後に北方戦役と呼ばれるノーザンブリアでの戦いから一晩明け、帝都のとある屋敷では――

「全滅しただと!?」

 執事の報告に目を瞠り、驚きと戸惑いを隠せないバラッド候の姿があった。
 信じられないと言った様子で、バラッド候が声を荒げるのも無理はない。
 領邦軍と正規軍によって構成されたノーザンブリアへの侵攻部隊が、全滅したとの報せを受けたからだ。

「バ、バカな……。何かの間違いではないのか!?」
「い、いえ、領邦軍の生き残りはゼロ……正規軍も三千人ほどしか生き残っておらず、いまは捕虜となっているようです……」

 ありえないと言った様子で力を落とし、呆然とした表情を浮かべるバラッド候。
 領邦軍は全滅。しかも、正規軍も壊滅状態。
 生き残った兵も三千人余りなど、到底信じられるような話ではなかった。

「一体なにがあったのだ?」

 だからこそ気になる。一体なにが起きて、そうなったのかと――
 北の猟兵は高位の猟兵団だ。元は軍の流れを汲むことから組織だった動きを得意とすることが特徴で練度が高いことで知られているが、それでも帝国軍と正面から渡り合えるほどの戦力を抱えている訳ではない。本隊とは別に団員の育成を目的とした少年猟兵隊と呼ばれるものも存在するが、仮に全戦力を総動員したとしても兵の数は千から二千と言ったところだろう。
 百倍近い兵力差があり、しかも機甲兵や最新の戦車まで投入したのだ。
 それほどの戦力差があって敗れるなど、常識的に考えてありえないことだった。
 バラッド候が執事の言葉を疑い、疑問を持つのは当然だ。
 しかし、

「暁の旅団の介入があったようです……」
「くッ! また、あの男か!?」

 暁の旅団の介入があったと聞き、ラマール州での一件が頭を過り、憎々しげな表情を浮かべるバラッド候。
 本来であれば、とっくにカイエン公爵家の領地や資産はバラッド候のものになっていたはずなのだ。
 しかしミュゼが次期カイエン公の候補に名乗りを挙げ、オーレリアだけでなくリィンを味方に引き込んだ時から計画の歯車が狂い始めた。
 留守を狙うようなカタチでオルディスを奪われ、挙げ句には公爵家を長年支えてきた貴族たちにも見限られる始末。バラッド候の支持を表明していた貴族の中にも、不利を悟ってミルディーヌ公女へ鞍替えする裏切り者まで出て来ている状況だった。
 その原因を作ったと言っても過言ではないリィンに対して、彼が恨みを抱くのは無理もない。

「しかし、幾ら〈暁の旅団〉の助けがあったとはいえ、百倍の兵力差を覆すなど――」

 普通に考えれば、覆せるような兵力差ではない。
 戦争において、数の力とは絶対だ。個の力が優れていようと、数の力の前には無力。
 策を講じたところで、相手が出来るのは倍の兵力までだろうとバラッド候は考えていた。
 だからこそ、十万もの兵をノーザンブリアへ差し向けたのだ。
 圧倒的な勝利を得るために――
 常識的に考えれば、彼の考えは間違っていない。
 しかし、

「そのことなのですが、暁の旅団の団員のほとんどはクロスベルの防衛戦に参加していたようでして……」
「は?」
「信じがたい話ですが……団長のリィン・クラウゼル。彼一人に壊滅させられたようです」

 それはあくまで常識の枠≠ノ収まる相手であれば、という但し書きが付く。
 人の域を超えた怪物に人の世界の常識など通用するはずもないのだから――

「そ、そんなバカな話が――」

 あるはずがない!
 と、顔を真っ赤にしてバラッド候が叫びかけた、その時だった。
 扉が開け放たれ、ぞろぞろと軍服を纏った兵士たちが部屋に駆け込んできたのは――

「な、なんだ! お前たちは!?」
「ヴィルヘルム・バラッド。皇帝陛下からの召喚命令です。これより我々に同行して頂きます」
「へ、陛下からの召喚だと!?」

 皇帝からの召喚命令と聞き、驚きの声を上げるバラッド候。
 何故このタイミングで陛下からの召喚命令が来るのかと疑問に思ったのだろう。
 しかし、その疑問はすぐに解消されることになる。
 それもバラッド候にとっては最悪とも言える報せと共に――

