ここはサングラール迷宮。イストミア大森林にある魔女の隠れ里――〈エリンの里〉の外れにある遺跡だ。
 帝国各地に点在する精霊窟のように遺跡の内部には魔獣が徘徊していることから修行には打って付けの場所なのだが、どう言う訳か魔獣とではなくユウナとアッシュはローゼリアと一戦を交えていた。
 しかし、

「うむ。今日のところは、このくらいにしておくか」

 戦闘開始から十分ほど経過したところで、ローゼリアは構えを解く。
 そんな彼女の視線の先には額から大粒の汗を滲ませ、肩で息をするユウナとアッシュの姿があった。
 目立った怪我はないものの立っているのもやっとと言った様子が窺える。

「クソッ、化け物かよ」
「はあはあ……ここまで差があるなんて」
「情けないの。これでも随分と手加減をしておると言うのに」

 まったく手も足もでなかったと言うのに、まだ本気ではないと聞かされてアッシュとユウナは目を瞠る。
 多少は腕に覚えがあるだけに、互角とまでは言わずとも二人掛かりなら或いは――と考えていたのだろう。
 しかしローゼリアとの間には、天と地ほどの実力の開きがあった。
 無理もない。少しは腕に覚えがあると言ったところで、それは一般人≠ニ比較をすればと言う話だ。
 裏の世界で名の知れた最高峰の魔女に勝てる道理はない。最初から無理のある勝負≠セった。

「言っておくが、約束は約束じゃ。里をでることはかなわん。妾に一撃すら入れられぬようでは早死にするだけじゃしな」

 何も言い返せず、悔しそうに視線を落とすアッシュ。ユウナとて、それは同じだ。
 自分たちから挑んだ勝負で手加減までされて完膚なきまでに敗れたのだ。これでは言い訳のしようがなかった。
 どうして二人がこんな無謀な勝負をローゼリア相手に挑んだかと言うと、話は数時間前に溯る。
 修行の場を提供してやると言われ、ここサングラール迷宮に連れて来られたところまでは特に問題はなかったのだが、不満げな表情を浮かべる二人に「妾が納得するだけの力を見せればすぐにでも自由にしてやる」とローゼリアが約束したのが事の始まりだった。
 元々、無理矢理に連れて来られたこともあって、ローゼリアのもとで修行をすることに二人は心の底から納得はしていなかったのだ。
 そこに加えて、

 ――いまの御主たちでは、戻っても足手纏いになるだけじゃ。

 と、挑発されては二人の性格からして黙っていられるはずもない。
 上手く乗せられて戦いを挑んだ結果が……これだったと言う訳だ。

「悔しかったら強くなることじゃ。せめて足手纏い≠ニ言われぬ程度にはな」

 見た目は小さな女の子だが、齢は八百歳を超える魔女だ。その実力は本物と言っていい。
 そしてリィンたちがこれから事を構えようとしている敵は、そんなローゼリアですら危険と判断するほどの相手だ。
 これが実戦であれば、間違いなくユウナとアッシュは死んでいた。
 ローゼリアの言うように、いまのままリィンたちについて行っても足手纏いとなる可能性が高い。
 何も言い返さないと言うことは、その程度の自覚は二人にもあるのだろう。

「ああ、そうそう。灰の小僧から連絡があったぞ。期限は一ヶ月だそうじゃ」

 自分たちの未熟さを痛感し、落ち込む二人に対してローゼリアは更に追い討ちを掛ける。
 一ヶ月。それが何を意味するのか分からない二人ではなかった。
 いよいよ戦争が始まるのだと察した上で、それがタイムリミットなのだと悟る。
 それまでにローゼリアを納得させることが出来なければ全てが片付くまで、ここから解放されることはないと考えていいだろう。
 しかし、あと一ヶ月でローゼリアに認めさせるだけの実力を付けることなど、現実的に考えて不可能に近い。
 結局のところ条件をクリアさせるつもりはなくて、諦めさせるための方便なのではないかと言った考えが二人の頭に過る。

「妾は先に帰っておるから、御主らも日が暮れる前に帰って来るのじゃぞ」

 そんな風に思い悩む二人を残して、ローゼリアは転位陣の放つ光の向こうへ姿を消すのであった。


  ◆


「お帰りなさいませ」

 屋敷に戻ると玄関でメイド≠ノ出迎えられ、目を丸くしてローゼリアはその場で固まる。
 今朝リィンから連絡があったので、いま帝国で何が起きようとしているかはローゼリアも知っている。
 メイド――シャロンもその場にいて、話を聞いていたのだ。
 それだけに、まだシャロンが屋敷に残っているとは思っていなかったのだろう。

