サラたちが異形の群れと激しい戦闘を繰り広げている中、こそこそと周囲を警戒しながら船を抜け出す人影があった。

「あんな化け物の群れを相手にしてられるか」

 真っ赤なプロテクトアーマーを身に纏った彼の名はギルバート・スタイン。
 シャーリィに捕らえられ、暁の旅団の捕虜となっていた結社ウロボロスの強化猟兵だ。
 実のところ彼は大人しく従っているフリをして下働きをしながら、逃げるチャンスをずっと窺っていた。
 団員たちの注意が異形に向いている今なら、こっそりと船から抜けだすことも難しくない。そう考えたのだろう。
 実際、彼の狙いは間違っていなかった。
 先の戦闘で船が損傷し、艦内の機能がダウンしていることも追い風となったのだろう。
 混乱に乗じて船から抜け出した彼は、事前に得た情報を頼りに身を隠しながら〝一隻の船〟を探していた。

「見つけたぞ。あの船があれば……」

 ギルバートの視線の先にある赤い船。
 そう、彼が探していたのは〈赤い星座〉の船〈ベイオウルフ号〉であった。
 彼とてバカではない。ここが敵の本拠地で、空に浮かぶ要塞の上であると言うことは理解している。
 一か八か飛び降りるなど論外。逃げたところで脱出の手段が見つからなければ、連れ戻されるだけだ。
 そこで目を付けたのが、ベイオウルフ号という訳だった。

「いいぞ、最悪壊れてて飛ばない心配もしてたけど、船の動力は生きてるじゃないか!」

 特に障害もなくブリッジに辿り着いたギルバートは船のシステムを起ち上げ、歓喜の声を上げる。
 データを回収するついでに、ティオが簡単な復旧作業も行っていたのだろう。
 万全とは言えない状態だが、いつでも飛び立てるように準備が整えられていた。
 ここまでお膳立てされていれば、ギルバート一人でも船を動かすことは難しくない。
 それに――

「操作にはロックがかかっているみたいだけど、この程度、僕の手に掛かれば……」

 こう見えて彼は、アリサの指導を受けた団のメカニックたちが賞賛するほど機械の扱いを得意としていた。
 そもそも野心家でありながら自分よりも立場が上の者や強い者には媚びへつらい、格下と見ると強気にでるという難のある性格をしているため、肝心なところで失敗を繰り返すような人間だが、こう見えても彼はクローゼ(クローディア)と同じリベール王国の名門ジュニス王立学園を優秀な成績で卒業していた。
 しかも学園を卒業後は港湾都市ルーアンの市長秘書に抜擢されるなど、経歴だけを見れば非常に優秀な人間であった。
 実際、素質はあるようで戦闘に関しては素人同然だった彼がカンパネルラに拾われ、僅か数年で強化猟兵部隊の隊長に任命されるほどに成長したのも、彼自身の才能と努力の賜物と言える。機械の扱いに長けているのも、上司に気に入られようと〝博士〟の手伝いをしている間に自然と覚え、一流には届かないまでもメカニックとして食べていける程度の知識と腕を手に入れたに過ぎなかった。
 こうしてみると分かるように、とても優秀な人間なのだ。性格に難があり、小物と言うだけで。

「どうだ!」

 端末のロックを解除し、興奮覚めやらぬ様子で鼻息を荒くするギルバート。
 とはいえ、既にティオとフランの二人が一度ロックを解除済みだったことも後押ししたのだろう。
 ギルバートは確かに優秀だが、それでも一流に届くほどの技術がある訳ではない。
 最も難解なセキュリティをティオが突破済みだったため、操船に関するロックを解除できたと言う訳だ。
 運が良かったとも言えるが、昔からギルバートはそれで何度も窮地を脱してきたのだ。
 優秀と言っても彼くらいの人間なら大勢いる。
 それでもギルバートが無事だったのは、やはり悪運の強さにあるのだろう。

「船が動けば、こっちのもんだ。あの傍若無人な女からも解放されて、これでようやく自由になれる」

 これまでの日々を脳裏に思い浮かべながら、涙するギルバート。
 暁の旅団での生活は思っていたよりも居心地の良い物だったが、彼にとって一つだけ辛い出来事があった。
 それが、シャーリィがいつも行っている日課の訓練に付き合わされることだった。
 勿論、ギルバートの実力でシャーリィの相手が務まるはずもないが、しぶとさには定評のある彼だ。
 危機察知能力が高く簡単には壊れないことからシャーリィに気に入られ、訓練の的――もとい相手に指名されていた。
 団員の誰もがシャーリィの相手は嫌がると言うのに、週に三、四日のペースでシャーリィの訓練に付き合わされていたのだ。
 実のところそれもあってギルバートは団員から感謝され、捕虜でありながら信頼を得ていた側面があった。
 彼の監視が緩かったのも、それが主な理由と言っていい。
 実際、彼が逃げ出したところで、団員の多くはシャーリィとの訓練が嫌になって逃げ出したと思うだろう。
 そこまで計算して動いた訳ではないが、なんだかんだと上手くやるのがこのギルバートという男だった。
 カンパネルラが彼を結社の一員としたのは、そういうところを気に入ったからなのだろう。

