「イオがいなくなった?」

 先にアリサの工房で待っていたフィーにイオがいなくなったことを聞かされ、リィンは眉をひそめる。
 あれほど釘を刺したと言うのに、あっさりと約束を破ったイオに呆れたからだ。

「念話で呼び出せないの?」
「ああ……」

 フィーにそう尋ねられて、リィンは困った顔を見せる。
 イオはリィンの眷属なのだから、可能か不可能かで言えば出来るはずだ。
 しかし、それは魔術や理術を使えることが前提となる。ノルンと連絡を取り合えたのは、ベルの用意した魔法陣があったからだ。
 ヴァリマールとの連絡もリィンが念話を使えると言うよりは、騎神に備わっている能力と言った方が正しかった。
 なんらかの補助をなしに〈念話〉や〈転位〉と言った能力を使うことは、まだリィンには出来ない。

「なら、エマにサポートを頼んだら」
「その手があったか」

 厳密には専門とする分野が違うとはいえ、ベルと同様のことはエマにも出来る。
 早速、エマに連絡を取ろうとリィンは通信機を内蔵した戦術オーブメントを手に取るが、

「エマさんならいませんよ?」

 アルティナが話に割って入り、動きを止めた。

「……どういうことだ?」
「帰省中です。何か慌てていたみたいですが、詳しいことは聞いていません」

 帰省と言うことは、魔女の隠れ里に用があるのだとリィンは察する。
 慌てて帰省した理由は分からないが、個人用の通信機はブースターや中継器を介さなければ、余り遠くとの通信は出来ない。
 一応、エマの戦術オーブメントに通信を試みてみるも繋がらず、リィンは落胆した様子で肩を落とす。
 どうしたものかとリィンが悩んでいると、「リィン!」と名前を呼ぶアリサの声が工房に響いた。

「なんだ? もう、解析結果がでたのか?」

 随分と早いなと感心するリィンに、アリサは「違うわよ」と呆れた口調で答える。
 リィンがセイレン島より持ち帰った理法具は全部十点あったが、解析を進めるに当たって一つ大きな壁があった。
 アーティファクトの封印が、七耀教会にしか出来ないのと同様の理由だ。

「この理法具って、どうやって動かすの?」

 理法具と言うくらいなのだから、理力を使えなければ当然動くはずもない。
 結局イオを捜すことになるのかと、リィンは深い溜息を漏らすのだった。


  ◆


 一夜が明け、団員を導入しての捜索活動が行われたが、未だイオは発見されていなかった。

「どこに行ったんだ? あのバカは……」

 カレイジャスの甲板から街の景色を眺めながら愚痴を漏らすリィン。連絡一つ寄越してこないイオにリィンは苛立っていた。
 イオは理術が使える。リィンの方から連絡をすることは出来なくとも、イオからは連絡が出来るはずなのだ。
 連絡を取れない状態にあると考えることも出来るが、イオに限ってその可能性は低いとリィンは見ていた。
 リィンの眷属となることで全盛期以上の力を手にしたイオは、いまや〈結社〉の執行者すら凌駕する力を秘めている。
 なんらかの事件に巻き込まれたとしても、大人しくやられるようなイオではない。
 むしろ、イオに喧嘩を売った相手や、街の被害の方を心配する必要があるくらいだった。

「ガルシアの旦那の方でも、若い連中を使って捜してくれるそうだ」
「悪いな。帰ってきて早々、面倒を掛けて」
「それは構わねえが、子供が一人いなくなったくらいで随分と大袈裟じゃねえか?」

 暁の旅団の団員を動かすだけでなくルバーチェ商会にも協力を求め、更にはアリサの指揮でラインフォルトもイオの捜索に動いていると言うのだからヴァルカンが大袈裟に感じるのも無理はなかった。
 だが、決して大袈裟な話ではないと、リィンはヴァルカンに説明する。

「レグナートと同等の戦闘力を持つ子供が野放しになっていると言えば、危険性を理解してもらえるか?」
「……冗談だろ?」
「残念ながら事実だ。ついでに言うと、この世界の常識がない」

