吹き荒れる風の中、ヴァリマールの操縦席で空を見上げるリィンの姿があった。
 空を覆っていた暗雲は晴れ、集束砲によって散らされた雲の隙間から太陽の光が差し込んでいる。
 その太陽の光に映る影。それこそが黒い雷を放ち、この〝異界化〟を引き起こした元凶だとリィンは確信する。
 予想が正しければ、目の前にいる元凶こそイシュメルガであるはずだが――

「イシュメルガじゃない?」

 雲が晴れ、太陽の光の下に現れたのは〝黒〟い騎神ではなく〝白亜〟の鎧を纏った騎神だった。
 目の前の騎神がイシュメルガでないことだけは確かだ。
 しかし、七体存在する騎神の中に〝白〟を纏う騎神は存在しない。
 だとすれば――

「あれが異世界の――」

 リィンとマクバーンの戦いによって消滅した並行世界の一つ。
 人類が死に絶え、廃棄された世界に眠っていた異世界の騎神。
 七の相克によって一つとなった巨イナル存在。

『零の騎神――ゾア=ギルスティン。それが、あの騎神の名だよ』

 リィンの頭に過った疑問に答えるかのように空に響いたのは――

「カンパネルラ。やはり生きてやがったか」

 カンパネルラの声だった。
 世界の消滅と共に、カンパネルラも塵一つ残さず消えたはずだが――
 いや、実際に〝あの世界〟のカンパネルラは世界と運命を共にしたのだろう。
 ツァイトが過去に言っていたように、聖獣は世界の法則に縛られない存在だ。
 この世界での姿はあくまで現し身に過ぎず、彼等の本体は世界の外側に存在する。
 故に複数の世界に同時に存在し、こちらの世界で命を落としたとしても彼等が消滅することはない。
 カンパネルラは自身のことを〝観測者〟だと口にした。
 だとすればカンパネルラも聖獣と同じように、理の外に身を置く存在なのだろう。

「そういうことか。ゾア=ギルスティンは〝七の相克〟の果てに生まれた存在。謂わば、ありえた未来の姿。ノルンのような存在ってことか」

 リィンがノルンと名付けた少女は、ありえたであろうキーアのもう一つの姿だ。
 デミウルゴスに覚醒することで彼女は女神の枷から外れ、理の外に身を置く存在となった。
 同じことが、ゾア=ギルスティン――いや、イシュメルガに起きたとしても不思議な話ではない。
 ノルンはリィンとの契約で新たな名と生を受け、この世界に自身の存在を定着させた。
 一方でイシュメルガは、この世界の自身と同化することで存在を定着させたのだろう。

『さすがに察しが良いね。説明の手間が省けて助かるよ』

 声だけでなく半透明のカンパネルラの姿が空に投影され、感心した素振りで賞賛の拍手をリィンに送る。
 ところがリィンは納得していない様子で、厳しい視線をカンパネルラに向けていた。
 当然だ。カンパネルラが何をしたのかは理解したが、

「心にもない世辞はいい。それよりも、お前たちとは相互不干渉の約束を結んでいたはずだが、どういうつもりだ?」

 どうして、そんな真似をしたのか? 納得の行く説明を受けていないからだ。
 口約束とはいえ、暁の旅団と結社ウロボロスとの間には〝相互不干渉〟の約束が交わされている。
 なのに今回の一件。明らかに先の約束を無視した裏切り行為だ。
 リィンが説明を求めるのは当然の流れだった。

『結果的にそうなってしまったことは詫びるけど、そもそもキミたちがノーザンブリアの一件に介入しなければ、こんなことにはならなかったんだよ?』

 自分たちにも責任はあるが、リィンにも問題があるかのように話すカンパネルラ。
 確かに〈暁の旅団〉の介入がなければ、地精の計画が破綻することはなかっただろう。
 北の猟兵は帝国軍に敗れ、ノーザンブリアも帝国に併呑されていたのは間違いない。
 そして帝国はその勢いのまま戦力の増強を続け、共和国との開戦に踏み切っていたはずだ。
 リベールやレミフェリアと言った中立国も巻き込んで、大陸を二分する戦争へと発展していただろう。

