「クレアさん。お皿、並べ終わりました。他に手伝えることはありますか?」
「ありがとうございます。では、そこの料理をテーブルへ運んで頂けますか?」
 食堂の入り口で、呆気に取られた表情で立ち尽くすリィンの姿があった。
 無理もない。キッチンに立つエマとオリエに交じって、レイフォンとクレアが仲良く朝食の準備を手伝っていたからだ。
「あ、リィンさん。おはようございます!」
 リィンに気付き、明るい声で挨拶をするレイフォン。
 そんなレイフォンとは対照的に、何があったとリィンは訝しげな表情を見せる。
「……クレアと和解したのか?」
 だからか?
 当然のようにリィンはクレアとのことをレイフォンに尋ねる。
 一方的にレイフォンが食って掛かっていただけではあるが、一晩でこうも仲良くなれるものかと不思議に思ってのことだった。
「はい! クレアさんって凄く良い人ですね! 私、誤解してたみたいで……」
「……誤解?」
 レイフォンの言っていることはよく分からず、説明を求めるようにクレアへ視線をやるリィン。
 そんなリィンの視線に気付き、クレアは何も言わずに苦笑を漏らす。
(何があったかは知らないが……)
 仲が悪いよりは良いだろうと、リィンが自分の席に着こうとした、その時だった。
 着信音に気付き、上着のポケットに手を伸ばすリィン。
 二つ折りにされた〈ARCUSU〉を開くと、画面に表示された名前を確認してリィンは眉をひそめる。
「リィンさん?」
「悪い。先に食べててくれ」
 レイフォンにそう返事をすると、食堂を後にするリィン。
 そして道場の裏手へとでると、周囲に人の気配がないことを確認して通信にでた。
『リィンさん。いま少し良いですか? 相談したいことがあるのですが……』
「なんだ? 何か動きがあったのか?」
 通信の相手はリーシャだった。
 イリーナ・ラインフォルトの監視を命じていた彼女から連絡があったと言うことは、何か動きがあったのだとリィンは推察する。
 オリヴァルトの襲撃騒ぎで帝都は現在、市民に外出を控えるように政府が呼び掛け、軍による厳戒態勢が敷かれている。
 この状況で次の襲撃があるとは思えないが、万が一と言うこともある。
 もしもの可能性をリィンは考え、リーシャに引き続きイリーナの監視を命じておいたのだ。
『動きというか……リィンさんと連絡を取って欲しいと言う方が、目の前にいらしているんです』
「……どういうことだ? イリーナの監視はどうした?」
『実は、見つかってしまって……』
 バツの悪そうな声で、そう話すリーシャにリィンは驚く。
 直接的な戦闘力では、リーシャはリィンやシャーリィに及ばない。フィーにも劣るだろう。
 しかし暗殺者をしていただけあって、隠形術に関しては団でも随一の技術を有している。
 そのリーシャが監視に気付かれるなど、普通なら考え難いことだった。
「俺に会いたいと言っているのは、何処の誰だ?」
 だとすれば、リーシャの監視に気付いた相手と言うのは、超一流の使い手と見て間違いない。
 落ち着いた声からも危険な目に遭っていると言う訳ではなさそうだが、面倒な状況に置かれていることは察せられた。
 しかし、西風との契約はイリーナ自身が切ったと言う話を聞いている。
 リーシャの監視に気付くほどの相手。一体誰が――と訝しむリィンに、
『……昔の雇い主≠ナす』
 リーシャはそう答えるのだった。
  ◆
「お初にお目に掛かります。共和国CID所属、カエラ特務少尉です」
「CID? 確か、中央情報省だったか?」
 共和国の情報機関と言えば〈ロックスミス機関〉が有名だが、あれは大統領直属の機関で軍≠ニの直接的な繋がりは薄い。
 当然、共和国軍にも帝国軍の情報局と同じように、諜報や工作活動を任務とする情報機関が存在する。
 それが、中央情報省(Central Intelligence Department)――通称『CID』だ。
「共和国の諜報員が俺になんの用だ? それに――」
 カエラの隣には、一人の男が控えていた。
 眼鏡を掛けたスーツ姿の男。胡散臭い笑みを浮かべるその東方人≠フことをリィンはよく知っていた。
