太老の領内で開かれた国際会議から十日余り――
 ババルン軍に制圧された教会本部の奪還作戦に参加するため、ハヴォニワの国境にある軍港にはカリバーンやマーリンを始め、各国から選出された聖機師を乗せた軍艦が総勢五十隻ほど集まっていた。

「……いよいよですわね」

 カリバーンの艦長席に腰掛け、モニターに映し出された光景を眺めながら小さな溜息を漏らすマリア。
 正直、マリアはこの作戦に乗り気ではなかった。
 教会本部の奪還自体に異議を唱えている訳では無い。だが、今回の作戦に使用される聖機人の数は凡そ三百。教会が各国に貸与している聖機人の三割に上る途方もない戦力だ。
 しかも、その大半が教会に与する国の戦力で構成されていた。
 ハヴォニワとシトレイユの戦力は合わせても全体の三分の一に満たない。
 マリアたちに与えられた仕事は、先陣を務める各国の後方支援と青銅の聖機人への対応だ。

 ガイアに対抗する戦力は欲しいが、リチアを次期教皇に推すハヴォニワやシトレイユに必要以上の手柄を与えたくないというのが枢機卿たちの本音なのだろう。
 本来であれば、教会本部を取り戻すために力を貸して欲しいと頭を下げて頼むべきところだ。
 なのに未だ教会内の権力争いに邁進し、協力するのは当然とばかりの対応をされては、マリアが呆れるのも無理はなかった。

「いっそ、全滅してくれないかしら……」
「マリア様……」

 物騒なことを口にするマリアに、さすがに冗談では済まないとユキネは苦言を呈す。

『自分たちでやると言うのだから、やらせておけばよかろう。正面からぶつかれば、こちらも少なくない痛手を被ることになるしの』

 艦橋に備えられた巨大なモニターの中央には、ラシャラの顔が映し出されていた。
 正直、納得はしがたいが、ラシャラの言っていることにも一理あるとマリアは認める。
 ババルン軍の戦力については教会からもたらされた情報以外は、ほとんど何も分かっていないのだ。
 先行調査に向かったランからの情報も大まかな敵の数くらいしか、はっきりとしたことは判明していなかった。
 青銅の聖機人やガイア以外にも厄介な切り札を隠し持っている可能性は十分にある。
 何より〈星の船〉と呼ばれる先史文明の遺産が気掛かりだった。

 ブレインクリスタルがなければ動かないという話だが、既に何度かブレインクリスタルは敵に奪われている。
 ワウアンリーの計算によると、まだ船を動かせるほどの量は確保できていないという話だったが、あくまで結界工房で新たに発見された文献から予測を立てたものなので警戒は必要だ。
 実際、どの程度の性能を有しているかも〈星の船〉に関する資料には詳しく書かれていなかった。
 ほとんどが謎に包まれているという点では、ガイアよりも警戒が必要だ。
 そう言う意味では、ラシャラの言うように判断基準にはなるだろうとマリアは考え、

「お手並み拝見と行きますか」

 不満を抑え込むように、そう口にするのだった。





異世界の伝道師 第329話『嵐の前』
作者 193






「行ってしまったわね。……良かったの?」
「教会から名指し≠ナ参戦を拒否されたんだから仕方ないじゃない」

 教会本部を襲撃する作戦には、シトレイユとハヴォニワの戦力以外は参戦が認められなかったのだ。
 勧誘や引き抜きから身を守るため、正木商会に籍を置いている剣士やカレンと違い、モルガたちはトリブル王国の人間だ。
 あくまで太老の護衛≠ニして貸し出されているに過ぎない。ハヴォニワの指揮系統には入っていない外様の戦力だ。
 教会の意向を無視して参戦すれば、ただでさえ苦しい立場に置かれているトリブル王国が非難の的に晒されるのは必至だった。

