どうして、こんなことに……。
 それが鬼姫こと神木瀬戸樹雷の嘘偽りのない心境だった。

「林檎ちゃん、落ち着いて話をしましょう」
「私は落ち着いていますよ。瀬戸様。それと誰が腰を上げていいと言いましたか?」
「は、はい……」

 林檎の迫力に気圧され、大人しく床に正座をする瀬戸。
 瀬戸の噂を知る者たちが見れば、目を丸くして驚くところだろう。
 しかし、瀬戸とて苦手とする相手くらいは存在する。いや、この場合は天敵と言っても良いだろう。
 裏社会の住民からも恐れられる神木家の経理部。相手が誰であろうとも容赦なく追い込み、一切の慈悲なく確実に回収すると呼ばれているハイエナ部隊。お金に関することで、彼女たちが手を緩めることはない。
 そんな彼女たちを統括する立木林檎は、鬼姫自身すら恐れるほどの経理の鬼だった。

「隠そうとしても無駄ですよ? すべてあの子≠スちから報告を受けていますから。まずはドック修繕費の件から話を聞かせて頂けますか?」

 まさに『鬼姫の金庫番』と言う名に相応しい凄みを身に纏い、林檎は瀬戸に詰問する。

「違うのよ。林檎ちゃん、それは零式が――」
「零式がやったことだからご自身に責任はないと? 船やクルーと引き離し、太老様を天樹に幽閉したという報告を受けているのですが?」
「そ、それは……太老殿を守るために仕方なかったのよ。いろんな勢力から目を付けられているし、樹雷皇族だって一枚岩とは言えないわ。林檎ちゃんだって分かるでしょ?」
「仮にそうだとしても、マスターと引き離された船がどういう行動にでるのか? 予想できない瀬戸様ではありませんよね?」

 そう言われると、何も言い返せずに唸るしかない瀬戸。
 零式は既に一度、鷲羽の施した封印を自力で解除し、工房を破壊して逃げた前科がある。
 同じことが二度起きないという保証はない。こうなることは予想できていたと言うことだ。

「ドックの修繕は、瀬戸様の自費で行なって頂きます」
「そ、そんな……」
「そもそも、あのドッグは瀬戸様個人の持ち物ですよね? 公にしていない秘密ドッグの修繕費を、神木家の予算で補填しようという考えが甘いです」
「そこはほら、ちょいちょいっと誤魔化してくれれば……」
「……私たちに不正の片棒を担げと? 本気で仰っているのですか?」

 場の空気を察して、しまったと言う顔を浮かべる瀬戸。
 今更になって、地雷を踏んでしまったことに気付いたからだ。

「林檎ちゃん、もしかしなくても怒ってる?」
「はい。このような事態を招いた自身の不甲斐なさと甘さに怒っています。家族だと思っていた相手に裏切られ、幽閉された太老様の気持ちを考えるといたたまれなく……」
「え? そっち?」
「勿論、先の天樹の暴走によって樹雷が被った経済的損失についても追及させて頂きますが」
「あれはガイアの件があったから、それに対策だってしっかりと……」
「確かに対策は為されていたようですが、それでも被害がゼロだったと言う訳ではありません。そもそもの話、このような事態を招いた原因の一端は瀬戸様にあるのではありませんか?」

 太老をジェミナーへ送ったのは鷲羽だが、瀬戸も知っていて反対しなかった時点で同罪と言える。
 それどころか一緒になって楽しんでいたことは、瀬戸主催で開かれた秘密の会議に出席した女性陣の証言からも明らかとなっていた。
 林檎の耳に入っている時点で秘密とは言えなくなっているのだが、特に口を封じていた訳ではない。
 それに船穂や美砂樹と言った太老寄りの人物を招いた時点で、情報が水穂や林檎の耳に入るのは必然と言えた。

「正直に話して頂けますね?」
「……はい」

 どう反論したところで口では林檎に勝てないと察して、瀬戸は観念するのだった。





異世界の伝道師 第398話『エピローグ/似た者同士』
作者 193






『――以上が、瀬戸様及び関係者から聴取した内容となります。まだ何か隠している様子でしたが、仰っていることに嘘はないでしょう』
「ご苦労様。それで、まだそっちにいるの?」
『はい。留守にしている間、随分と経理部の子たちに負担をかけてしまいましたから、こちらでの仕事を一段落つけてから帰ろうかと』

