いつもの定時連絡を終え、部屋に戻ろうとしたところだった。
 道場に明かりが点っていることに気付き、リィンが顔を覗かせるとオリエが一人で佇んでいた。
 何かを考え込むように物思いに耽るオリエに、リィンは声を掛ける。

「怪我の具合はどうだ?」

 少し驚いた様子で振り返るオリエ。
 いつもの彼女なら、リィンの気配にすぐ気付いただろう。
 だがオリエの表情には、いつもの余裕がなかった。
 まだマテウスとの一件が尾を引いているのだろう。

「お陰様で……エマさんには随分と助けられました」

 大きな借りが出来たと話すオリエに、リィンは苦笑を返す。
 エマは貸し借りなど考えていないだろうし、そもそもオリエに手を貸したのは打算があってのことだ。
 それにマテウスを説得できるのなら最善だが、恐らくは無理だろうとリィンは分かっていてオリエを行かせたのだ。
 感謝されるようなことは何もしていないと言うのが、リィンの本音だった。

「エマから一通り事情は聞いたが、当事者の意見も聞きたい。マテウスと対峙して、感じたことを話してくれるか?」

 リィンに話を聞かれ、オリエは小さく頷くとマテウスと剣を交えた時のことを順を追って話し始める。
 エマから予め話を聞いていたとはいえ、俄には信じがたい話をオリエの口から聞き、眉をひそめるリィン。

「呪い≠ヒ」

 マテウスが身に纏っていたという黒い闘気。マテウス本人の言葉によると、それは呪い≠フ力だという話だった。
 エマからも証言は得ている。リィンの〈鬼の力〉とよく似た瘴気を、確かにマテウスは身に宿していたと言うのだ。
 バラッド候の下についたのは何かしら事情があると分かっていたが、まさか呪い≠ノ身を侵されているとは思ってもいなかった。
 どうやってその力を得たのかは分からないが、状況から言って背後に地精の影があることは間違いない。

(問題は俺の力でマテウスに憑いた呪い≠浄化できるかどうかと言ったところか)

 ローゼリアの話を信じるのであれば、理論上は不可能ではない。
 だが、相手はヴィクターやオーレリアと同格の剣士だ。
 それが呪い≠フ力で強化されているとなると厄介この上ない。
 手加減をして、どうにかなる相手ではない。
 殺す気で挑む必要がある難敵だとリィンは考える。

「マテウスに憑いた呪い≠どうにかする手段はある」
「……本当ですか?」
「だが、手を抜いて勝てる相手じゃない。前にも言ったようにマテウスを殺すことになるかもしれない」

 ――それでも、猟兵(オレ)に助けを求めるのか?
 と、リィンはもう一度、前と同じことをオリエに尋ねるのだった。


  ◆


「はい」

 少しも迷うことなく答えるオリエに、リィンは半ば呆れた表情を見せる。

「はっきりと言うが、俺は無理をしてまでマテウスを助けるつもりはない。状況にもよるが、殺す方が確実だと判断すれば躊躇しない」

 敵はマテウスだけではない。そのことを考えれば、十分にありえる可能性だった。
 仮に仲間の身に危険が迫れば、マテウスの命よりもリィンは間違いなく仲間を優先する。
 オリエとの約束があるとはいえ、あくまでマテウスを助けるのはついでだ。
 優先順位を間違えるつもりはなかった。

「理解しています。あの人が命を落とすことになっても、リィンさんを責めるような真似はしません」
「どうして信じられる? 俺が約束を守るとは限らないだろ?」

 仮の話だが、無理だったと言ってマテウスを殺すこともリィンには出来る。
 言わなければ、本当のことなどオリエには分からないのだ。
 どうして、そこまで信用できるのかとリィンが疑問を口にするのも無理はなかった。

