「うっ……」
「アウンさん!?」

 急に胸を押さえて蹲るアウンを心配して、ラシャラ女皇は駆け寄る。
 すると額から汗を滲ませながら、

「あの子、とんでもないことをしようとしてるわ」

 アウンはそう話した。
 身体に起きた変化。いや、世界に起きている異変に一早く彼女は気付いたからだ。

「銀河結界炉の力を使って、世界の法則を書き換えようとしている。恐らくは、いま世界中で亜法が使えなくなっているはずよ」

 本来この星の住民にしか使えなかった異能を、誰もが分け隔て無く使用できるようにと生み出されたのが亜法だ。
 銀河結界炉によって築かれた亜法≠ニいう名の摂理。その法則が今まさに、新たな法則によって書き換えられようとしていた。
 こんな真似が出来るのは、一人しかいない。――零式だ。
 メザイアは空に手をかざし、アウンの言葉を確かめようとするが、

「……確かに発動しないわね。でも、なんでそんなことを?」

 亜法が発動することはなかった。
 しかし零式が今になって、どうしてそんな行動にでたのか理由がわからない。
 確かに当初の計画では銀河結界炉を手に入れることで亜法の発動を制限し、軍の戦力を無力化することを狙っていた。
 だが、その軍は零式によって既に壊滅的な被害を受けている。あれだけの力を手にした今となっては意味のない行動に思える。

「さあね。あの子の思惑なんて私は知らないし、亜法が使えないのが一時的なものなのかはわからない。でも一つだけ言えることはあるわ」

 ――世界は再構成される。あの子にとって都合の良いカタチでね。
 アウンの言葉に全員が息を呑む。
 意のままに理を操り、摂理を築き、誰もが抗えない圧倒的な力で世界を支配する。
 それは嘗て、銀河皇帝が為し、パパチャがやろうとしていたこと。
 この世界の神≠ノ等しい存在になると言うことだ。

「仮にそれが本当だとしても、私たちに出来ることなんて何もないわよ?」
「そうね……太老くんがいてくれたら、どうにかなったのだろうけど」

 ドールの言葉に同意するメザイア。
 いや、彼女たちだけではない。この場にいる誰もが零式を止める術がないことを理解していた。
 仮に太老がいれば、どうにかなったかもしれないが、この場に彼はいない。
 ふと、全員の視線がアウンに集まる。
 太老を呼び戻せる可能性があるとすれば、それは女神と交信できる彼女しかいないと考えたからだ。
 しかし、

「無理よ。亜法が使えないと言うことは、私の力も封じられているもの。この状態でもう一度、女神との交信なんて……」

 亜法は、この星の住民だけが持つ異能の力を誰でも簡易的に使えるようにしたものだ。
 とはいえ、アウンの持つ巫女の力も亜法と根源を同じくするところに変わりはない。
 亜法が封じられていると言うことは、アウンの異能も使えないことを意味した。
 いまも辛うじて存在を保てているのは、アウンの力がそれだけ女神に近い性質を持つからだ。
 重い空気が漂う。誰もが為す術がないと諦めかけた、その時だった。

「天地岩が発光してる?」

 天地岩が突然、光を放ち始めたのだ。
 その神々しくも不思議な光景を前に、そんなバカなと言った顔を見せるアウン。

「これって女神の気配? でも、なんで……まさか、女神に祈りが届いたとでも言うの!?」

 普通なら人々の祈りに応えて、滅びから世界を救うために女神が降臨したと考えるのが敬虔な信徒というものだ。
 しかし、これまで呼び掛けても応じないことの方が多かった女神が自主的に姿を見せるなど、ありえないことだと彼女は知っていた。
 だからこそ、驚きを隠せない。何が起きているのかと目を疑う。
 そして、彼女が目にしたものは――





異世界の伝道師 第311話『バベル』
作者 193






 天地岩があった場所に突如――

「……塔よね?」
「ええ、間違いなく塔ね」
「二人とも、そんなことを冷静に分析している場合では……」

 巨大な塔が現れた。いや、正確には岩山が塔に変わったと言った方が正しい。
 呆然とした顔で、見れば分かるような会話をするドールとメザイアに、ネイザイは苦言を呈す。
 まずは安全かどうかを確認して、何が起きているのかを調査すべきだとネイザイは言いたいのだろう。
 そんなことは二人もわかっている。だが、二人にも言い分はあった。

