「これがアウロラ≠ナすか」

 カレイジャス二番艦〈アウロラ〉を興味深そうに観察するクローゼ。
 アルセイユの姉妹艦の後継機とも呼べる飛行船だ。クローゼが関心を抱くのは無理もない。

「まさか、本当についてくるとはな。カシウスはともかくユリアも連れて来なかったのは、これが狙いか?」

 リィンの話すユリアとは、リベール王国の少佐にしてクローゼの護衛を務める親衛隊の隊長だ。
 フルネームはユリア・シュバルツ。カシウスから剣の手解きを受けたとあって、王国内でもトップクラスの達人だ。
 いつもならクローゼが外遊する時は必ずと言っていいほど彼女が付き添っていたはずだが、今回は同行すらしていなかった。
 クローゼがレミフェリアへ同行させたのは、アルセイユのクルーと数人の護衛だけ。
 ユリアが一緒であれば、間違いなく止めたはずだ。そのことからリィンが邪推するのも無理はないだろう。
 しかし、

「ご想像にお任せします。でも、いまユリアさんが王国を離れる訳にはいかない事情があるというのは本当のことですよ?」
「そんなことを言ってたな。もしかして、この先の展開を読んでいたのか?」
「最悪の事態を想定して備えているだけです。まあ、実際に女王陛下へそう進言したのは、カシウス准将ですが」
「……百日戦役の英雄は健在と言う訳か」

 カシウスと言えば、元S級遊撃士にして剣聖の異名を取る八葉一刀流の達人というイメージがある。
 しかしカシウス・ブライトの厄介なところは、彼個人の戦闘力などではないとリィンは考えていた。
 いまのカシウスと戦えば、自分が九分九厘勝つとリィンは確信していた。
 だが、団を率いてカシウスが指揮を執る王国軍と事を構えれば、容易くは行かないだろうとも考えていた。
 百日戦役でのカシウスの活躍は王国内に留まらず、いまも各国で語り継がれている。
 十倍以上の兵力差がある中で、王都目前にまで迫っていた帝国軍を退けたのだ。まさに英雄と呼べる偉業だ。
 勿論、カシウスだけの力ではない。当時はまだ珍しかった飛行船を開発したラッセル博士の協力があってこそ為し得たことだ。それに王国軍の奮戦がなければ、飛行船が完成する前に最後の砦であるアーネンブルグを抜かれ、王都は陥落していただろう。
 しかし、それを差し置いてもカシウスの取った作戦が帝国軍の意表を突き、大打撃を与えたことは事実。
 あの時、間違いなく歴史を動かしたのは、英雄カシウス・ブライトだった。

 カシウスの怖いところは、武術で鍛えられた観察眼の高さだ。
 あらゆる先入観を排除し、あるがままを見ることで物事の本質を捉える。
 武術において観の目≠ニも呼ばれる技術。
 恐らくカシウスは、この先に起こるべき事件を予測したのだろう。
 だからこそ王国内に留まり、最悪の事態に備えることを優先した。
 ユリアがリベールに残ったのも同様の理由からだと、リィンはクローゼの話から状況を察する。

「カシウス・ブライトは帝国が再び攻めて来ると考えてる訳か」
「共和国との戦争になれば、リベールを経由するのが効率的ですから」
「置かれている立場は、クロスベルと同じと言うことか」

 帝国と共和国。二つの大国に挟まれているのはクロスベルだけではない。リベールも同じと言うことだ。
 この二つの国が戦争になれば、間違いなくリベールは戦火に呑まれることになる。
 だからと言って常に話し合いでの解決を求め、中立を貫いている王国の立場からすれば、どちらか一方の国に味方するような真似は出来ないだろう。

「なるほど……クローゼがユリア少佐を連れず、最低限の供だけを連れて通商会議に臨んだ意図がようやく分かりました。最初からリィンさんが目的≠セったのですね」

 どこか呆れた口調で、クローゼの企みを暴くアルフィン。
 クローゼの正式な名前は、クローディア・フォン・アウスレーゼ。
 空の至宝を女神より託された一族の末裔にして、リベール王国の次期女王と目されている人物だ。
 そんな彼女が数人の護衛しか引き連れてきていないというのは、アルフィンも腑に落ちなかったのだ。
 王室専用の船、アルセイユのクルーを含めても十数人と言ったところだ。
 しかし、彼女の目的が最初から通商会議にではなくリィンにあったのだとすれば、これらのことにも説明が付く。

「残念ながら戦争となれば、いまの王国に帝国軍の侵攻を止められるだけの力はありません」
「だからリィンさんを巻き込もうと?」
「どちらかと言えば、わたくしたちが巻き込まれた状況のようにも思えますが……」

