月明かりの下、道場の裏庭で鍛練に励むクルト。
 そして近くの石段には、ぼーっとした顔で練習風景を眺めるレイフォンの姿があった。
 いつもなら声を掛けずとも自分から練習に割り込んでくるレイフォンが、珍しく今日は大人しくしているのをクルトは訝しみながら黙々と剣を振る。
 しかし、

「真の達人って、変身するんだね……」
「……キミは何を言ってるんだ?」

 剣を振っていると意味不明なことを呟かれ、さすがに気になってクルトは聞き返す。
 今日のレイフォンはどこか様子がおかしかった。

「もしかして、リィンさんと何かあったのか?」

 朝はリィンと出掛けると言って、傍目から見ても分かるほどにテンションが高かったのだ。
 それが夜には一転して、この気の抜けた反応だ。
 リィンと何かあったのでは? とクルトが訝しむのも当然だった。

「リィンさんは変身する度に強くなるんだよ」
「……は?」

 しかし返ってきた答えに、益々意味が分からないと言った表情を見せるクルト。

「しかも、三回も変身できるんだって……」

 重症だ……と、クルトは心配そうにレイフォンを見る。しかし、レイフォンは至極真面目だった。
 リィンから突きつけられた条件。半年以内に皆伝へ至れと言われた時には、厳しい条件だと思ったのだ。
 しかし、リィンとオリエの戦いを見た後では、無茶な条件だとは言えなかった。
 最低でも、そのくらいの強さがなければ〈暁の旅団〉ではやっていけない。無駄死にするだけだ。猟兵の世界の厳しさを教えられたような気がしたからだ。
 たぶんリィンはそのことを教えるためにオリエの挑戦を受けたのだろうと、レイフォンは考えていた。
 だからと言って簡単に諦められるようなら、『団に入れて欲しい』なんて言葉を軽々と口にはしない。
 一目惚れだった。リィンの強さ、リィンの在り方に憧れ、この人に剣を捧げたい。そう心の底から思ったのだ。
 では、どうすればリィンのように強くなれるのか? 真剣にレイフォンは考える。
 達人の領域へ。皆伝に至るために必要なこと。それは――

「取り敢えず、私も変身するしかないよね」
「いや、何を言って……」

 何が取り敢えずなのか?
 もう、まったく話しについて行けないと言った様子で、クルトは困惑の声を漏らす。

「そうと決まったら、まずはカタチ≠ゥらよね!」

 急に元気を取り戻しかと思うと勢いよく立ち上がり、走り去っていくレイフォンの背中をクルトは呆然とした顔で見送るのだった。


   ◆


 道場の屋根に腰を下ろし、リィンは〈ユグドラシル〉の通信機能を使い、アリサと連絡を交わしていた。
 距離を問わず何処でも通信が可能というアーティファクトの能力をクォーツに封じ込め、アプリ化したものだ。

『帝国学術院で開かれる学会ね。なるほど、その手があったか……』

 帝国学術院で毎年開かれている学会のことは、アリサも知っていた。
 しかし、参加したことは一度もなく、例年通りであれば二月に開かれていたことから失念していたのだ。

「ラインフォルトには、招待状が届いてなかったのか?」
『お祖父様は招待されてると思うけど……』
「うん? なら、グエン老もきてるのか?」

 リィンがオリエから見せてもらったリストには、グエンの名前は載っていなかった。
 どういうことかと、訝しむリィンにアリサは答える。

『毎年、招待状は届いているみたいだけど参加は断ってるみたいよ。自分は職人≠ナ研究者≠ナはないからって』

 そういうことか、とリィンは納得する。グエンらしい理由だと思ったからだ。
 アリサもどちらかと言えば、グエンに似て研究者より技術者としての側面が強い。
 ゼロから新たな技術を研究・開発すると言うよりは、既存の技術を発展させることに長けているからだ。
 騎神専用兵装の〈アロンダイト〉や、戦術オーブメントの拡張デバイス〈ユグドラシル〉がその最たる例と言って良いだろう。
 どちらも技術的には目新しいものを使っていない。後者に関しては異世界の技術が用いられているが、それもイオの協力があったから実現できたようなものだ。
 アリサが自分の功績をひけらかさないのは、そうしたことを理解しているからだった。