 実際、王宮からは泣き言や愚痴とも取れる手紙が、月に何通もモルガのもとへ届けられていた。
 要約すると『もうこれ以上、問題を起こさないように大人しくしていてくれ』と言った内容の手紙だ。
 あれこれと理由を付けて教会がモルガの参戦を嫌ったのは、味方への被害を恐れてと言うのも本音にあるのだろう。
 とはいえ、教会に作戦への参加を拒否されたからと言って、アオイはモルガが素直に応じたことに違和感を抱いていた。

「本音で話をしましょう。実際、何を考えているの?」

 モルガの企みを暴こうと、詰問するかのようにアオイは尋ねる。

「今回は本当に何も企んでないわよ? ただ……」
「ただ?」
「嫌な予感がするというか、空振りに終わりそうな気がするのよね」

 そう言って肩をすくめるモルガを見て、アオイは険しい表情を浮かべる。
 モルガの勘が当たっているとすれば、既に敵の本隊は撤収していると言うことになる。
 しかし、このことを報告したところで、モルガの勘が根拠では進軍を止めることは難しいだろう。
 ハヴォニワやシトレイユに対する教会の反応からして、偽の情報を掴ませようとしていると疑われるだけだ。
 となれば――

「……マリア様には、一報を入れておいた方が良さそうね」

 あとのことはマリアに任せるしかない。
 何もなければそれに越した事は無いが、こうしたことに関してはモルガの勘が良く当たることをアオイはよく知っていた。


  ◆


「マリエル!」

 バンッと勢いよく扉を開けると、ベッドの上で仰向けに寝かされているマリエルを見つけて、グレースは傍に駆け寄る。
 仕事中に倒れて十日余り。あれからマリエルは一度も目覚めることなく、ベッドの上で眠り続けていた。
 この二ヶ月ほどグレースは皇家の樹≠フ反応を辿って、大陸各地を転々としていたのだ。
 そんななかマリエルが倒れたことをグレースが知ったのは、一週間が経過してのことだった。
 週に一度欠かさずに行っていた定時連絡で、そのことを知ったグレースは急いでハヴォニワへと帰ってきたのだ。

「なんで、こんなことに……」

 身体を揺すっても起きないマリエルを見て、グレースは瞳に涙を溜める。
 太老が行方不明になって凡そ二ヶ月。今度はマリエルまで――
 このことをシンシアが知れば、きっと悲しむに違いない。そう考えたグレースは、ハッと我に返る。
 自分に連絡がきたと言うことは、シンシアに伝わっていないはずがないと考えたからだ。

「グレース?」

 シンシアを捜しに行こうと涙を拭ったところで、不意に掛けられた声がグレースを呼び止めた。
 ぎこちない動きで振り返り、表情を固まらせるグレース。
 扉の陰に隠れていたのは、いまから捜しに行こうとしていたシンシア本人だったからだ。

「……遅い」
「……ごめん」

 ただの一言でシンシアが何を言わんとしているのかを察し、頭を下げるグレース。
 商会に定時連絡を行ってはいたものの、こうしてシンシアとグレースが顔を合わせて話をするのは二ヶ月振りのことだった。
 生まれた頃から、ずっと何をするのも一緒だった二人。こんなにも長い時間、離れて過すのは初めてのことだ。
 とはいえ、シンシアもバカではない。グレースが自分のために何かをしてくれていることには気付いていた。
 それでも心配だった。寂しかったのだ。
 だから――

「……シンシア?」
「心配した。凄く……だから、もう黙っていなくならないで……」

 離れ離れだった時間を埋めるように、強くグレースを抱きしめるシンシア。
 グレースも書き置きすらせずに出て行ったことを負い目に感じているのか? 困った様子で頬を掻く。
 そして、

「シンシア……マリエルのことなんだけど……」
「うん。ただ眠っているだけで、身体には特に異常はないって」

 シンシアからマリエルの状態を聞き、ほっと安堵の息を漏らすグレース。
 とはいえ、もう十日以上だ。原因もわからずに眠り続けていると言うのは、安心できる話ではなかった。
 連絡受けた水穂が屋敷にやってきて、マリエルの容態を確認していったとシンシアから話を聞き、グレースは結果を尋ねる。

