「ミルディーヌ様の姿が見当たらないだと?」
「はい。それで、このような書き置きが部屋に……」

 慌てて執務室に駆け込んできた兵士から手紙を受け取り、さっと目を通すウォレス。
 見覚えのある筆跡とサインに、その手紙をしたためたのがミュゼ本人であることを確信し、一つ溜め息を吐く。
 書き置きには『リィン団長とデートへ行ってきます』とだけ書かれていたからだ。

「放って置いても構わない。どのみち、捜索に兵を割く余裕はないしな」
「……よろしいのですか?」
「オーレリア閣下に勝った男が一緒なのだ。万が一もありえんさ」

 嘗ての上司の名前をだされ、これ以上ない説得力のある言葉に兵士も納得した様子で頷く。
 オーレリアの下で働いたことのある領邦軍の兵士にとっては、この程度のことは日常茶飯事だったからだ。
 そのオーレリアに勝利し、ウォレスさえも認めたほどの男が一緒なのだ。
 そんな男が一緒であれば、確かに護衛の心配は要らないのかもしれないと納得したのだろう。
 とはいえ、せめて一言相談してから出掛けて欲しいというのが本音だったのだろう。
 複雑な表情を滲ませる兵士を見て、ウォレスもその心情を察して苦笑を漏らす。

「気持ちは分かるが、もうしばらくはあの方の好きにさせてやってくれ。こうしていられる時間も、もう余り残されていないのだから」
「それは……」

 表情を曇らせる兵士。ウォレスの言葉で、ようやくミュゼが背負っている重責に思い至ったのだろう。
 仮に計画が上手く行ったとしても、帝国に待ち受けている未来は明るいとは言えない。
 その上、ミュゼは次期カイエン公の有力候補だ。正式に公爵家を継ぐことになれば、いまよりも更に多忙を極める毎日を送ることになる。
 年相応に振るまえるのも、我が儘が許されるのも今だけ。まだ十五と言う年齢を考えると、酷な話であった。

「あの方は聡い。だからこそ、決して臣下には弱味を見せない方だ。我々に出来ることは少ない」
「……暁の旅団の団長には可能だと考えておられるのですか?」
「フッ……何せ〈黄金の羅刹〉や〈氷の乙女〉を口説き落とした男だぞ?」

 ウォレスの妙に説得力のある説明に「なるほど……」と兵士は納得した様子で頷く。
 こうしてリィンの評判に尾ひれがついていくことになるのだが、それは本人の知るところではなかった。


  ◆


 同じ頃――

「……ここが?」
「ええ、月霊窟。私たち魔女が代々管理してきた遺跡よ」

 フィーとアリサはヴィータの案内で月霊窟へとやってきていた。

「この先にリィンがいる訳ね。でも、アルフィン殿下やサラ教官に声を掛けなくて本当によかったの?」

 目的の場所を見上げながら、当然の疑問を口にするアリサ。
 一応、出発の前にも他に声を掛けなくていいのかと、フィーやヴィータに尋ねたのだ。
 関係者と言う意味では、帝国の皇女であるアルフィンは当然関係者と言っていい。
 サラも死んだはずの養父が蘇り、黒の工房に味方をしているのだ。真相は気になっているはずだ。
 なのに自分たちだけが特別な扱いを受けていいのかと気になったのだろう。

「出発する前にも言ったけど、それはやめておいた方がいいわね。お姫様はともかく〈紫電〉は、まだ完全に味方と言う訳ではないのでしょう?」
「それって、どういう……?」
「この先は〈月の霊場〉――真実を映し出す聖域へと繋がっているわ」

 嘘を暴き、真実のみを映す聖域。水鏡の前では、隠しごとが出来ない。
 それは言ってみれば、暁の旅団が隠している秘密まで明るみとなる可能性があると言うことを意味していた。
 ここが魔女にとって神聖な場所というのも理由にあるが、秘密の多いアリサたちの立場をヴィータなりに汲んだのだろう。
 確かにそういう理由ならば、と納得しつつも――

「でも、それならどうしてアルフィン殿下も?」

 アルフィンの同行を認めなかった理由が分からず、アリサは疑問を口にする。
 ヴィータが言うように、アルフィンは〈暁の旅団〉の関係者だ。秘密を共有する仲間と言って良い。
 どちらかと言うと、先にリィンと共に行ったミュゼやオリエの方が部外者≠セ。
 なのにアルフィンを排除した理由が分からなかったのだろう。

「魔女が代々管理してきた〈水鏡〉は、アルノール皇家が所有する〈史書〉とも繋がるアーティファクト。アルノールの血がどう言う反応をするのか分からないから、不確定要素は排除しておきたかったのでしょう」