『でも、そういうことなら私もお祖父様の付き添いで参加すべきだったかしら?』

 毎年、参加を辞退しているグエンではあるが、孫娘の頼みなら嫌とは言わないだろう。
 それにフランツの件もある。事情を話せば協力してくれる可能性は高いとアリサは見ていた。

「こっちのことは俺に任せて、お前はまず自分の為すべきことをしろ」

 しかし、リィンは首を横に振りながら自分のことに集中しろと話す。
 父親のことが気になるのだろうが、まずアリサは母親と向き合うべきだとリィンは考えていた。

『むう……そんなことを言って、帝都で新しい女≠作ってたりしないわよね?』
「……リーシャが一緒なのに、そんなこと出来る訳がないだろ」
『でも、リーシャは護衛のために女学院へ潜入してるんでしょ?』

 女の勘と言ったところか?
 しつこく聞いてくるアリサに、リィンは内心『鋭いな……』と思いつつも誤魔化す。

「俺が厄介になってるのは、ミュラーの実家だぞ?」
『でも、エリゼやアルフィン殿下の例もあるし……』
「ミュラーの兄弟は弟≠セけだ」

 嘘は言っていない。
 腹違いの弟と言うことで余り似ていないが、ミュラーの兄弟はクルトだけだ。
 姉や妹はいないと聞いて、ほっとした表情を浮かべるアリサだったが、まだ微妙に納得が行かない様子でリィンに尋ねる。

『……人妻はダメよ?』
「ティオといい、お前といい……俺をなんだと思ってるんだ」

 ティオと同じような心配をされ、きっぱりとリィンは否定する。
 さすがにアリサも自分で言っておいてそれはないかと考え、これ以上の追求を止める。
 ミュラーの歳を考えれば、母親もそこそこの年齢と考えるのが普通だからだ。

『まあ、幾らリィンでもそこまで節操なしではないわよね』

 酷い言いようだが、下手にツッコミを入れると墓穴を掘りかねないとリィンは我慢する。
 実際には、オリエの見た目は二十半ばでも通用するくらいだ。
 それもマテウスの後添いで、クルトを生んだのが十代であることを考えれば、実はミュラーとそう歳が変わらない。
 自分の母親よりも若いと言うことをアリサが知れば、確実に要らぬ詮索をされると考えたからだ。

「それより、そっちはどうなんだ?」

 誤魔化すように話題を変えるリィン。いまアリサはルーレから連絡をしてきていた。
 クロスベルからの連絡船を使い、ルーレの空港に到着したのが今日の夕方過ぎだったらしい。
 無事に母親に会えたのかと言った質問だったのだが――

『……まだ、母様には会えてないわ』

 眉根を寄せ、不機嫌そうな顔でアリサはそう答える。
 イリーナはアリサの母親であると同時に、ラインフォル社の会長でもある。
 その仕事は多忙を極め、分刻みのスケジュールに追われている。家族と言えど、簡単に会える訳では無かった。
 勿論そんなことはアリサも最初から承知していた。
 だからシャロンにイリーナのスケジュールを調べてもらい、事前にアポイントまで取って予定を合わせて帰省したのだ。
 そして、改装を終えたばかりの自宅でイリーナの帰りを待っていたのだが、約束の時間になってもイリーナは帰って来ず――会社に連絡を入れてみれば、急な予定が入って今日は家に帰れないとの話を本人からではなく秘書の一人から聞かされたのだった。

『家族との時間よりも仕事、仕事、仕事って――あの人は、いつもそう!』

 余程、腹に据えかねていたのだろう。
 イリーナに対する怒りや不満を口にするアリサ。
 そんな彼女の愚痴を聞かされ、リィンはなんとも言えない顔になる。

(……これを察して逃げたな)

