クロスベルの行政区にそびえ立つ世界最大級の超高層ビル、オルキスタワー。
 銀行などの金融機関や貿易センターの他、行政機能が集約されたそのビルの上層階にリィンの姿があった。
 総督の執務室や国際会議場などが設けられたビルの中でも特にセキュリティレベルの高いフロア。
 本来であれば猟兵などが立ち入れる場所ではないが、この街において〈暁の旅団〉の扱いは特別なものになっていた。
 特に団長のリィンは国賓待遇とも言えるVIP扱いを受けている。
 その理由は言うまでもないが〈暁の旅団〉の存在が、クロスベルの存亡に大きく関わっているからだ。

 現在は国防力の強化に取り組んでいると言っても、一年や二年でそれが成し遂げられるはずもない。
 クロスベルは帝国・共和国と言った大国に挟まれているため、両国の諍いに過去幾度となく巻き込まれてきた。
 経済力は大陸有数の都市だと言っても、それはあくまで自治州や小国の中では頭が一つ抜けていると言った程度に過ぎない。
 大陸の覇権を競う二つの大国と比べれば、国力・軍事力共に大きく劣っていた。
 そのため、これまでは大国の顔色を窺いながら綱渡りのような政治をするしかなかったのだ。
 そんななか現れたのが〈暁の旅団〉だ。
 猟兵団でありながら大国の軍事力に匹敵もしくは凌駕する戦闘力を有する規格外の戦闘集団。最新鋭の戦艦に加えて二体の騎神を保有し、最近注目を集めている新進気鋭の企業〈エイオス〉とも密接な繋がりがあり、これまで不可能とされてきたアーティファクトの解析や技術転用など、国家の研究機関を凌ぐ高い技術力を有していることで知られている。
 その上〈ルバーチェ商会〉を傘下に置き、クロスベルの裏社会を実質的に牛耳っており、隊長クラスは一騎当千の猛者ばかりが顔を並べているという規格外さだ。
 そんな規格外な集団の中で、最も非常識且つ恐ろしい人物として知られているのが、彼――リィン・クラウゼルだった。

 猟兵王の名を継ぎし、最強の猟兵。
 たった一人で一軍を凌ぐ圧倒的な戦闘力に加え、目的のためであれば十万の兵を殲滅できる冷酷さを兼ね備えた人物。
 先の戦争での〈暁の旅団〉の活躍が噂となっていることもあって、一部の人々からは『魔王』と呼ばれ、畏怖されていた。
 帝国、共和国だけでなく遊撃士協会の危険人物リストにも記され、史上最高ランクの警戒をされている要注意人物だ。
 しかし逆に言えば、その評判が他国がクロスベルにちょっかいをだしにくくする理由となっていた。
 暁の旅団との敵対。それだけは避けたいと考える国家や裏組織の人間が少なくないからだ。
 それは彼女――アシェン・ルウの所属する〈黒月〉も同じであった。

「なんで、お前がここにいるんだ?」
「いたら悪いの? 別にここはあなたの家でもないでしょ?」

 ムスッとした表情で、不機嫌そうにリィンの疑問に答えるアシェン。
 アルフィンに呼ばれてきてみれば、どういう訳か先にアシェンが応接室で待っていたのだ。
 確かにアシェンがいること自体に問題があるかと言えば、ない。
 しかしノイエ・ブランでの一件もあるだけに、リィンが厄介事の予感を覚えるのは無理もなかった。

(悪い奴ではないと思うんだがな……)

 黒月の思惑が分からないことには、どう接していいか分からないというのがリィンの本音だ。
 ハニートラップなんて単純な真似を、あの〈黒月〉の長老が行うとは思えない。
 幾らリィンが女好きで知られているからと言って、怒りを買う恐れだってあるからだ。
 それにアシェンは〈黒月〉の長老会の中でも筆頭と目されるルウ家の令嬢だ。
 アシェンは祖父の指示だと言っていたが、孫娘をハニートラップに使うとは思えなかった。

(少し探ってみるか)

 何も知らされていない風を装っているが、あの〈黒月〉の令嬢だ。
 いま目の前で見せている姿が演技という線もなくはない。
 アシェンの人となりを知る意味でも、良い機会だとリィンは考える。