 樹雷にいる林檎から通信で話を聞き、その内容に満足げに頷く水穂。
 心配はしていなかったとはいえ、期待以上の働きをしてくれたからだ。
 やはり、林檎に行って貰ってよかったと笑みを漏らす。
 それはそれとして――

「前から聞こうと思っていたのだけど、林檎ちゃんはこの先どうする気なの?」
『……どう、とは?』
「そこを辞めて、本格的に太老くんの傍で働く気はあるのかって話ね」

 いつまでも二足の草鞋と言う訳には行かないだろう。それは林檎も理解していることだった。
 出来ることなら太老のもとで働きたい。太老の役に立ちたいという思いが林檎のなかにはある。
 しかし、彼女は立木家の人間。そして、神木瀬戸樹雷の部下だ。
 経理部の長という職務を放棄して、太老のもとへ身を寄せていいものかという迷いもあるのだろう。

『それは……瀬戸様を放ってはおけませんし……』
「子供じゃないんだから、林檎ちゃんがいなくても大丈夫よ」
『だからと言って、あの子たちに余り負担を強いるのは……』
「経理部の子たちなら大丈夫よ。あなたが思っているよりも、ずっとしっかりとしているわ。そもそも林檎ちゃんのことで最初に相談してきたのは、音歌ちゃんたちなのよ?」
『え……』

 音歌と言うのは、林檎の部下の名だ。
 まさか経理部の女官たちが、水穂に自分のことで相談をしていたとは思っていなかったのだろう。
 驚く林檎に、水穂は言葉を続ける。

「どうするかを最終的に決めるのは林檎ちゃんだけどね」
『……水穂様はどうされるおつもりなのですか?』
「私? 夕咲様も職場へ復帰なさるみたいだし、船穂様にも背中を押された以上、近いうちに答えはだすつもりよ」

 そう言いつつも、既に水穂のなかでは答えがでているということを林檎は察する。
 太老に対する水穂の気持ちを知っているからだ。
 それに瀬戸も、そのつもりで水穂をジェミナーへと送り出したはずだ。
 自分の所為で水穂が婚期を逃したと噂されていることに、少しは責任を感じていたのだろう。

「後悔だけはしないようにね」

 水穂は自分に言い聞かせるように、林檎にそう忠告するのだった。


  ◆


「とはいえ、私も人のことは言えないわね」

 船穂のお陰で踏ん切りは付いたとはいえ、不安が少しもないかと言えば嘘になる。
 林檎が本当は何を気にして、心配しているかも察せられるのだ。
 それでも太老と正面から向き合うためにも、これ以上は自分の気持ちに嘘を吐きたくない。
 他人を言い訳にして本心を偽るような真似はしたくないというのが、水穂の本音であった。

「林檎ちゃんも本当は気付いているのでしょうけど……難しいわね」

 分かっていっても、素直になれないことだってある。
 ましてや、好きな人に嫌われたくないというのは誰にだってある感情だ。
 いまの関係が壊れてしまう可能性を危惧して、一歩を踏み出せずにいるのだろう。
 勿論、太老が林檎を嫌うようなことは絶対にないと、水穂は言い切る自信がある。
 とはいえ――

「問題は太老くんの方にもあるのよね」

 仮に太老が自分のところへ来てくれと言えば、林檎は二つ返事で頷くだろう。
 しかし、そもそも太老が林檎の気持ちに気付いている可能性は低い。
 まったく自身に向けられる好意に気付いていないと言う訳ではなさそうなのだが、その発想が男女の関係に結び付かないのだ。
 一言で言ってしまえば、鈍い。唐変木と言ったところだが、それも仕方なしかと水穂は考えていた。
 鷲羽に目を付けられ、地球の柾木家に預けられて十数年。銀河でも屈指の実力と美貌を持つ女性たちに囲まれ、剣士と共に英才教育を受けて育ったのだ。
 一見すると羨ましい話に思えるが、よく性格が破綻することなく成長したものだと水穂は感心しているくらいだった。

「天才と言ってしまえば、それまでなのだけど……」

 太老は剣士の方が厳しく育てられたと思っているようだが、実際には違う。
 あくまで剣士が受けていた教育は、生体強化を受けていない状態での最強を目指すという常識の範疇のものだった。
 傍から見れば厳しい訓練であったことは間違いないが、それでも人間を辞めると言ったレベルのものではない。
 それに対して太老の身体には、万素による強化――魎呼と変わらないレベルの生体強化が施されていた。
 無意識にリミッターをかけているみたいだが、普通の人間であれば身体と精神に異常をきたしていても不思議ではないレベルの強化だ。
 その上、学習装置を使った知識の継承というのは受ける側の負担が大きく、本来であれば必要な知識だけを取り出してコピーするのが普通なところを、太老は鷲羽が人間に転生してから得た数万年に及ぶ叡智のすべてを受け継いでいた。普通の人間なら廃人と化しているところだ。
 鷲羽曰く、そこまでするつもりは本来なかったとの話だが、仮に事故であったとしても異常な結果と言っていい。

