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 大陸でも有数の景観を誇る観光名所、エルム湖を一望できる港湾区の一等地にその建物はあった。
 元々は大陸最大の資産を誇っていたクロスベル国際銀行――通称『IBC』が所有していたビルで、クロスベルが帝国に併合された際にラインフォルトの手に渡り、しばらくの間はラインフォルト・グループの支社として使用されていたのだが、再独立の際に第四開発部ごとアリサが譲り受け、現在は〈AEOS(エイオス)〉の本社ビルとして運用されていた。

 エイオス――それは新技術の開発と研究を行い、適切に管理するためにアリサ・ラインフォルトが起業した新興企業だ。
 この新技術と言うのが、導力技術とは異なる体系から生まれた技術。ゼムリア大陸の〝外〟からやってきた異国、エタニアよりもたらされた〝理法〟を主に指していた。
 魔法のような技術と聞けば、この世界の導力魔法でも似たような真似が出来るのではないかと考えるが、いまゼムリア大陸で主流となっているのは石油やガスと言った天然エネルギーの代わりに七耀石を用いると言ったもので、戦術オーブメントで採用されているクオーツも限定的な用途に限られていた。
 それは、この世界で広く用いられている『導力魔法(アーツ)』と呼ばれる魔法技術が教会の秘匿する法術や魔女の使う魔術を模したものであるのが理由で、材料となっている七耀石にクオーツの属性が制限されるためだ。なかでもロストアーツと呼ばれるものは製法が失われており、古代遺跡から出土した物が僅かに現存する程度となっていた。
 即ち現在の導力技術ではロストアーツのように強力な魔法を封じたクオーツを製造することや、道具に特定の効果を付与するアーティファクトの再現は困難とされていたのだ。
 そんななか登場したのが、エタニアよりもたらされた理法と呼ばれる異国の技術であった。

 その性質は魔術や法術よりも錬金術に近く、道具に様々な効果を付与することでアーティファクトのように不思議な効果を持つアイテムを作り出せることにある。エタニアではこの技術を用いることで軍事だけでなく生活に便利な道具まで、ありとあらゆるものが〝科学〟ではなく〝理法〟によって再現されていた。
 一長一短でどちらの技術が優れているという話ではないが、これまで不可能とされていたアーティファクトの再現が限定的とはいえ可能という一点において、理法が導力技術の先を行っていることは間違いない。なかでもゼムリア大陸の人々に衝撃を与えたのが先日エイオスより発表された〈転位結晶(ゲート)〉の存在であった。

 この世界にも〝転位〟と呼ばれる技術は存在するが、それはあくまで〝裏の世界〟の話で一般的に広く知られているものではない。
 魔女の用いる魔術であれば可能でも、現代の科学力では実現が不可能とされるもの。
 現代の技術力では再現できるアーツに制限があることから、転位技術の実用化には至っていない。
 しかしエタニアでは、この転位による移動技術が国民であれば誰でも利用可能なほど広く普及していた。
 転位結晶と呼ばれる全高三アージュほどある巨大なクリスタルを用いることで――

 長い歳月を掛けてマナが結晶化したものと言う点では、この世界の七耀石と同じようなものと言えるだろう。
 しかし転位結晶の材料に用いられているクリスタルは無色透明で、特定の属性の影響を受けないエーテルの塊と言えるものだった。
 それを理法によって加工することで、離れた場所を一瞬で行き来できるゲートの設置を可能としたのだ。
 勿論、そのように便利なものが条件なしに使える訳ではない。魔女の用いる転位と違い、転位結晶による転位は同じ転位結晶が設置された場所にしか転位できない。それでも一瞬で遠く離れた場所に移動できるという技術は、多少高くついたとしても利用したいという人々がいるのもまた事実だった。
 いまはノーザンブリアとジュライ。それにクロスベルの三都市でしか利用できないが、近々リベールや帝国のオルディスにも転位結晶が設置されることが決まっており、鉄道や飛行船と並ぶ移動手段として人々の生活に浸透するのは時間の問題だろう。
 人の移動に限らず、物流の面においても転位技術が経済にもたらす影響は大きいからだ。
 とはいえ、

