メインストリートを外れ、路地を進んだ先にある一軒の店。
 地下へと続く階段を下りると、そこには導力ランプの明かりがひっそりと点る小洒落た感じの酒場があった。
 ゆったりとしたピアノの旋律が店内に響く中、店員と思しき男性に声を掛けられて、客と思しき金髪の男は右手を軽く左右に振る。

「待ち合わせをしているんだ」

 そう言って店内を見渡すと、男性はカウンター席の奥に目的の人物を見つける。
 そこにいたのは、透き通るような水色の髪をした儚げな雰囲気の美しい女性だった。
 店員にコートを預けると、女性の元へ真っ直ぐ向かう男性。そして、隣の空いた席に腰掛ける。

「珍しいな。お前の方から連絡をしてくるとは――」

 クレア、と親しげな声で女性の名を呼ぶ男性。
 いつもの地味な軍服と違い、女性らしい華やかなドレスを纏ってはいるが、男の言うように彼女はクレア・リーヴェルト本人だった。
 そして、

「ええ、こうしてプライベートで会うのは久し振りですね。ミハイル兄さん」

 男の名は、ミハイル・アーヴィング。クレアと同じ〈鉄道憲兵隊〉に所属する特務少佐だった。
 クレアは彼のことを『兄さん』などと呼んではいるが、実の兄妹と言う訳では無い。
 正確には従兄。クレアの父親と共に、セントアーク市で楽器店を営んでいた共同経営者。
 クレアにとって叔父にあたるその人物の息子こそが、彼――ミハイルだった。

 しかし、名前からも察せられるように彼はリーヴェルトの名を捨て、いまは母方の姓を名乗っている。
 その切っ掛けとなったのがクレアが事故の真相を暴き、叔父を処刑台に送った十年前の事件だった。
 それ以降、ミハイルとは疎遠になっていたのだ。
 再会したのも、ここ数年のことだった。

 士官学院を卒業したばかりのクレアが当時発足して間もない〈鉄道憲兵隊〉にミハイルと同期で配属されたのは、ただの偶然ではないだろうとクレアは思っている。
 恐らくは、二人の関係を知っている人物。ギリアス・オズボーンがそう取り計らったと考えるのが自然だった。
 既に本人が亡くなっている以上、その真意を確かめる術はない。しかし、そうした自分の考えをクレアは半ば確信していた。
 確かにギリアスは大罪を犯した。しかし誰がなんと言おうと、クレアにとってギリアスが恩人であることに変わりはないからだ。
 クレアに叔父の告発を促したのはギリアスだ。しかし、選んだのはクレア自身だ。
 その結果、叔父の家族とは疎遠になってしまったが、クレアは自分のしたことが間違っていたとは思っていなかった。
 だが、

「まだ、あの時のことを引き摺っているのか?」

 ミハイルの言うように、クレアには彼や彼の家族に負い目があった。
 間違ったことをしたとは思っていない。不正の発覚を恐れて父だけでなく、母や弟を殺した叔父を許すことは出来なかった。
 それでも、ミハイルの家族から父親を奪い、彼等の日常を壊してしまったのは事実だ。
 家族を奪われる悲しみや苦しさは知っていたはずなのに、叔父と同じことを自分はしてしまったのではないか?
 そんな悩みをクレアはこの十年、抱き続きていた。ミハイルもそんなクレアの葛藤を理解している。

「もう、いいのではないか?」

 十年前のあの時、思わず父を処刑台へと送ったクレアに母や妹と共に罵声を浴びせてしまったのは事実だ。
 しかし、ミハイルはクレアを憎みきることが出来なかった。
 それどころか、天涯孤独の身となったクレアの身を案じていたのだ。

「母や妹も、きっと本音では後悔をしているはずだ。お前に罵声を浴びせてしまったことな」
「そんなことは……」
「いや、謝らせてくれ。本当はもっと早くに、こうするべきだったと後悔しているくらいなんだ」

 そう言って、クレアに深々と頭を下げるミハイル。それは嘘偽りのない彼の本心だった。
 冷静に考えれば、先にクレアの家族を死に追いやったのはミハイルの父だ。とてもではないが、許されることではない。
 本来であればクレアに憎まれ、許しを請うのは自分たちの方だったはずだとミハイルは考えていた。
 むしろ、こんなにも長い時間――クレアに辛い思いをさせてしまったのは自分たちの責任だと、負い目を感じているのはミハイルの方だった。

