「これって、お風呂?」

 海を一望できる場所に作られた露天風呂と思しきものを目にして、フィーは首を傾げる。
 そして近くにいたリィンを見つけると、誰が作ったかを察して「なんでこんなものを?」と尋ねた。

「ベルに頼まれたんだよ。ドギたちは作戦の準備で忙しいから、風呂を作れって……」
「……素直に引き受けたの?」

 作業をしながら不満そうな顔で答えるリィンを見て、フィーはもう一度尋ねる。
 リィンの性格から言って、ベルに頼まれたからと言って素直に引き受けるとは思えなかったからだ。
 何か事情があると考えての質問だったのだが、

「〈名無し〉の件を持ち出されて『そう言えば、まだ対価を頂いていませんわね』と言われてな……」
「ん……それはリィンが悪いね」

 話を聞いて、納得する。
 この場合は借りを作った相手が悪かったと言うべきか?
 この程度の雑用で済ませてもらったのだから、むしろ感謝すべきなのか?
 リィンは普段から報酬に関して厳しく言っている分、正当な対価を求められると弱かった。

「でも……随分と頑張ったね」

 普通に宿を開いてお金を取れるレベルの立派な作りの岩風呂を眺めながら、フィーはそう感想を漏らす。
 外から覗けないように囲いもしっかりと取り付けられているし、脱衣所まで完備してある。
 しかも風呂の周囲も足が土で汚れないようにと、どうやって作ったのか石畳が敷き詰めてある徹底振りだ。
 何より不可解なのは――

「……温泉でも掘ったの?」
「いや、さすがにそれは厳しいからノルンに送ってもらったオーブメントを利用して簡単な給湯システムを作った」

 壁際に取り付けられた蛇口から湯が沸き出しているのを見てフィーが尋ねると、そんな答えがリィンの口から返ってきた。
 よく見るとパイプのようなもので、給湯器と思しき装置に川から水を引き込む構造になっているみたいだ。
 恐らく水と火のクォーツを組み込んだオーブメントで、川の水を浄化して湯を沸かしているのだろうと推察できる。
 だが、

「リィン、やり過ぎ……」

 呆れた顔でそう話すフィーを見て、リィンは頭を掻きながら誤魔化すように口にする。

「注文が細かくてな……。中途半端なものを作ると、ベルのことだからやり直しを言いだしそうだろ?」

 そう言いながらも出来上がったばかりの湯桶を並べるリィンの拘りに、内心は楽しんでやってるとフィーは判断する。
 長い付き合いだ。リィンがこの手の仕事に拘る性格をしていることをフィーはよく知っていた。
 そもそも料理も凝り性でなければ、ただ美味いものが食べたいという発想から自分で作ったりはしないだろう。
 猟兵と言っても、ずっと戦地にいるわけではない。美味いものが食べたければ、本来は街で食事をすれば済む話だからだ。

「リィンさん。頼まれていたものが出来上がったのでお持ちしましたが、どちらへ置けば……」

 脱衣所の方から一人の女性が、四角く折り畳んだ紺色の布のようなものを持って現れた。
 彼女の名はアリスン。まだ見つかっていないそうだが、沈没事故で離れ離れになった夫と共にロンバルディア号に乗船していたらしい。
 夫婦で『仕立て屋』を営んでいたそうで、集落ではその腕を活かして縫製関係の仕事をこなしていた。
 その話を聞き、リィンは彼女にあるものを作って欲しい≠ニ依頼していたのだ。
 アリスンからリィンは頼んでいた品を受け取ると、風呂の外にでて脱衣所の出入り口にそれを設置する。
 どこか見覚えのあるものを見て、なんとも言えない顔で溜め息を吐くフィー。

「これで、ようやく完成だな」

 東方の文字で『湯』と書かれた暖簾≠見て、リィンは自分の仕事に満足した様子で頷くのだった。


  ◆


「ふかふかのベッドで眠れる日が、まさか来るなんて……」

 アドルとの探索を終えて帰って来るや否や、感動を隠しきれない様子でベッドに倒れ込むラクシャ。
 真新しいシーツの香り。柔らかいマットの感触。
 これまで藁を敷き詰めただけの簡素な寝床で寝ていただけに、その感動は一入だった。