「安心しろ。前にも言ったが、お前と結婚するつもりはない」
「でも、爷爷(イエイエ)が……」
祖父(じい)さんのことが気になるなら俺から言ってやってもいい。それよりもお前、好きな奴がいるんだろ?」
「な――ななななな、何を言って!?」

 分かり易い反応をするアシェンに、やっぱりかとリィンは溜め息を吐く。
 最初から喧嘩腰な態度といい、頑なに結婚を嫌がっている様子といい、何かあると思っていたからだ。
 考えられる線として一番可能性が高いのは〝男〟だと踏んでのことだったのだが、正解だったらしい。

「それで、そいつとはもう付き合ってるのか?」
「私とツァオはそんな関係じゃ!?」
「……まさかの名前が飛び出してきたな。そう言えば、アイツもルウ家の関係者だったか」
「――ハッ!? 高度な誘導尋問を仕掛けたわね! 卑怯よ!?」
「いや、自分から喋ったんだろ……」

 恋は盲目と言うが、見事に自爆したアシェンにリィンは呆れた声でツッコミを返す。
 しかし、これで見合いの話はアシェンの意志でないことは、はっきりとした。
 多少大人びてはいるが、それでも年相応。
 ミュゼと違って腹芸の得意なタイプには見えないからだ。
 これも演技なら大したものだが、その線は薄いだろうとリィンは考える。

(調べておきたいこともあるし、直接会って確かめるのも手か)

 ルウ家の長老のことは、噂程度にはリィンの耳にも入っていた。
 裏社会に生きる人間であれば誰もが恐れ、一目を置く人物の一人だからだ。
 リィンの養父であるルトガーが警戒し、あの〈赤い星座〉ですら手こずる相手だ。
 直接の戦闘では負けはしないだろうが、搦め手を含めると一杯食わされる危険のある相手だとリィンも警戒していた。
 腹の探り合いでは分が悪い。となれば、正面から打って出るのも一つの手かと考えたのだ。

「それで、最初の話に戻るがどうしてお前もここにいるんだ?」
「東方の温泉に興味があるって言うからエリゼさんを招待しようと思ったのだけど、皇女殿下に話を聞かれてしまって……」

 この応接室に連れて来られたと話すアシェンに、リィンは少し同情する。
 エリゼといつの間に仲良くなったのかとか聞きたいことは他にもあるが、それよりもアルフィンの行動が気に掛かる。
 温泉と聞くと、どうにも嫌な予感がしてならないからだ。

「お待たせしました。執務が立て込んでしまって……あら、リィンさんもいらしてたんですね」
「……お前が呼んだんだろ。一体、何の用だ?」

 アルフィンの白々しい態度に、これは百パーセント何かあるとリィンは警戒しながら尋ねる。
 とはいえ、ここまでの流れから大凡の予想は既に付いているのだが――

「温泉に行きましょう!」
「やっぱりか……」

 黒月の長老とは一度直接会って話をする必要があるとは考えていた。
 しかし、まさかこんなカタチで共和国へ行く機会が訪れるとは、リィンも思ってはいなかったのであった。


  ◆


「温泉か、いいね」

 リィンから温泉に行くことになったと聞かされて、嬉しそうな反応を見せるフィー。
 ここ最近ずっと慌ただしくしていたと言うのも理由にあるが、彼女も今年で十八歳だ。
 年齢よりも少し幼く見えるが、やはりフィーも温泉と聞いて喜ぶ当たり、年相応の少女と言うことなのだろう。
 まあ、男でも温泉が好きなものはいるが、リィンもその一人だ。
 だから若干の不安を抱えつつも、本音では少し楽しみにしていた。

「それで、アルフィンの様子はどうだったの?」

 リィンがアルフィンの誘いに乗って、オルキスタワーまで出向いた本当の理由にフィーは気が付いていた。
 先日、帝都でセドリックの国葬が大々的に執り行われたためだ。しかし、その葬儀にアルフィンの姿はなかった。
 クロスベルの総督して帝国との戦後交渉に臨み、皇位継承権を放棄することを公言したためだ。
 帝国の皇女ではなくクロスベル寄りの立場を明確にしたことで、祖国との袂を分かったのだ。
 それでも葬儀に参加することは出来たかもしれないが、アルフィンは敢えてそうしなかった。
 実際にセドリックが亡くなっていないことを知っていると言うのも理由にあるだろうが、決心を鈍らせないためだろう。
 帝国の民を欺いているという罪悪感。そしてアルノールの名を捨てて生きていく覚悟を決めた弟の行く末を、アルフィンが憂いていることは容易に察せられた。
 今日も明るく振る舞ってはいたが、逆に言えば強がっている風にも見えなくない。
 とはいえ、

