなら……わかるでしょ?」

 ツンと顔を背けながら、舞貴妃の問いに答える舞九。

「姉妹のなかで、人一倍負けず嫌いですものね」

 何も答えず後ろを向く舞九を見て、舞貴妃はクスリと苦笑する。
 実のところ才能だけで言えば、姉妹のなかで頭一つ抜けた才能を持っていると、舞貴妃は舞九のことを高く評価していた。
 しかし舞九は外の世界を知らなすぎた。

「これでわかったでしょ? あなたに足りないものが――」

 技術は申し分なくとも、舞九の歌や踊りには色≠ェない。
 それは舞九がレセプシーという殻に閉じ籠もり、人付き合いを苦手としていることに原因があると舞貴妃は考えていた。
 だからこそ舞貴妃は鷲羽に相談をして、娘を太老のもとへ預けることを決めたのだ。

 同年代で舞九以上に芸事に長けた歌手や踊り子は、レセプシーにはいなかった。
 しかし技術では及ばずとも、ここには彼女以上に観客の心を惹きつけ、魅了することに長けたアイドル≠ェ数多くいる。
 アイドルとは、歌や踊りが上手ければ良いというものではない。
 勿論、上手いにこしたことはないが、最も大切なものは他にある。
 舞九に足りないもの。それは――

「笑顔よ」

 舞九の演技は完璧だ。しかし作り物の笑顔では、真に人の心には届かない。
 芸をきわめること、技術を磨くことにばかり目が行き、舞九は大切なことを一つ見失っていた。

「……笑顔なら浮かべてるわよ」
「心から舞台を楽しまなければ、本当の笑顔なんて出て来ないわ。勝ち負けに拘っているようでは尚更ね。彼女たちのステージを見て、実感したはずよ」
「むう……」

 このままではダメだと言うことは、舞貴妃に言われずとも舞九もわかっていた。
 しかし今更、笑顔が大切だと言われても、何をどうすればいいのかがわからない。
 そんな思い悩む娘に対して、

「歌や踊りなら、あなたは同年代の誰にも負けない才能と実力を持っている。でも頂点を目指すなら、それだけでは足りない。だから外の世界に目を向け、学びなさい。レセプシーに引き籠もっていては得られないものが、ここにはあるわ」

 と、舞貴妃は助言を贈るのだった。


  ◆


「笑顔か……」

 逃げるように屋上を後にした舞九は自分の部屋に戻るとベッドに身体を預け、先程の母の言葉を思い出す。
 そして――

「うふ」

 窓ガラスに映る自分を見ながら、笑顔を浮かべる。
 ああでもない。こうでもないと表情をコロコロと変えながら、笑顔の練習をしていた、その時。

「え?」
「あ……」

 ガラス越しに目が合った。
 引き攣った笑顔のまま固まる舞九。
 同じく窓ガラスに張り付いたまま、気まずそうな顔を浮かべる太老。
 その次の瞬間――

「きゃあああああッ!」

 年相応の少女の悲鳴が室内に響くのだった。


  ◆


 手分けして逃げた太老を捜す少女たち。
 惚れ薬を発端とした騒ぎは、どこでどう曲解されたのか?
 いつしか太老を捕まえるとなんでも一つ頼みを聞いてもらえる<Cベントに主旨を変えていた。

「見つかった?」
「ううん、こっちにはいないみたい」
「ああ、もう! どこにいるのよ! あのバカ!」

 そのなかには346プロと891プロのアイドルだけでなく、765プロのアイドルの姿もあった。
 春香から、まだ太老が見つかっていないと聞き、伊織は不機嫌そうに声を荒げる。

「いおりんは、太老にぃを見つけたら何をお願いするの?」
「私はただ、このバカ騒ぎを終わらせて、一言アイツに文句を言ってやりたいだけよ……」
「そうなの? 私はね。真美とお揃いの『タチコマくん』を作ってもらうんだ」