 これでトラブルを起こさないなどと安心できるはずもない、とリィンは話す。
 巨大な竜と同等の力を持つ子供がいるなどと俄には信じがたい話だったが、リィンがそんな嘘を吐くとも思えずヴァルカンは唸り声を漏らす。
 もし、この世界の常識に疎い子供がそんな力を持っているのだとすれば、確かに危険だと感じたからだ。

「もし、そいつが本気で暴れたら?」
「クロスベルの街は崩壊するな」

 ようやく復興を始めたばかりだと言うのに洒落にならない話を聞き、ヴァルカンは頭を抱える。

「なんで、そんな物騒な子供を連れて帰ってくるんだ!?」
「勝手についてきたんだよ! 文句があるならベルに言え!」

 イオの件にベルが関わっていると聞いて、ヴァルカンは心底嫌そうな顔を浮かべる。
 実際、イオの眷属化をリィンに促したのはベルだけに無関係とは言えなかった。

「あの二人を残してきたと聞いて、少しは楽が出来ると思ってたんだがな……」

 遠い目を浮かべながら、そんなことを呟くヴァルカンを見て、そっと視線を逸らすリィン。
 いろいろと面倒事をヴァルカンに押しつけているという自覚があるだけに、何も言えなかったからだ。

「こんなところにいたのね。約束のものを持ってきたわよ……って、何かあったの?」

 そのなんとも言えない空気を感じ取り、レンは首を傾げながら尋ねるのだった。


  ◆


「ふーん、なるほどね」

 リィンからイオが昨日から行方知れずになっていると聞いて、レンは納得した様子で頷く。
 昨晩はエリィの家にも帰らず、ジオフロントの隠れ家≠ナリィンに頼まれた情報をデータにまとめる作業を行っていた。
 さすがのレンも、そんなことが起きているなどと知る由もなかった。

「イオって、団長さんが昨日連れていた子よね?」
「そうだ。正直、困ってる。猫の手≠燻リりたい状況と言う訳だ」
「フフッ、絶好のタイミングだったと言う訳ね。当然、報酬は弾んでもらえるんでしょ?」

 背に腹はかえられないと、リィンはレンの要求をすべて呑む。
 取り引きの成立を確認したレンは、カレイジャスの艦橋に備え付けられた端末を軽快なリズムで奏で始めた。

「うわ……凄いスピード」

 指先が霞んで見えるほどのレンのタイピング技術に目を瞠り、驚きの声を漏らすフラン。
 警察に勤めていた頃からオペレーターを担当し、現在はカレイジャスの通信士を任されているフランから見てもレンの腕は飛び抜けていた。

「でも、良いんですか? これって犯罪じゃ……」
「問題ない。証拠を掴ませる気はないんだろ?」
「当然よ。そんなヘマをするつもりはないわ」

 バレなきゃ犯罪じゃない、という無茶苦茶な持論を展開するリィンとレンに、フランは微妙な反応を見せる。
 元警察官としては複雑な気持ちだが、いまは彼女も〈暁の旅団〉のメンバーの一人だ。
 郷に入っては郷に従う、という諺もある。「お姉ちゃん、ロイドさん、ごめん」と心の中で謝りつつ、フランは何も見なかったことにする。
 街中に導力ネットワークが張り巡らされたクロスベルの街は、レンにとって庭のようなものだ。
 彼女は今、街の噂から監視カメラの映像記録まで、導力ネットワークを通じて得られる様々な情報からイオの足跡を追っていた。
 普通であれば何日も掛けて行うような大仕事だが、伊達に〈子猫(キティ)〉の異名は取っていない。

「見つけたわ」
「え! もうですか!?」

 まだ捜し始めて十分と経っていない。
 イオの行方を掴んだと話すレンに、フランが驚くのも無理はなかった。

「何処にいる?」

 画面を覗き込みながら、レンにイオの居場所を尋ねるリィン。
 イオに対する苛立ちを隠せず、強い口調で尋ねてくるリィンに――

「アルカンシェルにいるみたいね」

 と、レンはイオの居場所を告げるのだった。


  ◆


「凄いですね。彼女……」

 舞台の上で見事な踊りを舞うイオに、感嘆の声を上げる黒髪の女性。彼女はここ劇団アルカンシェルのトップアーティスト、イリア・プラティエと双璧を為すと噂される舞姫リーシャ・マオだ。暁の旅団に所属するメンバーでもあるのだが、情報収集を兼ねて普段はこうしてアルカンシェルでアーティスト活動を行っていた。
 年末公演の招待状を持って劇団長と共にオルキスタワーに出向いていたはずのイリアが、突然イオを連れて帰ってきたのは昨晩のことだった。
 イリアの奇行は今に始まったことではないが、まさか子供を連れて帰ってくるとは思わず、昨晩はちょっとした騒ぎになったのだ。