「まさか、そんな……」

 着信を報せる音に気付き、部屋に備え付けられた通信端末にでるなり、動揺を顕わにする執事。
 そうして顔を青く染めながら――

「……閣下。オルディスの占領へ向かった領邦軍の部隊が敗退。列車砲を破壊され、アルバレア公とハイアームズ候の御子息が捕らえられたとのことです」

 唇を震わせながら、自身の主にそう告げるのだった。



  ◆


 そもそも爵位は皇帝より賜るものとはいえ、領地のことは貴族の問題。基本的に帝国政府が干渉することはない。
 互いの領分を侵さないための暗黙の了解があると言ってもいいだろう。
 だから表立って政府に助力を求めることも出来ず、宮廷に根回しをして四大名門に働き掛け、領邦軍をオルディスへと差し向けたのだ。
 だと言うのにオルディスの占領作戦も切り札である列車砲を破壊され、アルバレア公爵家の若き当主ユーシス・アルバレアと、フェルナン・ハイアームズ侯爵の三男パトリック・T・ハイアームズが捕虜となる結果に終わったのだ。もはや他の貴族の協力を取り付けることも難しい。
 それにノーザンブリアへの侵攻作戦はバラッド候の提言から始まった。
 それが失敗に終わり、十万もの兵士の命を散らせた彼の責任は決して軽くない。

「これでバラッド候は終わりだろう」

 バラッド候が次期カイエン公の候補から外されるのは、これで確定だろうとイーグレット伯≠ヘ話す。
 セオドア・イーグレット。代々カイエン公爵家を支えてきた上級貴族にして、ミュゼの祖父だ。
 彼がいなければラマール州の貴族たちを取り纏め、協力を呼び掛けることは難しかっただろう。
 一度は引退し、貴族社会から距離を置いていた彼だが、いまは孫娘の助けになればと公爵家の相談役を担っていた。

「これも、貴殿の思惑≠ヌおりかな? 公爵閣下」

 そんなカイエン公爵家の重鎮と、机を向かい合わせに座る金髪の青年。
 ユーシス・アルバレア。トールズ士官学院の卒業生にして元VII組の生徒。
 帝国東部クロイツェン州を治める四大名門の一角、現アルバレア公だ。

「よしてください。家督を継いだとはいえ、伯爵閣下と比べれば若輩者。それに俺のしたことといえば、閣下の孫娘≠ェ用意した計画に乗っただけのことです」

 自分で考えたことではないと、首を横に振るユーシス。
 とはいえ、彼の協力なくして、ここまで上手くは行かなかっただろう。
 結果だけを見れば、互いの犠牲者はゼロに近い。
 怪我人はいるが、被害らしい被害と言えば破壊された列車砲くらいだ。
 実のところオーレリアとアルティナの部隊を手引きし、列車砲の破壊工作に協力したのもユーシスだった。
 その後、本来であれば捕虜して捕らえられるのはユーシスだけのはずだったのだが――

「作戦だったのなら作戦だと事前に言ってくれ……」

 ハイアームズ侯爵家の三男、パトリックも一緒に捕らえられていた。
 計画の内容を報されていなかったため、ユーシスを庇おうとして一緒に捕らえられたのだ。

「すまなかった。どこに目と耳があるか分からない以上、迂闊に話すことは出来なかったのでな。しかし、よく〈黄金の羅刹〉の前へでられたな?」

 オーレリアの放つ闘気にあてられ、その場にいた兵士は全員足が竦んで動けなかったのだ。
 そんななかユーシスを庇うように前にでて、オーレリアに立ち向かったのがパトリックだった。
 正直パトリックがあのような行動にでることは、ユーシスにとっても予想外のことであった。
 本来の計画では自身が捕虜となることで停戦を呼び掛け、ノーザンブリアの戦いが決着するまでの時間を稼ぐのが狙いだったからだ。
 四大名門の当主が捕らえられたとなれば、迂闊に軍を動かすことは出来ない。
 ログナー候やハイアームズ候には迷惑をかけまいと考えてのことでもあったのだが、パトリックまで捕らえられてしまったのは大きな誤算だった。
 とはいえ、あの場でパトリックだけを残していくのは不自然だし、仕方のなかったことだと言える。

「正直、今度ばかりはダメかと思った。銃弾を弾いたり、列車砲を一撃で真っ二つに両断するとか、人間業じゃないだろ……」

 生きた心地がしなかったと話すパトリックに、同情するような視線を向けるユーシス。
 敵わないと分かっていても部下や友を守るために立ち向かった勇気を認められ、オーレリアにパトリックが気に入られたことを知っているからだ。
 実際、ユーシスもパトリックを高く評価していた。
 無謀な行為ではあったが貴族社会での立ち回りや宮中での政治にばかり長け、自らは戦場へでることのないバラッド候のような貴族よりは、ずっと帝国の貴族らしい。
 本来、帝国貴族とは質実剛健で生真面目。誇りを重んじるものだとユーシスは考えている。
 トールズ士官学院でも、国のため、民のため、友のために力を振るうことの大切さを学んできた。
 その点から考えるとバラッド候は悪い意味で貴族らしく、武を重んじる帝国貴族の気質からは懸け離れている。
 ユーシスが最も嫌悪するタイプの貴族と言えた。