 みりあが連れているオリジナルのタチコマに興味を惹かれた様子で、目を輝かせながら話す亜美を見て――
 子供ね……と呟きながらも、頼みごとの件を深く追求されなかったことに安堵する伊織。

「はるるんは?」
「私? うーん。でも、余り高い物をお願いするのは……」
「アイツには前座の件で貸しがあるんだから、多少の無茶を言ったってバチは当たらないわよ」

 亜美とは違って遠慮をする春香に、そもそも太老にはステージの前座の件で貸しがあると伊織は話す。
 確かにその通りなのだが、そもそも春香は太老に貸しを作ったという考えはなかった。
 事務所や仕事のことで太老には相談に乗って貰ったことがあるし、困った時はお互い様という思いの方が強かったからだ。
 しかし、そんな春香とは対照的に――

「響! 絶対に、何がなんでも一番に捕まえるのよ! お金が――事務所の命運が掛かってるんだから!」
「人使いが荒いんだぞ……」

 周りがドン引きするくらい必死な人物がいた。秋月律子だ。
 響に指示を飛ばし、動物たちを使って太老を捜させる律子を見て、伊織も頬をひくつかせる。
 社長の悲願でもあった劇場を建てたことで、事務所の財政事情が厳しいことは伊織たちも知っていた。
 事務所の金庫を預かる律子が金の工面に苦労し、難しい顔で毎日帳簿と睨めっこしているところも見ていた。
 しかし、それにしたって必死すぎる。

「亜美……タチコマの件は私も一緒に頼んであげるから、今回は律子に譲ってあげなさい」
「うん。律っちゃんを少しでも楽させてあげたいしね……」

 そんな律子の姿を見れば、さすがの亜美も自分の願いを優先させたいとは言えなかった。


  ◆


「本当に申し訳ない!」
「いえ、もう気にしていませんから……」

 誠心誠意、土下座をして許しを請う。
 壁を伝って建物のなかの様子を窺っていたら、まさか舞九の部屋だったとは……。
 とはいえ、知り合いの部屋で助かった。
 変質者と誤解されて通報されても、おかしくないところだったからな。

「――と言う訳で、逃げて来たんだ」
「なるほど……」

 かくかくしかじかと、これまでの経緯を舞九に説明する。

「しかし、惚れ薬ですか……」

 そう言って、じっと俺の顔を覗き込んでくる舞九。
 ……まさか、効いてないよな?

「太老様」
「あ、はい?」
「折角の機会なので相談したいことがあるのですが……聞いて頂けますか?」

 身構える俺に、そう尋ねてくる舞九。落ち着いた様子の彼女を見て、俺はほっと息を吐く。
 レセプシーの舞姫だしな。彼女たちは観客を魅了する側の人間だ。
 レセプシーの踊り子は、精神に作用を及ぼす力に高い耐性を持っているという話を以前聞いたことがある。
 少し不安だったが、この様子だと心配はなさそうだと安堵した。

「俺で力になれるなら、なんでも聞いてくれ。それで相談って?」

 驚かせたお詫びも兼ねて、相談の内容について尋ねる。
 まあ、お詫びとか理由がなくとも、普通に相談されたら力になるつもりだったが――
 舞貴妃は少し苦手だが、レセプシーの人たちには世話になっているしな。
 ましてや兄のように慕ってくれる子を無碍に扱えるほど、俺は薄情ではないつもりだ。

「……私の笑顔は変ですか?」
「笑顔?」

 要領を得ない質問をされて、俺は首を傾げる。

「はい。母様に、私に足りないのは笑顔だと言われました……」

 笑顔か……。
 そう言えば、似たようなことを武内プロデューサーも言っていた覚えがあるな。
 パワーオブスマイルだっけ?