「確かに付き合いは短いですが、人を見る目はあるつもりです。それに――」

 レイフォンだけでなく黄金の羅刹や皇女殿下からも好意を寄せられているリィンが、不誠実な真似をするとは思えないとオリエは答える。

「……皮肉か?」
「いえ、多くの女性から好意を寄せられると言うことは、それだけの魅力がリィンさんにあるからだと私は思っています」

 英雄色を好むと言うが、逆に言えばそれだけ人を引き付ける力がリィンにはあると言うことだ。
 そしてリィンに好意を寄せる女性の多くが、男に頼らずとも生きていけるだけの力を持っている。
 そんな彼女たちからの信頼を得ているという時点で、リィンを信じる理由としては十分だとオリエは考えていた。

「改めて、お願いします。あの人を……マテウスを止めてください」

 本当なら自分の手でケリを付けたかった。
 しかし今の自分では、マテウスに及ばないことをオリエは痛感させられた。
 何かしらの理由があって、マテウスがバラッド候の下についたことも理解している。
 それでもヴァンダールの者として、皇家と対立する道を選んだマテウスの行いを見過ごすことは出来なかった。

「はあ……だから殺されても仕方がないってか?」

 アルノール皇家の守護者。それが、ヴァンダールが代々担ってきた責務だ。
 くだらないとまでは言わない。しかし、

「そこに、お前の意志≠ヘあるのか?」

 オリエが口にしているのは、あくまでヴァンダール家の者としての言葉だ。
 そこにオリエの気持ちが籠もっているかと言えば、そうではないとリィンは感じていた。
 オリエはマテウスを殺されてもリィンを責めるつもりはないと言ったが、家族を殺されて冷静でいられるはずがない。
 どんな事情があろうとも、最愛の人を殺した相手に恨みを抱かずにはいられない。
 それが人として当然の感情だと、リィンは思っていた。
 それに――

「俺は別にマテウスを殺すことになったとしても、俺のことを恨むな。復讐するなと言うつもりはない」

 簡単に殺されてやるつもりもないがな、とリィンは話す。
 自分に殺された者の家族や友人が、復讐に現れたとしてもリィンはそれを否定しない。
 どのような事情があろうと命を奪った者が負うべき覚悟だと思っているからだ。

「失敗したら恨み言の一つや二つ聞いてやる。仇を討ちたいと言うのなら受けて立つ。だから――」

 自分を押し殺すような真似はするな、とリィンはオリエに言い放つのだった。


  ◆


「……厳しい人」

 そして、とても優しい人だと、リィンが去った道場でオリエは呟く。
 最初から、すべてリィンには見抜かれていたのだと察してことだった。
 マテウスのことは今も愛している。最愛の夫を殺されてもいいなどと思えるはずもない。
 だから誰かに委ねるのではなく自分の手でマテウスを殺すつもりで、彼の元へと出向いたのだ。
 いや、そうではない――とオリエは頭を振る。

「死に場所を求めていたのは、私の方」

 仮にマテウスを止めることが叶わずとも愛する夫の手で死ねるならと、そんなことをオリエは心の何処かで考えていた。
 リィンがエマをつけたのは、そんな心の弱さを見抜いていたからだとオリエは察する。
 そして、マテウスもきっと気付いていた。
 だから敢えてトドメを刺さず、オリエを逃がしたのだ。

「私の意志。私が本当にしたいことは……」

 もう出来ることは何もないと思っていた。
 でも、まだやれることが、為すべきことがあるとオリエは気付かされる。
 ヴァンダールの名誉を守るためではない。
 家族のために、母親として子供たちにしてやれることを考えるのだった。


  ◆


「母上? これは……」
「ヴァンダール流の開祖ロランが使っていたと言われる双剣です」
「いえ、それは存じていますが、どうしてこれを自分に……」

 ロランが愛用したとされる双剣は、剣士にとって憧れの品の一つだ。
 ましてや開祖ロランと同じ双剣術を学ぶ者として、クルトもロランの双剣には強い思い入れがあった。
 だが、マテウスから託されたというその双剣を、オリエが大切にしていたことはクルトも知っている。
 そんな夫婦の絆とも言える剣を渡され、クルトが戸惑うのも無理はなかった。