「よし、エンジンがかかったぞ! これで!」

 船が動き出したことで、ギルバートの表情にも余裕がでてくる。
 捕虜となって数ヶ月。ようやくシャーリィから解放され、これで自由になれるのだ。
 その嬉しさが表情に滲み出てしまうのは無理のないことだろう。
 あとは化け物の巣と化した要塞から脱出するだけ。
 そう思ってギルバートが船の舵を握った、その時であった。

「舵がきかない!? なんで!」

 船が操作を受け付けず、勝手に動き始めたのだ。
 しかも要塞の外へ向かうのではなく、動き出した船は要塞の奥へと進路を取っていた。
 予想だにしなかった状況に、パニックに陥るギルバート。

「戻れ! そっちじゃないって言ってるだろ! 頼むから言うことを聞いてくれ!」

 と、必死に泣き叫ぶも、船が応えてくれるはずもない。
 そうしている間にも、グングンとスピードを増していくベイオウルフ号。
 そして――

「うああああああ! ぶつかる! ぶつかる! 頼むから止まってくれえええええ!」

 ギルバートの絶叫が響く中、船は石造りの壁を突き破り、要塞の中心部へと突入するのであった。


  ◆


「まったく、キリがないわね。どうなってるのよ」

 肩で息をしながら、アリサは疲れきった表情で弱音を口にする。
 アーツが効果があると分かって最初の方は優勢だったのだが、倒しても倒しても復活する異形の群れにアリサたちは体力を削られ、徐々に追い詰められていた。
 倒しても倒しても復活する怪物。正直に言って、キリがない。

「アリサさん、これは……」
「ええ、さすがに異常よ。グノーシスだけが原因じゃないわね」

 リーシャが何かを感じ取ったように、裏があることはアリサも感じ取っていた。
 グノーシスで異形化したのであれば、本人が意識を失うか体力が尽きれば異形化は解け、元に戻るはずだ。
 だが、目の前の異形たちは心臓を貫かれようが、首を刎ねられようが数分経てば元通りに復活する。
 死しても尚、甦る怪物など聞いたことがないし、グノーシスだけの影響とは思えなかった。

「まるで伝承にあるグールみたいですね」
「グール? それって、御伽話の?」

 ローゼリアが元となっている吸血鬼の伝説。そのなかにも登場するのがグールと呼ばれる屍人であった。
 書物では吸血鬼に血を吸われた存在と記されているが、実際には違うことはローゼリア自身の言葉で否定されている。
 不死者になり損なった存在。それがグールと呼ばれる者たちだった。
 仮にリーシャの考えが正しく、目の前の存在が伝説に語られるグールなのだとすれば――

「……そう、そう繋がる訳ね」

 目の前の怪物たちは、騎神と不死者を研究する中で生まれた副産物なのだとアリサは理解する。
 だが、不死者そのものをアリサは否定するつもりはなかった。
 愛する人がそもそも人ではなくなりつつあるというのも理由にあるが、アリアンロードやバレスタイン大佐と言ったように既に不死者となった人々の存在も否定することになるからだ。
 しかし自分で望んだ訳ではなく、研究のためにグールへと変えられた人々のことを考えると怒りが込み上げてくる。
 科学者として踏み越えてはならない最後の一線があると、アリサは考えているからだ。
 そう言う点でベルのことも完全に信用している訳ではないが、いまの彼女は本人の同意なく人体実験をするような真似はしないと断言できる程度には信用できる。リィンの存在が大きいと言うのもあるが、過去の彼女の行いを振り返るとキーアの扱いに関しても本人の意思を無視した実験は行っていないからだ。
 すべての事件に関わっていたと言う訳ではないとはいえ、教団の件がある以上、ベルも悪人であることに間違いはない。
 ただ彼女なりに守っている一線があることは窺える。それを地精は――アルベリヒは易々と踏み越えた。

「聞こえているんでしょ! 黒のアルベリヒ!」

 だからこそ、アリサは声を上げる。
 物言えぬ怪物と化した人々に代わって――

「私は絶対にあなたを許さない!」

 リィンと結ばれ、暁の旅団に入ると決めた時から地獄に落ちる覚悟は決めている。
 自分の生み出した兵器が、たくさんの人たちの命を奪う。
 悪だと罵られても仕方のないことをしていると理解していた。
 それでも、守るべき一線はあると考えている。

「同じ〝科学〟に携わる者として、人として!」

 それがアリサの譲れない一線だった。


  ◆


「気が済んだか? 嬢ちゃん」
「ええ……悪かったわね。まだ戦いは続いてるのに……」
「いや、良い啖呵だったと思うぜ。俺も自分が正しいことをしているとは思っちゃいねえが、守るべき一線は弁えてるつもりだ」