 翌朝になってから迷子の捜索願が出ていないかを確かめるために警察署へ出向く予定でいたのだが、朝の舞台稽古前にイリアが「ちょっと踊ってみてくれない?」とイオを舞台に上げたのが事の始まりだった。
 最初は意味が分からず訝しげな表情を浮かべていた劇団員たちも、イオが舞い始めると言葉を失い舞台に魅入られていた。
 見たこともない神秘的な舞。どこかの民族舞踊だと思われるが、動きの一つ一つが幼い見た目からは想像も出来ないほどに洗練されていた。
 即席で身につくような技術ではない。それこそ、何十年と踊り続けていなければ得られないような技術だ。
 自分たちよりも遙か高みに立つイオの舞の技術に、アルカンシェルの劇団員たちが魅了されるのも無理はなかった。
 それはイオが生前、はじまりの大樹に捧げるために二百年近くもの間、舞い続けていた奉納の舞≠セからだ。

「まあまあかな。久し振りに舞ったから満足の行く出来ではなかったけど、どうだった?」

 あれほどの舞を披露しておきながら満足してないとぼやくイオに、劇団員たちは驚愕する。
 イリアと比べても遜色のない――いや、技術だけなら上を行くかも知れないと思うほどの見事な舞だったのだ。
 皆が呆然とする中、イリアは興奮を隠せない様子でイオに拍手を送る。

「素晴らしいわ。私の目に狂いはなかった。あなた、アルカンシェルに入らない?」

 イリアがイオを連れてきた時から予感があったリーシャは、やっぱりこうなったと溜め息を吐く。
 リーシャの時も街中を歩いているとイリアに声を掛けられ、丁度こんな感じで勧誘を受けたからだ。
 しかし、確認しておかなければならないことが、先にあった。

「イリアさん、彼女とは何処で知り合ったんですか?」
「え? オルキスタワーでだけど? ビビッときたのよね。それで――」
「……黙って連れてきちゃったと」

 リーシャは頭を抱える。
 昨晩はもう遅いこともあって事情を聞くのは後回しにしていたが、もっと早くに確認しておくべきだったと後悔する。
 黙って連れてきたと言うのは、言い換えれば誘拐と変わらないからだ。
 念のため、イオにも確認を取ってみるが――

「うん。アイスクリームを奢ってくれるって言うから」

 誘拐犯の常套句とも言える手口に、リーシャだけでなく劇団員たちも頭を抱える。
 イリア・プラティエが逮捕されるようなことになれば、アルカンシェルは終わりだ。
 これからどうすべきかを話し合う劇団員たち。
 そんな劇団員たちを見て、よくわかっていない様子でイリアは首を傾げる。

「変な子たちね。何をそんなに慌ててるの?」
「……イリアさん、わかってるんですか? これは犯罪なんですよ? だから、なんでも拾ってきてはダメだと……」

 リーシャに捨て猫や犬のような例えをされて、イオは微妙な顔を浮かべる。
 しかし、ようやく皆が何を焦っているのかを察した様子で、ポンッと手を叩くイリア。

「大丈夫よ。だって、彼女は――」

 バタバタと複数の足音が劇場の外から聞こえてくる。
 そうして、勢いよく開け放たれる扉。「ここか!」と声を上げ、リィンが劇場に足を踏み入れた、その時だった。

「イオ・クラウゼル。筆頭スポンサーのお嬢さんよ」

 イリアの口から語られるイオの正体。
 その瞬間、ピシリと空気が凍り付くかのような音が劇場内に響くのだった。



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