オクトゥス第一層〈海の回廊〉を突破したアドルたちは、続けて第二層〈氷の回廊〉に挑んでいた。
 極寒の冷気が吹きつける中、オベリスクに封じられた想念を解放すべく幻獣に立ち向かうアドルたちの姿があった。

「――遅い」

 ミノスによく似た幻獣は二本の大きな角を持ち、その身体は分厚い筋肉の鎧で守られていた。
 丸太のように太い腕から繰り出される強烈な一撃は大地を抉り、小さなクレーターを幾つも作る。
 直撃を食らえば、古代種でも無事では済まないような一撃。脆弱な人間の身体など、簡単に潰されてしまう。
 そんな必殺の一撃を目にも留まらない速さで回避しながら、フィーは一定の距離を取りつつ幻獣の動きを牽制する。
 そして、

「……いま!」
「合点承知!」

 幻獣の腕が地面に突き刺さった瞬間、フィーの作った隙に割り込むリコッタ。
 ウィップメイスの先端が地面を滑るように駆け上がり、幻獣の顎を捉える。
 シャーリィに迫る膂力に加え、遠心力を利用した強烈な一撃を食らい、大きく仰け反る幻獣。
 そこに風を纏い、加速したラクシャが追撃を仕掛けるが、

「ブリッツチャージ!」

 喉元を狙って放ったレイピアが僅かに軌道を逸れ、右側の角に直撃する。

「しまっ――」

 崩れ落ちるような体勢から放たれた幻獣の豪腕がラクシャの頭上に迫る。
 だが直撃するかと思った直後、

「ルミナス!」

 精霊の力を解放したイオの〈光の矢〉が幻獣の腕を刺し貫き、背後にあった氷柱に縫い付けた。
 その瞬間を待っていたとばかりに大地を蹴り、幻獣との間合いを一気に詰めるアドル。
 そうして手にしたゼムリアストーン製の剣に全力で闘気を込め、

「うおおおおおおッ!」

 幻獣の胸を刺し貫くのだった。


  ◆


「やったね」
「うむ。アドル兄は、やっぱり凄い!」
「いや、僕だけの力じゃない。二人が隙を作ってくれたお陰だよ」

 フィーのスピードと経験を生かした戦い方と、リコッタの直感とパワーに頼った獣のような動きは上手く噛み合っていた。
 この二人の助けがあるから、トドメの一撃に集中することが出来る。
 実際、自分一人では負けないまでも、これほど楽には倒せなかっただろうとアドルは考えていた。

「ラクシャとイオもお疲れ様。助かったよ」
「いえ、当然のことをしただけです」

 疲労を滲ませながらも心配を掛けまいと、笑顔で答えるラクシャ。
 だがその傍らには、いつもと少し様子の違うイオの姿があった。
 イオの視線が自分に向いていることに気付いて、ラクシャは尋ねる。

「どうかしたのですか?」
「戦いを見てて、ずっと気になってたんだけど。ラクシャ、本気で戦ってる?」
「え?」

 考えもしなかったことを指摘され、ラクシャは戸惑いの顔を見せる。
 戦いで手を抜いたことなど今まで一度もない。正確には、それほどの余裕がないというのがラクシャの本音だ。
 力が足りていないことは自覚している。だからこそ足を引っ張らないようにと、自分に出来る限りの力は振り絞っている。
 だと言うのに本気で戦っていないなどと言われれば、不快にもなる。

「……実力不足だと言いたいのですか?」
「うん、このなかで一番弱いね。剣の腕は今一つ、術の方は剣より才能があるみたいだけど経験が伴っていないみたいだし」
「ぐっ……」

 はっきりとイオに実力不足を指摘され、何も言い返せない様子で唸るラクシャ。
 イオが指摘した点は、ラクシャ自身よく理解していることだった。
 だが剣の腕は勿論のこと、最近覚えたばかりのアーツも簡単に身につくものではない。
 だが、実戦で経験不足は言い訳にならない。それにイオが言いたいのは、そういうことではなかった。

「でも、アタシが言いたいのはそういうことじゃなくて、ラクシャってなんで剣を使ってるの?」
「それは……幼い頃から学んでいて一番手に馴染んでいる武器だから、でしょうか?」
「使い慣れてる武器を使ってるってことだよね? でも、ラクシャにアドルほどの剣の才能はないと思うよ」

 アドルほどの才能がないことはラクシャもわかっていたが、はっきりと言われると苦い顔になる。
 だからと言って、今更他の武器に持ち替えることなど出来ない。
 かえって、それでは足を引っ張ってしまうとわかっているからだ。

「だから、術に専念すべきだと思う」
「……剣を捨てろと?」
「護身用に持つくらいは構わないけど、自分から近付いて攻撃する必要はないよね?」
「それは……」

 慣れ親しんだ武器に頼ってしまうのは分かる。
 だからラクシャはアーツを牽制に使い、レイピアでトドメを刺す戦法を用いてきたのだろう。
 駆動の速い中級以下のアーツをラクシャが好んで使っているのも、そのためだ。
 だが、ラクシャにその戦い方は向いていないとイオは話す。