「だって、原因を究明するも何もこんなことをしでかす……じゃない出来るのって一人しかいないじゃない」
「そうね……太老くんの仕業よね。どう考えたって」

 こんなことが出来るのは――いや、こんなことをするのは太老しかいないとドールとメザイアは確信していた。
 そう言われると、ネイザイも何も反論が出来ない。なんとなく、そんな予感は彼女にもあったからだ。
 そんな三人の話を立ち聞きして、アウンは隣にいる友人に尋ねる。

「……太老って、あの子の飼い主の?」
「はい。とても強くて勇気と優しさを兼ね備えた――少し、フォトンさんに似ていますね」
「ようするに、とんでもなく迷惑な奴ってことね」

 何と分かり易い説明だろうと、うんうんと何度も頷くアウン。
 現在は英雄などと呼ばれているが、フォトンが人々の尊敬や賞賛を集めるような出来た人間でないとアウンは知っていた。
 とんでもなく強かったことは確かだが、その実は考えなしの無鉄砲で、底抜けのお人好し。
 マジンを倒し、世界を救ったことは間違いないが、それは結果論に過ぎない。
 自分勝手と言う意味ではアウンも人のことは言えないが、そんな彼女もフォトンの言動や行動によく振り回されていたのだ。
 当時のことを思い出しながら楽しそうに話せるラシャラの気が知れないと言うのが、アウンの本音だった。

「みんな腰を抜かしてるみたいだけど、余りアンタは驚いてないみたいね」
「どうでもいいもの。これで女神と交信できなくなるって言うなら、むしろ私はお役目から解放されて願ったり叶ったりだし」

 ジロジロ見ていると、今度は逆にドールに質問をされて、アウンはそう答える。
 確かに後ろを振り返ると、村長や逃げ遅れた村人たちは呆然とした表情で口を開けて塔を見上げてきた。
 これだけ次々に常識を疑うようなことが目の前で起きれば、こうした反応になるのも仕方がないと言える。
 だがアウンからすれば、これで女神との交信が出来なくなるのなら、それはそれで構わないと本気で考えていた。
 女神と交信できる適性を持った巫女が生まれるのは百年に一人と言った割合だ。そして、その感覚は徐々に広がってきている。
 このまま血が薄れて行けば、巫女の適性を持つ者はそのうち生まれなくなるだろう。
 だが、女神と交信など出来ずとも、村の生活になんの影響もない。
 巫女なんてものは既に形骸化している。そんな古びた掟を大事にしているのは村の年寄りくらいだ。
 これで長く続いた役目から解放されると思えば、アウンからすれば願ったり叶ったりで拒む理由などなかった。

「……でも、これってなんなのかしら?」

 アウンが持つ巫女の知識のなかに、こんな塔の記録はなかった。
 女神に関するものだとは想像が付くが、それ以上のことは何もわからない。
 どうしたものかと悩んでいると、

「誰か、塔からでてくるわね」

 塔の正面、出入り口と思しき場所から出て来る人影をアウンは目にした。
 まさか、本当に女神が降臨したのかと考えるが、女性には見えない。
 塔から現れたのは、一人の若い男だった。

「まったく訪希深の奴……こんなものがあるなら最初から言っておけば、あんな苦労もしなくて済んだのに……」

 ブツブツと愚痴を溢しながら、姿を見せる黒髪の青年。
 その姿を目にした――

「太老!?」
「太老くん!?」
「正木卿!?」
「太老さん!?」

 ドール、メザイア、ネイザイ、それにラシャラ女皇の声がハモる。
 懐かしい覚えのある声を聞いて、顔を上げて首を傾げる男――

「あれ? お前等、こんなところで何してるんだ?」

 彼こそ、正木太老だった。



【Side:太老】

 天を突くかのような巨大な岩。
 地元の人々が『天地岩』と呼んでいたその岩山は、実は偽装が施された巨大な塔だった。
 この星が嘗て『砂の星』と呼ばれていた時代よりも遥かに前――水と緑に溢れていた頃にまで話は遡る。
 古代の人々が銀河結界炉を制御するために建てた制御塔。それが、この『バベル』だ。

「そんな話、巫女の私でも聞いたことがないんだけど……」
「もう何万年も昔の話らしいしな」

 女神の巫女を自称するアウンという少女に尋ねられ、俺は訪希深から聞いた話をする。
 彼女は千年前の巫女――はじまりの巫女とも呼ばれているそうだが、実のところバベル自体は数万年以上も昔からこの地に存在する。
 銀河皇帝はオリジナルクリスタルを使っていたみたいだが、古代の人々はバベルを使って銀河結界炉の力を制御していた。
 それがいつしか人々の記憶から忘れ去られ、銀河結界炉を安置した遺跡が発掘されたのが現在から五千年ほど前のことだ。

