カタカタと軽快なリズムでキーボードを叩きながら、無数のモニターに高速で流れる文字と数字の羅列を鷲羽は読み解いていく。
 本来であれば高度な演算処理を必要とするような計算も、伝説の哲学士の異名を持つ彼女にとっては暗算で紐解ける程度の作業でしかない。
 アカデミーに籍を置く哲学士であれば、そう数は多くないが何人かは同じことが出来る者もいるだろう。
 鷲羽の英才教育を受けた太老は勿論のこと、銀河アカデミーの理事長を務める柾木アイリにも可能なことだ。
 しかし鷲羽が真剣な表情で作業に打ち込む視線の先には、そんな二人でさえも完全に理解することは難しいものが映し出されていた。

 守蛇怪・零式の開発データだ。

 正確には、鷲羽の工房から姿を消した零式の置き土産。
 鷲羽が『正木太老ハイパー育成計画』の一環で十数年の歳月を掛けて組み上げた、零式の根幹を為すプログラムだった。
 生物の持つ魂――アストラルコアを核として生まれた魎皇鬼や福と違い、零式は純粋なプログラムによって組み上げられた人工的な存在だ。
 本来、船に搭載されている人工知能とは船の運航をサポートするためのもので、そこに感情や意思と言った不確定なものが介在することはない。
 限りなく人間に近い行動を取らせることは可能だが、魂を持たない存在である以上、プログラムされた以上の行動は取れないのが普通だ。
 それがAIの常識なのだが、零式は特別だった。

 高度な人工知能を持つAIのなかには、稀にアストラルを持つものが生まれることがある。
 嘗て、銀河アカデミーで多くの男性を魅了し、さる事件で脚光を浴びることで多くの話題を浚ったAI−CGアイドルのキルシェ。
 山田西南と同じGPアカデミーの卒業生にして、恋人の一人でもある美希・シュタインベック。
 彼女たちのようにAIでありながらアストラルを宿す存在は、本来は狙って作り出せるようなものではないのだが、哲学士であれば話は別だ。
 魎皇鬼と同じ万素を材料とする生体金属と、アストラル情報を含めた太老の詳細なパーソナルデータを人工知能のベースに用いることで、鷲羽は零式の人格を形成する核となるものを作り上げた。
 謂わば、零式とは太老と鏡合わせの存在だ。鷲羽の悪癖の影響を受けた女版の太老とでも言うのが零式だった。
 零式が太老のことを『お父様』と呼ぶのも、太老のデータが自身のもとになっていると理解しているからだ。

 魎皇鬼タイプの宇宙船ではなく、そうした船を敢えて鷲羽が開発したのには意味がある。
 太老の能力に適応し、共に成長する船が必要だったからだ。
 零式は学習能力だけで言えば、魎皇鬼タイプの宇宙船は勿論のこと〈皇家の船〉すら凌ぐポテンシャルを有している。
 現在、鷲羽が解析を進めているデータは、太老の能力に適応するため、零式が二年の歳月を掛けて自身を最適化した情報の塊だ。
 それは不完全ながらも、頂神すら干渉することが出来なかった太老の力に適応していることを意味する。
 鷲羽が自己進化に特化した高度な学習能力を零式に持たせたのも、すべては太老の能力の秘密を解き明かすためだった。
 これを解析することが出来れば、太老の能力の正体に迫るヒントを得られる可能性は高い。
 上手く行けば、太老の能力をコントロールする方法が見つかるかもしれない。そうした思惑があってのことだ。
 しかし――

「これは一筋縄ではいきそうにないね……」

 珍しく本気で困った様子で、鷲羽は弱音を漏らす。
 零式のシステムを組み上げたのは鷲羽だ。しかし、生みの親だからと言って零式のすべてを理解しているわけではない。毒をもって毒を制すと言ったように、太老の能力に適応したシステムを構築するために太老のパーソナルデータを用いたわけだが、それがかえって零式の解析を困難にする要因ともなっていた。
 太老のパーソナルデータは、宇宙最高峰のセキュリティを誇るアカデミーのシステムをダウンさせ、哲学士の工房をも混乱に陥らせた実績を持つ天災のウイルス。
 鷲羽が十数年の歳月を掛けても解き明かすことが出来なかったブラックボックスとも言えるものだ。
 油断をすればデータを解析をするどころか、逆に自身の工房が浸食されかねない危険を孕んでいた。

「まったく……手の掛かる子だよ」

 微かに笑みを浮かべ、鷲羽は慈愛に満ちた声でそう呟くように話す。
 最初から一筋縄ではいかないことはわかっていた。それでも可能性があるのなら、やるしかない。
 作業を再開しようと、鷲羽の指がキーボードに触れようとした、その時。

