エイオスの本社ビルの地下に設けられた施設。
 ラインフォルトの第四開発部から引き抜かれた優秀な技術者たちが集うその工房に――
 黄色い作業服に身を包んだジョルジュと、いつもの灰色のコートを纏ったクロウの姿があった。

「――それで、クロウも誘われたと?」
「護衛という名目だけどな。というか、護衛の必要な面子かって話だが……」

 リィンがいれば大抵の危険はどうにかなる上に、温泉旅行には〈暁の旅団〉の隊長格も参加することが決まっていた。
 いまのところ参加が決まっているのは、フィーとシャーリィ。共和国出身と言うことで半ば強制参加となったリーシャの三人だけだが、その三人に護衛が必要かと問われると正直に言って怪しい。
 雇われている以上は業務命令であれば従わざるを得ないが、正直クロウには護衛が必要とは思えなかった。
 フィーやシャーリィと比べると戦闘力では劣るリーシャでさえ、クロウ以上の実力を秘めているのだ。
 特務支援課で数々の実戦を潜り抜けてきたエリィも自分の身を守る程度であれば、問題なく戦えるだけの戦闘力がある。
 アリサに至ってはオーバルギアに〈黒の工房〉から得た傀儡のデータを加えることで開発したアンドロイド。
 ヴァルキリーシリーズの〝三号機〟――スクルドをいつでも〈ユグドラシル〉を通して召喚可能なのだ。
 護衛が必要なのは、アルフィンとエリゼ。それにミュゼあたりだろうが、これだけ豪華なメンバーが揃っていれば万が一が起きるとも思えない。

「確かにそのメンバーなら大抵のことには対処可能だろうね」
「だろう? むしろ、敵の心配をするレベルの過剰戦力だしな……」

 ジョルジュの同意を得られたことで、クロウの口から思わず本音が漏れる。

「護衛対象と言えば、もう一人増えそうだよ」
「ん? それって、もしかして……」
「うん。昨日こっちに連絡がきて〝彼〟が今迎えにいってる」

 ジョルジュの話から誰のことかを察するクロウ。
 彼――リィンが直接向かえにいく人物など、いまの状況では一人しか思い浮かばないからだ。

「こうなったらジョルジュ。お前も付き合いやがれ」
「いや、僕は転位結晶の調整とか、他にも仕事がまだ残ってるし……」
「そんなの他の奴に任せても問題ないだろう。それにあれからお前、全然休んでないんじゃないか?」
「少しは寝てるよ。それに頑張らないと……命を救ってくれたクロウにこんなことを言うのもなんだけど、トワに悪い気がして……」

 この場にいないもう一人の友人――トワのことを思い浮かべる二人。
 死亡したことになっているセドリックのように、現在トワの消息は不明という扱いになっていた。
 帝国軍でのMIAの扱いは、事実上の戦死と変わりが無い。それでも帝都で暮らす家族はトワの無事を祈って今も帰りを待ち続けているらしいが、それが難しいことはジョルジュとクロウが一番よく分かっていた。
 死んではいなくとも、いまのトワが家族の前に姿を見せられる状態でないことを知っているからだ。
 呪いの大半は巨神と共に消え去ったが、黒の巫女に覚醒したトワの身体には〝呪い〟の力がまだ残っていた。
 イシュメルガは消えたとはいえ、巨イナル一が存在し続ける以上、いつまた呪いの力が暴走しないとも限らない。
 リィンならともかく、いまのトワでは至宝の力を制御することは出来ない。
 そのため、トワはこの世界から離れる決断をしたのだ。
 巫女として自らの力と向き合い、至宝の力をコントロールできるようになるために――
 そうしてノルンと共にトワが姿を消してから四ヶ月。いまだに連絡一つない状況であった。
 とはいえ、

「トワのことなら心配要らねえよ。そんなことよりも、トワが今のお前を見たら間違いなく怒っているからな? 『ジョルジュくん、ちゃんと休まないとダメでしょ!』とか言ってな」
「それ、トワの物真似のつもりかい? まあ、確かにトワなら言いそうだけど……」