「ですが、この充実振りには驚かされますね……」

 よくこんな毛布や綺麗なシーツがあったものだと、改めてラクシャは思う。アリスンが仕立てたのは確かだが、材料を提供したのはリィンたちだ。彼等が〈騎神〉を使っているところは見たが、他にも大きなテントや調理道具など、あれほどのものをどうやって島に運び入れたのかと言った疑問を抱く。
 とはいえ、クイナに釘を刺されたばかりだ。余り、あれこれと詮索するのは気が引ける。

「このまま、ここに街でも造るつもりでしょうか。あの方々は……」

 もう、ここで十分に生活が送れるのでは? とラクシャは考える。
 僅か数日で島の生活は一変した。日に日に変わっていく集落の姿は、いまや島の外と比べても遜色がない。
 いろいろと足りないものがあるのは確かだが、それもリィンたちが提供した物資とベルのお陰で徐々に改善されてきていた。
 一年もあれば新たな街が島に出来ても不思議ではないと思うほどのスピードで、集落は発展を続けている。
 実際リィンたちなら、そのくらいやってしまいそうだとラクシャは心の何処かで思っていた。

「ラクシャさん、帰っていらしたんですね」

 敷居のカーテンを翻し、顔を覗かせたのはアリスンだった。
 白い肌がほんのり紅く色づき、髪を少し湿らせたアリスンを見て、ラクシャは目を瞠る。
 そして、

「この匂い……まさか、石鹸!?」

 鼻をくすぐる石鹸の匂いに気付いたラクシャはベッドから勢いよく起き上がるとアリスンに迫った。

「リィンさんが露天風呂を作ってくださったんです。丁度、皆さんと一緒に頂いてきたところで……」
「お風呂!?」

 興奮を隠せない様子で、大きな声を上げるラクシャ。
 無人島生活を初めて一ヶ月。これまでは、ずっと水浴びだけで我慢してきたのだ。
 風呂と聞いて喜ばない女性はいないとばかりに、ラクシャの頭の中は風呂のことで一杯になっていく。

「あ、でも今は……」

 大切なことを伝える前に飛び出して行くラクシャを、アリスンは呆然とした顔で見送るのだった。


  ◆


「ふう、生き返るぜ」
「うん。彼には感謝しないとね」

 そう話すアドルの視線の先には、まったりと湯船で寛ぐリィンの姿があった。
 女性たちが順番に風呂を終え、ようやく男の番が回ってきたのは日が暮れ始めた頃だった。
 とはいえ、まだ仕事が残っている者もいるため、一足早く作業を終えたドギは探索を終えて帰ってきたばかりのアドルを誘い、露天風呂に足を運んだのだ。
 しかし風呂には既に先客がいた。それがリィンだったと言う訳だ。
 声を掛けづらい雰囲気ではあったが、先程からリィンが湯に盆を浮かべて口にしている飲み物がドギは気になっていた。
 そして鼻をくすぐる甘い香りに咽を鳴らし、遂にドギは興味を抑えきれずにリィンに声を掛ける。

「さっきから気になってたんだが、何を飲んでるんだ?」
「東方の酒だ。露天風呂と言えば、これは欠かせないからな」
「酒!?」

 酒と聞いて目の色を変えるドギ。アドルたちが島に流れ着いたように、海岸にはロンバルディア号の物と思しき漂着物が多数流れ着いていた。そのなかには蒸留酒もあったのだが、どれだけ島での生活が続くか分からない状況で考えなしに消費するわけにはいかない。特にアルコールの強い酒は薬や消毒にも使えるため、この一ヶ月ドギは我慢に我慢を重ねていたのだ。

(東方……もしかして、彼等は東の果てからきたのか?)

