「上手く行ったみたいですわね」

 クリスタルに灯る光を見て、ベルは実験の成功を確信する。
 その直後、転位の光と共に現れたのはグリゼルダとレオ。それに嘗て、セイレン島で共同生活をしていた漂流者たちとその家族だった。
 全員と言う訳ではないが、セルセタと繋がったクリスタルのゲートを使い、保護を求めて島に移住してきたのだ。
 サハドやバルバロス船長とその家族の他、ロムンで鍛冶屋を営んでいるというカトリーンや、商人のディナ。
 意外なことに星刻教会のシスター、ニアの姿もあった。
 そして、

「あうっ……」
「あら? お腹が空いたのね」
「アリスン!?」

 小さな赤ん坊を抱きかかえる女性。アリスンとその夫、エドもそのなかにいた。
 無造作に胸をだして赤ん坊に乳を与えようとするアリスンを制止するエド。
 他の男たちは女性陣に睨まれて、さっと視線を逸らす。
 そんな光景を見て、やれやれと言った顔で肩をすくめるベル。
 そこにいるのは良く見知った顔ばかり。まさか、一ヶ月と経たない内に島へ舞い戻ってくるとは思っていなかったためだ。

「まだ他にも受け入れて欲しい移住希望者がいるのだが、構わないだろうか?」
「構いませんけど、何人くらいいますの?」
「……取り敢えず、六百人余りと言ったところか」

 まだセルセタに残っている漂流者もそのなかには含まれているが、他にも移住を希望している者たちがいた。
 それがグリゼルダの治める街や、セルセタの樹海で暮らす者たちだ。
 どうして、そのようなことになったかと言うと――

「その様子だと良くない状況みたいですわね」
「……ああ、ロムンが動いた。セルセタに艦隊が差し向けられ、この島にも調査の名目でグリークの海軍が向かっている頃だ」

 セルセタはロムンから船でも一ヶ月ほど掛かるため、まだ少し時間的な余裕はある。
 だが、グリーク海軍の船団が島へやってくるのには三日と猶予がないだろうと、グリゼルダはベルに話す。
 普通は戦場となる危険な島へ移住するなど正気の沙汰とは言えないが、グリゼルダの考えは違っていた。

 どちらにせよ、いまのままならセルセタに残ったところで戦争に巻き込まれることに変わりはない。
 それにロムン帝国とアルタゴ公国との戦争が長期化し、その影響は各地にもでている。
 戦争で大量の物資が消費され、特需に沸き立っているのはロムンの商人や貴族くらいのものだ。
 作物を育てても大半を国に搾取され、高い税に苦しみ、その日の生活すらままならない者たちが大勢いる。
 ロムンに屈し、膝を折ったセルセタのような植民地の住民は、特に苦しい生活を強いられていた。
 結果、賊に身を落とす者も少なくなく大陸の各地で略奪行為が横行し、不穏な気配が広がりを見せている。
 その点から言えば、この島ほど安全な場所はないと言うのがグリゼルダの考えだった。
 しかし、

「総督閣下、お言葉を挟むようですが、本当にこのような者たちが……」

 なんとも言えない表情で話に割って入るレオ。ベルを見て、そのような疑問が口から漏れるのも無理はない。
 ロムンはこの世界で、最大の軍事力を誇る国だ。普通に考えれば、歯向かったところで太刀打ち出来るような相手ではない。
 グリゼルダの言葉を疑いたくはないが、レオが半信半疑になるのも無理からぬことだった。
 ましてや、見た目十歳ほどの少女が島の代表者的な立場にいると知れば、尚更だ。

「フフッ、言いたいことは分かる。だが、見た目で侮ると痛い目を見るぞ」
「ぬっ……」

 グリゼルダがそう忠告した直後、全身が震えるような悪寒を感じて、レオは腰の剣に思わず手を伸ばす。
 その肌が凍り付くような気配が誰から発せられているものか、考えるまでもなかった。

「あら? これでも動けるなんて、なかなかの使い手≠ンたいですわね」

 ベルの双眸が妖しげな光を放つ。

(なんだ、これは……本当に子供か?)