「体力の消耗が激しいのは、どっちもやろうとするからだよ。フィーたちの動きに付いていこうとしたって無理だって分かるよね?」
「……はい」
「なら、術に専念すべきだと思う。見てて危なっかしいもの」

 オールラウンドに戦えるほど、ラクシャは戦闘に秀でた才能がない。
 近接戦闘ならアドルが、中距離からの一撃ならリコッタが、そして遊撃にはフィーがいる。
 ならラクシャはアーツを主体に戦い、遠距離からの援護に専念すべきだとイオは指摘する。
 イオが何を言わんとしているのか、ラクシャも理解して苦い表情を見せる。
 アドルと二人の時ならまだしも、いまはフィーとリコッタがいる。それにイオも――
 面と向かって指摘されるまで気付かなかったが、確かにパーティーで行動している以上、イオの指摘はもっともだった。
 足手纏いになりたくないという思いばかりが先行して、無理をしていたのだとラクシャは気付かされる。

「厳しいことを、はっきりと言う嬢ちゃんだ。だが、間違っちゃいねえな」
「あなたは……」

 会話に割って入る声に気付き、振り返るラクシャ。
 そこには頭に巨大な二本の角を持ち、大きな身体をした〈進化の護り人〉の一人がいた。

「改めて名乗らせてもらおう。儂の名はミノス。地上が永久凍土と化した時代、大陸に覇を唱えた一族の王だ」

 再び、名乗りを挙げるミノス。
 只者ではないと思っていたが、嘗て大陸に覇を唱えた一族の王だと聞き、アドルたちは微かな驚きを表情に滲ませる。
 だが言われてみれば、分かることだ。〈進化の護り人〉は滅び行く種族のなかで、最も輝く魂を持つ者が選ばれる。
 ダーナはエタニアを守るために〈緋色の予知〉に立ち向かい、アドルも世界の命運を左右する冒険に幾度となく挑んできた。
 進化の護り人には、そうした困難に立ち向かう力と心の強さを兼ね備えた者が選ばれるのだと考えられる。
 それは即ち、他の〈進化の護り人〉たちも過去に偉業を為した『王』や『英雄』であることを意味していた。

「あの魔女が推す連中だ。わかっちゃいたが、まさか儂の想念が敗れるとはな。まったくとんでもない奴等が現れたもんだ」

 これはいよいよ女神とやらも年貢の納め時かな、と言ってミノスは大笑いする。
 そんなミノスを見て、アドルは疑問を口にする。

「……女神?」
「なんだ、聞いてないのか? はじまりの大樹を創造した神のことだ。確か、大地神マイアと言ったか?」

 初耳だという顔を見せるアドルたちを見て、ミノスは自分がミスを犯したことに気付く。

「ああ……もしかして、これは言っちゃダメなことだったか? 悪いが聞かなかったことにしてくれ」

 てっきり、すべて承知の上で、ここまでやってきたとミノスは思っていたのだ。
 恐らくは意図的に女神の話を伏せたのだろうと、ミノスはベルの思惑を察する。

(そうか。彼等の狙いは……)

 だが、それ以上は聞かずとも、アドルがベルの目的を察するには十分だった。
 恐らく女神が関係していることは、リィンも気付いていたはずだとアドルは考える。
 なら、どうしてそのことを伏せたのか? そこまで考えれば、自ずと答えはでる。

「行こう。先を急いだ方が良さそうだ」
「……よろしいのですか?」
「彼は何も答えてくれないよ。いや、たぶん彼自身、いま口にした以上のことは何も知らないんだと思う」

 確かにアドルの言うように、ベルの立てた計画の内容を完全に理解しているかというとそうではない。
 マイアのこともヒドゥラから話を聞いて知っていただけに過ぎない。だが、それでも彼は嘗て大陸に覇を唱えた一族の王だ。
 ただの力自慢に一国の王が務まるはずもない。〈進化の護り人〉に選ばれたことを考えれば、彼が無能な王でなかったことは明らかだ。
 当然そのことはアドルも理解しているはずだ。なのに敢えて、そのようなことを口にしたと言うことは――
 安い挑発だと、ミノスは苦笑する。

「だがまあ、勝者に一つくらい褒美があってもいいだろ」

 それが王の役目だと、ミノスは笑いながら話す。
 そして、

「たった一人の犠牲で世界が救え、本人もそれを望んでいる。それでも、お前たちは意志を貫き通せるのか?」

 同じことを尋ねられれば、ミノスの答えはでている。
 一を救い、百を切り捨てることなど出来ない。王として、より多くの命を助けられる方法を選択するだろう。
 切っ掛けや理由はどうあれ、クイナは世界を守るために自らが犠牲となることを決意した。
 だからミノスはベルの提案に乗ったのだ。