「結果論だな。俺たちが〈黒の工房〉と対立していることは、先の内戦からも分かっていたはずだ」

 なのに結社は地精を手を組んだ。
 その時点で、敵対することは分かっていたはずだとリィンは反論する。
 結社の目的が至宝にあることは予想が付くが、だったら地精ではなくリィンに協力を持ち掛ける手もあった。
 実際、不完全ながらも巨イナル一の力を扱って見せたリィンの方が、地精に味方するよりも見込みは高かったはずだ。
 しかし、結社は地精に協力した。
 組織を裏切り、十三工房を抜けた〈黒の工房〉と手を組んだのだ。
 いや――

「十三工房を〈黒の工房〉が抜けたのはブラフ? いや、最初から裏切ることも計画の内だった?」

 そもそも〈黒の工房〉は十三工房の一角だったのだ。
 組織を裏切った彼等と、結社が手を結ぶのは普通に考えるとおかしい。
 組織を抜けたヨシュアやレンを何もせず放っていることからも、結社が普通の組織でないことは分かっている。
 それでもやはり、自分たちを裏切り利用した組織と手を結ぶというのは違和感を覚える。
 だが、黒の工房が十三工房を抜けることが〝あらかじめ決まっていた〟と考えれば話は変わる。
 だとすれば――

『どうやら、気が付いたみたいだね』
「ああ……話を聞いているんだろ?」

 イシュメルガの目的や〈黒の工房〉の思惑すら利用し、この絵図を描いた人物。
 自身の知的好奇心を満たすためなら、周りがどうなろうと気にも留めない――

「姿を見せろ――F・ノバルティス!」

 そんな最低最悪の男の名をリィンは叫ぶのだった。


  ◆


『映像越しで失礼するよ。キミには一度、殺されそうになっているのでね』

 そう言ってリィンの前に姿を見せたのは、博士の異名を持つ結社の最高幹部の一人。
 神機の開発者にして十三工房を束ねる統括責任者、F・ノバルティスだった。

「むしろ、アレで死んでてくれた方が嬉しかったんだけどな。どんな〝手品〟を使った?」

 F・ノバルティスは間違いなく普通の人間だ。
 アリアンロードのような不死者でも、カンパネルラのような観測者と言う訳でもない。
 本来であればヴァリマールの放った集束砲を身に受けて、死を免れるはずがなかった。
 なのに命を落とすどころか、怪我一つ負っていないのは不可解でならない。
 どんな手品を使ったと、リィンが疑問を持つのは当然であった。

『答えは簡単だ。あの場にいたのは私であって私ではなかったと言うだけの話だよ』
「……影武者みたいなものか?」
『そのようなものだと思ってくれて構わない。キミのお陰で、とても興味深い〝協力者〟を得てね。そこの騎神も〝彼女〟との共同研究の賜物と言っていい。何しろ――』
『博士』

 余計なことまで説明しそうになる博士の口を、カンパネルラが静止する。
 自身が興味のあることに関しては口が軽くなるのが、博士の悪い癖だと分かっているからこそだった。

『まあ、そのうち〝彼女〟の方から接触があるだろうし、詳しいことは本人に聞いてくれたまえ』
「いまはいいさ。彼女というのが何者なのか気になるが、正直に答えてくれるとも思えないしな。それよりも――」

 黒幕はお前だな、とリィンはノバルティスに尋ねる。
 黒の工房の本拠地には、神機だけでなく〝ありとあらゆる〟研究データが記録されていた。
 十三工房の仕組みを利用して集めたものだろうが、幾らなんでもバカ正直に自分たちの秘匿する技術を他人に教え、すべて共有していたとは思えない。
 ましてや神機の開発データなど、結社の最高機密のはずだ。
 黒の工房がそれらのデータを蒐集することが出来たのは、十三工房の中に地精の目的を知っていて意図的に情報を流していた人物がいるのではないかとリィンは疑っていたのだ。
 それが、目の前にいるF・ノバルティスと言う訳だった。
 神機の開発者にして十三工房を統括する彼ならば地精が必要とする情報だけを選別して、彼等に悟らせないように情報を抜き取らせることも容易いはずだ。
 恐らくはそうすることで〈黒の工房〉の計画が速やかに実行へ移せるように取り計らい――自身の研究のため、アルベリヒの行動を誘導したのだろう。
 アルベリヒは十三工房を目的のために利用したつもりでいて、実はノバルティスに踊らされていたと言うことだ。
 狙いは恐らく――