 クロウはそれほどトワのことを心配してはいなかった。
 永遠の別れではなく必ず帰ってくると、トワはそう言ったのだ。
 なら約束を信じて待つことが、親友である自分たちに出来ることだとクロウは信じていた。
 ジョルジュが責任を感じるのも理解できるが、それで身体を壊してしまっては本末転倒だ。
 トワの性格から言って、そんなことを望んでいないことは疑いようがないからだ。

「俺の言葉が聞けないなら、ゼリカを呼ぶか?」
「……どうして、ここでアンの名前が?」
「野暮なことを言うつもりはないが、俺やトワがまったく気付いてないと思ったら大間違いだぜ?」

 クロウのその言葉に観念した様子でジョルジュは肩を落とす。
 そういう仲ではないと言っても、互いの気持ちにジョルジュも本当のところは気が付いていたからだ。
 いつからかと問われれば、士官学院に通っていた頃から少しずつお互いのことを意識しはじめていたのだろう。
 互いの気持ちに気付くようになったのは先の戦争が切っ掛けではあるが、ジョルジュは自分の気持ちを口にすることはなかった。
 親友とはいえ、アンゼリカは侯爵家の令嬢だ。
 平民でアルベリヒの言いなりとなって働いていた犯罪者の自分とでは釣り合いが取れるはずもない。
 そんな考えが頭からどうしても離れないからだ。そのことは当然クロウも察していた。
 しかし、

「お前、あいつを舐めすぎだろ? 身分とか細かいことを気にする奴かよ。俺が何かしなくても、そろそろ痺れを切らす頃だと思うぞ」

 このままだと間違いなくアンゼリカの方から押し掛けてくる。
 そうなって苦労するのはお前だと、クロウは近い未来訪れるであろう現実をジョルジュに突きつけるのであった。


  ◆


「それで翌日には姿が消えていたと?」
「ああ、部屋にはこの書き置きが残されていてな。言わんこっちゃねえ」

 女性と思しき文字で『しばらくジョルジュを借りるけど心配しないでくれ』とだけメモには記されていた。
 最後に記されたサインから察するに、アンゼリカの仕業で間違いないだろう。
 問題は――

(手引きしたのはミュゼで間違いないわね)

 誰の手引きかだが、これは間違いなくミュゼだとアリサは察する。
 まだ何か裏があると思ってはいたのだが、こんな隠し球を持っているとはアリサもさすがに予想していなかった。
 とはいえ、

「まあ、別にいいわよ。休暇届を受理しとくわ」
「いいのかよ……」

 元からジョルジュに休みを取らせるつもりだっただけに、あっさりとアリサは了承する。
 実のところジョルジュの休暇届の申請書類は既に準備してあったのだ。
 あれから四ヶ月。クロウと一緒に雇い入れたは良いが、ジョルジュは一度も休みを取っていなかった。
 事情はどうあれ、地精の末裔としてアルベリヒに協力していたのだ。責任を感じているというのも理由にあるのだろうが、アリサにも雇用主としての責任がある。それにジョルジュほどの技術者を使い潰すつもりなど、最初からアリサにはなかった。だから身体を壊す前に休息を取らせたかったのだ。
 そう言う意味ではアンゼリカが連れ出してくれたのは、アリサにとっても都合が良かった。
 ミュゼのことだ。その辺りも察して、アンゼリカに協力したのだろう。

「そろそろ休ませないとダメだと思っていた頃だし、本当ならクロウがジョルジュ先輩を温泉に誘ってくれることを期待してたのだけど」
「やっぱり、そのつもりで俺をけしかけたのかよ……」

 アリサの話を聞いて、納得した様子を見せるクロウ。
 ジョルジュを休ませるためのダシに使われたと、そんな予感は彼のなかにもあったのだろう。

「でも、クロウには予定通り付き合ってもらうわよ」
「もう、そこは諦めてるよ。護衛が必要な面子とも思えないがな」
「これ以上、リィンに余計な虫が付かないように見張っててくれるだけで十分よ」
「それこそ、期待されても困るんだが……」

 アリサが何を一番警戒しているのかは察せられるが、それを期待されても困るというのがクロウの本音だった。
 この話は続けると面倒臭いことになると悟ったクロウは、さっさと別の話題に切り替える。

