「……お金が集まらなかった? スポンサーになってくれる店が一つもなかったのですか?」
「いや、酒場のモーリーさんとかは協力してくれたんだけど……」

 モーリーと言うのは、昨日リィンが騒ぎを起こした宿酒場の女主人だ。
 六年前に亡くなったアッシュの母親とは親友で、何かと彼等のことを気に掛けてくれているお袋的な存在だった。
 スラムでも世話になっている者は少なくなく、頭の上がらない者が多い。ファフニールのメンバーやアッシュもその一人だ。
 他にも魔獣の討伐や薬草採取などの仕事を彼等に回してくれている店などが、事情を聞いて協力はしてくれたらしいのだが――

「これだけ……ですか」

 机の上に広げられた紙幣を見て、マヤは落胆の表情を見せる。
 貴重なお金であることは間違いない。治安の悪化で街を訪れる観光客が減っていて、収益が減っている店も少なくないからだ。
 自分たちも苦しい中、可能な限りの金を工面してくれたのだろう。しかし、猟兵を雇うには少ない。とても足りる金額ではなかった。
 猟兵を雇うには多額のミラを必要とする。少なくとも、この倍――いや、十倍近い金額を用意しなければ、一流の猟兵を雇うことなど出来ない。同情を誘い、金額を負けてくれと頭を下げるのは、猟兵と交渉するには愚の骨頂だ。危険を伴う仕事だし、弾薬もタダではない。猟兵たちは、自分たちの命を交渉のテーブルに載せているのだ。少なくとも猟兵を雇うには、危険に見合うだけの価値があると彼等を納得させるだけのものを提示する必要があることを彼等は知っていた。だからこそ、表情が暗くなる。

「表通りの店は回ったのですか? 小劇場やカジノとか、あの辺りには何軒か高級クラブもありましたよね?」

 一番あてにしていたのが、そうした稼ぎの多い店だった。
 観光客が減って収益が落ちているのは何処の店も同じだが、それでもカジノや高級クラブはそこそこの利益を今も上げている。大衆の宿酒場や下町通りの店を利用するのはラマール州の外からやって来た一般の観光客や地元の人間が大半で、オルディスからやって来るような貴族や軍の高官と言った客たちは、ほとんどが表通りにあるカジノや高級クラブを目当てにやってくるからだ。
 そうした者たちは危険を回避するために護衛を伴ってラクウェルへとやって来るため、治安悪化の影響を受けることは少ない。そもそもの話、そうした懐に余裕がある者ほど娯楽に飢えているので、危ないから行くなと言ったところで他人の言うことを聞くはずもなかった。

「行ったけど、ほとんど門前払いだったよ……」

 スラム出身の――それも不良のレッテルを貼られた彼等の言葉に耳を貸してくれるのは、彼等のことを普段から気に掛けてくれている人たちくらいだ。
 商売の邪魔になる。目障りだから表通りに近付くな、とスラムの住民を遠ざけている店の関係者が、彼等の話を聞いてくれるはずもなかった。
 しかし客商売である以上、そうした店の対応が間違っているとも言えない。金などないため、服なんて何着も持っていないし、何日も風呂に入っていない住民も少なくない。喧嘩程度は日常茶飯事で、スラムがスリやタカリと言った犯罪の温床となっていることも事実ではあるからだ。
 そうしなければ生活がままならないような者がいるとはいえ、店が彼等を客の目に入らない場所に遠ざけようとするのも無理はなかった。

「ここで、ぐだぐだ言っても始まらねえだろ。やれるだけのことはやった。約束の時間まで、もう余り時間がねえ。なら、腹を括るだけだ」
「アッシュ……」

 アッシュの言葉で少し落ち着きを取り戻すが、不安を隠せない様子で下を向く不良たち。
 分からなくもない。偶然とはいえ、あのリィン・クラウゼルと顔を繋ぐことが出来たのだ。
 これで自分たちの街を守れると喜んでいたのに、リィンを雇うのに必要な金が集まらなかったのだから落ち込むのも無理はなかった。
 しかし、彼等は浮かれていたが、なんとなくこうなる予感がアッシュにはあった。
 最近、街の近くで銃撃戦があったとは言っても、まだアルスターのようにラクウェルの街が襲われると決まった訳ではない。それにリィンがこの街に来ていることは既に知れ渡っているのだ。何も彼等を通さずとも直接雇うという方法だってある。そうしたことからスラムの住民を信用して金をだしてくれる人間が、そういるとは思えなかったからだ。むしろ、よくこれだけ集まったものだとさえ思う。

(お袋が生きていたら、まだどうにかなったんだろうが……)