 まるで巨大な魔物と対峙しているかのような錯覚を、レオは味わっていた。
 もはや、目の前の少女を見た目通りの子供とは思えない。
 ベルの身体から放たれる濃密な気配は、完全にこの場を支配していた。

「なかなか見所がありそうですわね。シャーリィの遊び相手≠ノ丁度良さそうですし、引き受けてくださらないかしら?」
「……シャーリィ?」

 聞き覚えのない名前を耳にして、警戒を滲ませながら質問を返すレオ。

「そこの総督閣下≠ゥら〈暁の旅団〉の話は聞いているのでしょう? シャーリィは、その団でナンバー2の実力を持つ使い手≠ナすわ。最近はリコッタやシルヴィアと山に籠っているみたいですけど、そろそろ飽きて帰ってくる頃でしょうから」
「う、うむ。それは手合わせをすれば良いと言うことか?」
「ええ」

 先程までの異様な気配はなんだったのかと思うくらい清々しい笑顔を向けられ、レオはそのくらいならとベルの頼みに頷く。
 どのみち〈暁の旅団〉の力を見極めておきたいという思惑があったので、都合が良かったというのも理由にあった。
 だが、シャーリィの実力をよく知っているグリゼルダはなんとも言えない表情で、額に手を当てて小さな溜め息を漏らす。
 手合わせになれば良いが、レオが文字通り遊ばれる′景しか目に浮かばなかったからだ。
 それなら、まだしも――

「レオを壊されると困るのだが……」
「あの子も最近、手加減を覚えてきているみたいですから、たぶん大丈夫ですわ」

 小さな声でベルに苦言を呈するも、今一つ信用のならない答えが返ってきて、グリゼルダは顔をしかめる。
 だが、レオにも騎士としての矜持がある。
 心配して止めたところで、簡単に引き下がらないだろう。
 仕方がないとグリゼルダは一旦考えるの止め、レオの無事を密かに祈るのだった。


  ◆


「ここが、これから私たちが暮らす家……」

 以前に暮らしていたテントよりも遥かに大きくて立派な建物を、驚きを隠せない様子で見上げるアリスン。
 エタニア時代の遺跡をいうこともあり、少し古ぼけてはいるものの建物の造りはしっかりとしている。
 取り敢えずの拠点にと、比較的マシな損傷だった寺院を〈進化の護り人〉たちの手を借りて改装したのだ。
 嘗ては、ダーナも暮らしていた思い出のある場所だ。
 大樹に仕える巫女や神官たちが共同生活をしていたとあって、かなりの部屋数がある。
 しかも、ベルの要望で食堂の他、大きな書庫や草花が植えられた庭園、大浴場も完備されていた。

「こちらの部屋を使ってください。足りないものは仰って頂ければ、すぐに手配しますので」
「はい。ありがとうございます」

 まだ呆然とした表情を浮かべる夫に代わって、ここまで案内してくれたラクシャに礼を言うアリスン。
 ラクシャは、あれからずっとベルの研究や島の開発に協力していた。
 リィンから留守を任されたと言うことも理由にあるが、ゆっくりと自分の為すべきことを見つめ直したいという考えがあってのことだ。
 そんなラクシャの意思を尊重するように、執事のフランツもベルたちに力を貸している。

「この子が、アリスンさんのお子さんですか?」

 うっとりした笑みを浮べて赤ん坊を眺めるラクシャを見て、アリスンは苦笑を漏らしながら、

「抱いてみますか?」

 そう尋ねる。
 思わぬ提案に驚きつつも、どうしたものかと困惑の表情を浮かべるラクシャ。
 アリスンの子供は生後一ヶ月と経ってないこともあって、まだしっかりと首が据わっていない。
 興味が無いと言えば嘘になるが、抱くのが怖いという気持ちの方が大きかった。
 確かに、小さな赤ん坊は触れると壊れてしまいそうな印象がある。
 そんなラクシャの不安を察してか、

「大丈夫ですよ。こうして腕でしっかりと頭と首を支えてあげて、もう一方の腕で――」

 丁寧にレクチャーしながら、アリスンは赤ん坊をそっとラクシャに抱かせる。
 そして、腕のなかに伝わる赤ん坊の温もりに感動を覚え、目を輝かせるラクシャ。
 遠慮はしていても、やはり内心では興味があったのだろう。

「女の子≠ネんですよね? あの……名前は……」
「夫と相談して、アウロラと名付けました」

 アウロラとは、ロムンで『暁』を意味する言葉だ。
 アリスンがどうしてその名前を付けたのかを察して、ラクシャは納得の表情を見せる。

「一つ、聞いてもいいですか?」
「はい? なんでしょうか?」
「アリスンさんたちは、どうしてまたこの島へ?」

 夫婦で仕立て屋を営んでいるという話を、ラクシャはアリスンから聞いていた。
 なのに、まさか街での生活を捨てて、この島へ移住してくるとは思っていなかったのだ。
 だが、それには事情があった。

「その……実は店がなくなっていたんです」
「え?」

 一ヶ月以上もの間、漂流生活を強いられていたのだ。
 世間ではロンバルディア号に乗船していた人々は、船員を含めて全員が死亡したと思われていた。
 そのため、帰りを待つ家族がいる者は良いが、それ以外の者に関しては財産を処分され、帰る家を失っている者もいたのだ。
 アリスンとエドの店も、遺族を名乗る親戚がやってきて競売に掛けてしまったらしい。
 既に店は人手に渡っていて途方に暮れていたところ、グリゼルダからセイレン島への移住を勧められたとの話だった。