「恐らく大丈夫だろ」

 アルフィンが芯の強い女性であることは、リィンが一番よく知っていた。
 内戦時から、ずっと彼女のことを見てきたのだ。
 リィンがオリヴァルトではなくアルフィンを選んだのは、女だからだとかそういう理由ではない。
 ギリアスが冷酷なまでに現実主義だったのに対して、オリヴァルトは理想を追い求めるところがあった。
 可能ならば、戦争を止めたい。犠牲者を最小限に減らし、出来るだけ血を流さず平和的に物事を解決したい。
 そんな甘くも理想的な考えが、オリヴァルトの言葉からは透けて見えていたからだ。

 しかし、リィンの考え方は違った。
 仮にオリヴァルトの望むカタチで戦争を終わらせることが出来ても、それでは絶対に禍根が残る。
 極刑を免れ、生きながらえた貴族たちは不平不満を抱き、また同じようなことを企てるだろう。
 実際ノーザンブリアへの侵攻は、起きるべくして起きた事件だとリィンは考えていた。
 内戦後きちんと貴族たちを処断していれば、あのような戦争は起きなかったからだ。
 アルベリヒが用意周到だったというのも理由にあるが、付け入る隙を与えたオリヴァルトの責任でもある。
 アルフィンが感情を殺してまでリィンに貴族派の残党の粛清を依頼したと言うのに、それを生かせなかったのだから――
 アルフィンも甘いところはあるが、彼女はしっかりと現実を見据えている。
 自分の守りたいもの。大切なものに優先順位を付け、それを守ろうと自分の弱さを認めながらも必死に足掻いていた。
 だからこそ、リィンは彼女に力を貸すことを決めたのだ。

「ねえ、リィン。一つ聞いてもいい?」
「……なんだ?」
「ノーザンブリアへ侵攻してきた十万の兵を壊滅させたのって、アルフィンのためでしょ?」

 リィンが十万人の虐殺を行ったという話は大陸を震撼させ、人々に恐怖を抱かせた。
 魔王と呼ばれる原因の一つにもなっているが、見せしめだけが理由ではないとフィーは気が付いていた。
 恐怖を抱かせ、これ以上ノーザンブリアやクロスベルに手をださせない狙いも当然あったのだろう。
 しかし一番の狙いは、アルフィンにこれ以上の重荷を背負わせないためだとフィーは考えていた。
 ノーザンブリアが勝利すれば、帝国は戦争の責任を追及されることになる。
 これまで力で押さえつけていた不満が一気に噴出し、各国も揃って帝国を非難する流れは当然見えていた。
 しかし実際にはそうなっていない。帝国を非難する声はあるが想像されていたものよりも小さく、同情的な声も少なくないためだ。
 教会が〈黒の工房〉の悪事を喧伝していることや犠牲者の数が余りに多すぎたと言うのも理由にあるが、それ以上にリィンの悪行が目立っているからというのが理由にある。
 戦争で三十万人が亡くなったと聞くよりも、たった一人に十万人が虐殺されたという話の方がインパクトが大きいからだ。
 一部では、教会がリィンを危険視して『聖戦』と称したのも間違いでなかったのではないかという声もあがっているほどであった。

「さてな。猟兵が嫌われ、恐れられるのは今に始まった話じゃないだろ」

 猟兵は英雄などではなく戦争を生業とする者だ。
 この世界から争いがなくならない限りは、猟兵の仕事もなくなることはない。
 だからこそ嫌われ、恐れられるのは当然だとリィンは以前から言っていた。
 それは――