 ふと、そんなことを考えなら苦笑するアッシュ。
 高級クラブに勤めていて稼ぎが良かったこともあって、アッシュの母親は生活が苦しい連中によく食事を振る舞っていた。
 ついでに言えば〈西風の旅団〉のような名の通った猟兵団や、羽振りの良い客を大勢捕まえていたので店も彼女に一目を置いていたのだ。
 アッシュの母親が生きていれば、門前払いとはならなかっただろう。猟兵を雇えるだけの金が集まった可能性は十分にある。
 そもそもリィンがアッシュの話を聞いてくれる気になったのは、その母親のお陰だ。そうでなければ、交渉のテーブルにつけることも難しかっただろう。
 その時点で既に、母親に助けられているとも言えた。なら――

「あとのことは俺に任せろ」

 ここからは自分の仕事だと、アッシュは腹を括る。
 机の上に広げられた紙幣を鞄に押し込むと、その場に仲間たちを残して倉庫を後にしようとするアッシュ。
 最初からリィンとの交渉には、自分一人で出向くつもりでいたからだ。
 しかし、

「私も連れて行って! いえ、ダメと言われても付いていきます!」
「……は?」

 倉庫を出て行こうとしたところで呼び止められ、こいつは何を言ってるんだと言う顔でマヤを見るアッシュ。
 いまから交渉へ出向く相手は、ただの猟兵じゃない。あの『猟兵王』の再来と噂をされる最強の猟兵だ。
 指定された場所もラクウェルで一、二を争う高級クラブ。本来であれば、スラムの人間が立ち入ることなど出来ないような店だ。
 そんな店を待ち合わせの場所に指定する時点で、明らかに試されている。それだけにアッシュは覚悟を決めていた。

「正気か? 同情を誘えば、どうにかなるような甘い相手じゃない。金を用意できなかった以上、代わりにどんな条件をだされるか分かったものじゃない。最悪――」
「……分かっています。ですが、あの人は私を団に誘った。ということは、少なくとも私にその程度≠フ価値は認めてくれていると言うことですよね?」

 アッシュが何を心配しているのかはマヤも察していた。その上で、自分も同席した方が良いと考えての行動だった。
 無言で睨み合う二人。何を言ったところで絶対に引き下がることはないと悟って、アッシュは顔を顰めながら舌を打つ。
 マヤがアッシュの考えを察したように、マヤが何を考えているのかをアッシュも察したからだ。

「アッシュ! 俺たちも――」
「いや、お前等は来るな。どのみち、こんな人数で押し掛けても店の中へは入れて貰えないだろう」

 むしろ店に迷惑を掛けるだけで相手の心象を悪くするだけだと言われれば、彼等も引き下がるしかなかった。
 モーリーが特殊なだけで表通りの店から自分たちがどのように思われているかは、今回の件で痛いほどに彼等も理解させられたからだ。

「大丈夫です。この商談だけは絶対に成功させますから! ほら、アッシュ。行きますよ」
「なんで、お前が仕切ってるんだ……」

 やれやれと頭を掻きながらマヤの後を追い掛けるアッシュ。
 そんな二人の背中を見送りながら、自分たちの力の無さを不良たちは痛感するのだった。


  ◆


「ここが、約束の場所……?」
「ああ、ノイエ・ブラン。ラクウェルでも一、二を争う高級クラブだ」

 クラブと言うよりはホテルのように豪華な外観にマヤは圧倒される。
 近くを何度か通ったことはあるが、これほど店に近付いてじっくりと見上げたことはない。
 それだけに、ここまで立派な店だとは思っていなかったのだ。
 気後れするマヤをその場に残して、店へと歩みを進めるアッシュ。
 慌てて、そんなアッシュの後をマヤは追い掛けるが――

「失礼ですが、ご予約のお客様でしょうか? それとも、どなたかの紹介状をお持ちでしょうか?」

 店の入り口に待機していた黒いスーツ姿の男に呼び止められる。
 明らかに只者では無い気配を発している長身の男を見上げ、思わず息を呑むマヤ。
 服の上からでも分かる鍛え上げられた肉体から察するに、恐らくは元軍人か猟兵と言ったところだろう。
 これほどの男を入り口に待機させている時点で、この店が普通の店ではないことがよく分かる。

「アッシュ・カーバイドだ。それと、こっちはツレ≠セ。リィン・クラウゼルと約束がある。確認を取ってくれるか?」
「……少々お待ちを」

 アッシュの言葉に僅かに目を瞠る男。しかし、すぐに無線で店に確認を取る。
 相手が誰であろうと、お客様である以上は丁寧に対応する。それが、この店の絶対ルールだ。
 仮にリィンの客を追い返すような真似をすれば、自分の首が物理的に飛ぶ可能性すらあると男は考えていた。
 少なくとも、ここが〈赤い星座〉の店であった頃は、客に粗末な対応をして消された者がいる。
 まだ若いと言っても、シグムントと決闘をして店の権利を譲られたばかりか、あのシャーリィを手懐けている猟兵だ。
 リィンのことを甘く見ている者など、この店に一人としていなかった。