「……御主、まだおったのか」
「はい。お邪魔でしょうか?」
「邪魔と言うことはないが……御主、ラインフォルト家のメイドであろう? お嬢様のことは放って置いて構わぬのか?」
「そのお嬢様の旦那様になられる御方から、皆様の世話を頼まれましたので」
「……監視の間違いではないじゃろうな?」

 にこにこと笑い、何も言い訳しないシャロンを見て、良い性格をしておるとローゼリアは溜め息を吐く。
 どう捉えようとそちらの自由だと、そういう風にシャロンの沈黙を受け取ったからだ。
 実質、肯定しているも同じだが、だからと言って最初から隠すつもりもないのだろう。
 ならばと――

「里に残るのであれば、御主が彼奴らを鍛えてやれば良いのではないか?」

 世話をするというのであれば、そこまで面倒を見るべきではないかと言ったことを尋ねるローゼリア。
 シャロンがただのメイドではなく、相当の実力者であると見抜いた上での問い掛けだった。
 ローゼリアでも本気のシャロンを相手にするのであれば、負けないまでも無傷では済まないと感じているのだ。
 いまのユウナとアッシュでは、シャロンにすら一撃を入れることは難しいだろう。

「私はただのメイド≠ナすから」
「御主みたいなメイドが他にいてたまるか」
「割といると思いますけど?」

 冗談のような答えを返され、「そんな訳があるか!」とツッコミを入れるローゼリア。
 しかし、南のリベール王国には〈剣狐〉の異名を持ち、四人の執行者と大立ち回りをした執事だっているのだ。シャロンの言うように、探せばいないこともないだろう。
 とはいえ、そんな使用人の方が稀であることだけは間違いなかった。
 ローゼリアが思わずツッコミを入れてしまうのも無理はない。

「それで、彼等はどうですか?」

 見込みはあるのかと言った類の質問をしてくるシャロンに対して、どう答えたものかとローゼリアは逡巡する。
 二人を納得させるために一戦交えはしたが、まだ修行は始まったばかりだ。
 アッシュの場合、喧嘩で培った勘の鋭さには一目置くべき点はあるが、基本がまったく出来ていない。
 ユウナの方も警察学校でトンファーの扱いや格闘技を学んでいたと言っても、圧倒的に実戦経験が不足している。
 現状での二人の実力を言うのであれば、正直に言って素人に毛の生えた程度でしかないというのがローゼリアの感想だった。
 しかし、

「あの生意気な金髪の小僧は、才能だけであれば〈緋〉の娘に匹敵するやもしれぬ」

 いまはまだ、という言葉が頭に付くが、少なくとも見込みがない訳ではない。
 アッシュに関しては、鍛えれば達人の域にまで手が届くかもしれないほどの戦闘センスを有しているとローゼリアは評価していた。
 もっとも才能があると言うだけの話で、現状ではまだまだ原石に過ぎない。
 いま実戦にでても無駄死にするだけだという考えに変わりはない。
 その一方で――

「問題は小娘の方じゃが……あれは才能には恵まれておらんの」

 ユウナにはアッシュほどの才能はないとローゼリアは断じる。
 警察学校で基礎を学んでいたと言うだけあって、それなりに動けるようだが凡才の域をでない。
 同じ訓練をアッシュが受ければ、一ヶ月と掛からずに追い付いてしまう程度の差でしかなかった。
 いまはまだどんぐりの背比べではあるが、少なくとも戦いに関する才能はユウナにはないとはっきり言える。

「……やはり、そうですか」

 ユウナに優れた才がないことは、シャロンも見抜いていたのだろう。
 やるだけ無駄とは言わないが、僅か一ヶ月で目標とするレベルにまで強くなれるかというと難しい。
 しかし、才能がないから諦めろと言ったところで、ユウナは決して折れないだろうと言うことも分かっていた。
 そういうところは――

「才能はない。じゃが、凡才であるが故に妾たちにはないものを持っておる。恐らく小娘に一番近いのは灰の小僧≠カゃな」

 ローゼリアの言うように、リィンに似ているとシャロンは思う。
 強力無比な異能を持つが、それ以外の面についてはリィンも才能に恵まれている方ではない。
 異能を使った技の模倣なんて真似も出来るが、基本的に戦技やアーツを満足に使えないハンデをリィンは背負っていた。
 そう言う意味では、ユウナよりも才能に恵まれていないと言えるだろう。
 だが、それを考慮に入れてもリィンは強い。いや――

「灰の小僧が強いのは、強力な異能を持っているからではない。持たざる者の強さを知っておるからじゃ」

 才能がないからこそ、あそこまで強くなれたのだろう。
 そして、自分と同じ物をユウナから感じ取っているのかもしれないと、ローゼリアは考える。それはシャロンも同意見だった。
 そうでなければローゼリアに依頼してまで、二人を鍛えるような真似はしないだろう。
 このまま隠れ里に軟禁しておくのが、一番面倒が少なくて済むからだ。いつものリィンならそうしたはずだ。