「鷲羽ちゃん、ちょっといいかな?」

 声を掛けられ、鷲羽が振り返ると、その視線の先には――

「天地殿?」





異世界の伝道師 第280話『誤解と疑惑』
作者 193






 畑仕事で鍛えた引き締まった身体に、穏やかでいて力強さを感じさせる精悍な顔立ち。
 若き日の遥照を彷彿とさせる、どこか太老とも面影が似た男性。

 ――彼が柾木天地だ。

 実際は見た目の倍近い歳を食っているのだが、若々しく二十代前半にしか見えない。
 だが、それを言ったら鷲羽は二万歳を超える年齢で、少女と見紛う姿をしている。
 生体強化と延命調整が一般的な宇宙の住人にとって、外見と年齢が噛み合わないのは普通のことだ。
 宇宙のことを何も知らない知人や友人に会う時は生体偽装などで見た目を誤魔化してはいるが、家族と過ごす時は本来の姿でいることの方が多かった。

「珍しいね。天地殿がここ≠訪ねてくるなんて」

 食事時になると鷲羽を呼びに現れるのは、いつもノイケや砂沙美の役目だ。
 天地は余り鷲羽の研究室に寄り付かないというか、意識的に避けていた。
 だが、それは何も鷲羽のことを嫌っていると言う訳ではなく、危険を回避しようとする本能のようなものだった。
 実際、哲学士の工房というのは一般人からすれば、獰猛な肉食獣が徘徊する未開のジャングルのようなものだ。
 哲学士のことを知る者であれば、自分から獲物となるためにそんな危険地帯に足を踏み入れる愚か者はいない。

「はは……それを言われると辛いんだけど」

 誤魔化すように頬を掻きながら、天地は苦笑する。
 自分でも、ここへ近づくのを意識的に避けていることは理解しているからだ。
 昔はよく不用意に足を踏み入れて、モルモットにされかけただけに苦手意識を持つのも仕方がない。
 とはいえ、いまは笑って許せるような思い出話だ。
 いつもの鷲羽なら天地の困った顔が見たくて、『私の実験に付き合ってくれる気になったのかい?』と冗談でも交えるところだった。
 しかし今日は少し様子が違う。天地の瞳の奧に隠された僅かな陰りを、鷲羽は見逃さなかったからだ。

「太老のことかい?」
「……かなわないな。鷲羽ちゃんには……」

 全部お見通しだったことに苦笑しながら、誤魔化しや隠しごとは無駄と察して天地はここへきた理由を話し始める。

「直感というのか、(ゼット)の時にも感じた力の波動のようなものを感じたんだ」

 次元の壁を隔てて感じた巨大な力。それが光鷹翼の力だと察するのは難しくなかった。
 本来、異世界で行われている戦いの気配を察知するような真似は、天地にも出来ることではない。
 そんなことが可能なのは目の前にいる鷲羽や、訪希深や津名魅と言った三命の頂神くらいのものだ。
 だが、はっきりと感じた。恐らく太老との繋がりが、直感として自分に彼の危機を教えてくれたのだと天地は感じた。

「鷲羽ちゃんは、彼に俺たち≠フ力がきかないと言ってたよね?」

 あの感じた力が、光鷹翼であったことは間違いない。
 だが光鷹翼は簡単に使えるようなものではなく、少なくとも〈皇家の樹〉のような高次元生命体でなくては発現することすら叶わない超常の力だ。
 過去に現れたZ≠フような存在が他にもいるのなら話は別だが、そのような存在がいると言った話は天地も聞いたことがなかった。
 なら、可能性として考えられるのは一人しかいない。――太老だ。
 鬼の寵児の名を世に知らしめることになった事件のあらましは、天地も鷲羽から聞いて知っている。
 だから今回のことも、太老になんらかの危機が迫って、力が発現したのではないかと考えたのだ。
 天地が危惧していること。それは太老が自身と同じような存在に変わるのではないかと言うことだった。

 三命の頂神は自他共に認める全知全能の存在だ。
 その気になれば、時間を操り、新たな命を生みだし、世界を創ることさえも出来る。
 だがそれ故に、ある矛盾も抱えていた。
 それが、自身の存在否定。全知全能であるが故に生まれた疑問。

 ――頂次元の上の次元が存在するのではないか?
 ――自分たちもまた創られた存在なのではないか?