「ゲートの設置に前向きな国が多いなかで、やっぱりアルテリアとレマン自治州は難色を示してきたわね」

 今朝届いたばかりの報告書に目を通しながら、スーツの上から白衣を纏った金髪の美女。アリサ・ラインフォルトは予想どおりと言った反応を見せる。
 七耀教会の総本山があるアルテリア法国。そして、遊撃士協会の総本部があるレマン自治州。
 この二つがゲートの設置を拒むことは、アリサも想定していたことだったからだ。
 どちらも裏の世界と通じているだけに、転位技術の有用性と問題を認識しているのだろう。

「当然よね。ゲートがあれば一瞬で移動できると言うことは、人や物を簡単に送り込めるということでもあるし」

 それは即ち、戦争になれば一気に戦力を送り込んで、都市を制圧すると言った真似も不可能ではないと言うことだ。
 暁の旅団を危険視している勢力からすれば、ゲートの設置は自分たちの首を絞めることに繋がりかねない。
 実際、ゲートの設置に前向きな国の多くはノーザンブリアやジュライのような自治州や小国が多く、クロスベルほどでないにせよ大国との関係に頭を悩ませている国が大半であった。
 エイオスと直接交渉するのではなくクロスベル政府に働き掛けているのも、ゲートの設置を条件に同盟関係を結びたいという思惑があるのだろう。
 仮に同盟を結ぶことができれば、いざと言う時に〈暁の旅団〉の助力を得られるかもしれない。
 そんな思惑が大国の影に脅える国々にはあるからだ。
 とはいえ、そうなるように〝アリサたち〟が仕向けたのだが――

 独立を認められている自治州の多くは、アルテリア法国の承認を受けている自治州が多い。
 七耀教会の権威を後ろ盾とすることで自国を守り、教会もまたそうした自治州や小国を囲い込むことで国際的な発言力と影響力を誇示する。そんな関係が何十年、国によっては数百年と続いてきたと言う訳だ。
 しかし先の帝国とノーザンブリアの戦争で、大国の圧倒的な軍事力の前では教会の権威など役に立たないことが証明されてしまった。

 いざと言う時は、簡単に切り捨てられる。

 法国は自分たちを守ってくれないということを、これまで教会の庇護を受けてきた国々は知ったと言うことだ。
 強大な力に対抗するには、より大きな力に縋るしかない。それを証明したのも先の戦争だったと言える。
 暁の旅団の悪名は広まったが、それ以上に彼等が大国と戦えるだけの戦闘力を有しているということも広く知れ渡った。
 そのため、暁の旅団の助力を得られるようにクロスベルとの関係を強化しようと、同じような境遇にある自治州や国が動くのも当然の流れと言えるだろう。
 その結果、この四ヶ月ほどで法国の国際的な影響力は低下しはじめていた。
 このまま法国が黙って見ているとは思えないが、僧兵部隊が暴走した件で国際社会から厳しい目が向けられている現状では表立って動くことは難しいだろう。自分たちの権威が脅かされているからと言ってクロスベルとの関係強化に動く自治州や国に圧力をかければ、いまはまだ教会に対する不信や疑惑で済んでいる問題が確信へと変わり、反感を招く恐れがあるからだ。

「クロスベルを中心とした新たな経済圏が確立されれば、教会の国際的な影響力は低下する。だからと言って現状では表立って打てる手は無く、静観するしかない。仮に教会から何か言われたとしても、クロスベルから働き掛けている訳ではないのだから幾らでも言い訳が立つと。随分と悪辣な計画を立てましたね」

 そう言いながらもクスクスと楽しそうに笑う少女の姿があった。
 貴族の子女と思しき上品な佇まいと、落ち着いた色合いでありながらも煌びやかさが混在したドレス。
 ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエン。
 それが、エイオスの本社ビルでアリサに面会を求めてきた少女の名前だった。
 先日、正式に爵位を継ぎ、四大名門の一角であるカイエン公爵家の当主となった彼女がアリサの元を尋ねたのは、転位結晶の設置の件で相談すべき問題があったからだ。
 とはいえ、交渉自体は既にほとんど終えており、彼女の目的が別にあることをアリサは気付いていた。

