七耀歴一二〇五年、十二月三十一日。
 クロスベルの歓楽街にあるアルカンシェルでは、年明けに開かれる公演の準備が忙しく進められていた。
 そんななか――

「へえ……」

 舞台の上で気合いの入った演技を見せるシュリを観客席から眺め、イリアは珍しく感心した様子を見せる。
 リーシャが猟兵団の仕事で留守にしているとあって、その代役はシュリが務めることが決まっていた。
 初めての大役。だからこそ、気合いも入っているのだろうが――

「シュリ、良い演技だったわよ。これまでで一番の出来ね」
「よし!」

 憧れのイリアに褒められて、思わずガッツポーズを取るシュリ。
 運動センスは悪くないのだが、女らしさに欠けるところが以前のシュリにはあった。
 そのため、まだシュリにはリーシャの代役は難しいとイリアは考えていたのだ。
 しかし、良い意味で期待を裏切られた。
 少し前までのシュリからは考えられないような色気≠舞台から感じたからだ。

「ねえ、シュリ」
「ん?」
「好きな男でも出来た?」

 唐突に予想だにしなかったことをイリアに尋ねられ、シュリは口に含んでいた飲み物を噴き出す。
 まったく身に覚えのないことにシュリは反論するのだが――

「そ、そんな訳ないだろ!」
「そう? その割には、妙に色気が出て来た気がするのよね。男心を刺激する見せ方を心得ているというか」

 イリアの疑問に思い当たる節があるのか、シュリは言葉を詰まらせる。
 リィンに紹介されたメイド喫茶の店で、現在もシュリはバイトを続けていた。
 思っていた以上に給料が良かったことも理由にあるが、馴染みの客が増えて少し仕事が楽しくなってきたためだ。
 しかし、イリアに訝しげな視線を向けられ――

「その顔、何か隠してるでしょ?」

 ギクッ、と表情を強張らせるシュリ。

「ほら、さっさと白状しなさい。でないと――」

 わなわなと両手を動かし、尚もしつこく追及してくるイリアに対して、頑なに口を割ろうとしないシュリ。
 あんな姿をイリアに見られる訳にはいかないと、シュリは必死の抵抗を試みるのだった。


  ◆


『あ、やっと繋がった。ティオ、聞こえてる?』
「え? キーアなのですか?」

 通信に出てみればスピーカーからキーアの声が聞こえ、ティオは驚きの声を漏らす。

『あれ? リィンから聞いてない? 確か、手を組んだんだよね?』
「そう言えば、他にも協力者をつけると言っていましたが……まさか、キーアのことなのですか?」
『たぶん、それってレンのことかな?』
「……どういうことですか?」
『レンの紹介でね。いまアルバイト≠してるの』

 キーアの言っている意味が分からないと、困惑を見せるティオ。
 しかし、レンが絡んでいると聞いて嫌な予感を覚える。
 結社の執行者をしていたと言うことも聞いているが、ティオはレンを根っからの悪人だとは思っていない。
 自分と同じ教団の犠牲者と言うこともあるが、レンが家族想いの優しい女の子だと知っているからだ。
 ただ――

「変なアルバイトじゃありませんよね?」

 レンは悪人ではないが善人と言う訳でもない。気まぐれな猫のような存在だ。
 そして、レンが興味を持つようなことと言えば、大抵は危険≠ネことと相場が決まっていた。
 レンから紹介されたアルバイトと聞いて、ティオが心配するのも無理はない。
 しかし、

『うん? 変なアルバイトって何?』
「うっ、それは……」

 純粋な疑問をキーアにぶつけられ、ティオは返答に困った様子で言葉を詰まらせる。
 それに――

『あ、ティオでもお仕事の内容は教えられないからね! 守秘義務だから話せないの。ごめんね』

 キーアにそんなことを言われては、これ以上追及することなど出来るはずもなかった。
 とはいえ、あとでリィンからは絶対に話を聞くと固く心に誓うティオ。
 リィンが今更、キーアを害するような何かするとは思っていないが、それとこれとは話が別だった。
 特務支援課のメンバーにとって、キーアとは特別な存在だ。仲間、家族と言ってもいい。
 保護者の一人として、きちんと話を聞いておく必要があると考えてのことだった。

「もう、その話は良いです。それより、いまクロスベルにいるんですよね?」
『うん、そうだよ』
「どうやって、私の端末に通信を繋いだのですか?」

 無線による導力通信の距離は、実のところそう長くはない。
 同じ地域にいれば問題なく通信を繋ぐことは出来るが、遠くの相手と話をするには中継器が必要だ。
 そして、帝都とクロスベルでは余りに距離が離れすぎている。とても通信が届く距離ではなかった。
 それこそ、軍が使用しているような中継器が複数必要だろう。

『導力ケーブルならクロスベルから帝都にも通ってるよ?』
「え? そんなはずは……」

 確かに無線は届かなくとも、有線を経由すれば通信は可能だ。
 しかしクロスベルから帝都までの長い距離を、導力ケーブルが通っているなどという話をティオは聞いたことがない。
 普通に考えてありえないと口にしようとしたところで、ふとティオの頭に四ヶ月前の事件が過ぎる。

「まさか、線路を使ったのですか?」
『正解!』

 線路には列車を動かすための導力の他、リアルタイムで列車の現在位置などを確認するために通信ケーブルが埋め込まれている。
 人や物資の輸送を円滑にするだけでなく、クロスベルのように帝国全土に通信網を張り巡らせること。
 それが、ギリアス・オズボーンが行なった『鉄道網拡大政策』の実体だったからだ。
 巨神を復活させるために大規模な仕掛けが施されたこともある代物だ。性能や強度の程は折紙付きと言っていい。
 クロスベルのジオフロントに張り巡らされた導力ケーブルと比較しても、十分実用に耐えるものだろう。