 と言ったトラウマだ。

 真に全知全能であるのなら、わからないこと出来ないことがあるのはおかしい。
 しかし彼女たちは、その矛盾に対する答えも、術も持ち合わせていなかった。
 だからこそ、確かめずにはいられなかったのだ。
 そのために思考錯誤≠繰り返し、それでも答えがでなかった彼女たちは無限とも言える時間を試行錯誤≠ノ費やしていった。

 そして、一つの考えに行き着く。

 下位次元を創り、頂次元との間に解脱ラインを設定することで、頂次元に至れる者が現れるか否かを試そうとしたのだ。
 本来、下位次元の者が頂次元に達した場合、肉体と魂は負荷に耐えられず、上位の次元に適応することが出来ないまま無に還ることになる。
 だが、存在の消滅を免れ、頂次元に達することが出来る者が現れたとすれば?
 それは頂次元の上に別の次元が存在する証明の可能性に繋がるのではないか?
 そう考えたのだ。

 結果、三位一体の女神は三つの姿に分かれ、それぞれの方法を試すことにした。
 鷲羽は頂神の力と記憶を封印し、人間として生きることで一から知識を求め――
 津名魅は眷属を創り、血の継承によって世代を重ねることで新たな可能性が生まれるのを待つことにした。
 そして訪希深はあらゆる予定調和を崩し、イレギュラーを意図的に起こすことで、そこから生まれる歪みに着目したのだ。

 その結果、生まれたのが天地≠ニZ≠セ。

 しかしZは自分のような存在を生み出した頂神を憎み、彼女たちの目的にして希望でもある同じ可能性を持つ存在を許すことが出来なかった。
 そして――唯一絶対の存在であることを望んだZは天地に戦いを挑み、敗れたのだ。
 結果Zは力を失い、彼の存在を哀れんだ頂神の力によって過去の世界へと還俗させられた。
 だが、その戦いはZだけでなく、天地の運命をも大きく変えることになる。
 Zに斬られることで存在を上位の次元へと繋げた天地は、破損した自身の肉体を修復するために光鷹翼を使い、不老となったからだ。
 光鷹翼の物質化によって細胞レベルで身体を作り替えられた天地は羽化が促進され、純粋な人間ではなくなってしまった。

 完全な不老。

 頂神でさえ、歳月の経過による僅かな劣化が見られるのに、天地にはそれがない。
 それは、この世界のルールに縛られる存在ではなくなったと言うこと。
 三命の頂神が無限とも言える時のなかで、ずっと探し求めてきた可能性≠セった。
 だが、それは宇宙が消滅しようと、すべての次元が滅び去ろうと、天地だけは永遠に時を生き続けると言うことでもあった。

 無限の牢獄に囚われた恐怖。その孤独感を埋めるように、天地は無意識の内に周囲の大切な人たちも巻き込んでいった。
 魎呼、ノイケ、砂沙美、阿重霞、美星……。いつかは死が運命を分かつはずだった彼女たちも、天地と同じく不老の存在となった。
 他にも天地に近しかった者の多くに、不老化の兆候が見られていった。
 そのことに悩み、苦しんだことは一度や二度ではない。
 天地が自らの意思で行っていると言う訳ではなくとも、原因は彼にあるのだから罪悪感に苛まれるのは必然だ。
 だが、そんななかで一人だけ、天地の力の影響を受けない者がいた。それが太老だ。

 不老化した人々を元に戻す方法がないわけではない。時と次元を司る訪希深の力なら、無限の牢獄から解放することも出来る。
 だが、訪希深の力を借りれば救うことが出来るとわかってはいても、罪の意識から逃れられるわけではない。
 自分の気付かないところで親しくなった人、大切な人が力の影響を受けているかもしれないのだ。
 そんななかで太老の存在は天地にとって救いであり、希望のような存在だった。
 罪の意識に苛まれることなく自然に接することが出来る相手は、天地にとって家族を除けば彼しかいなかったからだ。
 だからこそ、余計に恐れたのだろう。太老がもし℃ゥ分のような存在になってしまったら、と――

「天地殿が何を心配しているかはわかるつもりだよ。でも断言しておく。あれは太老の力≠カゃない」

 そんな天地の葛藤をずっと傍で見てきた鷲羽だからこそ、痛いほどに彼の苦しみを理解していた。
 故に、一切の誤魔化しをすることなく、鷲羽は真実を話す。
 ジッと鷲羽の瞳を見据える天地だったが、鷲羽が嘘を言っていないと気付くと、ほっと安堵の息を吐いた。
 だが、そうすると疑問が残る。

「それじゃあ、あれは一体……まさか、訪希深さんが?」

 太老のことを訪希深が溺愛していることは、天地もよく知っている。
 ありとあらゆる次元、空間、時間に存在する彼女のことだ。
 太老の命に危険が迫れば、鷲羽の言い付けに背くことになっても訪希深が動く可能性は高い。