「そんなことが……」
「でも、これでよかったのだと思います」

 そう、アリスンが話すのには理由があった。
 いままで誰一人として無事に帰った者はいないとされる魔の海域。そこから奇跡的な生還を果たしたロンバルディア号の乗客は、島のことを知る貴重な生き証人と言っていい。そのため、保護しているロンバルディア号の乗客を引き渡すようにと、ロムン本国からグリゼルダに対しても命令が通達されていた。
 それを拒否したために叛意の疑いを掛けられ、予定よりも早くセルセタに新たな総督と艦隊が派遣されることが決まったのだ。
 カーラン卿も時間を稼ごうと交渉を行ったみたいだが、ロムンの上層部は聞く耳を持たないと言った有様だったらしい。
 恐らくは以前からグリゼルダを始末する機会を窺っていたのだろうというのが、カーラン卿の考えだった。
 それにグリークの海軍にしても、セイレン島から生きて帰った漂流者など邪魔な存在でしかない。ひょっとしたら百年前の真実に気付いた者がいるかもしれないのだ。伝統ある海軍の威信を保つためにも、放っては置けないだろう。

 そうしたことから、他の漂流者たちも危険な状況に立たされていた。
 バルバロス船長だけでなく、サハドが家族を連れて島への移住を決めたのも、それが理由だ。
 カトリーンもロムン本国で鍛冶屋を営んでいたが、既にそこにも国の手が回っていたらしい。祖父のことは心配だが、国に脅されて屈するほど柔な性格をしていないことは孫娘のカトリーンが一番よく知っている。それに、家族のことは任せろと言ったエアランの言葉やグリゼルダの説得もあり、セイレン島への避難を決めたのだった。
 ディナは商売の匂いを嗅ぎつけて、ニアは新たな信仰を見つけてと言ったところだが、他にも移住を決めている漂流者はいた。
 今回は事情があって同行しなかったが、家族で食堂を営んでいるというミラルダや、ロンバルディア号の元船員のカシュー。それに医学生のリヒトなどが、そうだ。
 彼等も家族共々、現在はグリゼルダの庇護下にあった。

「なるほど、そんなことが……」

 皆の近況をアリスンから聞いて、複雑な心境を表情に滲ませるラクシャ。
 ある程度、予想できていたこととはいえ、想像以上に自分たちが厳しい立場に置かれているというのを自覚してのことだった。
 こうしてみると当事者である自分たちよりも、リィンの方が正確に状況を把握していたことが窺えるとラクシャは振り返る。
 だが、それも無理はない。リィンは猟兵だ。ラクシャたちと比べれば、こうした状況に良くも悪くも慣れている側の人間だ。
 この状況を予測していたと言うよりは、最悪の事態を想定して動くことに慣れているが故だった。

「ですが、安心してください。ここにいれば安全≠ナす」

 不安がないと言えば嘘になるが、少なくともそこだけはラクシャはまったく疑っていなかった。
 アリスンも同じ気持ちなのか、ラクシャの励ましに頷き返す。
 しかし、

「ううっ……本当に大丈夫かな? もし、アリスンやアウロラに何かあれば、僕は……!?」

 アリスンに背中を押されて移住を決めものの、不安を隠せず部屋の中を右往左往するエドの姿があった。
 そんなエドを見て、不安に思う気持ちは分からなくもないが、アリスンが落ち着いているというのに情けないとラクシャは呆れる。
 こういう時、男よりも女の方が肝が据わっているという話は、どの世界でも同じと言うことだろう。

「落ち着いて、エド。アドルさんやラクシャさん。それにリィンさんたちの助けがなければ、私たちは生きて島をでることが出来なかった。それにこの子も……」

 無事に生まれてくることはなかった、と憂いを帯びた表情でアリスンは話す。
 この島への移住を決めた最大の理由。それは、やはり――リィンたちに対する絶対的な信頼に他ならなかった。
 自分たちの運命を託してもいい。そう思えるほどにリィンたちに感謝しているからこそ、アリスンは島への移住を決断したのだ。
 だから、生まれてきた赤ん坊にも『アウロラ』という名前を付けたのだ。

「そうだね。うん、アリスンの言うとおりだ」

 まだ不安を隠せない様子ではあるが、自分に言い聞かせるように頷くエド。
 そんな二人を見て、ラクシャは苦笑する。
 どちらが夫婦の主導権を握っているのか、誰の目にも明らかだったからだ。
 その直後、赤ん坊の泣き声が部屋に響く。

「え!? 急にどうしたのです……か?」

 急に泣き出した赤ん坊に狼狽えるも、ポタポタと腕を伝って床にこぼれ落ちる生温かい液体に気付き、

「あっ」

 ラクシャは呆然とした声を漏らすのだった。



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