「いえ、待ってください。仮に線路を利用したとして、クロスベルと帝都の間には幾つもの関所があるはずです」

 当然、他国に利用されないために帝国も対策は講じている。各地に点在する関所がそうだ。
 人の出入りをチェックするだけでなく、外部からの不正アクセスをそこで未然に防いでいた。
 そのため、普通は帝国政府の許可無くクロスベルから帝都に通信を送ることなど出来ない。
 だとすれば――

「まさか、ハッキングしたのですか?」

 キーアの能力なら十分に可能だと見越した上で、ティオは語尾を強めながら尋ねる。

『大丈夫だよ。総督府の端末を経由しているから発覚する可能性は低いし、証拠も残してないしね』

 自信満々にそう話すキーアに、ティオは頭痛を覚える。
 明らかにレンから悪い影響を受けていると察したからだった。
 とはいえ、キーアが帝国の網に引っ掛かるような失敗をするとは思えない。ましてやレンが一緒なら尚更だ。
 この件は後で厳しくリィンに追及するとして、これからのことをティオはキーアに相談するのだった。


  ◆


「年越しそばですか?」
「ああ、とは言っても蕎麦粉は手に入らなかったからうどん≠ナ代用だけどな」

 年越しうどんと言った方が正しいか?
 と、レイフォンの質問に答えながら手慣れた様子で、寝かせた生地を棒で伸ばしていくリィン。
 そして打ち粉をすると、伸ばした麺を軽快なリズムで等間隔に包丁で切っていく。

「それがうどん≠ナすか?」
「ああ、あとは茹でたら完成だな。ダシは朝から仕込んであるし、具材も鮮度の良い奴を揃えてある」

 朝から市場へ足を運んで仕入れてきたものだ。
 折角なので、具には天ぷらを載せるつもりでリィンは朝から準備を進めていた。
 帝国では馴染みのない料理だが、共和国には蕎麦粉を使った料理もあるという話だった。

(一度、リーシャの生まれた場所にも行ってみたいもんだ)

 猟兵の仕事で共和国へ足を踏み入れたことはあるが、リィンはまだ東方人街には行ったことがなかった。
 東方の料理や文化に興味があるのは確かだが、そこなら大陸東部の情報も得られるのではないかと考えてのことだった。
 東方から移住してきた人々の故郷。遙か東の地では、砂漠化が進んでいると聞く。
 ベルの話によると、砂漠化はマナの減衰が原因だという話だった。
 七耀脈が枯れることで、自然にも影響が出ていると言うことだ。
 だとすれば、このままマナの減衰が進めば、大陸全土が砂漠に覆われる日も遠くないのかもしれない。

(そうなる前に〈空の女神(エイドス)〉が見つかると良いんだけどな……)

 最悪の場合、教会を敵に回してでも〈始まりの地〉を確保する必要が出て来るかもしれない。
 それは最後の手段としたいだけに〈空の女神〉が見つかることをリィンは祈っていた。
 素直に女神が言うことを聞いてくれるとは限らないが、自分のしでかしたことの責任くらいは取らせたいと言うのがリィンの考えだ。

「リィンさんって、料理も上手なんですね」
「……急にどうした?」

 そもそもこのヴァンダール流の道場では、炊事・洗濯・掃除と言った家事は基本的に当番制となっている。
 当然、レイフォンも一通りのことは出来る。むしろ、手際は良い方だった。
 リィンを羨むほど料理下手と言う訳ではないはずなのだが、

「お前だって料理くらい出来るだろ?」
「出来ますけど、こんなの見せられたら女として複雑というか……」

 あくまでレイフォンに出来るのは一般的な家庭料理だ。
 リィンのように素材から吟味し、凝った料理を作れと言われても難しい。
 そもそも喫茶店とはいえ、リィンは自分の店を開いていたことがある。
 プロ顔負けというか、実際にそこらの料理人に引けを取らない腕を持っていた。

「そう言われてもな……」

 いまや半ば趣味と化している料理だが、最初の頃は必要にかられて始めたものだった。
 猟兵の食事と言えば、塩を振って焼くか煮るかと言った料理とも呼べない食事が大半で、手間暇を掛けて料理をすると言った習慣そのものがない。
 団員たちに任せていては、まともな料理になどありつけないからと始めたものだった。
 前世の記憶があり、日本の料理に慣れ親しんだリィンには、とても耐えられる食事ではなかったからだ。
 それからと言うもの団の料理番みたいなことを、リィンはずっとやっていたのだ。
 そんなことを毎日続けていれば、プロ顔負けの腕にもなるというものだった。

「なら、レシピを覚えてみるか?」
「教えてくれるんですか!?」

 結局のところは剣の修行と一緒で、料理も上手くなりたいのなら経験を積み重ねるしかない。
 ようは、やる気の問題だ。その点、レイフォンなら上達も早いだろうとリィンは考える。

「そう、難しいものでもないしな。一緒にやってみるか」
「はい! 頑張ります!」

 まだ最初にだした条件をクリアした訳では無いが、このままいけば半年以内に皆伝へ至る可能性は十分にある。
 少なくとも、ここ数日のレイフォンの頑張りを見て、一時的な気の迷いだとリィンは思っていなかった。
 オリエからの了承も得られている以上、レイフォンが本気なら拒む理由はない。
 ならば、と――

(俺やシャロン以外にも料理の出来る奴が団に入ってくれるのは助かるしな)

 リィンは将来を見越して、レイフォンに料理を教えるのだった。



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