「ツァオ・リー。どういうつもりだ? 何を企んでる?」
 嘗てのリーシャの雇い主。共和国の東方人街に拠点を構えるマフィア〈黒月〉の幹部の一人だ。
「そう警戒しないでください。こちらにはビジネス≠ナお伺いしただけです。そのついでに、あなたとの仲介を彼女に頼まれましてね」
「……ビジネスだと? その相手は、まさかイリーナ・ラインフォルトか?」
「守秘義務と言いたいところですが、すぐに分かることですしね。ええ、内容までは詳しく話せませんが有意義な商談でした」
 以前リィンも彼から取り引きを持ち掛けられたことがあった。
 はっきりと言えば、油断のならない相手。だが、まったく信用できないかと言えばそうではない。
 野心家ではあるが計算高い男なだけに、感情に左右されることなく物事の判断力が高い。利害が一致すれば強い味方となることをリィンは知っていた。
 恐らくは、商談のために帝都を訪れたと言うのも嘘ではないだろう。だが、余りにタイミングが悪すぎる。
「いま帝都がどう言う状況か分かっているんだろう? よく街の中に入れたな」
「フフッ、蛇の道は蛇……と言いたいところですが、今回は正規の手続きで入国しました。当然、パスポートもあります。何も後ろめたいことはしていませんよ?」
「お前がここにいる時点で十分胡散臭いがな」
 何かあると言っているようなものだと、リィンは白々しいツァオの態度に呆れる。
 だが、ノーザンブリアの背後に共和国の影があると疑われているだけで、まだ共和国の仕業と帝国政府も断定した訳ではない。
 それにノルド高原での睨み合いが今も続いているとはいえ、帝国と共和国は表向き休戦状態にある。
 そのため、両国の行き来には今のところ大きな制限は掛かっていない。
 一応、黒月も表向きは貿易公司を名乗っているので、確かにツァオがここにいるのは問題ないと言えば問題はなかった。
 しかし、
(それで見逃してくれるほど帝国も甘くはないと思うが……)
 ツァオの足取りは帝国情報局も掴んでいるはずだ。
 表立ってツァオを拘束するような真似はしないだろうが、警戒くらいはしているだろう。
(……いや、それが狙いか?)
 ツァオもその程度のことは理解しているはず。
 なのに堂々と帝都へやって来たと言うことは、敢えて目立つ必要があったのだと考えられる。
 その理由として考えられるのは――
「カエラと言ったな。もう一度聞く。俺になんの用だ?」
 この女しかないと察しを付け、リィンは強い口調で尋ねるのだった。
  ◆
「リィンさん! 朝飯も食べないで何処へ行っていたのですか!?」
 玄関口でオリエに出迎えられ、道場に入るリィン。
「悪かった。ちょっとした急用が入ってな」
「……自分が監視対象だということを忘れていませんか?」
 そう言えば、そんな話もあったなとリィンは今更のように思い出す。
 ツァオと同様にリィンも帝国政府からは目を付けられている身だ。
 いや、要注意人物と言う意味では、ツァオよりも重要度の高い位置にした。
 ヴァンダールの預かりと言うことで、ある程度の自由を認められているとはいえ、それはあくまで監視付きでのことだ。
 ほいほいと自由に出歩ける立場にはない。このことが貴族たちの耳に入れば、ヴァンダール家が非難を浴びることになる。
 とはいえ、
「オリヴァルトが襲撃された一件で監視の目も緩んでいるみたいだし、大丈夫だろ」
「そういう問題じゃないと思いますけど……」
 迷惑を掛けないと言う意味なのだろうが、まったく悪びれた様子のないリィンにオリエは呆れる。
「レイフォンには謝っておいてくださいね。リィンさんのためにとクレアさんから料理を習って、今朝早くから準備をしていたんですから」
 それであんなに張り切っていたのかと、レイフォンが朝からテンションが高かった理由をリィンは察する。
 クレアとの間に何があったのかは分からないが、仲が良いのは悪いことではない。
 取り敢えず、後で機嫌を取っておくことをリィンはオリエに約束する。
「……誰か、外にいるのですか?」
「紹介したい奴がいる。おい、入って来い」
 リィンが外に向かって呼び掛けると、一人の女性が姿を見せる。