「母として、あなたに何をしてあげられるかを考えました。その答えが、これです」

 マテウスは道場と息子たちのことを頼むと別れ際に言い残した。
 当然、これからも道場は続けて行くつもりでいる。
 ヴァンダールの剣を、ここを必要としてくれる人々が大勢いるからだ。
 しかしミュラーと同様に、いつかはクルトも自分の道を見つけ、道場を去る日がやって来る。

「あの人と剣を交えて悟ったのです。この剣を、いま必要としているのは私ではないと――」

 あの時、マテウスがロランの双剣を自分に託したのは、御守り代わりだったのだろうとオリエは思う。
 共に戦場に立つことは出来ないが、それでも愛する人の無事を祈ってマテウスは双剣に想いを託したのだ。
 そして、オリエは無事に戦場から生きて帰り、マテウスの子を――クルトをお腹に宿した。

「この剣には私だけでなく、あの人の想いも込められています」

 想いは巡るものだ。
 マテウスから託された想いを、今度は自分が子供たちへと受け継いでいく。
 それが、息子たちのことを託された自分の――母親としての責任だとオリエは考える。

「ですが、この剣を持つ資格が自分には……」

 まだまだ父や兄に遠く及ばないことをクルトは自覚している。
 ヴァンダール家に伝わる宝剣を受け継ぐほどの実力に至っていないと、クルトは考えていた。
 勿論、単純に剣の腕だけで見るならミュラーの方がクルトよりも数段上だ。
 ミュラーの方が宝剣を受け継ぐに相応しいという見方もあるだろう。
 しかし、

「剣は飾って愛でるものではありません」

 ミュラーは剛剣術の使い手だ。仮にロランの双剣を譲ろうとしても、ミュラーは受け取らないだろう。
 ヴァンダールには、類い稀な双剣の使い手がいる。
 自分の弟こそが、ロランの双剣を持つに相応しいと彼なら言うはずだ。

「それにミュラーさんからも相談をされていたのですよ。あなたのために何かしてやれることはないかと」
「……兄上が?」

 オリエからミュラーが心配していたと聞かされ、クルトは何のことか察する。
 セドリックの護衛騎士になれないと分かってから、ミュラーと顔を合わせるのが辛くて避けていたからだ。
 悪いのは兄ではなく自分だとクルトも理解している。その上、リィンにも突っかかるような子供じみた真似をしてしまい後悔していたのだ。

「レイフォンと一緒に、リィンさんについていくつもりなのでしょう?」

 だからリィンについて学ぶことで、甘ったれた自分を鍛え直そうとクルトは考えていた。
 そうでなければ、兄に合わせる顔がない。そう感じていたからだ。
 本当はこっそりと、母にも内緒で家をでるつもりだった。
 でも、見透かされていたことにクルトは驚き、自分の浅はかさを恥じる。

「なら、この剣を必要とする時が、必ずやってくるはずです」

 そう言ってオリエから差し出された双剣を、複雑な想いで受け取るクルト。
 そして、

(重い……こんなにも剣を重く感じたのは初めてだ)

 開祖ロランによってヴァンダール流が興されてから二百五十年の歴史が、この剣には込められている。
 いや、それだけではない。父と母。そして兄の――家族の想いが、この剣には込められていた。
 まだ、この剣に相応しい実力を身に付けたとは思っていない。
 腕もそうだが、心の未熟さをクルトは痛感していた。
 それでも――

「約束します。必ずや、この剣に恥じない剣士になって見せると」

 この剣を託してくれた母や、家族の想いを裏切れない。
 託された剣の重さを実感しながら、クルトは家族と――自分に向けた決意を口にするのだった。


  ◆


 翌朝――

「……メール?」

 リィンの〈ARCUSU〉に一通のメールが届いた。
 差出人はクレア・リーヴェルト。
 クレアらしい丁寧な文章で、直接会って話したいことがあると、そこには書かれていた。

「通信では話せないようなことか」

 思い当たることと言えば、プリシラ皇太妃と約束した例の件しかない。
 恐らくは何かしらの答えをだしたと言うことなのだろうと、リィンはクレアの用件を察する。

(……レイフォンに見つかると面倒だしな)

 周囲に人の気配がないことを確認すると、こっそりとリィンは二階の窓から部屋を抜け出すのだった。



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