「……これを」

 クレアは何も答えず小さな箱をカウンターの上に置き、それをミハイルに手渡す。
 立派な装飾の施された木箱。恐らくは、ただの木箱ではなくオルゴール。
 名のある職人の手によるものだと推察できるが、その箱を手にとってミハイルは目を瞠る。
 箱の上蓋には、クレアとミハイル。二人の父親の名が並んで記されていたからだ。

「まさか、これは……」
「モーガンさんが、生前に父と叔父から預かっていた品だそうです。リィンさんが届けてくださいました」
「リィンだと……まさか、リィン・クラウゼルか?」
「はい。どうかしたのですか?」

 リィンの名前を聞いた途端、驚いた様子を見せるミハイルを訝しみ、クレアは尋ねる。

「いや、そういうことかと思ってな。なるほど、すべて仕組まれていたと言うことか」

 そう言って、ミハイルは一枚の手紙を懐から取りだし、それをクレアに見せる。
 それはモーガンからミハイルに宛てた手紙だった。
 ミハイルの様子。そして、モーガンの手紙。リィンから渡されたオルゴール。
 そこから導き出される答え。すべて理解したクレアも、ミハイルと同じ結論へと至る。

「まさか、この手紙を兄さんに届けたのは……」
「ああ、リィン・クラウゼルだ。最初あの男が尋ねて来た時は、なんの冗談かと思ったがな」

 鉄道憲兵隊でもリィンの動きは警戒していたのだ。
 それが警戒している本人が、堂々と正面から尋ねてくるなどミハイルにとって想定外のことだった。
 しかも、いつの間に知り合ったのか? リーヴェルト社の代表、モーガンの手紙を持参してだ。
 本人は『依頼をされただけだ』と言っていたが、意味が分からず頭を抱えていた矢先にクレアから連絡を貰ったのだった。
 となれば、一連のことはモーガンから依頼されたリィンが仕組んだことと考えるのが自然だった。

「まさか、猟兵が遊撃士みたいなことをするとはな……あの男はなんなんだ」

 呆れた様子でそう話すミハイルを見て、クレアは苦笑する。
 リィンは確かに猟兵だが、普通の猟兵とは違う。
 どう言う経緯でモーガンと知り合ったのかまでは分からないが、リィンらしいと思ってのことだった。

「鍵が掛かっているな。ダイヤルロック式か。クレア、中身は?」
「いえ、まだ……」

 リィンから無理矢理押しつけられはしたが、自分にはこれを手に取る資格がないとでも思っているのだろう。
 モーガンがリィンに手紙を届けさせた理由を察して、ミハイルは一つの提案をする。

「なら、一緒に開けよう」
「兄さん?」
「モーガンさんがこれをクレアに届けるように頼んだのは、そういうことなのだろう」

 普通にオルゴールのことを話したところで、クレアは首を縦に振って素直に受け取らないだろう。
 しかし、リィンからオルゴールを渡されたクレアは直接モーガンに返すことを躊躇い、ミハイルに相談をするはずだ。
 そしてミハイルにも遺品≠フことを記した手紙を予め渡しておくことで、確実に箱の中身≠ェ二人の手に渡るように仕向けたのだと察せられる。
 モーガンの策か? それともリィンの入れ知恵かは分からないが、完全に嵌められたのだとクレアも理解した。

「八桁の暗証番号か。なるほど……」
「何か、思い当たることがあるのですか?」
「随分と昔のことだが、父から一番好きな月≠ヘいつかと聞かれたことがある。お前も心当たりがあるはずだ」
「あ……」

 ミハイルの言うように、幼い頃に父から同じことを尋ねられた記憶がクレアにもあった。
 その問いにクレアは『二月』と答えたのだ。
 ただ単純に、二月が一番寒い月だから。
 暖炉の前で家族と共に過す時間が好きで、最も暖かさ≠強く感じられる月だからと言う理由だった。

「クレア。お前の好きな月は二月≠セったな」
「……覚えていたのですね」
「ああ、そしてイサラは八月。私は十月と答えたのを覚えている」

 イサラというのはミハイルの五つ下の妹のことだ。
 元気一杯の娘で、夏の盛りが好きという理由で八月と答えていた。
 ちなみにミハイルが十月と答えたのは、単純に秋が好きという理由だ。

「クレア……エミルの好きだった月を覚えているか?」

 四人の中で一番年下だった少年。
 クレアの血を分けた弟――エミルの好きな月をミハイルは尋ねる。

「五月です。あの子は春が好きで、なかでも梅雨に入り始める五月が好きでしたから」

 風邪を引くからと注意をしても、よく雨の中を走り回っていたと、懐かしむようにクレアは話す。
 あとは暗証番号を入れる順番だが、これについては大方の予想が出来ていた。
 このオルゴールを二人の父親が子供たちに遺した理由。それを考えれば、自ずと察しが付くからだ。