 スーツ姿がよく似合うセミロングの女性――
「初めまして。ヴァンダールの風御前の噂はかねがね。私は共和国軍CID所属、カエラ特務少尉です」
 共和国CID所属のカエラ少尉だった。
  ◆
「共和国の諜報員……リ、リィンさん!?」
 どういうことなのかと驚きの表情を浮かべ、動揺を隠せない様子でリィンに説明を求めるオリエ。
 確かにリィンと手を組むと約束したことは間違いないが、かと言ってオリエが焦るのも無理はなかった。
 共和国との内通を疑われれば、貴族の非難を浴びるどころの話ではない。ヴァンダール家の存続自体が危うくなるからだ。
「表向き、彼女はレミフェリア≠フ人間と言うことになってる。正規の手続きで取得したパスポートもあるしな」
 それは万が一の場合でも、共和国との関係を疑われる心配はないと言うことを意味していた。
 同時に何かあったとしても国に助けを求めることは出来ないと言うことだが、それだけの覚悟を決めてカエラは帝都へやって来たと言うことだ。
「一体なにが……」
「それは、私からお話します。あなたは信用できる方だと、彼からも太鼓判を頂いているので」
 仮にオリエが裏切ったとしても、リィンが責任を取ると断言したと言うことだ。
 そんな風に言われれば、オリエも引き下がるしかなかった。
 元より、リィンとは一蓮托生の身の上だとは理解しているからだ。
「現在、帝国内に共和国軍の特殊部隊が潜伏しています。部隊名は〈ハーキュリーズ〉。私は彼等を追って来ました」
 共和国軍の特殊部隊が帝国に潜伏していると聞いて、オリエは驚きと共に険しい表情を見せる。
 その話が事実なら、一連の襲撃事件の背後に共和国がいるという話を裏付ける証拠となりかねないからだ。
「お気付きになられたみたいですね。信じてもらえるかは分かりませんが、大統領の命令ではなく一部の高官が功を焦った結果です。恐らくは共和国を非難する口実とするために、彼等は誘き寄せられたのだと私たちは考えています」
 ここ最近、帝国で何が起きているかを、カエラも独自の調査で掴んでいた。
 そのなかでリィンが帝都へやって来ていることを知り、ツァオに仲介を頼んだのだ。
 というのも、潜伏しているはずの部隊との連絡が取れず、捜索が行き詰まっていることに理由があった。
 そして、
「こちらからの呼び掛けには一切応答がなく、彼等がアルスターの襲撃に関わっていた可能性まで浮上してきました」
 火のない所に煙は立たない。
 帝国がノーザンブリアの背後に共和国の存在を疑ったのは、アルスターの襲撃が切っ掛けだった。
 アルスターの襲撃が行なわれた日の前に、共和国のガンシップが帝国西部で目撃されていたからだ。
 勿論それだけで共和国の関与を裏付けることは出来ない。しかし、状況から言って疑わしいことは事実だった。
「一刻も早く彼等を捕らえ、事情を聞く必要があります」
 最悪の場合、ノーザンブリアとの問題だけでは済まず、帝国と共和国の戦争へと発展する恐れがあるとカエラは説明する。
 想像以上に深刻な事態になっていることに気付かされ、オリエは面倒事を持ってきたリィンに恨めしそうな視線を向ける。
 とはいえ、リィンに当たったところで解決する問題ではないことは理解していた。
 むしろ帝国のためを思えば、何も知らないでいるよりかは状況を知れただけでも幸運とオリエは考える。
「その話をして、私に何をさせようと言うのですか?」
 事情は理解した。しかし、リィンがここにカエラを連れてきた目的が分からない。
 カエラが〈ハーキュリーズ〉を捕らえるために、リィンの協力を求めていることは察せられる。
 だが、オリエはヴァンダール家の人間とはいえ、軍属でもない一般人だ。
 たいした力がないことは、オリエ自身が一番よく分かっていた。だからリィンに助けを求めたのだ。
「奴等の手口は見てきたからな。だから目には目を歯には歯を、だ」
「……え?」
「人手を借りたい。ヴァンダールの門下生は帝国全土にいるんだろ?」
 と、リィンはニヤリと笑いながらオリエに尋ねるのだった。
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