 酒に目を奪われて気付かないドギとは違い、アドルはリィンの口にした『東方』という言葉に興味を示す。
 東の果てに何があるかは分からないが、もしかしたら彼等はそうした未開の土地からやってきたのかもしれないとアドルは推察する。
 それなら見たことのない武器や道具。彼等の持っている食材や調味料。それに〈騎神〉についても、ある程度の説明が付くと考えたからだ。
 機会があれば、そのあたりの話も聞いておきたいとアドルは考える。ベルが未知の知識や技術を求めるように、アドルもこの手の話に目がなかった。
 リィンたちが異世界からやってきたと知れば、きっと驚くだろう。いや、驚く程度では済まないかもしれない。
 未知に対する恐怖よりも好奇心が勝るという点においては、アドルはまさしく冒険家だった。

「分けてやってもいいが、対価を払えるのか?」
「ぐっ……足下を見やがって……」

 無人島での生活で、酒がどれほどの貴重品かを知っているドギは唸るような声を漏らす。
 酒との交換となれば、簡単に払えるような対価ではないとわかっているからだ。
 だが、

「冗談だ」

 リィンはそんなドギの反応を見て満足したのか、酒の入った徳利を載せた盆をドギの方に向ける。
 信じられないものを見るような顔で「いいのか?」と尋ねてくるドギに、

「このくらい分けてやるさ。ベルが少し取り過ぎたみたいだしな」

 リィンはそう答える。
 最初から分けるつもりがないのなら、こんなところで酒を飲んだりはしない。
 グリゼルダには稀少品のように言ったが、足りなくなったらノルンに補給を頼めば良いだけの話だ。
 むしろ、酒を分けるくらいでベルが貰いすぎた分の対価を少しでも返せるのであれば安い物だと、リィンは考えていた。

「もしかして、その取り過ぎと言うのは日誌のことかい?」
「そうだ」
「でも、対価なら既に……」

 ベルから貰っているとアドルが言おうとしたところで、リィンは首を横に振る。

「お前があの日誌のことをどう思っているかは知らないが、俺たちにはそれだけの価値がある情報だったってことだ」

 確かにそう言われれば、何もおかしなことはない。
 しかし嘘を書いたつもりはないが、アドルがベルに渡した冒険日誌は俄には信じがたいような内容が書かれていた。
 物語としては面白いが情報としては首を傾げる内容で、普通は妄想の類や誇張して書いていると考えるのが自然だ。
 だがリィンの言葉から察するに、その内容をまったく疑っていないかのように思える。

(やはり彼等は……)

 自分の勘は正しかったと悟るアドル。
 あの内容を見て驚かないどころか興味を示すということは、信じられるだけの根拠があるということに他ならないからだ。
 その根拠の一つが、あの〈騎神〉なのだろう。そして、まだ何か他にも大きな秘密をリィンたちは隠しているとアドルは感じていた。
 だが、そんなことよりも――

「クイナがキミにあんなにも強い信頼を寄せている理由が、少し分かった気がするよ」
「……なんのことだ?」

 ぶっきらぼうで敵に対しては容赦がなかったり、殺しを躊躇しない非情さを持つが、彼は律儀な人間だとアドルは思う。
 黙っていれば分からないことを、リィンは価値に見合った正当な対価を払うと言ったのだ。律儀と言うほかない。
 そこにリィンの考え方や信念のようなものをアドルは垣間見た気がした。
 クイナはそんなリィンの性格を知っているからこそ、彼は決して自分を裏切らないと理解しているのだろう。

「そうだね。キミには聞く権利があると思う。いや、知っておくべきだ」

 広場でリィンたちがカーラン卿と揉めた後、何があったかをアドルは話して聞かせる。
 リィンには話を聞く権利があるし、クイナのしたことを知って欲しいと思ったからだ。

(たぶん、僕は彼に知って欲しい。いや、信用して欲しいんだろうな)

 味方と敵の線引きがはっきりしている人物だと、アドルはリィンのことを評価していた。
 だから、他人とは常に一定の距離を置く。表面上は友好的に接していても、警戒を解くことはない。
 自分に厳しく、身内に甘い。それでいて不器用な生き方だと、アドルは感じていた。
 そんなリィンが仲間以外で一番心を開いているのは、クイナだとアドルは思う。
 出来れば集落の人たちとも同じように接して欲しいが、それは現状では難しいとも理解していた。
 だから今回のことが、その切っ掛けになればとアドルは考えたのだ。
 心から信頼することは難しくとも、信用しあえる程度には絆を深めることが出来るはずだ。
 少なくともアドルはリィンと接してみて、その可能性を見出していた。