「いや、訪希深じゃない。当然、私や津名魅とも違う」

 しかし、鷲羽はそんな天地の想像を否定する。
 いまは人の姿を取っているとは言っても元は同じ存在なのだから、訪希深が次元に干渉するほどの大きな力を使えばすぐにわかる。
 だからと言って〈皇家の樹〉の力でもなかった。あれは、どちらかと言えば頂神に近い、第一世代すら凌ぐ力を有していたからだ。
 同じことから零式の可能性も鷲羽は捨てていた。
 いまの零式は第三世代に匹敵する力を有しているが、単独であれほどの力を発現することは不可能だからだ。

「可能性としては、高次元からの干渉。私たちに近い存在≠ェ、あの場に現れたと考えられる」
「もしかして、またZのような奴が……」

 太老でも訪希深でもないとすれば、あれは一体なんだったのか?
 本当に自分の知らないZのような存在が他にもいるのかと、天地が疑問を持つのは当然だった。
 しかし、それすらも鷲羽は否定する。

「それはない。今回の件は、私たちと関わりのない存在と考えていい」

 高次元の存在は、三命の頂神だけではない。
 下位次元の人々の目には存在が認識できないだけで、皇家の樹のような高次元生命体は無数に存在する。
 彼等にも意思があり、なんらかの思惑があって世界に干渉することもある。それは鷲羽たちがやっていることと大きな違いはない。
 しかし、そんな説明に今一つ納得していない様子の天地を見て、鷲羽は一つの問いを口にする。

「あの子の特異性は、天地殿も知っているだろう?」
「美星さんや西南くんと同じ……ですか?」

 天地の答えに、鷲羽は頷く。
 この世界には確率に大きな偏りを持つ、『確率の天才』と呼ばれる特殊な才能を持った人々が存在する。
 ある種の異能とも呼べる能力。ある者は偶然を味方に付け、ある者は不運に苛まれ、

「私は、あの子の力のことを事象の起点(フラグメイカー)≠ニ呼んでいるけどね」

 世界を歪め、因果律にも影響を及ぼす絶大な力。
 太老が生まれた時点から、この世界は本来進むべき歴史から大きく外れてしまっている。
 三命の頂神ですら気付かないうちに、ゆっくりと歴史の改変が進んでいた。
 それが、訪希深が未来を見通せなくなった理由。世界にかけられた呪いだ。
 事象の起点とは、太老がこの改変の中心にいることを意味する。

 善意には善意を、悪意には悪意を――

 それは、こうした能力の副次的な効果に過ぎないと鷲羽は考えていた。
 太老が初めて宇宙へ上がった時、『ローレライ』の異名を持つ山田西南のように海賊を引き寄せ、多大な戦果を挙げたことがある。
 それは西南のように不運≠ェ重なったことが原因ではない。
 太老の能力は他者の運命に干渉し、連鎖する。太老との絆を持つ誰かが、その結果≠望んだことが原因だ。
 或いは、太老を大切に思う誰かが、海賊の悪意に晒されていた可能性も考えられる。
 好意、敵意。善意、悪意。
 自身に向けられた感情を引き金とする受動的な能力ではあるが、影響の及ぶ範囲が恐ろしく広い。

「太老の能力は、完全な受け身だ。どんな感情でもいい。自身に向けられる想いの強さで確率変動値が大きく上下する」

 太老の起こす事象には、必ず誰かの意思が介在する。
 求められる条件は一つだけ。太老との繋がりが深ければ深いほど、因果律に及ぼす影響が高くなる。
 それは即ち、改変された事象の規模によって、太老との関係の深さが推し量れることを意味した。
 例外があるとすれば、水穂や林檎と言った一部の――太老の確率変動値を抑制する能力を持った女性達だけだ。
 しかし、それも完全なものとは言えない。精々が少しマシになると言った程度のものでしかなく、具体的な対策は見つからないままだ。

「ようするに太老くんに近しい人物。もしくは深い因縁のある相手の仕業だと?」

 天地の回答に満足したのか?
 鷲羽は満足げな笑みを浮かべると「うんうん」と首を縦に振る。
 しかし、

「でも、それって訪希深さんの疑いが晴れるどころか、容疑が深まっただけじゃ……」

 太老の能力に引き寄せられた第三者がやったことだと説明したつもりなのだが、「それもそうか」と鷲羽は笑って誤魔化す。
 この後、あらぬ疑いを掛けられた訪希深が、皆の前で必死に弁明する姿が確認されたとか。

(皇家の樹や訪希深といい、あの子は妙なものに好かれる体質みたいだしね……)

 仮説はある。しかし、それを証明する術はない。
 だが一つだけ言えることは、太老を中心とした物語が核心に近づいていることだけは確かだった。





 ……TO BE CONTINUED



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