「あれでも手加減≠してくれていたみたいだがな……」

 本気なら今頃あの場にいた全員が命を落としていた、とユーシスは話す。
 ミュゼから話を聞かされている様子ではなかったが、恐らくはユーシスの反応から察したのだろう。
 その上で殺さない程度≠ノ手加減をしてくれたのだとユーシスは考えていた。
 それに――

「ノーザンブリアへ向かった軍の被害を聞いた後では、これでよかったと本気で思っている」

 あの場にはオーレリアだけでなくアルティナもいたのだ。暁の旅団が関与しているのは確実。
 あのままオルディスへ攻め込んでいれば、ノーザンブリアやクロスベルの占領に向かった軍と同じ結果を辿っていた可能性が高い。
 こればかりはパトリックもユーシスと同意見だった。
 実際パトリックも先の内戦で、暁の旅団の戦い振りは目にしているのだ。
 猟兵だからと侮るつもりはないし、数を揃えるだけで勝てる相手だとは考えていなかった。

「だが、彼等はやりすぎた」

 ユーシスの言葉に頷きつつも、イーグレット伯は厳しい表情でそう話す。
 クロスベルの防衛戦はまだいい。被害が皆無とは言わないが、犠牲は最小限に留まっている。
 しかし、北方戦役での死者は凡そ十万人。帝国に非があるとはいえ、到底受け入れ難い数の被害だ。
 一日が経ち、その被害の大きさが伝わるにつれて〈暁の旅団〉――いや、リィン・クラウゼルに対する非難の声が帝国国内で高まっている。
 当然、殺された者のなかには貴族だけでなく平民も数多くいる。
 大切な家族や友人を奪われた人々が、戦争だからと簡単に割り切れる話ではない。
 帝国だけでなく静観を決め込んでいた周辺諸国からも、悲しみとリィンを危険視する声が聞こえてくるほどだった。
 先の内戦では英雄と讃えられた状況から一転、いまや冷酷無比な魔王扱いだ。

「じきに帝国だけの問題ではなくなる。彼等を排斥する声が高まれば、教会も静観してはいられないだろう」

 猟兵に対する世間の評価の悪さも影響しているのだろう。
 ノーザンブリアは貧しい自治州というだけでなく、治安の悪さも問題視されている。
 猟兵が幅を利かせる自治州と言うことで、力が支配する無秩序なイメージも付き纏っているからだ。
 ノーザンブリアへの侵攻の話が持ち上がった時、国内で反対する声が余り上がらなかったのもそれが理由と言っていい。
 そんなノーザンブリアに味方し、帝国の兵士を皆殺しにしたのだ。
 当然、リィンに対する評価は地に落ちたと言って良い。
 このままいけば、暁の旅団は世界から孤立していくのは目に見えている。
 だからこそ、イーグレット伯には分からなかった。
 どうして、そのような真似をしたのかが――

「最初から軍を生贄にすることで、暁の旅団を孤立させることが〈黒の工房〉の狙いだったのでは?」
「それもあるだろう。だが、そのことを彼が分かっていないとは思えない」

 パトリックの話を一理あると認めつつも、その可能性は低いと否定するイーグレット伯。
 ミュゼが協力者に選んだほどの男だ。
 敵には容赦のない猟兵らしい一面もあるのだろうが、損得を計算して立ち回れる冷静さも持ち合わせている。
 腕が立つと言うだけでなく頭の切れる食えない男というのが、イーグレット伯のリィンに対する評価だった。
 実際これまでのリィンは敵だからと皆殺しにするのではなく利用できる相手は生かし、自分たちが有利になるように上手く立ち回っていた。
 なのに今回に限って、リィンは意図的に軍を壊滅させている。
 世界中の悪意を自身に向けさせ、まるでそうすることが目的であったかのように――

(まさか……)

 イーグレット伯とパトリックの話を聞き、何かに気付いた様子を見せるユーシス。
 付き合いが長いと言う訳ではないが、リィンがどのような人間かは理解しているつもりだ。
 だからこそ、ユーシスの頭に一つの考えが過る。

(英雄≠ナはなく猟兵=c…)

 元々、リィンが英雄などともてはやされる原因となったのは、アルフィンの影響が大きい。
 リィン自身は平民の味方をしたつもりも、皇女の騎士を演じたつもりもない。
 ただ、依頼を達成するため自身の都合で動いた結果、リィンを英雄を讃える者たちが現れたというだけの話だった。
 本人が言っているように、リィンは猟兵だ。
 戦争を生業とする以上は恨まれて当然で、悪意を向けられることには慣れている。
 故に――

「それが、お前の導きだした答え≠ネのか。リィン・クラウゼル」

 寂しさと虚しさ。悲しみと怒り。
 どこか複雑な感情を滲ませながら、ユーシスはリィンの名を口にするのだった。



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