 リィンが他にも同行者を連れて行きたいと相談した時、ローゼリアがだした条件がアルフィンや教会の人間はその同行者に含めないことだった。
 煌魔城の一件を思い出し、ローゼリアが何を懸念したのかを察するアリサ。
 しかし、そうすると以前から気になっていた疑問が頭を過る。

「そういうことね。でも、アルノール皇家って一体……」
「説明すると長くなるから今は割愛するけど、私たち魔女とも浅からぬ縁がある一族ね。だからこそ、婆様も念を入れたのでしょう。もっとも――」

 もう一人の姫様のことは失念していたみたいだけど、とヴィータは苦笑を漏らす。
 アルノールの血を受け継いでいるのは、皇家だけではない。
 偽帝オルトロスの血を引くカイエン公爵家も皇家ほどではないとはいえ、アルノールの血を継承していた。
 言ってみれば、ミュゼのなかにも皇家の血が流れていると言うことだ。
 ヴィータが誰のことを言っているのか、アリサも察したのだろう。不安げな表情で尋ねる。

「……それって大丈夫なの?」
「分からないわ。でも婆様のうっかりはともかく、あなたたちの団長が気付いていないとも思えない。なら、考えがあってのことなのでしょう?」

 確かに、ミュゼを誘ったのはリィンだと言う話だ。
 だとすれば、そこには何かしらの意味があるのだろうとアリサも考える。
 しかし、フィーの考えは少し違っていた。

「ん……でもリィンはよくやり過ぎるから、最悪の備えはしておくべきだと思う」
「……そうみたいね」

 明らかに雰囲気の変わった霊窟を眺めながら、フィーの言うように悪い予感の方が当たったみたいだとヴィータは確信し、

「これでは、婆様のことは言えないわね」

 深々と溜め息を溢すのだった。


  ◆


 代々巡回魔女となった者が訪れ、穢れを祓い続けてきた霊場。
 魔女にとって聖地とも呼べる神聖な場所が今、炎に包まれ、地獄と化していた。
 崩れ落ちた瓦礫の下敷きになりながら、ローゼリアはこの惨事を引き起こした元凶を見上げる。
 厳かな気配を放ち、宙に佇む炎の魔人。それは――

「まさか、これほどとは……!」

 リィンだった。
 黄金の炎を身に纏ったリィンの姿は、神話に登場する天使や悪魔のようにも見える。
 最悪の可能性が頭を過り、死を覚悟するローゼリア。
 しかし――

「なるほど。強制的に精霊化させられるとは思ってもみなかったが、セリーヌが言っていたのはこういうことか」
「……御主、なんともないのか?」
「何がだ?」

 飄々とした顔でとぼけるリィンを見て、いつものリィンだと確信しながらも唖然とするローゼリア。
 高位の幻獣すらも圧倒するほどの気配を身に纏っていながら、その力に意識を呑まれることなく平然としていることに驚きを隠せないのだろう。

「暴走を心配してるなら、その心配は要らないから安心しろ」
「本当に力に呑まれておらぬのか? 人の身で扱える力ではないぞ? ありえぬ……御主、一体なんなのじゃ?」
「さて、何者なんだろうな? それは俺自身が一番知りたいところなんだが……」

 セイレン島の一件で少し記憶を取り戻したと言っても、夢の中で見た少女や黒い獣の正体も分からないままだ。
 前世の記憶はある程度残っているが、転生に至った経緯など肝心なところは思い出せずにいるのだ。
 何者かと問われても、それはリィンが一番知りたい答えでもあった。

「で? それが、お前の真の姿≠ゥ?」
「……まったく驚いてはおらぬようじゃな」
「予想はしていたからな」

 瓦礫の下敷きとなって横たわる獣≠見下ろしながら、ニヤリと笑うリィン。
 青い翼を生やした灼獣。それが、ローゼリアの真の姿と言えるものだった。
 セリーヌの案内で霊窟の最奥へと足を踏み入れた直後、突然この獣が襲ってきたのだ。
 しかし、結果はこの有様。
 自慢の牙も、爪も、魔術すらもリィンには通じず、灼獣――もといローゼリアは床を這いつくばる醜態を晒していた。

「聖獣の気配がまじってるから加護を受けているもんだと思っていたが、正体が聖獣そのものだったとはな」
「……そうか。そう言えば御主、他の聖獣とも面識があったのじゃったな」

 気配で正体を察せられたのだと知り、リィンが神狼とも面識があったことを思い出すローゼリア。
 しかし、だとすれば獣の正体がローゼリアだと察していながら、これだけ暴れたと言うことになる。
 そのことに気付き、なんとも言えない微妙な表情を浮かべるローゼリア。