「そうなるように仕向けておいて、よくそんなことが言えるわね。これもあなたの計画の内なのでしょう? ミュゼ」

 ――ミュゼ。
 それはミルディーヌが素性を隠すために使っていた偽名であると同時に、幼い頃に両親から呼ばれていた愛称でもあった。
 だからこそ、カイエン公となった今でも親しい友人や家族には、その名で呼ばれることを彼女は望んでいた。
 それが分かっているからこそ、アリサも公の席以外ではミルディーヌのことをミュゼと呼んでいるのだが、

「その長い髪ってウィッグよね?」
「ええ、公爵家の当主として動く時は、この姿をしていた方が何かと都合が良いので」
「なら、その格好の時は公爵閣下とお呼びしましょうか?」
「意地悪ですね。はじめてお会いした時は、もっと純真で可愛らしい方かと思っていましたのに……」
「私の性格が捻くれて見えるなら、腹黒い連中の相手をたくさんしてきたからだと思うわ」
「まあ! そんな方がいらっしゃるのですね。いま最も注目を集めている企業の代表ともなれば、そういう方たちも寄ってきますか」

 他人事のように装っているが、アリサの言う腹黒い人物の一人にミュゼも含まれていた。
 そういうところが腹黒いと言うのだが、何を言っても無駄とアリサは諦める。
 アルフィンにも言えることだが、下手にツッコミを入れても相手のペースに巻き込まれるだけと分かっているからだ。

「法国とレマン自治州が拒絶するのは想定内。そんななかでも意外だったのは共和国ですか」
「そうね。まさか、あちらから交渉を持ち掛けてくるとは思わなかったわ」

 暁の旅団を危険視しているのは、教会や遊撃士協会だけではない。
 帝国と大陸の覇を競っている共和国にとっても〈暁の旅団〉は厄介で危険な存在であることは間違いないのだ。
 なのに共和国はゲートの設置を容認する方向で交渉を持ち掛けてきたのだ。
 ゲートがもたらす経済的な効果を優先したとも考えることが出来るが、共和国はリィンとシャーリィにクロスベルへの侵攻を阻まれたことが一度ある。
 騎神の圧倒的な戦闘力。そして、リィンとシャーリィの実力は身に染みて理解しているはずだ。
 なのに危険を冒してまでゲートの設置を交渉のテーブルに載せてくるなど、何か裏があると考える方が自然だ。

「恐らくこの件には〝噂の人物〟が絡んでいるのは間違いないわ。形勢有利と思われていたロックスミス陣営を破って大統領になった人物――」
「第二十三代共和国大統領、ロイ・グラムハートですか。なかなかの曲者のようですね」

 リィンと密かに築いた関係や、ノルド高原での支配地域拡大。
 そして国内の問題にも解決の目処が立ったことで、大統領選挙の形勢は現大統領のロックスミス側に傾きつつあったのだ。
 しかしいざ蓋を開けてみれば、選挙の結果は野党〈愛国同盟〉から立候補したグラムハートの勝利に終わった。
 一部では選挙に不正があったのではないかという疑惑の声もあったが、これを敗者であるロックスミス自身が否定したことで与党の政治家や支持者たちも認めざるを得なくなり、ロイ・グラムハートの大統領就任が正式に決まったと言う訳だ。
 まだ大統領の任期終了には時間があるが、既に政権の移行に動きだしていることだけは確かだ。
 だとすればゲートを共和国に誘致する件はロックスミスの独断ではなく、新政権の意向が反映されていると考えるのが自然であった。

「エリィの話だと来年の春頃に開催が予定されている通商会議は、共和国で開催することが決まったそうよ。ゲートの設置についても、具体的な交渉はその時に進めたいと共和国政府から打診があったと言っていたわ」
「政権交代後、初の国際会議ですか。何事もなく無事に終われば良いのですが……」

 恐らく無事に終わることはないだろうと、アリサとミュゼの考えは一致していた。
 クロスベルで最初に開かれた会議から来年で四回目を迎える訳だが、何も起きず無事に終わったことなど一度としてないからだ。
 そんな曰く付きの国際会議が共和国で開催されると言うのだから、これで何事もなく平穏無事に終わると考える方が難しい。
 それにゲートの件もある。共和国の思惑が分からない以上、警戒しておくに越した事は無かった。