「よく考えて答えをだせ。身体は小さくとも、あの幼子の覚悟は本物だ。だから儂は力を貸すと決めた」

 ――生半可な覚悟では届かないだろう。
 そう言い残すと、アドルたちの前からミノスは姿を消すのだった。


  ◆


 ようやく運行が再開されたクロスベル行きの特別列車≠フ中に、黒を基調とした清楚な制服に身を包んだ少女たちの姿があった。
 聖アストライア女学院に通う中等部の生徒たちだ。彼女たちは卒業旅行を兼ねた最後の課外学習のため、クロスベルへと向かっていた。
 併合にあたって事前の取り決めに従い、クロスベルの経済的な独立と一定の自治を認めるなど譲歩があったとはいえ、これまでに帝国がやってきたことを考えれば、クロスベル市民の帝国に対する感情は余り良いものとは言えない。そこで帝国政府は市民感情に配慮して〈暁の旅団〉と深い関係にあり、クロスベル解放の立役者の一人とされるアルフィンを総督に据えたと言う訳だ。聖アストライア女学院のクロスベル訪問が決まったのも、そうした政策の一環でもあった。
 だがこれには表向きの理由とは別に、裏の目的があった。
 アルフィンの総督就任を始め、聖アストライア女学院のクロスベル訪問を後押ししたのはオリヴァルトだ。
 そして、この件をオリヴァルトに提案したのが――

「こうして列車に揺られる旅も、たまには良いものですね」

 ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエン。
 アストライア女学院・中等部に在籍する生徒にして、クロワール・ド・カイエンの姪に当たる人物だった。
 クロワール・ド・カイエンというのは、先の内戦で命を落としたカイエン公のフルネームだ。
 ミルディーヌはそのクロワールの弟――海難事故で亡くなった公子アルフレッドの忘れ形見だった。
 しかし彼女は今、公爵家の相続問題で複雑な立場に置かれていた。
 だからこそ、今回のクロスベル訪問が計画されたと言ってもいい。
 そして、

「他の生徒の目もある。余り羽目≠外しすぎぬようにな」

 今回のクロスベル訪問。表向きは彼女、オーレリア・ルグィンの発案となっていた。
 余り知られていないことではあるが、彼女は現在アストライア女学院の理事の一人をしていた。

「そう仰いながら、将軍閣下も随分と楽しみにしていらしたご様子。貴族派の英雄様も乙女≠ノは違いないと言うことでしょうか?」
「フフッ、そうかもしれぬな。私自身、驚いているところだ」

 からかうような声音で尋ねるミルディーヌに、否定はしないと言った態度を見せるオーレリア。
 どのような思惑があれ、クロスベル行きを楽しみにしていたことは自身も認めているからだ。

「姫様や先輩も随分とご執心のようですし、いまからお会いするのが楽しみです。きっと素晴らしい殿方なのでしょうね」
「そうだな。私が知る限り、最強の男だ」
「……〈光の剣匠〉よりも、ですか?」
「剣の腕だけなら師の方が上だろう。だが戦場でまみえれば、師に勝ち目はない」

 ヴィクターの強さは弟子のオーレリアが一番よく知っている。
 その彼女が剣の腕はヴィクターの方が上と言いつつも、戦えばリィンが勝つと断言したことに少なからずミルディーヌは驚く。
 オーレリアが惚れた相手だからと言って、贔屓目に見るような人物でないことはミルディーヌもよくわかっていた。
 だとすれば、本気で彼女はリィンの方がヴィクターよりも強いと思っていると言うことだ。

「あの者――リィンの養父が何故、猟兵王と呼ばれていたか分かるか?」
「……最強の猟兵だからでは?」
「確かに猟兵王は強かった。だが、同じように強い猟兵は他にもいる。猟兵王と相打ちで命を落とした闘神や、赤の戦鬼なども決して見劣りしない強者だ」

 ただ強いというだけでルトガーは『猟兵王』と呼ばれるようになったのではない、とオーレリアは答える。

「彼の者が〈猟兵王〉と呼ばれたのは〈王の器〉を有していたからだ。そして、その志は息子へと受け継がれている」

 戦士としても一流だが、何よりルトガーには人を率いる才があった。
 敵味方を問わず、ルトガーを慕う者は未だに多い。死しても尚、人々の心の中に彼は生き続けている。
 それは力のみで他者を屈服させてきた闘神や戦鬼には、決して持ち得ない才だ。同じ才がリィンにも受け継がれているとオーレリアは話す。
 敵であった帝国解放戦線を仲間に加えた懐の深さもそうだが、リィンの周りには才に秀でた実力者が自然と集まってくる。
 少しばかり女性に比率が偏っているようにも見えるが、それもまたリィンの持つ魅力なのだろうとオーレリアは考えていた。

「だからこそ、ミルディーヌ様も彼を選ばれたのでしょう?」

 口調を改め、公爵家に忠誠を誓う騎士としてオーレリアはミルディーヌに尋ねる。
 今更こんな話をせずとも、ミルディーヌはすべて≠察してしていると見越しての問いだった。
 そんなオーレリアの問いにミルディーヌは何も答えず、ただ微笑みを返すのだった。



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