「御主、正体を察していながら、これだけ暴れたのか?」
「先に襲ってきたのは、お前だろうが」

 そう言われるとぐうの音もでないのか、押し黙るローゼリア。
 最初に襲い掛かったのは彼女だ。
 むしろ、殺さずに済ませただけでも、リィンからすると優しい対応と言えた。

「それで、どうすればいいんだ? 場をあたためる必要があるんだろ? 続きをやるか?」
「……そこまで察していたか。だが、不要じゃ。もう十分に場は整っておる。これ以上やれば、妾の方が滅ぼされてしまいそうじゃしな……」

 このまま戦いを続ければ、確実に自分は死ぬことになるとローゼリアは確信していた。
 その覚悟も決めてはいたが、死を望んでいる訳ではない。
 殺される前に条件≠ェ整って、むしろ安堵しているくらいだった。

「察するに、この戦いは儀式の前に必要な準備……と言ったところですか。リィン団長の協力が必要というのは、このためだったのですね」
「まあ、それもある。この姿の我と戦える人間など、そうはおらぬからな」

 話に割って入ったミュゼの考えを肯定するローゼリア。
 ミュゼの言うように、これから行なう儀式を成功させるためには場を整える必要があった。
 そのために本気≠フリィンと戦う必要があったのだ。
 だが、リィンの秘めた力はローゼリアの想定を遥かに上回っていた。
 まさか真の姿で戦っても、まったく歯が立たないとは思ってもいなかっただろう。

「だから言ったじゃないですか。リィンさんを試す≠フは危険だと……」

 深々と溜め息を漏らしながら、会話に割って入るエマ。
 セリーヌと共にミュゼとオリエを結界で守りながら様子を窺っていたのだが、こうなるであろうことを予想していたのだろう。

「リィンさんが手加減してくれなかったら死んでましたよ」
「……手加減じゃと?」
「一度も黄金の剣≠使っていませんでしたから」

 エマからこれがリィンの全力ではないと聞き、驚きに目を瞠るローゼリア。
 まさか、手加減されているとは微塵も考えていなかったのだろう。
 しかし、この結果は当然だとエマは話す。

「お祖母ちゃんが聖獣だったことにも驚いたけど……尚更、相性が悪すぎます」

 至宝を消滅させ、神すらも弑する力。
 ならば、女神より生まれし聖獣が敵わぬのは道理だ。
 聖獣にとってリィンは天敵と言っても良い存在だと、エマは説明する。

「……なんと理不尽な存在じゃ」
「普通の人間から見たら、お前等も似たようなもんだけどな」

 理不尽と言う意味では、聖獣もリィンのことを言えるような存在ではない。
 相手が悪かったと言うだけの話で、普通の人間では聖獣を倒すことなど出来ないからだ。
 お互い様だと言われれば、ローゼリアも何も言い返せなかった。

「まあ、よい。場も整ったようだし、本題に入るとするか。どうやら役者も揃ったみたいじゃしな」

 ふう、と溜め息を吐きながら身体に覆い被さった瓦礫を退け、起き上がるローゼリア。
 そして振り返った先には、ようやく追い付いてきたヴィータたちの姿があった。
 ――なんでこんなところに幻獣が!?
 と警戒するアリサをスルーして、ヴィータはローゼリアに声を掛ける。

「随分と派手にやられたみたいね」
「……御主、こうなることを最初から予見しておったな?」
「灰の起動者を甘く見ているみたいだったから、少し痛い目を見た方がいいかと思ってね。さすがにこの惨状は想定外だったけど……水鏡は無事よね?」
「えっと……はい、どうにか」

 瓦礫が散らばり炎に包まれた祭壇を見て、心配そうに尋ねるヴィータにエマが水鏡が無事であることを伝える。
 つい先程まで、ここで人智を越えた戦いが繰り広げられていたのだ。
 むしろ、この程度で済んだことは不幸中の幸いだと、リィンの力を知るエマは考えていた。
 最悪、空間そのものが破壊され、遺跡が跡形もなく消滅しても不思議ではないと予想していたのだろう。

「でも、復旧には随分と時間がかかりそうね。……というか、ここを放棄して他を探した方が早いかも……」

 セリーヌの感想が、現在の月霊窟の状態を最も的確に表していた。
 復旧を試みたところで、少なくとも完全に元通りとは行かないだろう。
 それなら条件に合う場所があれば――と言う条件はつくが、水鏡を何処か別の霊場に移した方が早い。
 ようやくここで何があったのかを察した様子で、呆れた表情をリィンに向けるアリサ。
 皆の視線が集まる中、バツの悪そうな顔を浮かべるリィン。
 そこに――

「リィン……また、やり過ぎた?」
「不可抗力だ」

 フィーのツッコミが虚しく響くのだった。



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