「それで、いつ出発するんだ?」
「出発の前に片付けておきたい仕事が残っているし、いまエリィが共和国政府と調整を進めてくれているから早くとも二週間後と言ったところね」
「政府と調整? ただの温泉旅行だろ?」
「私たちだけなら共和国もそこまで警戒したりはしなかったでしょうけど……」
「ああ……そういうことか」

 リィンとシャーリィ。特にリィンの方が共和国に強く警戒されているのだと、アリサの言葉からクロウは察する。
 無理もない。いまやリィンの悪名は大陸全土に広がっている。
 猟兵王の名前よりも魔王の二つ名の方が有名になりつつあるほど、特に各国の政府関係者や裏社会の人間には恐れられていた。
 その上、共和国はヴァリマールとテルタロッサにクロスベルの侵攻を阻まれたことがある。
 仕掛けたのは共和国だが、戦車やガンシップと言った主力兵器をたくさん失っているのだ。
 その戦いで命を落とした兵士も千を超える。これで警戒するなと言う方が無理があるだろう。

「それ、入国を拒否されたりしねえのか?」
「たぶん大丈夫よ。これまでにも共和国は大きな猟兵団の動きは常に警戒して動向を追ってきた。そこまで警戒しているのに入国を拒否しないのは、したところで意味がないと理解しているからよ」
「……領土が広すぎるから不正に入国されても打つ手がないってことか?」
「それもあるけど、仮に一戦交えることになれば相当の戦力をそこに割く必要があるでしょ? 共和国が警戒しているのは帝国だけじゃない。国内にも反移民政策主義者のような強硬派や〈黒月〉を始めとしたマフィアが幅を利かせている問題がある」
「対処したくても人手が足りないってことか」
「そういうこと」

 更にもう一つ付け加えるとすれば、共和国もまた猟兵の力を必要としている点にあった。
 自国の戦力だけでは対応しきれない国内外の問題に、非公式ではあるが猟兵が一役買っているのだ。
 帝国との戦いを見据えて戦力を温存しておきたい思惑もあるのだろうが、どちらにせよ動員できる戦力には限りがある。
 それに猟兵をすべて国外に追い出してしまえば、その猟兵たちが帝国などに雇われることで敵となる恐れもあった。
 だから大きな問題を起こさない限りは監視に留めているのだと、アリサは説明する。

「この点は帝国も同じよ。だから猟兵はいなくならないし、彼等の仕事がなくなることもない」
「……必要悪ってことか」
「そこまで言うつもりはないけど、必要とされるから存在する。リィンなら、きっとそういうでしょうね」

 猟兵が存在しなければ、遊撃士協会がその役割を担っていたかもしれない。
 結局のところ必要とされるから存在するのであって、猟兵を排除したところで根本的な問題が解決する訳ではないというのがアリサの見解だった。
 必要とされる以上は意味があるはずだと、アリサはリィンたちと行動を共にすることで学んだ。
 それだけに、クロウにこんな話をしている自分がアリサは少しおかしくなる。
 リィンと出会う前の彼女なら、こんな風に考えることは絶対になかったからだ。

「しかし、二週間か……それだけ時間があれば……」

 何かを考え込む様子でブツブツと独り言を呟くクロウをアリサは訝しむ。

「あー……悪いんだが、出発までには戻るから休みを貰ってもいいか?」
「いいわよ」
「二週間も休みをくれっていうの勝手だと分かっている。だが……って、いいのかよ!?」

 予想だにしなかったアリサの回答に声を上げて驚くクロウ。
 普通の会社であれば突然二週間も休みをくれと言えば、最低でも理由を問われるのが普通だ。
 なのに、あっさりと許可が下りるとは思っていなかったのだろう。

「通信で言えばいいことを態々報告にきた時点で、他に目的があることは分かっていたしね。護衛を頼んだのは私だし、準備が必要なんでしょ?」
「……そこまでお見通しかよ」
「それで、何が〝必要〟なの?」

 すべて見透かされていたことに驚きながらも、クロウはアリサの洞察力の高さに感心する。
 元々才能はあったのだろうが、ここ最近のアリサの成長には目を瞠るものがあった。
 技術者としての才だけでなく、経営者としての資質の高さが窺える。

(本人は認めないだろうが、やっぱり蛙の子は蛙ってことなのかね)