「確認が取れました。ようこそ、ノイエ・ブランへ」

 そう言って男は扉を開き、店の中へとアッシュとマヤを招き入れるのだった。


  ◆


 外観にも驚かされたが、内装の豪華さにマヤは再び目を奪われる。
 煌びやかな輝きを放つシャンデリア。床一面に敷き詰められた赤い絨毯。黒光りする革張りのソファーに装飾の見事なテーブル。花瓶などの調度品一つ取っても安っぽい品は一つもない。店で働くボーイたちも対応が丁寧でそれでいて動きに無駄がなく、よく教育されていることが見て取れる。客の相手をするホステスたちも大衆の店にいるような水商売の女とは違い、上品で容姿の整った教養のある美女ばかりが集められていた。
 同じ女のマヤから見ても、思わず見惚れてしまうほどの美女揃いだ。

「こいつは凄えな……」

 ボーイに案内されながら隣を歩くマヤをチラリと一瞥するアッシュ。
 そんなアッシュの不躾な視線を感じ取って、怪訝な顔でマヤは尋ねる。

「何か言いたいことでも?」
「いや、これならたちの悪い$S配は要らないかと思ってな」

 アッシュがどういう心配をしているかを察して納得しつつも、微妙に不満げな顔でアッシュの足を踏みつけるマヤ。
 確かに目の前の女性たちと比べれば、自分が女としての魅力で劣っていることはマヤも理解している。
 しかし、それを面と向かって言われて喜ぶ女はいない。怒るのは当然だった。

「痛ぇ……何しやがる」
「デリカシーのないことを言うからです。今度同じようなこを言ったら撃≠ソます」

 冗談に聞こえず、アッシュは寒気を覚えながら黙る。
 さすがに今日はライフルを持ってきてはいないようだが、それでも後でどんな目に遭わされるか分かったものではない。
 この手の話でマヤをからかうのは二度としないと心に誓った、その時だった。

「女の扱い方がなっちゃいないな」

 死角から掛けられた声に驚き、振り返るアッシュとマヤ。
 そこにいたのは、裾の長いコートを羽織った灰色の髪の男だった。
 腕を組んで壁に背を預ける灰色の髪の男に気付き、ここまで二人を案内してきたボーイは驚きの声を上げる。

「アームブラスト様!? どうして、こちらへ……」
「酒が切れちまってな。ついでにつまみを貰おうと思って厨房に寄ってきた帰りだ」
「そう言ったことは、近くの者に命じて頂ければ……」

 酒瓶と料理の載った皿をボーイに見せながら、まったく悪びれた様子もなくクツクツと笑うクロウ。
 客が自分の足で厨房に酒と料理を取りに行くなど前代未聞だ。こんなことが知れれば、支配人から叱責を受けることになる。
 ボーイの彼が慌てるのも無理はなかった。

「こいつらリィンの客だろ? 俺が案内を代わってやるよ」
「いえ、それは……」

 困惑するボーイに追い打ちを掛けるように、ありえないことを提案するクロウ。
 客に料理を取りに行かせるのも問題だが、客に客の案内をさせるボーイも聞いたことがない。
 なんとか断らないとと考えるが、クロウの強引さに心の底から困った表情で涙するボーイ。
 支配人に叱責されることを覚悟しかけていると、

「彼、困ってるじゃない。そのくらいにしてあげなさい」

 青を基調としたドレスに身を包んだ黒髪の女性が、二人の間に割って入る。
 パッと手に持っていた扇を広げ、口元へと持って行く仕草が妖艶で男心をくすぐる。
 美女を見慣れているボーイの彼ですら、見惚れるほどの大人の色気に溢れた美女だった。

「人を困らせて喜ぶのは悪い癖よ」
「お前にだけは言われたくねえ……」

 どの口が言うかと言った台詞を口にする美女に、クロウは不満げな表情で思ったことを返す。

「ごめんなさいね。彼が仕事の邪魔したみたいで……」
「いえ、そんなことは……クロチルダ様ですね。話は伺っております。それで、案内の者は……?」
「ああ……クロウの気配を辿って、ここまで直接跳んで≠ォたから……入り口は通ってないのよね。大丈夫、場所は分かっているから案内はいらないわよ」
「…………」

 不法侵入であることを堂々と白状するヴィータに「この人も一緒か」と呆れ、ボーイは疲れを表情に滲ませるのだった。



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