「太老くんは嫌がるだろうけど……鷲羽様と同等か、それ以上なのよね」

 少なくとも太老の潜在能力は、鷲羽に引けを取っていないと水穂は感じていた。
 鷲羽の叡智を受け継ぎ、更にそれを独自の発想で使いこなしていることが何よりの証拠だ。
 少なくとも同じ真似が自分に出来ると水穂は思わない。
 それは哲学士の母を持つ水穂だからこそ、誰よりもよく理解していることだった。
 それだけに――

「太老くんに自覚を促すのは困難。いえ、不可能に近いと言ってもいいわ」

 性格破綻者が多いと噂される哲学士だが、そもそも変人でなければ到達できないのが哲学士だ。
 人と同じことをしていて、誰もが思いつかないような成果を上げられるはずがない。
 個性が強いのは当たり前。性格を矯正しようとしたところで無駄骨に終わるのは分かっていた。
 特に太老の場合、自覚を促そうとすればするほど泥沼に嵌まる可能性の方が高い。なら、出来ることは限られていると水穂は考える。
 太老の気持ちが一番大切だという点においては、いまも考え方は変わっていないが――

「少しは自分の幸せを考えてもいいわよね」

 そもそも期待をさせた太老にも責任はある。
 その責任はちゃんと取ってもらわないと――
 と、水穂は皆が幸せになれる方法を実行に移す覚悟を決めるのだった。


  ◆


 同じ頃、聖地学院では――

「マリエルの奴、上手くやってるかな?」
「……たぶん大丈夫」

 窓際の席に隣合わせに座り、二人で昼食を取るグレースとシンシアの姿があった。
 マリエルのことを心配するグレースに対して、大丈夫だと話すシンシア。
 まったく心配していないと言う訳ではないのだろうが、それ以上に太老のことを信頼しているのだろう。
 マリエルを悲しませるようなことを太老がするはずがないと――

「シンシアもついていってよかったんだぞ?」
「え、でもグレースを一人にするのは心配だし……」
「おい」

 妹のように思っている双子の姉妹から、まるで手の掛かる妹のような心配をされ、不満げな表情を浮かべるグレース。
 以前と比べると最近はよく喋るようになったシンシアだが、その分はっきりと思ったことを口にするようになってきていた。
 それで心を折られた男性聖機師も少なくなく、気を許した相手、特にグレースに対しては遠慮がなかった。
 本人に悪気はないのであろうが――

「そういうところまで太老を真似しなくていいんだぞ?」
「ん?」

 本気で分かっていない様子のシンシアを見て、グレースは溜め息を溢す。
 血の繋がりはないはずだが、最近のシンシアは太老に似てきたと感じることが多々あるからだ。
 実際グレースは自身のことを天才だと思っているが、シンシアはそれ以上の鬼才だと思っていた。
 どれだけ努力をしてもグレースやワウアンリーでは、哲学士の領域にまで至ることは難しいだろう。
 でも、シンシアなら――と、そう思わせるだけの才能がシンシアにはあった。

「……何、笑ってるんだ?」
「やっぱりグレースも、マリエルやパパのことが大好きなんだなって思ったら嬉しくて」
「はあ!? 何を言って――」

 心を見透かすかのようなシンシアの言葉に、動揺を見せるグレース。
 マリエルのことを心配しているのは確かだが、まさかそんなに風に受け止められるとは思っていなかったのだろう。
 そもそも太老の心配など微塵もしていない。
 心配することがあるとすれば、それは太老に振り回されているであろう周りの方であった。
 しかし、

「大丈夫だよ。お姉ちゃんは全部分かってるから」
「違うし! てか、さらっと妹扱いするな!?」

 明らかに勘違いをしたシンシアに妹扱いされて、憤慨するグレース。

「くそッ! こうなったのも、すべて太老の所為だ!」

 シンシアがよく喋るようになったのは嬉しいと思う反面――
 やっぱり太老によく似てきた。
 と、グレースは心の底から嘆きの声を上げるのだった。





 ……TO BE CONTINUED



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