「……開いたぞ」

 年齢順に暗証番号を入力するミハイル。
 二人の両親は自分の子供だからと贔屓することなく、平等に子供たちを愛していた人たちだった。
 恐らくは、この先もずっと仲睦まじく過して欲しい。
 そんな家族への想いが、このオルゴールには込められているのだろう。

「これは……」

 蓋を開けると懐かしい曲が流れる。いまから十数年前に流行った曲だ。
 そして、中に入っていたのは子供たちの写真だった。同じものが四枚ある。
 若い頃のミハイルとクレア。そして、イサラに――亡くなったクレアの弟、エミルの姿もそこには写っていた。
 随分と昔に、子供たち四人で撮った写真だ。

「クレア。これはお前たち≠フ分だ」

 そう言ってエミルの分と合わせ、二枚の写真をクレアに手渡すミハイル。
 父たちの遺言。その写真に込められた想いは、少なくとも嘘偽りではないはずだ。
 涙を滲ませ、大切そうに写真を胸に抱くクレア。
 まだ、自分を許せそうにはない。それでも――

「ありがとう。兄さん」

 止まっていた時間が少しずつ動き始めた予感を、クレアは覚えるのだった。


  ◆


 久し振りにクレアの元気そうな姿を見て、ほっと安堵の表情を浮かべたのも束の間――

「はあ!? 軍を辞める! ちょっと待て、一体どういう――」

 ミハイルは今日一番の驚きの声を上げる。
 オルゴールのこととか、モーガンの手紙とか、すべてが吹き飛ぶような話をクレアに相談されたからだ。

「まだ、正式に決まったと言う訳では……ですが」

 皇太妃に申し出た後、改めて『お前が欲しい』とリィンに誘われたことをクレアはミハイルに話す。
 ずっと一人で悩んでいたのだが、家族(ミハイル)に思い切って相談をしてみようと思ったためだ。
 しかし、

「いや、それは……おめでとう、と言えばいいのか?」

 妹に『彼氏が出来た』と告白されたような兄の心境で狼狽えるミハイル。
 傍から聞けば、どう考えても惚気話にしか聞こえなかったからだ。
 実際、悩んでいるなどと言ってはいるが、クレアも満更ではなさそうな顔をしていた。
 そのくらい察せられないようでは、家族と言えない。
 むしろ、こんな顔も出来たのだなとミハイルは驚いているくらいだった。

「ですが……」
鉄道憲兵隊(TMP)のことなら心配するな」

 クレアが何を心配しているかを察して、ミハイルはそう答える。
 本音を言えば、クレアの抜けた穴を埋めるのは難しい。
 しかし、彼女に頼り切りなのも拙い状況だと、ミハイルは以前から考えていた。

「それに彼女がいるだろう。トワ・ハーシェル中尉が――」

 四ヶ月前に帝都で起きた暴動を見事な采配で鎮めた功績が認められ、現在トワは中尉に昇進していた。
 機会にも恵まれたとはいえ、昇進の速度だけならクレア以上の才女と言っていい。
 ミハイルも期待を寄せており、実際クレアに迫る活躍をトワは見せている。
 少なくとも、クレアの後継者がいないと言う訳ではなかった。

「まあ、正直なところを言えば、お前が軍を辞めて猟兵団に入るというのは複雑な心境ではあるが……」

 軍を辞めてリィンの誘いに乗ると言うことは〈暁の旅団〉に入ると言うことだ。
 いろいろな意味で、ミハイルがクレアを心配するのも当然だった。
 しかし、

「こっちのことはいい。お前は自分の幸せだけを考えろ」

 実際のところ、元軍人という肩書きを持つ猟兵は少なくない。
 組織に馴染めない者や、まとまった金欲しさに軍を辞めて猟兵に転職する者も少なからずいるからだ。
 それに猟兵という仕事が戦争を生業とする以上、元軍人が多いのも頷ける話ではあった。
 何より、クレア自身の気持ちが最優先だとミハイルは考える。

「だが、お前が軍を辞めるとなると、恐らく騒ぎになるだろうな……」

 クレアほどの軍人が軍を辞めて猟兵団に入るとなると、間違いなく大きな騒ぎとなる。
 軍の中にも反発する者が出て来るだろう。
 それをどう納得させたものかと考えるミハイルに、その心配は要らないとクレアは頭を振る。

「心配は要らない? どういうことだ?」

 そう尋ねてくるミハイルにクレアは少し困った顔で何も答えず、微笑みを返すのだった。



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