 その点で言えば、地精の長は最低最悪の相手だとザックスは口にする。
 猟兵なんて仕事をしている以上、まったく恨みを買わないなんてことはない。
 戦争をしているのだ。民間人に犠牲をだすことだってゼロじゃない。
 それでも、自分たちの中で定めたルールだけは、しっかりと守っている。
 実際、彼等はクロスベルを襲撃したことはあるが、やろうと思えば出来たことなのに死傷者は驚くほど少なかった。
 建物が破壊され、警備隊や警察関係者には多くの怪我人がでたが、一般人の犠牲者はほぼゼロに近いと言っていい。本来の歴史では、シャーリィの暴走からアルカンシェルの看板女優イリア・プラティエが大怪我をすると言った事件が起きたが、こちらの歴史ではそのような事件は起きていないし、そもそも街の被害に対して人的被害は本来の歴史でも驚くほど少なかったのだ。
 そのように依頼されたというのもあるのだろうが、特別な理由がない限りは一般人を標的にした依頼を受けないようにしているというのも理由にあるのだろう。
 赤い星座に限った話ではなく、猟兵団の多くが一般の人々に自分たちがどう見られているかを理解している。
 そのため、国家を――社会を完全に敵に回さないためにも、踏み越えてはならない一線は守っていると言うことだ。
 逆に言えば、裏社会でも暗黙のルールを無視する連中は嫌われ、場合によっては秩序を重んじる組織によって陶太される。
 クロスベルにおけるルバーチェ商会。東方人街における黒月と言ったように、裏の世界にも裏のルールがあると言うことだ。
 その点から見ても、アルベリヒは狂っているとしか言えない。ザックスが最低最悪と評価するのも無理はなかった。

「……まったく理解に苦しむ」

 そんな中、割って入るような声に気付き、アリサとザックスが顔を上げると、視線の先には宙に佇む一人の男がいた。
 黒いローブを纏った白髪の男。目の前の男が誰であるかなど、今更問い質す必要はなかった。

「黒のアルベリヒ……」
「なるほど。我慢できずに、のこのこ顔をだしたってところか」

 直接の面識がある訳ではないが、アリサの言葉から目の前の男が地精の長だとザックスは確信する。
 どうやって宙に浮いているのかは分からないが、敵の方から現れたのなら好都合とばかりにザックスは団員に指示をだす。

「殺れ!」

 ザックスの考えを察し、アルベリヒに向かって銃口を向ける〈赤い星座〉の団員たち。
 少しも躊躇することなく引き金に指を掛け、一斉に銃弾を解き放つのだが――

「理解に苦しむと言ったはずだが?」

 放たれた弾丸はアルベリヒに届かず、彼の周囲に展開されたバリアのような障壁に弾かれてしまう。
 そして、姿を現す傀儡。ミリアムの〈アガートラム〉によく似ているが、それもそのはず。
 アルベリヒの傍に控える傀儡の名は、ゾア=バロール。
 アガートラムや〈クラウ=ソラス〉のプロトタイプとも言える機体だった。
 プロトタイプと言っても性能が劣る訳ではない。
 むしろ彼の〈ゾア=バロール〉は余計な機能がなく戦闘に特化している分、戦闘力は他の機体を凌駕していた。

「ちッ、やっぱり備えをしてやがったか。だが――」

 アルベリヒを仕留める好機であることに変わりはない。
 ザックスが再び仲間に指示をだし、自分も攻撃を仕掛けようとした、その時だった。

「待って」

 アリサの声に反応し、動きを止めるザックス。
 どういうつもりだと言わんばかりの視線をアリサに向ける。
 その様子からして、アルベリヒがアリサの肉親であるという情報は知っているのだろう。

「あの男との決着は私につけさせて」
「……できるのか?」
「逆に聞くわ。あなたたちに、あの障壁を突破する手段があるの?」

 肉親を殺せるのかという問いだったのだが、逆に質問を返されザックスを目を丸くする。
 まさか、そんな返しをされるとは思っていなかったのだろう。
 しかしアリサの言うように、明確な攻略手段がある訳ではなかった。
 シグムントやシャーリィと違って、ザックスは化け物染みた身体能力や強力な攻撃手段を持っている訳ではないからだ。
 やれることと言えば、攻撃が通るまで攻撃し続けることくらいのものだろう。

「……分かったよ。あれはアンタの獲物だ。だが――」
「心配無用よ。私を誰だと思ってるの?」

 ザックスの心配を察しながらも、アリサは自信たっぷりに返す。

「私は〈暁の旅団〉の技術顧問――アリサ・ラインフォルトよ」

 科学者として、どちらの方が格上か?
 それを証明して見せると、アリサはザックスに啖呵を切る。
 そして――

「出番よ! 私の〝戦乙女(ヴァルキリー)〟!」

 アルベリヒとの対決のために密かに用意していた〝秘密兵器〟の名を、アリサは口にするのであった。



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