「なるほどな。それで窓ガラスに向かって練習してたのか」
「うっ……」

 武内プロデューサーが自分の担当するアイドルに求める唯一のもの。
 それは技術でも経験でもなく、笑顔だった。
 だからこそ目指す方向の違いから武内プロデューサーと美城専務は対立したのだが、俺から言わせるとどちらも極端すぎる。

「無理に笑顔を作る必要はないんじゃないか?」
「え?」

 舞九の技術は、891プロのアイドルと比べても頭一つ抜けている。歌以外ではカルティアを凌ぐほどだ。
 それは他のアイドルにはない彼女だけの武器になる。
 無理に笑顔を振りまかずとも、十分にトップアイドルを目指せる素質はあると俺は考えていた。

「でも、母様は――」
「たぶん舞貴妃さんが言いたかったのは、そういうことじゃないと思う。質問を返すようだけど、どうして踊り子≠ノなろうと思ったんだ?」
「それはレセプシーに生まれたから、姉様たちや母様のようになりたいと……」
「まあ、生まれや環境は選べないからな。でも、ただ辛いだけなら、ここまで続いてないだろ?」

 俺も選択肢はないようなものだったが、勉強や修行を辛いと思っても本気でやめようと思ったことはなかった。
 それは心のどこかで楽しいと――充足感を得られる何かがあったからだ。
 舞九も同じことが言えると思う。そもそも芸事の練習が辛いだけなら、舞姫になることもなかっただろう。

「俺から言えることは一つだ。自分に素直≠ノなればいい」
「素直に……」

 演技が必要なこともあるだろう。しかし自分の心を偽ってまで、無理をする必要はない。
 変に気負ったところで良い結果はでない。大切なのは、自分らしさをどう表現するかだ。
 そう言う意味では、志希やフレデリカは我が道を行くと言った感じで、あのフリーダムさが強味になっていると思う。
 まあ、あそこまで自由に生きろとは言わないが、難しく考えすぎるのもよくない。
 舞九は努力家ではあるが負けず嫌いなところがあって、なんでも完璧を求めようとするところがある。
 プロ意識を持つのは悪いことではないが、ずっと肩肘を張っていては、すぐに疲れてしまう。
 たまには肩の力を抜いて舞台を楽しめと言うことだ。
 舞貴妃が娘に伝えたかったのは、そういうことだろうと俺は察した。

「……舞九ちゃん?」
「素直に……」

 ぼんやりとのぼせた様子で、顔を近付けてくる舞九。
 何やら様子がおかしい。
 あれ? この反応って、もしかして――

「まさか、今頃になって惚れ薬の効果がでてきたんじゃ!?」

 慌てて舞九から距離を取ろうとすると――

「……ハムスター?」

 天井からハムスターが降ってきて、舞九の頭に着地した。
 どこか見覚えのある小動物を前に、嫌な予感を覚える。
 その直後、ドアを蹴破る音が聞こえ振り返ると、

「でかしたわ! 響、いぬ美!」
「ハニー! ここにいるのなの!?」

 そこには見知った顔があった。
 律子に美希。それに響といぬ美。その後ろには伊織や春香、亜美の姿も確認できる。765プロの面々だ。

「ハニーは渡さないのなの!」
「ア、アンタには貸しがあるんだから! 大人しく捕まりなさいよね!」
「お前等もか!?」

 意味不明なことを口走りながら突撃してくる美希と伊織をかわし、俺は部屋の角へと逃げる。

「修羅場ですなあ」
「……何がどうなってんのよ? ああ、もう! なんでもいいから、逃がすんじゃないわよ! 二人とも!」
「自分、もう帰ってもいいか?」
「美希、伊織どうしちゃったの!? って、えええ!? 廊下の向こうからも人が――」

 それを皮切りに、ガヤガヤと騒がしくなる廊下。
 身の危険を感じた俺は窓枠に手を掛け、そのまま壁を伝って外へと逃げる。

「逃がさないなの!?」
「追い掛けるわよ! 響、いぬ美!」
「……自分、いつになったら解放されるんだ?」
「……バウ」

 舞台をホテルの外へと移し、逃走劇は続く。
 そして最初は数人だった追手も、十人、百人、千人と数を増やしていき――
 都市を丸ごと巻き込んだ鬼ごっこは終わることなく、朝日が昇るまで続くのだった。



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