 クローゼの的を射た指摘に、複雑な表情を滲ませるアルフィン。
 実際、黒の工房との因縁は、どちらかというとリィンの方にある。
 各国は千年にも及ぶ騎神と至宝を巡る戦いに、ただ巻き込まれただけとも言えなくはないのだ。
 アルフィンが反論しないのは、帝国の皇女して多少の責任は感じているのだろう。
 とはいえ――

「アルベリヒとの因縁に巻き込んだことを否定するつもりはないが、俺もヴァリマールの起動者と言うだけで絡まれて迷惑している側だしな」

 文句があるならアルベリヒに直接言ってくれ、とリィンは開き直る。
 そもそも見方を変えれば、確かにリィンも被害者と言えなくはないのだ。
 アルベリヒの目的になど興味がないし、巨イナル一を特に欲している訳でもない。
 騎神の起動者となったのも、紅き終焉の魔王との戦いに備えてのことだった。
 どうせ巻き込まれるのであれば、上手く立ち回って戦力を強化してやろうと考えただけのことだ。

「勿論、タダとは言いません。報酬なしに猟兵を動かせるとは思っていませんから」

 しかし、リィンならそう言うであろうことはクローゼも予想していた。
 だからこそ、ユリアを置いてきたのだ。

「俺たちをミラで雇うつもりか? 確か、王国は猟兵の運用を禁じていたはずだが?」
「はい。ですから、これは個人的≠ネお願いとなります」

 確かにユリアがこの場にいれば、間違いなく反対しただろうとリィンは察する。
 言ってみれば、これはクローゼが〈暁の旅団〉に対して借り≠作ると言うことだ。
 このことが明るみになれば、次期女王としての立場も危ういものとなるだろう。
 いや、この場にいると言うことは、王太女の立場を捨てる覚悟を決めてきたと言うことなのだとリィンは解釈する。

「正気か? お前が後を継がなければ、誰が次の国王になるんだ?」
「デュナン叔父様がいます」
「……女王の甥だったか? 確か、どうしようもない放蕩者だって話を聞いているが?」
「確かにそう呼ばれていた時期もありましたが、いまは心を入れ替えて政務に励んでおられますよ」
「……アリシア女王は了承してるのか?」
「あなたの思うようになさいと仰ってくださいました」

 クローゼの説明を聞き、既に外堀が埋められた後なのだと納得するリィン。
 アリシア女王がどうして、こんなバカげたクローゼの計画に乗ったのか?
 それが分からないほど、リィンは鈍くなかった。
 孫娘の幸せを願わない祖母はいないと言うことだ。

「はあ……分かった。好きにしろ」

 クローゼの望みを聞くかどうかは別として、いまは目の前の問題に意識を切り替えることにする。
 そもそも帝国軍が王国へ侵攻すると、まだ決まった訳ではないのだ。
 最悪そうなる可能性は否定できないが、まだ今なら食い止める手はある。
 実際そうさせないために、これからノーザンブリアへ向かおうとしているのだ。

「リィンさん、よろしいのですか?」
「どこかの誰かさんと一緒で、素直に諦めるとは思えないからな」
「……わたくしのことを言っています?」
「自覚があるようでよかった。まあ、そういうところは嫌いじゃないがな」
「え……リィンさん、いまなんて――」

 後ろで何かを言っているアルフィンを無視して、リィンは船へと向かうのだった。


  ◆


「プリンセスキラー」
「……なんだ、それ?」
「リィンにつけられた二つ名だそうよ。エリゼさんに教わったわ」
「そういうしょうもないことを考えるのは、アルフィンだな」

 エリィの話を聞き、すぐに発案者を言い当てるリィン。
 とはいえ、否定できない程度の自覚はあるのか?
 特に反論もせず、リィンは肩をすくめる。

「それで、クローゼさんのこと。どうするつもりなの?」
「どうもしないさ。最悪≠フ事態は起きないからな」

 リィンの言葉の意図を読み、酷い人ねと溜め息を漏らすエリィ。
 エリィとしては、ノーザンブリアの人々を避難させるだけの時間が稼げれば十分だと考えていた。
 だが、本気なのだと悟る。少なくともリィンは本気で、帝国軍を叩き潰すつもりなのだと――
 ノーザンブリアを救う方法は確かにそれしかない。
 最終的に交渉へ持って行くにしても、戦いを避けることは出来ないだろう。
 しかし、

「今度こそ、暁の旅団は世界の脅威と捉えられるかもしれないわよ?」

 既にクロスベルでの戦闘の結果は、周辺諸国にも伝わっているだろう。
 そしてノーザンブリアでも帝国軍を退けたとなれば、暁の旅団は今まで以上に注目を集めることになる。
 興味を惹くだけであればいいが、その結果、世界の脅威と認識される可能性が高いとエリィは見ていた。
 相手が国であれば、まだいい。国際的なルールや枠組みで、行動を制限することは不可能ではないからだ。
 しかし、彼等は猟兵だ。報酬を得て、依頼を遂行する猟兵団だ。
 自由であるが故に、誰も彼等を縛ることなど出来ない。
 そんな力を共和国を始め、各国の政府が放って置くとは思えないからだ。
 それに――