 改めて、アリサの評価を上方修正するクロウ。
 敏腕経営者として知られるラインフォルトグループの現会長イリーナ・ラインフォルト。
 その才能を娘のアリサも色濃く受け継いでいるのだと実感させられたからだ。

「情報が欲しい。それと警備隊の演習場を貸してもらえるように手配を頼めるか?」
「特訓の相手を探しているのなら、シャーリィを呼びましょうか?」
「それだけはやめてくれ……」

 以前シャーリィと行った特訓のことを思い出し、それだけは絶対に止めてくれと懇願するクロウ。
 命が惜しいというのもあるが、シャーリィは並外れた戦闘センスを持つが故に人に教えるのが向いていない。
 出来ることと言えば実戦形式の模擬戦くらいで、再び同じことをやっても得られるものは少ないと感じたからだ。
 それに、どうせ特訓の相手に選ぶなら指名したい人物がいた。

「だが、そうだな。特訓の相手を探してくれるというのなら頼みたい人物が一人いる。一時的に団を離れてるって話だったが、戻ってきてるんだろう?」
「まさか、本気なの?」
「ああ、鋼……いや、槍の聖女に特訓の相手を頼みたい」


  ◆


 ――狭間の工房ファヴォニウス。
 世界と世界を繋ぐ境界の海を漂うその工房にベルとフランツ。それにリィンとエマの姿があった。
 そんな彼等の視線の先には人がすっぽりと収まるほど大きなシリンダーが横たわっており、なかには黒いレオタードのような衣装に身を包んだ一人の少女が眠っていた。
 銀色の髪に白い肌。まるで人形のようにバランスの整った精巧な顔立ち。
 OZシリーズの最後の個体にして、黒の工房によって生み出された人造人間。
 アルティナ・オライオン。それが、彼女であった。

「調整はこちらでやります。リィンさんは剣を――」

 エマの指示に従い、リィンは手にした剣をアルティナの身体に掲げる。
 ――想念の剣。それが、リィンがオルタより託された剣の正体であった。

「――――」

 エマが杖を掲げ呪文を唱えると、淡い光を放ちながら剣がアルティナの身体へと吸い込まれていく。
 人の想いによって生まれた概念武装。
 剣に取り込まれた際に肉体は失われてしまったが、この剣には今もアルティナの魂が宿っている。
 だからこそ、適合する素体の製作をベルとフランツに依頼していたのだ。

「儀式は終わりました。これで……」

 光が収まると、リィンの手から剣は姿を消していた。
 ホムンクルスの技術によって培養された素体に魂を移し替え、定着させる儀式は既に二回行われている。
 一度目はベルが、そして二度目はセドリックが被験者となり、何れも儀式は成功に終わっていた。
 出来る限りの手を尽くし、限りなく成功率を百に近付けた儀式。
 これでダメなら打つ手はないが、

「戻って来い、アルティナ」

 リィンは儀式の成功を確信していた。
 その場にいる全員が固唾を呑んで見守る中、リィンの呼び掛けに応えるようにピクリとアルティナの指が反応をする。
 そして――

「ん……」

 瞼を開け、ゆっくりと上半身を起こすアルティナ。
 まだ寝ぼけているのか、ぼんやりとした表情で周囲を確認するように首を左右に振る。

「リィン……さん?」

 リィンの姿を見つけ、どこか安心したような表情を見せるアルティナ。
 まだ少し混乱しているようだが、元気そうな彼女を見てリィンも安堵の表情を見せる。
 そして――

「いろいろと話したいことがお互いあると思うが、まずは……おかえり」
「あ……」

 優しく撫でるように、リィンの手がアルティナの頭に触れる。
 懐かしい温もりに触れることで、混乱していた頭が少しずつ落ち着いていくのをアルティナは感じる。

(そうだ。いつも、この人は……世界が違っても、本質的なところは何も変わらない)

 もう一人の自分の記憶がアルティナの頭を過る。
 彼女にとってリィンは自分の命を犠牲にしても助けたいと思うほど、誰よりも大切な人だった。
 そして、それはたぶん自分にとっても同じなのだとアルティナは気付かされる。
 リィンと出会わなければ、いまの自分はいない。そう、はっきりと断言できるからだ。
 だから――

「ただいま」

 口から紡がれる言葉と共に、自然と笑みが溢れるのであった。



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