 通信の向こうにフィーやシャロンが一緒にいないのが、少し気になっていたのだ。
 恐らくは、こうなることがわかっていて退避したのだろうとリィンは察する。
 シャロンの場合は単に面白がっているだけだろうが、何れにせよ面倒なことになったとリィンは思う。

『ちょっと、リィン。話を聞いてるの?』

 訝しげな声でアリサに尋ねられ、「ああ」と気のない返事をするリィン。
 このあと三十分以上、リィンはアリサの愚痴に付き合うことになるのだった。


  ◆


「酷い目に遭った……」

 そっと窓から部屋に戻ると、倒れ込むようにベッドへ横になるリィン。
 ただの定時連絡のつもりが浮気を疑われ、アリサの愚痴に付き合わされたのだ。
 とはいえ、余計なことを口にすれば自分に飛び火することがわかっていたので、黙って愚痴を聞くしかなかった。
 これも日頃の行いの結果と言えなくもないだろう。
 実際オリエの件はともかくレイフォンのことは、アリサの誤解と言い切れないからだ。

「しかし……」

 アリサはいつものことと怒っていたが、リィンはイリーナが約束をすっぽかしたことが気になっていた。
 ラインフォルト社の会長ともなれば、多忙を極める立場であることは理解している。
 それでも、あのシャロンが下調べをして予定の調整を行なったのだ。連絡ミスという線は薄いだろう。
 だとすれば、少なくともイリーナの予定は急用が入るまでは空いていたと言うことになる。

「娘との約束よりも優先する予定か……」

 どうにも嫌な予感がする、とリィンは眉間にしわを寄せる。
 ただの勘だ。しかし、余りにタイミングが良すぎる気がしてならなかった。
 そう、リィンが気になっているのは、アイゼングラーフ号を狙ってきた新型列車砲≠フ件だ。
 ラインフォルト社の協力がなければ、あんなものを開発するのは不可能だ。そして当然の疑問だが、イリーナが新型の列車砲のことを知らなかったとは思えない。ただ依頼を受け、製造に関わっていただけならそれでいい。しかし、どのような用途に使われるかを知っていて、新型列車砲の製造・開発を引き受けたのだとすれば――

(イリーナ・ラインフォルトはバラッド候と……いや、フランツ・ラインフォルトと繋がっている可能性が高い)

 アリサには言わなかったが、その可能性は随分と高まったとリィンは見ていた。
 実のところリィンがフィーをアリサの護衛につけたのは、最初からイリーナのことを疑っていたからだった。

(仮にイリーナがフランツと繋がっているとすれば、ゼノたちがどう出て来るか……)

 その場合は、イリーナに雇われている〈西風〉のメンバーも敵に回る可能性が高いとリィンは考える。
 ゼノとレオニダスのことだ。仮に敵対することになったとしても、私情を挟むことはないだろう。
 リィンも二人と戦場でまみえることになっても、手心を加えるつもりはなかった。
 情にほだされ、油断をした者から死んでいく。それが、戦場のルールだからだ。

(まあ、その辺りフィーなら心配は要らないか)

 そのことはフィーも理解しているはずだ。
 それを疑うと言うことは、フィーを信頼していないと言うことになる。
 フィーもアリサの護衛を引き受けた時から、ゼノやレオニダスが敵に回る可能性には気付いているに違いないとリィンは信じていた。
 とはいえ、

(……保険は必要か)

 幾らフィーでも、あの二人を一人で相手にするのは厳しいはずだ。
 それに、敵が二人だけとは限らない。
 念には念を入れておく必要があるとリィンは考え、上半身を起こすと上着のポケットに手を伸ばす。
 そして、

「――俺だ。相談したいことがある」

 ARCUSUの通信機能を使い、昔馴染みの女≠ノ連絡を取るのだった。



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