「余計なことを……」
「いいじゃねえか、俺もお前さんはそう悪い奴じゃないと思うぜ」
「もう、酔ってるのか?」

 リィンに半目で睨まれ、ドギは肩をすくめながら顔をそらす。
 その手にはしっかりと酒の載った盆を確保しているあたり、ちゃっかりとしていた。
 そんなドギを見て溜め息を吐くと、リィンは良い機会だとばかりにアドルに尋ねる。

「アドル、お前はこれからどうするつもりだ?」
「どうするって?」
「惚けるな。わかってるんだろ?」

 リィンが何を聞きたいのか、当然アドルは察していた。
 彼等が準備を進めている作戦が上手く行けば、島の脱出が現実に近付くからだ。
 他の漂流者たちと共に島を出るのか? それとも――
 目を瞑り、逡巡する素振りを見せるアドル。
 本来であれば、島からの脱出を優先すべきなのだろう。
 しかし、冒険家としてのアドルの答えは決まっていた。

「出来れば、最後まで見届けたいと思ってる」

 アドルの答えを聞いて、やはりそうなったかとリィンは溜め息を吐く。
 こう答えるであろうことは最初からわかっていて尋ねたのだ。
 しかし本人が決めたことであれば、リィンは止めるつもりはなかった。

「少し驚いたな。キミなら絶対に反対すると思った」
「言って考えを変えるようなタイプじゃないだろ?」
「ハハッ! アドルのことをよくわかってるじゃないか!」

 これが自分の身を自分で守れないような一般人が相手なら、リィンは島から脱出するように説得しただろう。
 だが、アドル・クリスティンはただの一般人ではない。冒険家だ。
 死線を乗り越えてきた数では、自分たちに引けを取らないだろうとリィンはアドルのことを認めていた。

「グリゼルダとの契約は、漂流者を島の外へ送り出すところまでだ。それ以降のことは関知しない」
「構わない。冒険に危険は付き物だからね」

 島に残って命を失うことになっても自己責任という警告のつもりだったのだが、それでもアドルの答えが変わることはなかった。
 とはいえ、アドルならそう答えるであろうことはリィンも予想していた。
 アドル・クリスティンは冒険家だ。命の危険があると説得されたくらいで諦めるはずがない。
 そんな器用な真似が出来るのなら彼はきっとここにいない、と理解しているからだった。

「さてと、それじゃあ話もついたところで、そろそろ上がるか」
「おい……」

 盆に載せた徳利がすべて空になっていることに気付き、ドギを睨み付けるリィン。
 しかし聞こえない振りをして、そそくさとドギは全裸のまま脱衣所へと向かう。
 そして脱衣所の引き戸に手を掛けようとした、その時だった。

「ああ……この先に、夢にまで見たお風呂が――」

 ドギが手を掛けるよりも先に引き戸が開き、そこから胸もとにタオルを一枚巻いただけのラクシャが姿を見せたのだ。
 互いの存在に気付き、目を合わせ、時が凍り付いたかのように固まるドギとラクシャ。
 固まったまま反応を見せないラクシャを前に、ドギの額から冷や汗がこぼれ落ちる。
 その緊迫した空気を感じ取ったリィンとアドルは顔を見合わせると、そっと後ずさるように距離を取った。

「よ、よう。嬢ちゃんは今から風呂か? 俺はもうでるから、ゆっくりあったまってくれ」

 この場を乗り切るために、ドギは平常心を保ちつつ普通に挨拶をする。
 そして何事もなかったかのような素振りでラクシャの横を通り過ぎようとするが、

「きゃあああああああッ!」
「ぶべッ!?」

 悲鳴と共にラクシャの放った強烈な右のストレートが顔に直撃し、ドギは床を転がるのだった。 



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