「そう言えば、共和国の話で思い出しましたが温泉に行かれるそうですね」
「誰からそれを……」
「姫様の様子が少しおかしかったので、エリゼ先輩にお尋ねしたら快く教えてくださいました」

 どう考えても一悶着あったことを想像させるミュゼの話に、アリサの眉間にしわが寄る。
 この話の流れで、ミュゼが共和国の話を振ってきた理由を察したからだ。
 いや、そもそもの目的がゲートの相談ではなく、こちらが本命だったのだと気付かされる。

「……まさか、ついてくるつもり? 公爵家の仕事はどうするつもりよ」
「内政はお祖父様がいらっしゃいますし、領邦軍の立て直しには〝オーレリア隊長〟も協力してくださっていますから当面は問題ありません。それに今後のことを考えれば、外遊を経験しておくのも必要かと」
「本音は?」
「皆さんだけで温泉なんて狡いです」

 やっぱりそっちが本音かとアリサの口から溜め息が漏れる。
 とはいえ、カイエン公爵家の当主となってから――
 いや、それ以前からミュゼが休みなしで政務に取り組んできたことはアリサも知っていた。
 自分を信じてついてきてくれた人々のために、身を犠牲にして公女を演じ続けてきたと言う訳だ。

(エリゼさんがミュゼに話したのって、これが理由よね)

 エリゼのことだ。ずっと働き詰めで気を張っているミュゼに休みを取らせたかったのだろう。
 そうなると、この時期にミュゼをクロスベルに送り出した公爵家の人々も疑わしい。
 特に現在、派閥の貴族たちをまとめ公爵家の内政を取り仕切ってるイーグレット伯は先々代のカイエン公の相談役として活躍した人物だ。
 頭の切れる人物として知られているが、何より彼はミュゼにとって母方の祖父に当たる人物だった。
 孫を溺愛していることでも有名なことから、今回の一件にも絡んでいる可能性が高い。
 そうなると――

(この子が気付いていないはずがないのよね)

 ミュゼ本人もイーグレット伯やエリゼの思惑を察していないはずがなかった。
 分かっていて、こんな態度を取っているのだろう。
 敢えて気付いていない振りをすることで、周囲の気遣いを無碍にしないために――

「面倒臭い性格をしてるってよく言われない?」
「面と向かって言われたことはありませんが、それは〝お互い様〟では?」

 同じだと言われれば、アリサもミュゼの言葉を否定することは出来なかった。
 その程度の自覚はアリサにもあるからだ。

「分かったわよ。どうせ、あなたのことだから根回しは済んでいるんでしょう?」
「はい。アシェンさんから了承は貰っています」
「なら、どうして私に聞くのよ……」

 アシェンから招待を受けているのなら、どうして自分に聞くのかと訝しげな視線をミュゼに向けるアリサ。
 そもそも今回の話は、アシェンがエリゼを共和国の温泉に誘ったことが切っ掛けとなっているのだ。
 アシェンの了承を得られているのなら、アリサの許可を取る必要などない。
 なのにどういうつもりなのかと、アリサが疑問を抱くのは当然の流れだった。

「リィン団長のハーレムを取り仕切っているのはアリサさんとエリィさんのお二人だと聞いているので、そのなかに入れて頂くのでしたらアリサさんの了承は取っておくべきかと」
「ぶ――ッ! 突然なにを言いだすのよ!? まさか……エリィのところにも?」

 突然なにを言いだすのかと、困惑と驚きを顕わにするアリサ。
 しかし温泉に行くメンバーを思い浮かべると、リィンに好意を寄せる女性ばかりなことに気付かされる。
 それにヴァルカンの都合がつかなかったこともあり、今回の温泉旅行に男で参加するのは今のところリィン一人になっていた。
 リィンの女癖の悪さを考えると、ハーレム旅行と揶揄されても仕方のない状況にアリサは反論の言葉を失う。
 そして――

「はい。快く了承頂いて、いろいろと相談にも乗って頂きました」

 ミュゼの笑顔の後ろにエリィの困った顔が浮かび、アリサの口から再び深い溜め息が溢れるのであった。



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