「では、その銀河結界炉を発掘したと言うのが……」
「銀河結界炉のシステムを構築した人物、マ・ジーン・アクア博士。銀河皇帝は、彼と同じ発掘メンバーの一人だったみたいだな」

 俺たちの話を聞いて、会話に割って入ってきたラシャラ女皇の質問に答える。
 最初から何かがおかしいとは思っていた。訪希深は銀河結界炉を人間に与えたことは認めても時期≠ノついては言及しなかったからだ。
 しかし、訪希深から詳しい話を聞いて合点が行った。
 銀河帝国の件に訪希深が介入していたのなら、女皇から話を聞いた程度の被害≠ナ終わるはずがない。
 Zの事例もあるように、訪希深が干渉したことによって壊滅した世界は一つや二つではないからだ。
 だが、銀河結界炉が発掘された五千年前の時点で、既に訪希深の実験が終わっていたと考えれば辻褄が合う。
 この星が砂漠化したのは、銀河結界炉の暴走が原因。訪希深の実験による結果だと考えれば、一連の流れに説明が付くからだ。

「じゃあ、巫女しか交信が出来ないって言うのは……」
「その異能というか女神の加護℃ゥ体が、塔の管理に必要なアクセスキーになってるわけだ」

 アウンの問いに答える。
 そもそも古代の人々に銀河結界炉を与え、バベルを建てさせたのは訪希深だ。
 その古代文明は銀河結界炉とバベルの力によって繁栄を極めたが、どんな文明であっても、いつかは終わりの時を迎える。水と緑に溢れていた星を砂漠が広がる死の星≠ヨと変え、文明を滅亡に追いやったのは彼等が繁栄の象徴と崇めてきた銀河結界炉だった。その後、再び災厄が起きることを恐れた人々の手によって銀河結界炉は封印され、不要となったバベルは女神に加護を授けられた人々が管理することになった。そして岩山へと姿を変えたバベルは長い年月の経過と共に本来の姿と役目を忘れられ、守り神として人々に奉られるようになったと言う訳だ。
 そうして機能の一部だけが口伝で、バベルを管理する一族に受け継がれてきた。それが女神と交信できる聖域の真相だった。

「……教会側の関係者としては、太老の話をどう思うの?」
「最悪ね。こんなことが公になったら、教会どころか世界中が大騒ぎよ……」
「文明が滅びたのも、すべて自分たちが崇めている女神様が原因だったなんて皮肉な話ね」

 ドール、メザイア、ネイザイの三人も動揺を隠しきれない様子が見て取れた。
 これまで信じていた常識や価値観を覆すような話だからな。簡単に信じられないのも無理はない。
 だが、どれだけ信じ難くともこれが真実だ。訪希深を尋問して吐かせたのだから間違いない。このことが明るみになれば、女神としての威厳が損なわれるとか思っていたようだが、とっくに俺の中で訪希深の信用などゼロどころかマイナスに振り切れている。鷲羽も人のことは言えないが、訪希深の場合は余りに人様に迷惑を掛けすぎだ。神様だから何をしても良いという自己中心的な考えは、俺も人間である以上は認める訳にはいかなかった。
 自分のやったことの責任は、しっかりとあの駄女神にも取らせる。だが、その前に――

「太老、零式のことなんだけど……」
「ああ、全部わかってる。あの零式(バカ)にはお仕置きをしないとな」

 ドールに言われるまでもなく、俺の留守中に零式が何をしたかは既に把握している。
 だから急いで戻ってきたのだ。
 バベルを利用することで、新たな力を手にして――

「来い――」

 長い歴史を持つ曰く付きの塔だからこそ、俺にとっては都合が良かった。
 零式のマスターキーの存在を固定するには、その世界の文化や歴史を起源とするアーティファクトが必要だ。
 この塔は、まさにその条件に当て嵌まる。
 更に言えば、銀河結界炉との結び付きが、これほど強い遺跡は他になかった。

「――絶無(ぜつむ)

 俺の呼び掛けに応じ、天地岩――バベルが燐光を放ちながら姿を消すと、そこから一本の巨大な剣≠ェ現れた。
 銀河結界炉の鍵にして、零式のマスターキー。そして、世界の根源に繋がるチカラ。
 それが、この『絶無』だ。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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