「そうだね。こんな仕事でも必要としている奴等がいるって、団長もよく言ってたし」

 二人の養父、ルトガー・クラウゼルが口にしていた言葉でもあった。
 どんな仕事にも必要としている奴等がいる。そんな生き方しか出来ない連中だっている。
 なら世間になんと言われようと、胸を張って堂々と生きていけばいい。
 引け目も後ろめたさも感じる必要などない。
 嫌われて当然、恐れられて当然。だが、自分の仕事には覚悟と誇りを持て。
 それが、猟兵王と呼ばれた男の教えであり、リィンが今も守り続けている流儀でもあった。

「それに適材適所と言うだろ? 俺たちと違って、アルフィンにはアルフィンにしか出来ないことがある」

 戦うことしか出来ない猟兵と違い、アルフィンには出来ることが他にたくさんある。
 人々に希望を与え、導くことこそ為政者に求められる資質だ。
 街を発展させ、人々の生活を豊かにしていくのもアルフィンの仕事だろう。
 前世の記憶や知識があるとはいえ、それを有効活用できるだけの頭も才覚もないとリィンは客観的に自分のことを評価していた。
 だからこそ、適材適所だと言ったのだ。アルフィンには、その能力があるのだから――

「でも、それをアルフィンが納得してるかどうかは別だと思うけど」

 リィンが嫌われて当然だと思っていても、アルフィンが納得するかどうかは別の話だ。
 自分の大切な人が悪く言われて良い気がしないのは、猟兵だとか関係なく誰もが同じだからだ。
 言っていることは正しいが、リィンにはそういう配慮が欠けているとフィーは指摘する。

「乙女心を分かってるようで分かってないよね。リィンは……」
「ぐ……」

 フィーのもっともな言葉に、リィンは反論できずに唸る。
 少しは自覚があるのだろう。それと同時にフィーの成長にも驚いていた。
 昔のフィーならこんなことは絶対に言わないし、考えもしなかったと言い切れるからだ。
 アルフィンたちと出会ったことで、フィーも成長していると言うことなのだろう。

「ところで、リィン。話は変わるけど、わたしも十八歳になったんだけど」
「それが、どうし……」

 急に何を言いだすのかとリィンが顔を上げると、目の前にはフィーの顔があった。
 テーブルの上に乗りだし、書類仕事を行っていたリィンに詰め寄るようにフィーは顔を近付ける。

「アリサは仕方がないとして、シャーリィとも寝たんだよね?」
「ちょ、ちょっと待て、落ち着こう。俺たちは兄妹だぞ?」
「でも、私の気持ちには気付いてるよね? それに血は繋がってないよ?」

 反論の余地すらない正論に、それ以上の言葉を失うリィン。
 ずっと兄妹として過ごしてきたが、フィーの気持ちに気付かないほどリィンは鈍感ではなかった。
 それでもフィーは同じ養父に育てられた家族だ。妹のような存在だと思って、これまで接してきた。
 いや、目を背けてきたと言った方が正しいのかもしれない。
 それでも――

「ん……」

 息が触れ合うほど二人の距離が近付いたかと思った次の瞬間、フィーの唇がリィンの唇に重なる。
 ただ、唇と唇が触れ合うだけの優しいキス。
 しかし、一瞬が永遠に感じられるほど二人にとって、それは重く意味のある交わりだった。

「いまはこれで許してあげる。でも、私は本気だから。リィンにも真剣に考えて欲しい」

 そう言うとリィンをその場に残して、フィーは赤く染まった頬を隠すようにさっさと部屋から立ち去ってしまう。
 そして、リィンは天井を仰ぐと大きく息を吸い、深々と溜め息を漏らす。

「強くなったつもりでいて、何一つ成長していないのは俺の方か」

 こんなことでは親父の後を継いだとは言えない。
 まだまだ、あの背中に遠く及ばないと――
 唇に残った温かさを感じながら、リィンは自分の未熟さを痛感するのであった。




後書き
 一先ずこれにてノーザンブリア編は終了となります。
 結局なんだかんだと四年以上も掛かってしまいましたが、内容としては原作の3と4を繋げて創の軌跡までの内容を入れたものなので妥当な長さかなと……。
 まだ描けていないシーンもあるので(帝国との終戦交渉の結果やジュライのその後など)そちらは追々とやっていく予定です。
 終わり方は以前から決めていたので、ここからリィンとフィーの関係も少しずつ変わっていきます。
 二週間ほど休載を挟んでから新章を進めていく予定なので、続きはもうしばらくお待ちください。



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