「七耀教会がこのまま大人しくしているとは思えないわ」

 いまはトマスやロジーヌも協力してくれているが、あくまで協力者であって仲間ではない。
 この先、七耀教会と対立する可能性は、かなりの確率であるとエリィは考えていた。
 リィンやベルの目的を考えれば、敵対しないことの方が難しいからだ。

「ベルから聞いたのか?」
「余り知りたい話ではなかったけどね」

 七曜教会の総本山。アルテリア法国にあるとされる〈始まりの地〉――
 それが自分たちの目的の一つだと、エリィはベルから聞かされたのだ。
 教会にとって聖域とも呼べるものを、素直に見せてくれるとは思えない。

「平和的に話し合いで解決したいところだけど」
「無理だろうな。だから、今回のことは良い機会≠セと思ってる」

 敢えてリィンが茨の道を進もうとしていることを理解して、エリィも覚悟を決める。

「止めないのか?」
「言って聞くような人じゃないと分かっているもの」

 ただ確認しただけで、エリィは最初からリィンを止めるつもりはなかった。
 何があろうとリィンを信じてついていくと、もうとっくに腹を括っているからだ。

「悪いな。いつも心配をかけて」 
「本当に悪いと思ってるなら絶対に生きて帰ってきて」
「……猟兵にその言葉はタブーだぞ?」

 分かり易い死亡フラグを立てるエリィに、リィンは呆れた口調で返す。
 だが互いに信頼しあっているからこそ、こんな冗談も言い合える。

「行ってくる。あとのことは頼む」
「ええ。すべて片付いたら、一緒にアルカンシェルの舞台でも見に行きましょ。勿論、今度はクローゼさんも誘って」
「……ほんと、いい性格してるわ。さすがにベルの親友だな」
「それ、褒めてないわよね?」

 親友と言えど、ベルと一緒にされるのは不服なのか?
 不満げな表情を浮かべるエリィに背を向けて、リィンは〈アウロラ〉と共に戦場へと旅立つのだった。


  ◆


 ――同時刻。
 ノーザンブリアの城壁から三千アージュほど離れた場所に部隊を展開する帝国軍の姿があった。
 数は十万ほど。機甲兵や戦車があわせて、六千ほど確認できる。
 小さな自治州を攻めるには、過剰とも言える戦力だ。
 実際、今回の侵攻作戦については、納得していない帝国軍の兵士も少なくない。
 しかし上からの命令があれば、それに従うのが軍人の定めだ。
 それに――

「本当によかったの?」
「良いも悪いもないでしょ。好きなようにさせろとの上からのお達しだもの」

 数は多いが、その半数は正規軍ではなく貴族たちが指揮を執っていた。所謂、領邦軍だ。
 革新派と貴族派が帝都を騒がせた共通の敵に対して手を取り合い、和解したなどと巷では噂されているが、長いこと対立関係にあった両派閥が何事もなく協力関係を築けるはずもない。それは正規軍や領邦軍も同じことで、一年ほど前には内戦まで引き起こして互いに武器を交えていたのだ。
 戦場で背中を預け合えるほどの信頼関係などなく、上手くまとまれるはずもなかった。
 その結果がこれだ。
 我先にと戦功を欲し、突出した領邦軍の部隊。
 そんな彼等を呆れた様子で後ろから見守る正規軍の部隊。
 命令系統もバラバラで、まったくと言って良いほど一つの軍として機能していない。

「私たちは貴族のお守りってことね」
「あれだけの戦力を率いて負けるようなことはないでしょ。私たちの出番はないわよ」
「ということは、新兵器の出番もなし?」

 そう会話を交わす二人の女性兵士の視線の先には、シートを被せられた人型機動兵器が横たわっていた。
 新しく正規軍に実装された魔煌機兵の量産タイプだ。
 機体名はゾルゲとメルギア。
 機甲兵で言うところのドラッケンやシュピーゲルにあたる機体だ。

「出番がないに越したことはないわ」
「そう言えば、最初から余り乗り気じゃないというか、新兵器の導入に否定的だったわね」
「ただの思い過ごしだと思うけど、どうにも嫌な予感を拭いきれなくてね……」

 従来の機甲兵よりも高性能な機体と言うことで新兵器に期待を寄せる兵士が多い中、赤髪の女性兵士は自分の同僚が否定的だったことを思い出す。
 とはいえ、シートに包まれた魔煌機兵を観察してみるが、特に変わったところは感じず首を傾げる。

「気の所為ではないの? テレジアって、昔から心配性だから」
「……あなたが昔から楽観的なだけよ。エミリー」

 同僚の言うように自分でも気の所為だと思いたい。
 しかし、どうしても不安が拭い去れず、テレジアの口からは自然と溜め息が溢れるのだった。



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