「騎神の実戦データを集め、ヴァリマールを超える〝新たな神機〟を生み出すのが狙いか」

 自身の最高傑作である神機を容易く破壊した騎神。
 ヴァリマールを超える新たな神機を開発することが、ノバルティスの目的だとリィンは推察する。
 復讐よりもその方が〝博士〟の異名を持つ目の前の男らしいと考えたからだ。

『なるほど。確かにキミは凄く〝勘〟がいいようだ。どうだね? 私の研究に協力してみないかね?』
「ごめんだな。アンタと組むくらいなら、まだベルの方がマシだ」
『う、ううむ……彼女の方が性格に難があると思うのだが……』

 ベルの方がマシと言われ、心の底から理解できないと言った様子で不満げな声を漏らすノバルティス。
 確かにベルの性格に難があることはリィンも認めるところではあるが、あれでも元は大陸で有数に数えられる大富豪の令嬢だ。
 必要とあれば、金持ちのお嬢様を演じられるだけの社交性はあるのだ。
 一方でノバルティスには社交性は疎か、一般常識の欠片もない。
 表面を取り繕えるだけの自制心があるだけ、欲望に忠実なノバルティスよりはマシとリィンは思っていた。

『ハハッ、確かに一般常識を知っているだけ、彼女の方が博士よりマシかもね』

 リィンの言わんとしていることを察して、カンパネルラは愉快気に笑う。
 知っているだけでベルに常識があるとは言わないのだが、それでも知らないよりはマシと考えたのだろう。
 ノバルティスには、そうした人間らしさが欠如している。
 他人を評価する基準は、自身の研究に有益であるかどうかでしかないからだ。

「カンパネルラ。お前は今回のことを博士の〝暴走〟だと、結社の総意ではないと言いたい訳だな?」
『まあ、そうだね。これでもキミには配慮してるんだよ? だから僕が〝見届け役〟に派遣された訳だしね』

 リィンの仲間に直接ちょっかいをかけたりはしないように――
 ノバルティスの行動を監視し、暴走を諫める役目が自分にはあったとカンパネルラは説明する。
 実際にはどこまで効果があったかは分からないが、言っていることに嘘はないのだろう。
 しかし嘘は言っていないのだろうが、本音も語っていないとリィンはカンパネルラの言葉の裏を読む。
 結社が〝計画〟のためにマクバーンを泳がせ、ノバルティスの行動を見過ごしたことは明らかだからだ。

「分かった。こっちの条件を一つ呑むなら、今回はそういうことにしてやってもいい」
『条件? ……取り敢えず、聞こうか』

 映像越しにも伝わってくるリィンの放つ殺気に、冗談ではないと悟ったカンパネルラは緊張した面持ちで尋ね返す。
 条件が呑めなければ、暁の旅団は結社を敵と見做す。
 敵として、本気で潰すつもりでいるのだと――
 宣戦布告とも言えるリィンの覚悟を受け取ったからだ。

「お前たちの〝盟主〟に会わせろ」
『――!? それは……』

 簡単には答えをだせない条件を突きつけられ、カンパネルラは戸惑いの声を漏らす。
 無理もない。彼等――結社に所属する者たちにとって、盟主とは絶対的な存在だ。
 ある意味で、信仰の対象とすら言ってもいいだろう。
 あのアリアンロードやヴィータでさえ、盟主には忠誠を誓っている。
 しかし、

「カンパネルラ。確かに結社の連中は盟主に忠誠を誓っているようだが、お前は違うんだろ?」
『……本当にキミは〝勘〟がいいね。怖いくらいだよ』

 カンパネルラは自身のことを〝観測者〟だと口にした。
 そして、結社の計画にも積極的に関わろうとはせず、計画の〝見届け役〟に徹している。
 組織の中にいながらカンパネルラだけが、他とは違う〝特別〟な役割を与えられているのだ。
 それは即ち、結社そのものや盟主でさえも、カンパネルラの〝観測対象〟なのではないかとリィンは疑っていた。

 ――その条件、呑みましょう。

 カンパネルラの返事を待っていた、その時だった。
 目の前の映像からではなく、稟と澄んだ声がリィンの頭に直接響いたのは――
 まるで〝女神〟と対峙しているかのような存在感を、リィンは声の主から感じ取る。
 故に、その正体を察するのは難しくなかった。

「ようやく、おでましか」

 ――身喰らう蛇の盟主(グランドマスター)
 巨イナル一を巡る最後の戦いを目に、リィンは〝運命〟との邂逅を果たすのだった。



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