「……化ける可能性があると?」
「それは分からぬ。じゃが、灰の小僧はそれを期待しておるのじゃろう」

 結局のところ、どのような才能があろうとも結果をだせるかどうかは本人次第だ。
 諦めずに努力を続けたからこそ、いまのリィンがある。
 途中で腐っていたら、いまのような強さを手に入れることは出来なかっただろう。

「一ヶ月後が少し楽しみになってきたの」

 時間はそれほどないが、リィンがこれほど気に掛ける二人だ。
 それだけに死に物狂いで努力をすれば或いは――と、ローゼリアも密かに期待を寄せていた。

「そのことですが、お二人と同様にローゼリア様の健康管理もしっかりとさせて頂きますので」
「ん? どういうことじゃ?」
「エマ様から頼まれました。偏食だと聞き及んでいますが、野菜もちゃんと摂って頂きますので」

 まったく予想もしなかった話をされ、放心するローゼリア。
 そして、シャロンの奉仕という名の管理対象に自分も入っていることを気付かされるのであった。


  ◆


「まったく……もう少し信用してくれても良いと思うのじゃが……」
「信用がないのは、普段の素行が原因でしょ?」
「御主にだけは言われとうないわ! この家出娘が!」

 エリンの里の外れにある広場。
 そこで大勢の人が様子を見守る中、子供のような口論を交わすローゼリアとヴィータの姿があった。
 ヴィータの後ろにいるのは、領邦軍に保護されたアルスターの避難民たちだ。
 どう言うつもりでヴィータが彼等を連れてきたのかを察して、ローゼリアは愚痴を溢す。

「まったく灰の小僧といい、御主といい……。ここは一応、隠れ里なのじゃがな」

 本来であれば部外者を里へ招き入れることなどないのだが、ユウナやアッシュだけでなくハーキュリーズの面々やワッズもリィンに頼まれ、里で預かっていた。
 しかも彼等を監視するための人員として、シャロン以外にもカエラや〈暁の旅団〉の関係者が里を出入りしているのだ。
 だと言うのに、更に百人近い人間を預かって欲しいと頼まれたら、ローゼリアが躊躇するのは当然であった。

「彼等を里に入れろとは言わないわ。しばらくの間ここを貸して貰えれば、野営の準備は整えてきたしね」

 避難民を運んできた飛空艇には、雨風を凌ぐためのテントと当面の食糧や水が積まれていた。
 ヴィータにとっても、ここは故郷なのだ。当然、里で暮らす人たちにも、それぞれの生活があることは理解している。
 だから、出来るだけ里の人々に迷惑を掛けないように、こうして準備を整えてきたのだろう。
 そんな気遣いが出来るのであれば、外の人間を連れてくること自体避けて欲しかったのだが、アルスターの話はローゼリアも耳にしていた。
 彼等の村を襲撃したのは、黒の工房の息が掛かった者たちだ。魔女の長として、地精の被害者である彼等を見捨てるのは心苦しい。
 ヴィータもそのことが分かっていて、ここへ連れてきたのだろうとローゼリアは察し、

「妾たち魔女にも責任がないとは言えぬか……」

 アルスターの人々を受け入れることを決める。
 避難してきた人々のなかには、ローゼリアとそれほど背格好の変わらない子供もいるのだ。
 そんな帰る家を失った人々を追い出すような真似も出来ないと考えてのことでもあった。

「……悪いわね」
「迷惑を掛けたと思うのなら、自分の口で皆に詫びるのじゃな」

 せめて里の皆に会っていけと話すローゼリアに、ヴィータは苦笑する。
 そして、

「そうね。イソラさんの墓参りはしておきたいし……」

 ヴィータの口から思い掛けない言葉が返ってきて、ローゼリアは目を瞠る。
 駄目元で言ってみただけで、まさかそのような反応が返ってくるとは思ってもいなかったからだ。
 ちなみにイソラと言うのは、エマの母親の名前だ。
 既に亡くなっているが嘗ては巡回魔女として各地を飛び回っていて、ヴィータが里をでる切っ掛けを作った人物でもあった。

「御主……少し変わったか?」
「否定するつもりはないわ」

 誰のお陰とは言わないが、自分の中に訪れた変化にヴィータ自身も気付いていた。
 だからこそ、ずっと避けていた故郷をこうして頼る気にもなったのだ。
 それに――

「可愛い妹に愛想を尽かされたくはないもの。お祖母ちゃん≠煖Cを付けた方がいいわよ」
「……余計なお世話じゃ」

 里に迷惑を掛けて義理を通さなければ、間違いなくエマは怒る。
 正直、エマを怒らせるのだけは避けたいと言うのが、ヴィータの本音だった。



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