「水穂なんて?」
「身体ではなく、精神の方に目を覚まさない原因があるって言ってた」

 身体ではなく精神に問題を抱えていると聞き、グレースは複雑な表情を浮かべる。
 自分たちの気付かないところで、マリエルの心に負担を掛けていたのではないかと考えたからだ。
 実際、心配を掛けているという自覚はあるだけに、もしそうならとグレースは唇を噛む。
 しかし、

「大丈夫。パパがきっと、なんとかしてくれる」

 そう言って、シンシアはグレースの右手をギュッと両手で握り締めた。
 シンシアにとって太老は困っている人を助け、皆を笑顔にしてくれるヒーローのような存在だった。
 そんな太老がマリエルの危機を放って置くはずもない。
 それに――

「眠り姫は王子様のキスで目覚めるって」
「ちょっと待て。誰から、そんなことを聞いたんだ?」
「ワウ」

 余計なことを純粋なシンシアに吹き込みやがって、とワウアンリーに敵意を向けるグレース。
 とはいえ、太老がマリエルのことを知れば、放って置くはずもないと言うことはグレースもわかっていた。
 問題は、その太老の消息が未だに掴めないことだ。

「何か、手掛かりはあった?」
「ああ……直接、太老に繋がるものじゃないけど……」

 あるにはあった。
 皇家の樹の反応を追って各地を巡っていると、ラシャラが太老から貰ったものと同じ饅頭のような生き物を両肩に乗せた少女と出会ったのだ。
 太老のことを尋ねようとしたら、逆に根掘り葉掘り太老のことを聞かれて、グレースはその少女に苦手意識を持っていた。

「パパの知り合い?」
「本人は妹≠セと言ってたな。確か、名前は――」

 平田桜花。
 それが、グレースが旅先で出会った少女の名前だった。


  ◆


「そろそろかな?」

 空間に投影された画面を確認しながら、そう呟く少女に同意するかのように、黒と白の二匹の丸い生き物は飛び跳ねる。
 少女の名は、平田桜花。そして彼女と一緒にいる二匹の生物の正体は、皇家の樹――〈龍皇〉と〈船穂〉の生体端末だった。
 グレースが察したように、この二匹の生体端末は太老が製作したものだ。
 この状態では限定的な力しか使えないとはいえ、ある意味でガイアよりも危険な二匹だった。

「計算では、そろそろ揺り戻し≠ェ起きるはずなんだよね。たぶん、それを――」

 お兄ちゃんも待っているはず、と桜花は話す。
 太老が過去の世界に飛ばされたことを、桜花は既に掴んでいた。
 それでも余り慌てた様子がないのは、どれだけ時間が掛かろうとも太老なら自力で帰ってくるはずだと信じているからだ。
 それに強大な力によってこじ開けられた穴≠ェ、まだ完全に塞がっていないことに桜花は気付いていた。
 あと数日で揺り戻し≠ェ発生し、閉じた穴が再び開かれるはずだ。となれば、太老がそのチャンスを逃すはずもない。

「水穂お姉ちゃんはまだ気付いてないみたいだけど、林檎お姉ちゃんはそろそろ気付く頃かな?」

 水穂の方が鈍いと言う訳ではない。
 こちらの世界にほぼ丸腰で送り込まれた水穂と、十分な準備をした上で自分の意思でやってきた林檎とではスタート地点が違う。
 同じことは桜花にも言える。彼女は天樹にある太老の工房から役立ちそうな道具を、この世界に幾つも持ち込んでいた。
 一早く時空間の揺らぎを見つけ、太老の帰還のタイミングに気付けたのは、そのお陰と言っていい。
 なら、最初から協力し合えば良いのでは? と思うところだが、そうも行かない事情が桜花にはあった。
 いや、桜花だけではない。堂々と口にはしないが、水穂と一定の距離を置いている林檎も隠している気持ちは同じだろう。

「お兄ちゃんとの感動の再会は、誰にも譲るつもりはないんだから!」

 そう、これは相手が誰であろうと譲れない――女の戦い≠セった。





 ……TO BE CONTINUED



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